森のエルフと養い子

マン太

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 気が付くと、見慣れない白い天井が目に入った。綺羅びやかな装飾が施され、見るものを圧倒する。そこに竜の紋章を見つけた。
 それでここが王ネムスの城だと気づく。それまでの経緯も思い出した。

 城に──運ばれたのか。

 光の渦からどうやってここまで来たのか。
 ふと、自分の手を握る確かな温もりに気づいた。横に顔を向ければ、

「スウェル…?」

「タイド…」

 赤茶の髪、深い緑の瞳。タイドが必死な表情でこちらを覗き込んでいた。

 私の──タイド。

「スウェル…! 良かった」

 そう言って、横になったままのスウェルの首筋に抱きついてくる。
 ふわりとタイドの香りがした。甘い懐かしさを感じる香り。幼い頃からずっと変わらない。腕をその背に回すと。

「すまない…。すっかり待たせた…」

 口許を赤茶の髪がくすぐった。
 一体、どれ程眠っていたのか。部屋にはタイド以外いなかった。まだ、誰もスウェルが目覚めたことを知らない。
 タイドを抱きしめたまま、スウェルは言葉を続ける。

「何がどうなったのか、分からないんだが…。とにかく、誰の邪魔も入らないうちに伝えておこう」

「スウェル?」

 タイドが僅かに顔を起こし見つめてくる。今度こそ、伝えねばならない。

「俺は──」

 と、言いかけた唇を、タイドが指先でそっと押さえてきた。

 タイド?

 首を傾げれば。

「…俺は、エルフの里を勝手にでて、掟を破って人と関わった。もう、戻れない…。それに──俺は…もうスウェルといられないんだ」

「なんでだ? エルフの里にいれないことなど、苦でもない。どこか人里離れた場所でもみつけてそこで二人暮らせば──」

「違うんだ…! 俺だって、そうしたい…。そうしたいけど──」

 俯くタイドの頬に触れ、そっと顔を起こす。

「何を隠している?」

 タイドはその言葉に、くっと顔を上げると。

「俺は…この国の王様の子どもだって…。だから、この国から出ることが出来ない…。王家の一員として、民を守る義務があるって…」

「は?! なんだ、それは──」

「本当の事です」

 そう言って、姿を現したのはニテンスだ。手に水差しを持っている。それを近くのテーブルに置くと。

「この国の王、ネムスは、十八年前、とある村に遠征で暫く滞在したそうです。そこで身の回りの世話をしてくれた娘と懇意になり、娘は懐妊した。王は村を離れる時、自身の短剣を娘に渡し後日城を訪ねるように言ったそうです」

「短剣…」

 思い当たるのは、タイドに渡したあの剣だ。

 やはり、あの紋章は──。

 ニテンスは先を続けた。

「娘はしかし、城には出向かなかった。無事息子を生みはしたが、独り身では生活に苦労し、息子の為に仕方なく城を訪れた。しかし、王は不在だったそうです。それを偶然知った第一王妃の恨みをかい、暗殺された」

「暗殺? それじゃあ、タイドの母親は──」

「その時の赤子は──娘の最後の逃亡先の村の近くの、森の奥にある大樹に置かれた…。その赤子の行方は…スウェル様の知っての通りです」

「…その話しは?」

「ベルノ王子から聞きました。ベルノ王子は、第一王妃の元侍女から…。スウェル様もお気づきだったはず。例の剣の出先を…」

「それは…」

 あの短剣に刻まれていたのは、セルサスの紋章だと分かっていた。シリオにも以前に指摘されていたのだ。それに、タイドが若かりし頃の王ネムスに似ていると言うことも。
 だが、それに気づいてはいても、無視し続けてきた。それらは偶然で、王家とは何ら繋がりがないものだと。
 そう、自身に思い込ませて来た。

「王ネムス様はタイドを正式に息子として迎えいれると。そして、グリューエン様もそれをお認めになりました。グリューエン様としても、何らかの処罰を与えるより、望まれて人の世に戻るなら、それでよしとすると…」

「…なんだ? それは…。俺の、タイドの気持ちはどうなる? こんな勝手な──」

 スウェルはタイドを抱きよせる。ニテンスは小さくため息をつくと。

「あなたの意識は半月、戻りませんでした。それだけあれば話は進みます。それに、早く目覚めていたとしても、スウェル様の意見は通らなかったでしょう。掟を破ったことは咎めねばなりませんし、王グリューエン様の決定は絶対です。…なにより、人としてのタイドの将来を考えれば、ネムス様の申し出はありがたいことでしょう」

「何を──今更…」

「これは、タイドも了承済みです」

 その言葉に腕の中のタイドを見下ろす。

「本当か? それは──本心か?」

 タイドは唇を噛みしめ、身体を震わす。

 本心のはずがない。だったら、こんな顔は見せないはず。

 タイドは声を絞り出すと。

「…俺は、スウェルといられればそれで良かった。本当に、望むのはそれだけだったんだ…。けど…」

「けど、なんだ?」

 その顔を覗き込めば、タイドは顔を上げしっかりとスウェルを見つめてくる。

「俺は──…」

 見る見るうちに、その目の端に涙が浮かび、頬を滑り落ちていく。
 その表情は、スウェルを好きで仕方ないと物語っている。

 なのに──。

「俺は、この国で、王子として生きる…。そう、決めたんだ。それが俺の役目なんだ…」

「タイド! お前はそれでいいのか? お前自身の人生なんだぞ? 人の事なんて、かまうことはない。本当にしたいことをすればいいんだ!」

 タイドは泣いたまま、肩に置かれたスウェルの手に自分の手を重ねると。

「スウェル。俺の──記憶を封じて。それがスウェルならできるって、ニテンスから聞いた…。俺、このままじゃ、壊れる…」

 ちらとスウェルはニテンスに鋭い視線を向けたが。ニテンスは静かに部屋を辞していった。
 スウェルはタイドの頬に両手を添えるとしっかりと視線を合わせ。

「お前…。そこまでして、どうして自分を封じる? 俺はお前が好きだ。生涯ともにしたいと思っている。これはお前も同じ気持ちだ。そうだろ?」

「っ! …そうだよ…。俺だって──ずっと、前からスウェルが好きだった。大好きで。誰にも渡したくなんてなかった…! 俺だけのスウェルでいて欲しかった…」

「なら…! 他人の言うことなんで、聞く必要はない。このまま二人でどこへでも──」

 しかし、タイドは強い眼差しをスウェルに向けると。

「それじゃ、ダメなんだ…! 俺は──スウェルが大切なんだ…。幸せになって欲しい。俺といたら、スウェルは不幸になる…。俺は人だから。…一緒には生きられない…」

「そんな…、方法ならある! お前さえ良ければ──」

「ダメなんだ! 頼む! スウェル、すぐに俺の記憶を封じて。スウェルとの記憶を…。封じてくれないなら、俺は自分で命を絶つ」

「タイド…」

「何も聞かないで…。頼むから…」

「……」

 スウェルは黙って泣き続けるタイドを見つめる。

 愛しい、タイド。

 どうしてそんな悲しい言葉を口にするのか。どうして、一緒に生きようと、何処かへ連れ去ってくれと言わないのか。

 一言、そう言えば俺は──。

「タイド。お前の決心は──変わらないのか?」

「ん…」

 こくりと頷いた。

「わかった。言う事を聞こう。だが──タイド。お前も私の望みを聞いてくれ。でなければ、記憶を封じない」

 涙にぬれた瞳でこちらを見つめてくる。
 スウェルはその頬に手を添わせ、唇に触れるだけのキスをした。
 タイドの目が驚きに見開かれる。

「一時、私に時間を──タイドを好きにする時間をくれ。そうしたら、言う事を聞こう」

「スウェル──」

 その腕を取り引き寄せる。もう一度、今度は長いキスをして、瞳を覗き込み。

「私が生涯の伴侶とするのは、タイド。君だけだ。君がたとえ私を忘れても──私は、永遠に君だけを愛する…。応じてくれるか?」

「──! …勿論…」

 目の端、ぷくりと盛り上がった涙の雫をキスで受け止める。
 指を絡め、そうして深い緑に溺れていった。

✢✢✢

 タイドにそっと触れていく。
 一つも忘れないよう、自身の記憶に刻むように。
 
「っ……! ス、ウェル…っ」

 無意識に逃れようとするタイドの手首を掴み、シーツの上に縫い止め動きを封じる。
 幾度目かの行為に限界を訴えていたのだが、スウェルは手を緩めなかった。
 そうして、一度額にキスを落とすと、

「タイド、目を開けてくれ…。見ていたいんだ」

 そのひとつひとつを。

 些細な表情の変化も、敏感に反応を示す身体も。漏れる吐息も。
 何もかも、記憶に刻むため。

「……っ!」

 言われて、半ば意識を飛ばしていたタイドは、泣きながらこちらを見上げて来る。

「良かった…。そのまま、開けていてほしい…。忘れたくないんだ」

 深い緑の瞳。
 覗くと、森の奥深くに引き込まれる様だった。

「っ、ぁ…!」

 ゆっくり動き出すと、合わせてタイドの視線も揺らぐ。だが、健気に目を開けて、何とかこちらを見つめていようと、努力しているのが伺えた。

「タイド…。好きだ。ずっと──君だけだ」

 額に額を擦り付ける様にしてそう口にすると、キスをする。ちゃんとした大人のキスだ。
 息を上手く継げないタイドは、唇を離すと呼吸を乱す。

 かわいい──。かわいくて、愛おしい。

「君を──閉じ込める。誰にも渡さない。今、この時の君は──私だけのもの…」

 グッと一際強く突き上げると、タイドが一瞬、息を止めた。

「っ──!」

「どうか。忘れないでくれ。…記憶を封じても。どうか、覚えていて欲しい。君を愛したものがいた事を…!」

「っ、は……!」

 タイド。どうか──。

 すると、熱に浮かされた瞳でスウェルを見返したタイドは。

「俺が…っ、心を預けたのは、スウェルだけ…。俺の、心はスウェルの中に、ある。例え、記憶を封じられても──」

 タイドはひたりと右手をスウェルの白い胸に当てた。

「──この中に、ある…。忘れない、で」

 タイド……。

 スウェルはたまらず、ぎゅっとタイドを抱きしめると、

「やはり、このまま二人でどこかへ行こう。誰にも邪魔させない。追手など、幾らでもこの力で追い払ってやる。だから──」

 タイドも同じ様にスウェルの背に腕を回し抱きつくと。

「うん…。ありがとう、スウェル…」

「……!」

 泣きながら答えた。
 感謝の言葉。

 嬉しい。けれど、行かれない──。

 言外にそう伝えて来る。
 タイドは顔を起こしスウェルを見つめると。

「このまま、お願い…。スウェルと生きるんだって、思ったまま─…」

「──いや。思ったままじゃない。次、目覚めた時は──二人だけの世界にいる。きっとだ」

「…うん!」

 その言葉が偽りだと、互いに分かっている。けれど、それを口にはしなかった。
 見下ろしたタイドの頬に涙がポタリと落ちる。タイドは、くすと笑み。

「泣かないで。だって、目覚めても、一緒にいるんでしょ?」

 細い指が涙の跡を辿る。人前で泣いたのはこれが初めてだった。

「…そうだ。ずっと、一緒だ─…」

 私の、タイド。

 これからも、君だけを愛す──。


✢✢✢

 スウェルはベッドの上で意識を失ったタイドを見下ろす。
 次目覚めれば、全て忘れているだろう。
 どんなに思いだそうとしても、どちらかが命を落とさない限り、このまじないは解けない。

 次、この緑の瞳を間近で覗き込むことはないのだろう──。

 閉じられた瞼に指の背で触れたあと、その指を握り締める。

 タイド…。

 僅かな時とは言え、その間はとても幸せだった。
 タイドは自分だけのもので、タイドにとってもスウェルは彼だけのもので。
 誰にも奪えない二人だけの時間だった。

 君の命が尽きるまで、俺はずっと傍に──。

 たとえタイドが他の誰かと恋に落ち、結ばれても。その誰かを愛する君ごと、愛そう。

 私の全て──。

 私の、愛しいタイド。

 最後にもう一度、唇にキスを落とし、タイドを残したまま部屋を後にした。

✢✢✢

 部屋の外に出れば、ニテンスが壁際にたたずんでいた。まるで誰も中に入らぬよう、番でもしていたかのようだ。
 いや、多分、そうしていたのだろう。

「…満足か?」

 その言葉にニテンスは表情を変えず。

「王の決定には逆らえません」

「はっ。今更、父の味方か? ──いや。ニテンス、お前は父からの推薦で私の元に来たのだったな…。元より、主は父上か…。まあいい」

 ニテンスは何か言いたそうにしたが、口にはしなかった。
 スウェルも聞く気はなかった。今更何を聞いたところで、この状況が変わるわけもない。

「タイドの記憶は封じた。…だが俺に関する記憶だけだ。エルフの里にいたのはお前や、シリル達とだ。齟齬はないだろう。王ネムスも、ベルノ王子も、このことを知る人間はきっと黙っているはずだ。俺の存在は他の者も──そう、記憶には残らないだろう。例え相手が俺の名を口にしたところで、タイドに記憶は戻らない…。お前は記憶に残れて良かったな?」

 投げやりにそう口にして力なく笑うと、その場を後にした。

 タイドはスウェルに関する記憶だけ失くし、王家のものとして迎え入れられた。
 いや。もとよりそんな記憶は無かったことになっているのだ。当人にその自覚はない。
 ただ、エルフの里で育ち、王家に迎え入れられた。それだけのストーリーだ。
 タイドは妾腹の出ではあっても、たった二人だけの息子だ。王は分け隔てなく息子二人を慈しんだ。
 そうして月日は流れた。

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