Take On Me 3

マン太

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23.天敵

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 ラルフが指定したホテルは都内の高級ホテル。

 こんなとこ、いんのかよ。

 とにかく、こういった類のホテルに入ったことはない。岳と旅行に行っても、純日本建築の旅館に宿泊した事はあったが、高級ホテルとは縁がなかった。
 妙にぎくしゃくしながら、教えられた部屋へ向かおうとする。
 中に入れば、白い大理石の柱と床、ふかふかの赤い絨毯が床を覆い、ボーイが客の荷物を手に行きかう。
 完全に場違いな、ジーンズにラフなジャケット姿で入ってきた俺は、その場にそぐわない客だろうが、誰一人、スタッフは気にしていないよう。
 それが礼儀なのかもしれない。
 どんなにみすぼらしい格好でも、もしかしたらかなりの金持ちだったりするわけで。誰に対しても同じ態度を心掛けているのだろう。
 指定された部屋は七〇一号室。最上階だった。けれど近くのエレベーターを見てもその階がない。
 首をかしげていると、エレベーター前に立っていたスタッフが声をかけてきた。ベルパーソンと言うらしい。

「何かお困りですか?」

「七〇一号室って、どう行ったら──」

「失礼ですが、宮本大和様で入らっしゃいますか?」

「そう、ですけど…」

「エナンデル様より承っております。あちらの奥のエレベーターからどうぞ。ご案内いたします」

「え? あ、自分で──」

 てか、承ってって。

 先に連絡を入れておいたのか。
 ベルパーソンと呼ばれる人物は、スイスイと人を避け、俺を目的のエレベーターまで案内してくれた。
 人避けのパーテーションを脇に移動させると、そこには最上階に直結したエレベーターがあった。

 へぇ、他の客とは別なんだ…。

 これでは、いつまで経っても自力で見つけられなかっただろう。
 にこりと笑んだベルパーソンは軽くお辞儀をして、開いたドアの向こうに消える俺を見送ってくれた。

 どう見ても不審かもしれないのに、そこは詮索したりしないんだな…。

 連絡があればオーケーってことか。

 そうこうしていれば、七階に到着した。
 びっくりしたのが、開いた先がすぐに玄関ドアになっていたことだ。
 時刻は指定された二時の少し前。
 インターフォンが横にあり、ボタンを押すと、

『──どうぞ。入って』

 アレクの声がインターフォン越しに聞こえ、自動のドアの鍵が開いた音がする。
 重厚な木製で出来たドアを押し開けると、長い廊下が続いた。

 もしかして、スィートとかなのか?

 よくわからない。
 最上階だ。特別な部屋ではあるのだろう。
 それでも、かなり高額な部屋なのは理解できた。踏むとフカリと沈むもふもふした絨毯はコバルトブルー。白い壁に良く映えていた。 

 なんか、別世界だな。

 大理石貼りの床をスニーカーできゅっきゅと踏み鳴らし進み、漸く広い部屋へ出る。
 そこは前面がガラス張りで、高層階からの眺望が広がっていた。中央にはクリーム色のソファセットが置かれていて、天井からは品のいい控えめなシャンデリアが揺れている。

「そこ、座って」

 部屋の奥から声がした。
 ソファまで近づくと、奥にキッチンが見える。そこにラルフが立っていた。

「アルコールじゃなくていいよね?」

「…なにもいらない」

「そう? でもせっかく来てくれたんだし、このアイスティー。さっきルームサービスで頼んだのだが残ってるから。美味しいよ。ちゃんと淹れたのだから」

 備え付けのキッチンのカウンターには、ガラスのポットに入れられたアイスティーが見える。
 ラルフは新しいグラスを二つ取り出すと、氷を入れ手際よく注ぐ。

「それより、話しが先だ。どうして岳の仕事を突っぱねたんだ? なんで直接岳に会って話さない?」

 俺の質問にラルフは笑うと、入れたばかりのアイスティーを、ソファセットの前にあるローテーブルに置いた。

「どうぞ。ね、座ったら? 長い話になるんだし…」

「岳が困ってる。のんびりと話してはいられない。どうしてそうなったのか、理由を教えろよ」

 腕を組んで睨めば、ラルフは肩をすくめてみせ、

「そんな怖い顔、しなくても。──ね?」

 ソファへ座ると、アイスティーを口にした。俺はそれでも立ったまま詰め寄る。

「今すぐ岳に連絡して理由を話せよ。だいたいなんで俺を呼び出した? まさか岳が怖くて直接話せないとか言うなよ?」

「呼び出した理由なんて、ねぇ? 僕と君の間なのに?」

 俺はむっとして。

「ふざけんな。あんな、痕くらいでなんかあったと思うなよ。脅したって意味ねぇからな」

「まあ、そうみたいだね? 作戦失敗」

 ラルフは悪びれた様子もなく笑う。俺はふうと息をつくと。

「なに企んでんだよ? 岳の仕事の件は、本当になにか不備があったのか?」

 ラルフはちらとこちらに目を向けたあと、手にしていたグラスをテーブルに戻す。

「企むなんて…。とにかく座ってよ。すぐに済む話じゃないし。それから話すって」

「座ったら話すのかよ」

「もちろん。そのままじゃ落ち着いて話せないよ」

 アレクはこちらを見ようともせず、よく整えられた指の爪を熱心に見ていた。
 俺は渋々、すすめられたソファに座る。
 白いレザーのソファは、程よい張りと柔らかさがあった。丁度いい具合に身体が沈む。
 ただ、背もたれに腕をあずけ、くつろぐラルフは絵になるが、俺には不釣り合いで。
 しかも、こういう状況を抜いてもまったく落ち着けない。
 置かれたアイスティーの氷が解けてカラリと音を立てた。せっかく入れてもらったのに口をつけないのも大人げない。アイスティーに罪はないのだ。
 それに、同じものを目の前でそれぞれのグラスに注いでいた。もしかして、『何か』が入っていることはない。
 渋々、グラスに刺されたストローに口をつけ、一口口に含んだ。

 あ、美味しい。

 多分、ダージリンティーだ。品のあるいい薫りにほっと息をつく。
 自分にそぐわない場所に来て、いささか緊張していたのも事実。
 ラルフが注文したと言うのは置いておいて、アイスティーは素直においしかった。

「で、どうしてだ? …まさか、ただのいやがらせの為とかじゃねぇよな?」

 ラルフは薄く笑ったまま、すらりと長い足を組み直す。薄手のスラックスからは白いほっそりとした足首が覗いて見えた。上はラフなTシャツ姿。部屋着なのだろう。リラックスしたスタイルにそれがうかがえる。

「どうだろう?」

「ちゃんと出版前のゲラも見たんだろ? なんの不満もなかったって岳から聞いてた。それがどうして今になって、不備って、どういうことなんだ?」

「…気に入らないから」

「どこがだよ? 撮り直ししてほしいなら、そう言えばいいだろ? 理由が分からなきゃ動けない」

 するとラルフはこちらに視線を向け。

「仲のいい二人が、気に入らない」

「なんだよ。それ…。そんな理由で岳を困らせてるってのか? 子どもかよ」

 呆れて言葉も出ない。

「なんとでも言えばいい。…気にいらない理由は──ちゃんとある」

 ラルフは妖しく笑んだ。

+++

「なんだよ、それ」

「じゃなきゃ、君みたいなのに手なんか出さないよ」

 興味なさげに俺の方へ手をひらりと振って見せた。

 悪かったな。みたいなの、で。

 俺はムムッとなったまま、アイスティーをすべて飲み干すと、空になったグラスをコンと音を立てテーブルに置いた。

 やっぱり上手い。

 後で茶葉は何か、ホテルの従業員に聞こうとさえ思ってしまった。

「…理由って、なんだよ。岳に嫌がらせする理由」

 すると、ラルフは目を伏せ笑う。

「言えない。君にはね…」

「このまま、岳に理由も言わないで、嫌がらせを続けるのか? それで一人の人間が傷ついても、仕事を失うことになっても、いいって? …気に入らないなら、ちゃんとその理由をぶつけろよ。今のやり方は正しくない」

「ふん。『正しくない』ね」

 ラルフはちらりとこちらに視線を向けた。

「人を傷つけたのは、岳さんの方が先さ。傷つけるなんてもんじゃない…。今回の嫌がらせなんて、それに比べれば甘いものだよ」

「岳が先って、どういうことだ?」

 ラルフは薄く笑うと、グラスを手にして、半分ほど残っていたアイスティーを飲む。

「あんな薄情な男。君だっていつ捨てられるかわからないよ?」

「岳が薄情ってのは聞き捨てならないが、その覚悟はできてる」

 前に一度、盛大にフラれた。
 最近だって、フラれたかと思う事態が起きていたのだ。予行練習は一応、出来てる。
 毎回、かなりの衝撃だが。

「俺は岳が好きだ。岳が俺を捨てるなら、それも受け入れる。本気で好きなら、辛いけど…できる」

 いつか、俺を捨てる日が来ても。

 俺は岳といた幸せだった日々だけを胸に刻んで、潔く別れを受け入れる。でないと、岳が幸せになれないからだ。
 俺を選ばなかったと言う事は、俺といても幸せではないからで。だったら、岳の幸せを祈って、俺は去る。
 陰で泣くし立ち直れないのは重々承知だ。前にも経験がある。
 あの思いをもう一度繰り返すのかと思うと、かなり辛いが、岳を思えば何も言えない。受け入れるしかないのだ。
 だから、覚悟は出来ている。

「凄いね…。本当に岳さんにぞっこんなんだ。気持ち悪い…」

「気持ち悪くて結構。あんたになんと言われても、どうだっていい。これは俺と岳との間の話だ。あんたがどう思おうと関係ない」

「…君はまっすぐなんだね。ぶれないんだ」

 ぽつりとラルフが漏らした。
 そうして、つまらなさそうに空になったグラスをテーブルに置くと。

「僕はきっと幸せな奴らが嫌いなんだと思う。一生を添い遂げるとか、生涯のパートナーとか。吐き気がするんだ。うさん臭くて…」

 ラルフは本当に嫌そうに綺麗な顔をしかめて見せた。

「だから、そんなうさん臭いカップルを見ると壊したくなるんだよね? いや、試すの間違いかな? 今までそんなカップルを何度も終わらせてきた。僕が誘惑すると、あっさり終わるんだ。だから、そんな言葉、嘘だと思ってる…」

 ラルフはこちらをひたと見つめた。

「俺も有効だと思ってんのか?」

「いや。ダメだろうね? 岳さんには効かなかったし。君は僕に堕ちるタイプじゃない。普通過ぎるんだ…」

 むか。

 普通で悪かったな。てか、俺は顔で選ぶわけじゃねぇし。

 いや。岳と初めて会った時はちょっとドキドキしたけど、それは誰もが感じるドキドキで。断じて顔だけじゃない。
 顔だけならここまで続かなかっただろうし、だいたい、同性と分かって好きにはならなかった。

「じゃあ、なんで…俺を襲ったんだ?」

 ラルフは気だるげに長い髪をかき上げながら。

「まあ、君がショックを受けて、それでちょっとは仲がぎくしゃくすればいいとは思ったけれど…。何も起こらなかったの? 黙ってたの?」

 何も起こらなかった訳じゃない。
 それは、ラルフの件だけじゃなく、色々あったせいだが、今は終わった事だ。それをラルフに言う必要などない。

「べつに言う程のことじゃない。だから、リベンジで今回の件か?」

「そう。嫌がらせの続き。──君を呼び出すのに結構手がかかったんだから。岳さんを呼び出して、君を事務所に一人きりにする…」

「って、岳が呼び出されたのは──」

 ハッとなる。

「僕が仕組んだんだ。事務所への来客もね。僕が電話を掛ける間はいて欲しくなかったからさ」

「どうしてそこまでするんだよ? いったい、何の理由があって──」

 俺は詰め寄るが、言いかけた所で、ふわりと視界が揺れた気がした。

 なんだ?

 目をこするが、視界がぼやける。

「おいしかったでしょ? アイスティー。もっと美味しくなるようにちょっと薬をね」

「マジかよ…」

 くらりと視界が揺れた。
 俺は自分の迂闊さを強く呪う。

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