22 / 36
21.選択
しおりを挟む
気が付くと、見慣れない白い天井が目に入った。綺羅びやかな装飾が施され、見るものを圧倒する。そこに竜の紋章を見つけた。
それでここが王ネムスの城だと気づく。それまでの経緯も思い出した。
城に──運ばれたのか。
光の渦からどうやってここまで来たのか。
ふと、自分の手を握る確かな温もりに気づいた。横に顔を向ければ、
「スウェル…?」
「タイド…」
赤茶の髪、深い緑の瞳。タイドが必死な表情でこちらを覗き込んでいた。
私の──タイド。
「スウェル…! 良かった」
そう言って、横になったままのスウェルの首筋に抱きついてくる。
ふわりとタイドの香りがした。甘い懐かしさを感じる香り。幼い頃からずっと変わらない。腕をその背に回すと。
「すまない…。すっかり待たせた…」
口許を赤茶の髪がくすぐった。
一体、どれ程眠っていたのか。部屋にはタイド以外いなかった。まだ、誰もスウェルが目覚めたことを知らない。
タイドを抱きしめたまま、スウェルは言葉を続ける。
「何がどうなったのか、分からないんだが…。とにかく、誰の邪魔も入らないうちに伝えておこう」
「スウェル?」
タイドが僅かに顔を起こし見つめてくる。今度こそ、伝えねばならない。
「俺は──」
と、言いかけた唇を、タイドが指先でそっと押さえてきた。
タイド?
首を傾げれば。
「…俺は、エルフの里を勝手にでて、掟を破って人と関わった。もう、戻れない…。それに──俺は…もうスウェルといられないんだ」
「なんでだ? エルフの里にいれないことなど、苦でもない。どこか人里離れた場所でもみつけてそこで二人暮らせば──」
「違うんだ…! 俺だって、そうしたい…。そうしたいけど──」
俯くタイドの頬に触れ、そっと顔を起こす。
「何を隠している?」
タイドはその言葉に、くっと顔を上げると。
「俺は…この国の王様の子どもだって…。だから、この国から出ることが出来ない…。王家の一員として、民を守る義務があるって…」
「は?! なんだ、それは──」
「本当の事です」
そう言って、姿を現したのはニテンスだ。手に水差しを持っている。それを近くのテーブルに置くと。
「この国の王、ネムスは、十八年前、とある村に遠征で暫く滞在したそうです。そこで身の回りの世話をしてくれた娘と懇意になり、娘は懐妊した。王は村を離れる時、自身の短剣を娘に渡し後日城を訪ねるように言ったそうです」
「短剣…」
思い当たるのは、タイドに渡したあの剣だ。
やはり、あの紋章は──。
ニテンスは先を続けた。
「娘はしかし、城には出向かなかった。無事息子を生みはしたが、独り身では生活に苦労し、息子の為に仕方なく城を訪れた。しかし、王は不在だったそうです。それを偶然知った第一王妃の恨みをかい、暗殺された」
「暗殺? それじゃあ、タイドの母親は──」
「その時の赤子は──娘の最後の逃亡先の村の近くの、森の奥にある大樹に置かれた…。その赤子の行方は…スウェル様の知っての通りです」
「…その話しは?」
「ベルノ王子から聞きました。ベルノ王子は、第一王妃の元侍女から…。スウェル様もお気づきだったはず。例の剣の出先を…」
「それは…」
あの短剣に刻まれていたのは、セルサスの紋章だと分かっていた。シリオにも以前に指摘されていたのだ。それに、タイドが若かりし頃の王ネムスに似ていると言うことも。
だが、それに気づいてはいても、無視し続けてきた。それらは偶然で、王家とは何ら繋がりがないものだと。
そう、自身に思い込ませて来た。
「王ネムス様はタイドを正式に息子として迎えいれると。そして、グリューエン様もそれをお認めになりました。グリューエン様としても、何らかの処罰を与えるより、望まれて人の世に戻るなら、それでよしとすると…」
「…なんだ? それは…。俺の、タイドの気持ちはどうなる? こんな勝手な──」
スウェルはタイドを抱きよせる。ニテンスは小さくため息をつくと。
「あなたの意識は半月、戻りませんでした。それだけあれば話は進みます。それに、早く目覚めていたとしても、スウェル様の意見は通らなかったでしょう。掟を破ったことは咎めねばなりませんし、王グリューエン様の決定は絶対です。…なにより、人としてのタイドの将来を考えれば、ネムス様の申し出はありがたいことでしょう」
「何を──今更…」
「これは、タイドも了承済みです」
その言葉に腕の中のタイドを見下ろす。
「本当か? それは──本心か?」
タイドは唇を噛みしめ、身体を震わす。
本心のはずがない。だったら、こんな顔は見せないはず。
タイドは声を絞り出すと。
「…俺は、スウェルといられればそれで良かった。本当に、望むのはそれだけだったんだ…。けど…」
「けど、なんだ?」
その顔を覗き込めば、タイドは顔を上げしっかりとスウェルを見つめてくる。
「俺は──…」
見る見るうちに、その目の端に涙が浮かび、頬を滑り落ちていく。
その表情は、スウェルを好きで仕方ないと物語っている。
なのに──。
「俺は、この国で、王子として生きる…。そう、決めたんだ。それが俺の役目なんだ…」
「タイド! お前はそれでいいのか? お前自身の人生なんだぞ? 人の事なんて、かまうことはない。本当にしたいことをすればいいんだ!」
タイドは泣いたまま、肩に置かれたスウェルの手に自分の手を重ねると。
「スウェル。俺の──記憶を封じて。それがスウェルならできるって、ニテンスから聞いた…。俺、このままじゃ、壊れる…」
ちらとスウェルはニテンスに鋭い視線を向けたが。ニテンスは静かに部屋を辞していった。
スウェルはタイドの頬に両手を添えるとしっかりと視線を合わせ。
「お前…。そこまでして、どうして自分を封じる? 俺はお前が好きだ。生涯ともにしたいと思っている。これはお前も同じ気持ちだ。そうだろ?」
「っ! …そうだよ…。俺だって──ずっと、前からスウェルが好きだった。大好きで。誰にも渡したくなんてなかった…! 俺だけのスウェルでいて欲しかった…」
「なら…! 他人の言うことなんで、聞く必要はない。このまま二人でどこへでも──」
しかし、タイドは強い眼差しをスウェルに向けると。
「それじゃ、ダメなんだ…! 俺は──スウェルが大切なんだ…。幸せになって欲しい。俺といたら、スウェルは不幸になる…。俺は人だから。…一緒には生きられない…」
「そんな…、方法ならある! お前さえ良ければ──」
「ダメなんだ! 頼む! スウェル、すぐに俺の記憶を封じて。スウェルとの記憶を…。封じてくれないなら、俺は自分で命を絶つ」
「タイド…」
「何も聞かないで…。頼むから…」
「……」
スウェルは黙って泣き続けるタイドを見つめる。
愛しい、タイド。
どうしてそんな悲しい言葉を口にするのか。どうして、一緒に生きようと、何処かへ連れ去ってくれと言わないのか。
一言、そう言えば俺は──。
「タイド。お前の決心は──変わらないのか?」
「ん…」
こくりと頷いた。
「わかった。言う事を聞こう。だが──タイド。お前も私の望みを聞いてくれ。でなければ、記憶を封じない」
涙にぬれた瞳でこちらを見つめてくる。
スウェルはその頬に手を添わせ、唇に触れるだけのキスをした。
タイドの目が驚きに見開かれる。
「一時、私に時間を──タイドを好きにする時間をくれ。そうしたら、言う事を聞こう」
「スウェル──」
その腕を取り引き寄せる。もう一度、今度は長いキスをして、瞳を覗き込み。
「私が生涯の伴侶とするのは、タイド。君だけだ。君がたとえ私を忘れても──私は、永遠に君だけを愛する…。応じてくれるか?」
「──! …勿論…」
目の端、ぷくりと盛り上がった涙の雫をキスで受け止める。
指を絡め、そうして深い緑に溺れていった。
✢✢✢
タイドにそっと触れていく。
一つも忘れないよう、自身の記憶に刻むように。
「っ……! ス、ウェル…っ」
無意識に逃れようとするタイドの手首を掴み、シーツの上に縫い止め動きを封じる。
幾度目かの行為に限界を訴えていたのだが、スウェルは手を緩めなかった。
そうして、一度額にキスを落とすと、
「タイド、目を開けてくれ…。見ていたいんだ」
そのひとつひとつを。
些細な表情の変化も、敏感に反応を示す身体も。漏れる吐息も。
何もかも、記憶に刻むため。
「……っ!」
言われて、半ば意識を飛ばしていたタイドは、泣きながらこちらを見上げて来る。
「良かった…。そのまま、開けていてほしい…。忘れたくないんだ」
深い緑の瞳。
覗くと、森の奥深くに引き込まれる様だった。
「っ、ぁ…!」
ゆっくり動き出すと、合わせてタイドの視線も揺らぐ。だが、健気に目を開けて、何とかこちらを見つめていようと、努力しているのが伺えた。
「タイド…。好きだ。ずっと──君だけだ」
額に額を擦り付ける様にしてそう口にすると、キスをする。ちゃんとした大人のキスだ。
息を上手く継げないタイドは、唇を離すと呼吸を乱す。
かわいい──。かわいくて、愛おしい。
「君を──閉じ込める。誰にも渡さない。今、この時の君は──私だけのもの…」
グッと一際強く突き上げると、タイドが一瞬、息を止めた。
「っ──!」
「どうか。忘れないでくれ。…記憶を封じても。どうか、覚えていて欲しい。君を愛したものがいた事を…!」
「っ、は……!」
タイド。どうか──。
すると、熱に浮かされた瞳でスウェルを見返したタイドは。
「俺が…っ、心を預けたのは、スウェルだけ…。俺の、心はスウェルの中に、ある。例え、記憶を封じられても──」
タイドはひたりと右手をスウェルの白い胸に当てた。
「──この中に、ある…。忘れない、で」
タイド……。
スウェルはたまらず、ぎゅっとタイドを抱きしめると、
「やはり、このまま二人でどこかへ行こう。誰にも邪魔させない。追手など、幾らでもこの力で追い払ってやる。だから──」
タイドも同じ様にスウェルの背に腕を回し抱きつくと。
「うん…。ありがとう、スウェル…」
「……!」
泣きながら答えた。
感謝の言葉。
嬉しい。けれど、行かれない──。
言外にそう伝えて来る。
タイドは顔を起こしスウェルを見つめると。
「このまま、お願い…。スウェルと生きるんだって、思ったまま─…」
「──いや。思ったままじゃない。次、目覚めた時は──二人だけの世界にいる。きっとだ」
「…うん!」
その言葉が偽りだと、互いに分かっている。けれど、それを口にはしなかった。
見下ろしたタイドの頬に涙がポタリと落ちる。タイドは、くすと笑み。
「泣かないで。だって、目覚めても、一緒にいるんでしょ?」
細い指が涙の跡を辿る。人前で泣いたのはこれが初めてだった。
「…そうだ。ずっと、一緒だ─…」
私の、タイド。
これからも、君だけを愛す──。
✢✢✢
スウェルはベッドの上で意識を失ったタイドを見下ろす。
次目覚めれば、全て忘れているだろう。
どんなに思いだそうとしても、どちらかが命を落とさない限り、このまじないは解けない。
次、この緑の瞳を間近で覗き込むことはないのだろう──。
閉じられた瞼に指の背で触れたあと、その指を握り締める。
タイド…。
僅かな時とは言え、その間はとても幸せだった。
タイドは自分だけのもので、タイドにとってもスウェルは彼だけのもので。
誰にも奪えない二人だけの時間だった。
君の命が尽きるまで、俺はずっと傍に──。
たとえタイドが他の誰かと恋に落ち、結ばれても。その誰かを愛する君ごと、愛そう。
私の全て──。
私の、愛しいタイド。
最後にもう一度、唇にキスを落とし、タイドを残したまま部屋を後にした。
✢✢✢
部屋の外に出れば、ニテンスが壁際にたたずんでいた。まるで誰も中に入らぬよう、番でもしていたかのようだ。
いや、多分、そうしていたのだろう。
「…満足か?」
その言葉にニテンスは表情を変えず。
「王の決定には逆らえません」
「はっ。今更、父の味方か? ──いや。ニテンス、お前は父からの推薦で私の元に来たのだったな…。元より、主は父上か…。まあいい」
ニテンスは何か言いたそうにしたが、口にはしなかった。
スウェルも聞く気はなかった。今更何を聞いたところで、この状況が変わるわけもない。
「タイドの記憶は封じた。…だが俺に関する記憶だけだ。エルフの里にいたのはお前や、シリル達とだ。齟齬はないだろう。王ネムスも、ベルノ王子も、このことを知る人間はきっと黙っているはずだ。俺の存在は他の者も──そう、記憶には残らないだろう。例え相手が俺の名を口にしたところで、タイドに記憶は戻らない…。お前は記憶に残れて良かったな?」
投げやりにそう口にして力なく笑うと、その場を後にした。
タイドはスウェルに関する記憶だけ失くし、王家のものとして迎え入れられた。
いや。もとよりそんな記憶は無かったことになっているのだ。当人にその自覚はない。
ただ、エルフの里で育ち、王家に迎え入れられた。それだけのストーリーだ。
タイドは妾腹の出ではあっても、たった二人だけの息子だ。王は分け隔てなく息子二人を慈しんだ。
そうして月日は流れた。
それでここが王ネムスの城だと気づく。それまでの経緯も思い出した。
城に──運ばれたのか。
光の渦からどうやってここまで来たのか。
ふと、自分の手を握る確かな温もりに気づいた。横に顔を向ければ、
「スウェル…?」
「タイド…」
赤茶の髪、深い緑の瞳。タイドが必死な表情でこちらを覗き込んでいた。
私の──タイド。
「スウェル…! 良かった」
そう言って、横になったままのスウェルの首筋に抱きついてくる。
ふわりとタイドの香りがした。甘い懐かしさを感じる香り。幼い頃からずっと変わらない。腕をその背に回すと。
「すまない…。すっかり待たせた…」
口許を赤茶の髪がくすぐった。
一体、どれ程眠っていたのか。部屋にはタイド以外いなかった。まだ、誰もスウェルが目覚めたことを知らない。
タイドを抱きしめたまま、スウェルは言葉を続ける。
「何がどうなったのか、分からないんだが…。とにかく、誰の邪魔も入らないうちに伝えておこう」
「スウェル?」
タイドが僅かに顔を起こし見つめてくる。今度こそ、伝えねばならない。
「俺は──」
と、言いかけた唇を、タイドが指先でそっと押さえてきた。
タイド?
首を傾げれば。
「…俺は、エルフの里を勝手にでて、掟を破って人と関わった。もう、戻れない…。それに──俺は…もうスウェルといられないんだ」
「なんでだ? エルフの里にいれないことなど、苦でもない。どこか人里離れた場所でもみつけてそこで二人暮らせば──」
「違うんだ…! 俺だって、そうしたい…。そうしたいけど──」
俯くタイドの頬に触れ、そっと顔を起こす。
「何を隠している?」
タイドはその言葉に、くっと顔を上げると。
「俺は…この国の王様の子どもだって…。だから、この国から出ることが出来ない…。王家の一員として、民を守る義務があるって…」
「は?! なんだ、それは──」
「本当の事です」
そう言って、姿を現したのはニテンスだ。手に水差しを持っている。それを近くのテーブルに置くと。
「この国の王、ネムスは、十八年前、とある村に遠征で暫く滞在したそうです。そこで身の回りの世話をしてくれた娘と懇意になり、娘は懐妊した。王は村を離れる時、自身の短剣を娘に渡し後日城を訪ねるように言ったそうです」
「短剣…」
思い当たるのは、タイドに渡したあの剣だ。
やはり、あの紋章は──。
ニテンスは先を続けた。
「娘はしかし、城には出向かなかった。無事息子を生みはしたが、独り身では生活に苦労し、息子の為に仕方なく城を訪れた。しかし、王は不在だったそうです。それを偶然知った第一王妃の恨みをかい、暗殺された」
「暗殺? それじゃあ、タイドの母親は──」
「その時の赤子は──娘の最後の逃亡先の村の近くの、森の奥にある大樹に置かれた…。その赤子の行方は…スウェル様の知っての通りです」
「…その話しは?」
「ベルノ王子から聞きました。ベルノ王子は、第一王妃の元侍女から…。スウェル様もお気づきだったはず。例の剣の出先を…」
「それは…」
あの短剣に刻まれていたのは、セルサスの紋章だと分かっていた。シリオにも以前に指摘されていたのだ。それに、タイドが若かりし頃の王ネムスに似ていると言うことも。
だが、それに気づいてはいても、無視し続けてきた。それらは偶然で、王家とは何ら繋がりがないものだと。
そう、自身に思い込ませて来た。
「王ネムス様はタイドを正式に息子として迎えいれると。そして、グリューエン様もそれをお認めになりました。グリューエン様としても、何らかの処罰を与えるより、望まれて人の世に戻るなら、それでよしとすると…」
「…なんだ? それは…。俺の、タイドの気持ちはどうなる? こんな勝手な──」
スウェルはタイドを抱きよせる。ニテンスは小さくため息をつくと。
「あなたの意識は半月、戻りませんでした。それだけあれば話は進みます。それに、早く目覚めていたとしても、スウェル様の意見は通らなかったでしょう。掟を破ったことは咎めねばなりませんし、王グリューエン様の決定は絶対です。…なにより、人としてのタイドの将来を考えれば、ネムス様の申し出はありがたいことでしょう」
「何を──今更…」
「これは、タイドも了承済みです」
その言葉に腕の中のタイドを見下ろす。
「本当か? それは──本心か?」
タイドは唇を噛みしめ、身体を震わす。
本心のはずがない。だったら、こんな顔は見せないはず。
タイドは声を絞り出すと。
「…俺は、スウェルといられればそれで良かった。本当に、望むのはそれだけだったんだ…。けど…」
「けど、なんだ?」
その顔を覗き込めば、タイドは顔を上げしっかりとスウェルを見つめてくる。
「俺は──…」
見る見るうちに、その目の端に涙が浮かび、頬を滑り落ちていく。
その表情は、スウェルを好きで仕方ないと物語っている。
なのに──。
「俺は、この国で、王子として生きる…。そう、決めたんだ。それが俺の役目なんだ…」
「タイド! お前はそれでいいのか? お前自身の人生なんだぞ? 人の事なんて、かまうことはない。本当にしたいことをすればいいんだ!」
タイドは泣いたまま、肩に置かれたスウェルの手に自分の手を重ねると。
「スウェル。俺の──記憶を封じて。それがスウェルならできるって、ニテンスから聞いた…。俺、このままじゃ、壊れる…」
ちらとスウェルはニテンスに鋭い視線を向けたが。ニテンスは静かに部屋を辞していった。
スウェルはタイドの頬に両手を添えるとしっかりと視線を合わせ。
「お前…。そこまでして、どうして自分を封じる? 俺はお前が好きだ。生涯ともにしたいと思っている。これはお前も同じ気持ちだ。そうだろ?」
「っ! …そうだよ…。俺だって──ずっと、前からスウェルが好きだった。大好きで。誰にも渡したくなんてなかった…! 俺だけのスウェルでいて欲しかった…」
「なら…! 他人の言うことなんで、聞く必要はない。このまま二人でどこへでも──」
しかし、タイドは強い眼差しをスウェルに向けると。
「それじゃ、ダメなんだ…! 俺は──スウェルが大切なんだ…。幸せになって欲しい。俺といたら、スウェルは不幸になる…。俺は人だから。…一緒には生きられない…」
「そんな…、方法ならある! お前さえ良ければ──」
「ダメなんだ! 頼む! スウェル、すぐに俺の記憶を封じて。スウェルとの記憶を…。封じてくれないなら、俺は自分で命を絶つ」
「タイド…」
「何も聞かないで…。頼むから…」
「……」
スウェルは黙って泣き続けるタイドを見つめる。
愛しい、タイド。
どうしてそんな悲しい言葉を口にするのか。どうして、一緒に生きようと、何処かへ連れ去ってくれと言わないのか。
一言、そう言えば俺は──。
「タイド。お前の決心は──変わらないのか?」
「ん…」
こくりと頷いた。
「わかった。言う事を聞こう。だが──タイド。お前も私の望みを聞いてくれ。でなければ、記憶を封じない」
涙にぬれた瞳でこちらを見つめてくる。
スウェルはその頬に手を添わせ、唇に触れるだけのキスをした。
タイドの目が驚きに見開かれる。
「一時、私に時間を──タイドを好きにする時間をくれ。そうしたら、言う事を聞こう」
「スウェル──」
その腕を取り引き寄せる。もう一度、今度は長いキスをして、瞳を覗き込み。
「私が生涯の伴侶とするのは、タイド。君だけだ。君がたとえ私を忘れても──私は、永遠に君だけを愛する…。応じてくれるか?」
「──! …勿論…」
目の端、ぷくりと盛り上がった涙の雫をキスで受け止める。
指を絡め、そうして深い緑に溺れていった。
✢✢✢
タイドにそっと触れていく。
一つも忘れないよう、自身の記憶に刻むように。
「っ……! ス、ウェル…っ」
無意識に逃れようとするタイドの手首を掴み、シーツの上に縫い止め動きを封じる。
幾度目かの行為に限界を訴えていたのだが、スウェルは手を緩めなかった。
そうして、一度額にキスを落とすと、
「タイド、目を開けてくれ…。見ていたいんだ」
そのひとつひとつを。
些細な表情の変化も、敏感に反応を示す身体も。漏れる吐息も。
何もかも、記憶に刻むため。
「……っ!」
言われて、半ば意識を飛ばしていたタイドは、泣きながらこちらを見上げて来る。
「良かった…。そのまま、開けていてほしい…。忘れたくないんだ」
深い緑の瞳。
覗くと、森の奥深くに引き込まれる様だった。
「っ、ぁ…!」
ゆっくり動き出すと、合わせてタイドの視線も揺らぐ。だが、健気に目を開けて、何とかこちらを見つめていようと、努力しているのが伺えた。
「タイド…。好きだ。ずっと──君だけだ」
額に額を擦り付ける様にしてそう口にすると、キスをする。ちゃんとした大人のキスだ。
息を上手く継げないタイドは、唇を離すと呼吸を乱す。
かわいい──。かわいくて、愛おしい。
「君を──閉じ込める。誰にも渡さない。今、この時の君は──私だけのもの…」
グッと一際強く突き上げると、タイドが一瞬、息を止めた。
「っ──!」
「どうか。忘れないでくれ。…記憶を封じても。どうか、覚えていて欲しい。君を愛したものがいた事を…!」
「っ、は……!」
タイド。どうか──。
すると、熱に浮かされた瞳でスウェルを見返したタイドは。
「俺が…っ、心を預けたのは、スウェルだけ…。俺の、心はスウェルの中に、ある。例え、記憶を封じられても──」
タイドはひたりと右手をスウェルの白い胸に当てた。
「──この中に、ある…。忘れない、で」
タイド……。
スウェルはたまらず、ぎゅっとタイドを抱きしめると、
「やはり、このまま二人でどこかへ行こう。誰にも邪魔させない。追手など、幾らでもこの力で追い払ってやる。だから──」
タイドも同じ様にスウェルの背に腕を回し抱きつくと。
「うん…。ありがとう、スウェル…」
「……!」
泣きながら答えた。
感謝の言葉。
嬉しい。けれど、行かれない──。
言外にそう伝えて来る。
タイドは顔を起こしスウェルを見つめると。
「このまま、お願い…。スウェルと生きるんだって、思ったまま─…」
「──いや。思ったままじゃない。次、目覚めた時は──二人だけの世界にいる。きっとだ」
「…うん!」
その言葉が偽りだと、互いに分かっている。けれど、それを口にはしなかった。
見下ろしたタイドの頬に涙がポタリと落ちる。タイドは、くすと笑み。
「泣かないで。だって、目覚めても、一緒にいるんでしょ?」
細い指が涙の跡を辿る。人前で泣いたのはこれが初めてだった。
「…そうだ。ずっと、一緒だ─…」
私の、タイド。
これからも、君だけを愛す──。
✢✢✢
スウェルはベッドの上で意識を失ったタイドを見下ろす。
次目覚めれば、全て忘れているだろう。
どんなに思いだそうとしても、どちらかが命を落とさない限り、このまじないは解けない。
次、この緑の瞳を間近で覗き込むことはないのだろう──。
閉じられた瞼に指の背で触れたあと、その指を握り締める。
タイド…。
僅かな時とは言え、その間はとても幸せだった。
タイドは自分だけのもので、タイドにとってもスウェルは彼だけのもので。
誰にも奪えない二人だけの時間だった。
君の命が尽きるまで、俺はずっと傍に──。
たとえタイドが他の誰かと恋に落ち、結ばれても。その誰かを愛する君ごと、愛そう。
私の全て──。
私の、愛しいタイド。
最後にもう一度、唇にキスを落とし、タイドを残したまま部屋を後にした。
✢✢✢
部屋の外に出れば、ニテンスが壁際にたたずんでいた。まるで誰も中に入らぬよう、番でもしていたかのようだ。
いや、多分、そうしていたのだろう。
「…満足か?」
その言葉にニテンスは表情を変えず。
「王の決定には逆らえません」
「はっ。今更、父の味方か? ──いや。ニテンス、お前は父からの推薦で私の元に来たのだったな…。元より、主は父上か…。まあいい」
ニテンスは何か言いたそうにしたが、口にはしなかった。
スウェルも聞く気はなかった。今更何を聞いたところで、この状況が変わるわけもない。
「タイドの記憶は封じた。…だが俺に関する記憶だけだ。エルフの里にいたのはお前や、シリル達とだ。齟齬はないだろう。王ネムスも、ベルノ王子も、このことを知る人間はきっと黙っているはずだ。俺の存在は他の者も──そう、記憶には残らないだろう。例え相手が俺の名を口にしたところで、タイドに記憶は戻らない…。お前は記憶に残れて良かったな?」
投げやりにそう口にして力なく笑うと、その場を後にした。
タイドはスウェルに関する記憶だけ失くし、王家のものとして迎え入れられた。
いや。もとよりそんな記憶は無かったことになっているのだ。当人にその自覚はない。
ただ、エルフの里で育ち、王家に迎え入れられた。それだけのストーリーだ。
タイドは妾腹の出ではあっても、たった二人だけの息子だ。王は分け隔てなく息子二人を慈しんだ。
そうして月日は流れた。
12
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
天涯孤独になった少年は、元兵士の優しいオジサンと幸せに生きる
ir(いる)
BL
ファンタジー。最愛の父を亡くした後、恋人(不倫相手)と再婚したい母に騙されて捨てられた12歳の少年。30歳の元兵士の男性との出会いで傷付いた心を癒してもらい、恋(主人公からの片思い)をする物語。
※序盤は主人公が悲しむシーンが多いです。
※主人公と相手が出会うまで、少しかかります(28話)
※BL的展開になるまでに、結構かかる予定です。主人公が恋心を自覚するようでしないのは51話くらい?
※女性は普通に登場しますが、他に明確な相手がいたり、恋愛目線で主人公たちを見ていない人ばかりです。
※同性愛者もいますが、異性愛が主流の世界です。なので主人公は、男なのに男を好きになる自分はおかしいのでは?と悩みます。
※主人公のお相手は、保護者として主人公を温かく見守り、支えたいと思っています。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
禁断の祈祷室
土岐ゆうば(金湯叶)
BL
リュアオス神を祀る神殿の神官長であるアメデアには専用の祈祷室があった。
アメデア以外は誰も入ることが許されない部屋には、神の像と燭台そして聖典があるだけ。窓もなにもなく、出入口は木の扉一つ。扉の前には護衛が待機しており、アメデア以外は誰もいない。
それなのに祈祷が終わると、アメデアの体には情交の痕がある。アメデアの聖痕は濃く輝き、その強力な神聖力によって人々を助ける。
救済のために神は神官を抱くのか。
それとも愛したがゆえに彼を抱くのか。
神×神官の許された神秘的な夜の話。
※小説家になろう(ムーンライトノベルズ)でも掲載しています。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる