森のエルフと養い子

マン太

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14.帰還

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「タイドが外に出たと?」

 陣に張った天幕の中で、鎧を着けたままいったん休息をとっていたスウェルの元へ報告が上がった。
 館で大人しく待っているはずのタイドが、この戦に出ているというのだ。
 誰かが指示したわけではなく、どうやら勝手な判断で参加したらしい。しかも、今はベルノ王子と共にいるというのだ。

 いったい、何があった?

 人との接触は禁じられていると言うのに。しかも、その相手が王子とは。
 苛立ちを隠せず、部下に詰め寄る。

「それで、今どこに? 何故そうなった?」

「後方の支援部隊に紛れていたようですが、途中、オークの攻撃を受けていたベルノ王子を救出したようで。王子に請われ、共に王都フンベルに向かうとのことです」

「フンベルか…。それなら安全だろうが──」

 フンベルならまだ守られている。
 しかし、分厚い城壁の中にいた筈の王子がなぜ外にいたのか。スウェルは訝しむ。

「だが、どうして王子がそんなところに? 王都にいたのではなかったのか?」

「僅かな手勢を引き連れて、オークの陣へ強襲をかけたようです。その作戦の途中、オークに襲われたようで…」

「そこでタイドに助けられたのか…。確かに、不意をつけただろうな。オークどもも、あの分厚い城壁から出くるとは考えなかっただろう。しかし、危険な戦法だな。王子みずからとは。…ここもあと少しで治まるな」

 襲ってきたオークや魔狼はそのほとんどを討ち果たしていた。王都を襲うオークを一応は撃退したが、また湧いて出てくることは目に見えている。

「王都周辺をこのまま巡回する。兵は交代で休ませるように。何かあればすぐ報告を。俺も一旦王都へ向かう」

「は」

 部下はその場を退出した。一人天幕に残ったスウェルは深い息をもらす。

 まさか、タイドが出てくるとは。

 なんのつもりで危険を冒し、外の世界へ出たというのか。
 人と接触するなと言う、王の命令に背けば、エルフの里にいられなくなる可能性もあると言うのに。
 タイドはそれを分かっていたはずだ。幼い頃から何度も言い聞かせてきたことで。外の世界に出て人と関わってはいけない、それがここで暮らす条件だと。
 スウェルは下唇を軽く噛んだ。もし、王が許さなければ、このまま人間界に放逐と言う事もありうる。

 だが、そうなれば──。

 スウェル自身も共に出ていくつもりでいた。タイド一人を人の世界へ追いやるつもりはない。

 とにかく、王都に行って、タイドの話をきく。

 どのみち、今後の予定を詰めるためにも、王帰還後、一度王都へは行くつもりだったのだ。まだ王は帰還していないが、少々早まっただけのこと。
 スウェルはすぐに支度を整え、部下に後を任せると、配下のものもろくに連れずに飛び出すように陣を後にした。

✢✢✢

 無事、王グリューエンからの許可も下り、タイドはベルノとエルフの護衛兵らともにそこを後にし、王都へ向かう事となった。
 ベルノはその事に大いに喜んだ。友を失った後でもあり、かなり心細さを感じていたらしい。年の近い自分が側にいる事が心強いと語った。

「しかし、すまないな。私の我儘でタイドには無理をさせてしまった」

「いいえ。お役に立てるなら喜んでお供させていただきます」

 と、ふとベルノは視線を落とし。

「君が──オークを刺した時に持っていた短剣だが…」

「はい…?」

「いや。なんでもない…。王都フンベルまでの道は私に任せてくれ。そこならオークも少ないはずだ」

「お願いします…?」

 ベルノが何を聞きたかったのか、タイドは知る由もなかった。
 その後、ベルノの言う通り、途中オークの群れに遭うこともなく無事に王都フンベルへ到着する。
 エルフの兵を従えた王子が帰還すると、それまで鬱々とした空気に包まれていた人々の顔に笑顔が蘇った。城までの路々に立つ人々は、歓声を上げて迎える。

「ベルノ様がお帰りだ! オークを撃退されたらしい!」

「なんてお美しい…。まるでエルフの殿方の様だわ…」

「さすが、ベルノ様! エルフの兵を連れて帰ってくるとは!」

 皆が感嘆の言葉を口にし、王子を称えた。
 確かにベルノは最後のひとりになるまで、オークと戦っていた。だが、やはり無謀な計画ではあったのだろう。
 計画は若い兵士を中心として出されたものだった。そこには友人の姿もあり。
 彼らの熱心な説得により、ベルノは城から出せる僅かな兵とともに城から出撃し、オーク達の背後に廻り不意を突いたのだった。
 初めこそ慌てふためくオークを蹴散らすことに成功したようだが、数にもを言わせるオークらに敵うはずもなく。
 ひとり、またひとりと兵が倒れ、最後はベルノ一人となったのだ。
 もし、あそこでオークに討ち取られていたのなら、どんなに民はうち沈んだか。
 王子はひとりしかいないのだ。今、北方から帰還を目指す王ネムスも、悲嘆にくれたことだろう。

 助けられてよかった。

 人々に温かく迎えられるベルノを見るにつけ思う。
 王子自身も、その後無謀な計画だったと深く反省し、失くした大切な部下たちを思い、うち沈んでいたが、王都に着くとそうも言ってはいられない。
 蒼白い顔に気丈に笑みを浮かべ、皆に手を上げて応えて見せていた。
 皆、王子を慕っているのだ。例え自身の息子たちを亡くそうとも、王子の為ならと誰一人、恨むものなどいなかった。
 美しく人望の厚い王子ベルノ。こんな人間もいるのだと、改めて感心した。
 しかし、タイドはそれを羨むことはなかった。
 ただひっそりと、エルフの里でスウェルと生きてきたことになんの悔いもない。
 誰も彼にも認められ、称えられる人生も素晴らしいが、タイドにとって、スウェルと共にあることが一番大切なことで。それだけが自身を幸せにすると分かっていた。
 今頃、スウェルにもタイドの話しが伝わっていることだろう。

 スウェル、知ったら怒るだろうな。

 心配もするだろう。
 今更だが、スウェルに知られたくはなかった。全て終わってから、報告しようと思っていたのだ。

 戦いの最中、余計な心配をかけたくはなかったのに。

 王子の帰還に湧き立つ城内とは裏腹に、タイドは兵の隊列から少し外れた場所でその様を眺めていた。心の内は重い。

 役に立つどころか、心配をかけさせている…。

 思う様に事は運ばなかった。

✢✢✢

「君は…人だろう? どうしてエルフとともにいる?」

 部屋に設えられた豪華な天蓋付きのベッドに横たわり、半身を起こしたベルノが尋ねてくる。
 王都に着くと、王子は待ち構えていた大臣や騎士団長らに状況を報告し、その後、しばらく部屋で休息をとることになった。
 その前にタイドはベルノの部屋に呼び出され、二人きりとなり。そうして、先の質問になる。
 どうやら、ベルノはタイドがエルフとは違うと感じていたらしい。
 確かに見た目から言っても、人が想像するエルフとはかけ離れている。神秘的な神々しさも美しさもない。
 そのうえ、一般兵の身に着ける目立たない衣装や鎧を身に着けていれば、そうとは見えなかっただろう。
 今更、取り繕うのも無理があった。タイドは正直に話す。

「俺は…幼い頃、森に捨てられて。それをエルフが拾い、育ててくれたのです」

「ずっとエルフの里に? 人と共に暮らしたことは?」

「いいえ…。こうして、こちらの世界で人と話すのは今回が初めてです」

「今まで、そこを出ようとは思わなかったのか? エルフとでは住み辛いだろうに…」

 人にとってエルフは近寄りがたい存在だった。向こうも積極的に人と交わることはない。冷たく情が薄いと思われていた。
 しかし、タイドは首を振ると。

「いいえ…。俺はとても幸せです。一度もエルフの里を出ようと思ったことはありませんでした」

 スウェルやニテンスとの日々に何の不足もなかった。それは、とても温かく優しい時間で。

「そうか…。君は私と歳が近いように見受けられるが。当時も国は乱れていた。数々の戦があって、焼き払われた村や町もあったという。民は生きるのがやっと。その中の一つに君の親がいたのだろうな」

「そうかもしれません。ですが、今は傍にいてくれる家族がいます。寂しさはありません」

「家族…。エルフがか?」

「そうです。…この戦が落ち着いて、許されればエルフの里にまた戻るつもりです」

 スウェルのもとに。

 それが許されなければ──。

 タイドは我知らず拳を握りしめていた。

「許されるとは? 君はなにかしたのか?」

「俺は…こちらの世界に出て、人と関わってはいけないと、エルフの王から言われています。それが、エルフの里に住む条件でした。けれど、今回それを破ってしまった…。王の判断によってはいられなくなる可能性もあります…」

 エルフの里を出る時は、それほど重要なことに思わなかった。そう簡単に人と交わる事は無いと思ったからだ。
 しかし、今、こうして人と接してしまったことを顧みると、掟を破った事はやはり重大であると思えた。

「どうして禁忌を破ってまで、この戦いに出たのだ? それほどこの国の危機を愁いたわけではないだろう?」

 ベルノの問いに、タイドは微かに頬を赤らめると。

「…俺には守りたい人がいて…。その人は、今先頭に立ってオークと戦っているはず。彼の役に立ちたかったのです」

「ほう。一体それは誰なのだ? 掟を破ってまで救いたいなど…」

 ベルノは興味津々だ。
 と、そこへ客人の来訪を従者が告げた。
 今回、オーク追撃に手を貸してくれているエルフの王子が面会を求めてきたと言う。
 それを傍らで聞いていたタイドは小さな声でつぶやいた。

「…スウェル」

 ベルノはそれを聞き逃さず、振り返る。

「スウェルとは? エルフの王子のことか?」

「あ…。いえ──」

 なんと答えていいか、困惑していれば、

「森のエルフの王のご子息、スウェル様がご到着です」

「──分かった」

 答えてからベルノはタイドを振り返ると。

「君もきたまえ。──彼が君の言う守りたい人なのだろう?」

 にこりと笑んで問い返してきた。タイドは何も言えなくなって、ただ頬を赤らめるばかり。

「さあ、隣の部屋だ。行こう」

「はい…」

 ベッドから起き上がったベルノに促され、タイドはその後に続いた。

✢✢✢

 次の間は、寝室に続く応接室となっていた。
 書斎も兼ねていて、内々の相談や決めごとのみ、ごく近しい者だけが入ることが許される間だ。
 入室すると、いらいらとした様子で部屋の中を行き来していた人物が、ピタリと足を止め、こちらを見返してきた。
 美しい銀糸に宝石の翡翠の様な瞳をもつ、見目麗しいエルフの殿方だ。
 流石のベルノも驚きに目を見開く。人が想像するエルフより、更に美しく神々しい存在だった。ベルノは一歩進み出ると。

「私がベルノだ。今回はご助力──」

 感謝する──そう、続けるより先。
 唐突にその人物は、ベルノのやや後方、離れた場所に立っていたタイドに駈け寄り、彼を抱きしめた。

「タイド! 無事で良かった…」

「スウェル…」

 周囲に控えていた大臣や従者は流石に驚きを隠せずにいたが、事情を察したベルノはただ微笑む。
 タイドはほとんど足が浮くくらい、抱きすくめられている。名前を呼んだ以外、何もできずにただ真っ赤になっていた。

「心配した…。どうして、館をでた? どうして──」

 あとは言葉にならず、ただ、抱きしめている。その表情には辛い色が浮かんでいた。
 先ほど、タイドが口にした掟が絡んでいるのだろうか。エルフの里を出てはいけないという決まり。それを破ればどうなるのか。ベルノにも想像はつく。

 しかし。

 このスウェルというエルフの王子は、相当、タイドを大切に思っているらしい。その周囲は目に入らないのだろう。
 大国である、セルサスの王子を前にして、まったくその存在を無視できるとは。相当なものだった。

「──スウェル殿、でよろしいでしょうか?」

 暫くそのままでいさせていたが、大臣が小さく咳払いしたため、先を続ける。
 その声でようやく状況に気付いたらしいスウェルは、はっとなって──それでもタイドを離さず──顔を上げた。

「これはご無礼を。この者は私の養い子で。まさかここにいるとは思わず──。ご容赦を。ベルノ王子」

「…いいや。気にしなくていい。オークの襲撃からこの国を守ってくれているあなた方に何を言えようか。それに、このタイドにも危ない所を助けられた。改めて礼を言いたい。ありがとう」

「い、いえ…」

 タイドは下を向いてしまう。

「やはり、そうでしたか…。報告では聞いていましたが、タイドがそのような事をやってのけるとは…」

 スウェルが腕の中のタイドを見下ろす。顔を赤くしたままのタイドは、いたたまれない表情を示す。

「偶然、だったんだ…。俺は──スウェルを助けに行きたくて…」

「タイド?」

 その様子に、ベルノは気を利かすように。

「積もる話もあるでしょう。今日はこの後、別室で休んでいってください」

「ありがたい申し出に感謝いたします。ただ、その前に、今後の作戦に提案が」

「提案とは?」

 ベルノにスウェルは応接間に置かれた地図に目を向けながら、

「王都の周囲は、今私たちエルフの隊が巡回しております。ただ、このままではらちが明かない。なんせ、オークの数が尋常ではない。あと三日。ネムス王が戻る前に力尽きる可能性もある。それならせめて湧き出てくる入口を絶とうと思いまして…」

「入口? そんな場所があるのですか?」

「はい。王都の背後にある山脈の裾野、そこに洞窟があります。どうやら彼らはそこから山を越えてここへ入り込んできているらしい。そこを一気に叩き潰せば、当分の間、奴らは増援できなくなるでしょう。別の道を探すにしてもその間にネムス王が帰還できれば、いまより余裕をもって対処できます。今後の方針を練る時間も得られるでしょう」

「そうか…、そんな場所があったとは。しかし、いったい誰がそこへ?」

「私が隊を率いて行きます。私が出立し王が帰還されるまで二日ほど。それまでにオークの道を絶ちましょう。ただ、そちらへ兵を割くため、一時この王都の警備が手薄になります。その間、ここをお守りいただきたいのです」

「二日か…。わかりました。なんとか持たせましょう。スウェル殿、あなたには危険な任務を任せることになりますが──」

「ご安心を。オークなどにやられはしません。私はしばし休息をいただいたのち、このまま出立いたします。ただ、ひとつお願いが…」

「なんだ?」

「私情で申し訳ないのですが、私が帰還するまでの間、タイドをこの王都においてやっていただけませんか? 王グリューエンの許可は得ています」

「スウェル?」

「私は構わないが──」

 驚いた様子のタイドを気遣いながら、ベルノは答える。

「では、タイドをお願いいたします。──タイド。失礼して、あちらで話そう」

 不満げな様子のタイドを、スウェルはそのまま背を押すようにして促すと、退出していった。
 そんな二人を見送った後ベルノは。

「──では、私たちはこの王都の守備を固める算段をせねばならないな。大臣クルメン、騎士団長らを呼び出してくれ。会議だ」

「はっ。ただちに…」

 王子の不在中、城を守っていた大臣クルメンはすぐに踵を返し、各隊の隊長を呼び出しにかかった。

 二日もたせるとができれば。

 ベルノはきゅと唇を引き結んだ。

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