Take On Me 4

マン太

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22.発端

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 その日の夜。

「お! 岳からだ」

 夕食後、家事を終え、リビングのソファで一人、休んでいると、端末へ岳からの定時連絡がきた。

「なになに──」

 急いでメッセージを読んだが、読み進めるうちに消沈する。そろそろ、通信が出来なくなるため、これから暫く連絡できなくなるというのだ。
 いよいよ、カンチェンジュンガ向かいにある峰に登頂し、そこから撮影するらしい。それが終わるまでは連絡はできないとのことだった。
 ただ天候が不順で予報が外れることも多々あり、順延されることもあるらしい。この前も季節外れの大雪に見舞われたとか。
 俺はため息を飲み込んで、

「くれぐれも、体調には気をつけて、絶対無理はするなよ? こっちは何も心配なしだっと」

 とととっと、文字を入力しそれを送る。
 色々あるにはあったが、遠方で頑張る岳に心配はかけられない。
 暫くしてポン! と通知音がし、岳からの返事がきた。

『大和に会いたくて、無理をしそうだ。気をつける』

 ふぐ。岳…。

「俺も会いたい。けど、十分気をつけてくれ。急がなくていいからな? 無事な岳に会いたい。俺はここで待ってるから。撮影が無事に成功するのを祈ってる」

『ありがとう。大和、愛してる』

 ううう。照れ臭い。字面にすると、より照れ臭い。ひとり、ソファの上で悶絶する。

「俺も…」

 そう送り返すのがやっとだ。毎回、メッセージの最後に送られてくる言葉。
 なのにどうしても気恥ずかしくて照れくさくて。慣れることはない。そこの言葉だけ、岳がこちらをじっと見てそう口にしている場面が浮かんで来るのだ。
 俺は端末を手にしたままそこへぱたりと横になる。

 ああ。会いたいな。

 本当は今頃、撮影の様子をすぐ側で見ていたはずだった。

 岳の全てを隣で見ていたい。岳の傍らに立つのは自分でありたい。

 何かあったとしても、傍にいればすぐに対処できる。こうして遠くで思うだけなのは、正直、本意ではなかった。
 ふうとため息を吐き出し、ごろりと上向きになって天井を見つめる。

 今後も、こういうことがあるんだろうか。
 
 次は連れていくと言ってくれたけれど。
 俺だって、次こそはついていくつもりだ。けれど、不測の事態が起きれば別で。
 今回の様にいたしかたない事が起きれば、また岳とは離れ離れになるだろう。
 仕方ないとは言え、寂しさはつのる。

 俺の眷属、傍にいるかな?

 持っていった、岳のライナスの毛布、くたびれたコツメカワウソのぬいぐるみ。
 それは岳の持ち物のどこかに押し込められているはず。山での行動では出来るだけ荷物は軽くする必要がある。本来なら置いて行くべきものだろう。けれど、俺の代わりだと連れて行った。

 コツメと、入れ替わりたいな…。

 目が覚めたら、本当にコツメカワウソのぬいぐるみになって、岳の胸ポケットあたりに収まっていたらいいのに。
 そうして、ソファの上でうち沈んでいれば、ガチャリとキッチン側のドアが開いた。

 誰だ?

 起き上がって見れば、壱輝が冷蔵庫を開ける所だった。

「まだ起きてたのか?」

「のど乾いた…」

 そう言って、冷水筒から水をコップへ注いで飲み干す。時刻は夜十時過ぎだ。
 俺は気を取り直すと、気持ちを引き戻し、現実に目を向けた。目下、壱輝の案件が解決すべき重要課題だ。

「あれから、連絡はないか?」

 俺はソファの背から顔をのぞかせる。

「無視し続けたら無くなった。けど、昨日、こっちにも考えがあるって。連絡が最後」

「要注意だな、それ。真琴には?」

「話してある」

「そっか…。なあ、何度も言うけど、何を言われても、一人で行動はするなよ? 俺か真琴にとにかく連絡しろ?」

 きっと八野は何か行動を起こすに違いない。そこを警察は狙うらしいが。

「分かってる…。てかさ、あんた俺らの事ばっかかまってるけど、それどころじゃないんじゃねーの?」

 壱輝は空になったコップをシンクに置くと、こちらを見た。眼差しがきつい気がする。

「それどころって?」

「いっつも見てない所で、ため息ついたり、ボーっとしたり…」

 岳の事を指しているのだ。俺は頭をかくと。

「はは。ばれてんのな? ま、仕方ねぇことだし。岳はあっちで元気にやってる。だからそこまでは気にしてな──」

「嘘つくなよ」

「壱輝?」

「あいつの事、心配なんだろ?」

「ま、あ…心配は、してる…」

「だいたい、あれだけべたべたしてんのに、なんであんたは置いてかれたんだ? 普通、連れてくんじゃねぇの?」

「それは──」

 言えない。
 壱輝達の面倒を見る為に残ったのだ。そんな事をいえば、自分たちの所為だと気にする。

「置いていかれた挙げ句、俺たちの世話まかされてさ」

「そう言うわけじゃない──」

 遮れば、ふと気付いた様に顔を上げ。

「あ、違うか…。俺達の面倒見させる為においてったのか…」

「違う」

 否定したが、合点がいったようで、

「そうだよな。俺たちの預け先なんてどこにもなかったんだ…。頼れる親戚なんていない。あんた、あいつの為に仕方なく引き受けたんだろ? 本当は面倒なんか見たくなかった癖に…」

「それはない!」

 そこは思いきり否定する。
 俺はソファから立ち上がり、キッチンに立つ壱輝の傍まで行ってきっちり向き合うと。

「岳から話しを聞いて、すぐに預かろうと思った。子どもだけで生活するなんて、ろくなことない。誰か大人が傍にいるべきだ。それが周りにいる大人の責任だ。岳の為じゃない。俺自身の判断だ」

 ビシッと言い切る。壱輝は胡散臭そうな顔をして。

「…本心なんて、わかんねぇし」

「そう言いたくなる壱輝の気持ちも分かる。けど、俺は嘘はつかない。壱輝達の事が本当に心配なんだ」

 俺は壱輝を必死な眼差しで見つめた。

+++

 それは俺自身の過去と繋がるからだ。
 中学で母親を亡くしてから、ひとり奮闘してきた。父親は酒とギャンブルに溺れ、家にいない事が殆ど。生活費を父親から入れてもらった記憶がない。
 ごくまれに、ギャンブルに勝ったのか、数万円をぽんと渡されることがあったくらいだ。
 生活費の殆どは、こっそりやっていた新聞配達の仕事でしのいだ。本当に最低限の生活で。
 あとは、隣に住むばあちゃん、こと、管理人のふくやその他、同じアパートに住む賑やかな人々に支えられ生きてきた。
 もし、本当にひとりきりだったら、ぽきりと途中で折れていたに違いない。
 信用のおける大人が周囲にいたからここまで大きくなれた。だから、壱輝や初奈にも、見守る大人が必要だと強く思ったのだ。
 壱輝は押し黙る。

「……」

「大人は信用出来ないって思うかも知れない。けど、未成年には誰かが必要なんだ。壱輝達を利用するような奴じゃない。必要なのは本気で心配してくれる人間だ。俺が信用出来ないなら、真琴でも亜貴でもいい。特に真琴は壱輝の為に動いてるんだ。真琴なら信用できるだろ?」

 必死に言いつのれば。

「別に信用出来ないなんて、思ってない…」

 その言葉にホッとする。

「そっか…。なら良かった。壱輝はまだ子どもだ。ひとりで全部背負い込もうとするな。一人きりじゃないんだ。今はドンと俺達を頼ればいい。な?」

 そう言って、壱輝を見返す。壱輝は暫く黙ってそこに立っていたが。

「あんた…。やっぱり、変だ」

 そう言って顔を伏せる。その口元に苦笑に近い笑みが浮かんだ

 お? 

 俺は思わず見返す。初めて笑顔らしきものを見た気がした。

 かわいいではないか。

 年相応だ。いつもの憎まれ口を叩く、小憎らしい壱輝ではない。

「壱輝。笑ってた方がいいって。お前の事、好きになる奴、増えるって」

 と、壱輝が不意に顔を上げ、こちらを見つめてきた。

「──あんたは?」

「お? もちろん、壱輝のことは好きだぞ──」

 と、答えたのと同時、壱輝が腕を伸ばし、あっと思った時には、抱き締められていた。
 こうすると、やや壱輝の方が身長が高いのに気付く。ほんの少しだが。

「…壱輝?」

 ギュッと抱きしめられ、身動きが取れない。

 抱きつかれるのは駄目だが、する方はオーケーなのか?

 頭の中に「はてな」マークが飛び交う。

「どうした? …心細いのか?」

 色々あった。
 たった十五才の少年にはそれが重くのしかかっているのだろう。
 俺はあやす様にポンポンとその背中を軽く叩く。気持ちは、小さな子供を抱きしめるのと似ていた。
 壱輝はそれでも暫く口を開かなかったが。

「…こうすれば、何か分かると思った」

 俺を抱き締めたままそう口にした。

「ん? 何かって──」

 そう問えば、不意に壱輝が顔を起こした。腕の力が緩んだおかげで、俺も顔を上げられる。
 目の前に壱輝の顔があった。
 色が白く、頬に僅かにそばかすがあるのが可愛かった。目は切れ長で、顔つきは今はいない母親に似ているのかもしれない。
 父親のように彫りの深い、くっきりした顔つきではなかった。壱輝はじっと俺を見下ろすと。

「…危機感ってないのな」

「へ? 危機? ってなにが──」

 分からず問い返そうとした矢先、視界が陰り唇に少しヒンヤリとした、柔らかいものが押し当てられた。

 え──っと? これは。

 まごう事なき、キスだ。

「む、がっ…!」

 触れただけでなく、かなり深く合わせてきたから、飛び上がる。

 まてまてまて!

 俺は必死に顔を反らしたが、俺が右へ逃げようとすれば、右へ。左へ逃げようとすれば、左へ。壱輝の執拗なキスに追われ、俺は右往左往する。

 こいつ、高校生の癖に。

 しかも十五歳だ。
 いや、経験値は俺よりあるのだろう。中学生くらいから派手に乱れていたらしたらしいとは、真琴の談だった。
 派手に突き飛ばしてもいいが、それだと怪我をする可能性がある。
 ここは狭いキッチンだ。背後には冷蔵庫にトースターにオーブンに。電化製品がずらりと居並ぶ。包丁はきっちり収納してあるから大丈夫だ。ただ、戸棚にあたった場合、ガラス、陶磁器製品が落ちてくる可能性がある。こうなったら──。

 き、金的を、蹴れ!

 突き飛ばしてものにあたることはない。その場に倒れこむだけだ。
 それは男性の一番の急所で。この際、四の五の言ってはいられなかった。もちろん、軽くだ。

 軽ーく蹴るだけ──。

 使用不可にするつもりはない。足を上げかけるが。

 いや。でもまて。相手は十五才だ。子ども相手にやはりそれは──。

 俺は短い間に煩悶する。

 突き飛ばすのもダメ。蹴るのもダメ。
 どうするか。

 必死に着ているTシャツの背を引っ張ったが、伸びるだけで引き剥がせない。そうこうしていると、ガチャリと等々にリビングのドアが開き、驚く人の声がした。

「──大和?」

 真琴だ。天の助け! と、一瞬思ったが、これはこれで、危機的な状況かも知れない。真琴がこの状況に、冷静でいてくれるかどうか。
 と、ぱっと腕の拘束が解けた。

 ぶ、ふわっ!

 俺は大きく息を吐き出し、そこへよろめく。

「──!」

「壱輝! 大和になにをしてる──」

 厳しい口調で問いただそうとした真琴に、弾かれた様に壱輝がリビングを飛び出した。

「あっ! って、待てって! 壱輝!」

「まて。俺が行く。大和はそこにいろ」

 俺が追うより先、真琴が追った。俺はその背に向かい、

「真琴さんっ! 壱輝、逃がさないでくれ! あと、怒るなよ! 今のは──スキンシップの一つだ! 過剰だったけどっ」

「──わかった」

 一瞬、非難めいた表情で眉間にシワを寄せたものの、真琴は外へと飛び出した壱輝の後を追った。

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