少年と執事

マン太

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1.出会い

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 その日、シーン・サイラスは街へ買出しに出ていた。
 アッシュブロンドの髪が雨の粒子を含んで、しっとりといつもより深い色を帯びる。
 同じくグレーの混じった緑の瞳で空を見上げた。生憎の雨にため息が漏れる。
 久しぶりの休暇ではあったが、自身の仕えるレヴォルト家当主の子息、ヴァイスの所用で街に出ていた。
 今年、十八才になるヴァイスだが、幼い頃より身体が丈夫でなかった為に、滋養が付くからと街の薬屋に頼んで特別な薬を調合してもらっている。それを取りに来たのだ。
 久しぶりの外出だと言うのにこの雨。土の道はすっかりぬかるみ、走る馬車の作ったわだちがみるみる広がっていく。
 それに足を取られないよう、跳ね上げた泥をかぶらないよう、細心の注意を払いながら薬屋までの道を進んだ。
 目的の薬は手に入れ、後は乗り合いの馬車を捕まえるだけ。
 薬屋の軒先で暫く雨脚を確認していると、その出入口の扉が開き、シーンの傍らを少年がふらりと通り過ぎた。
 先程、店内ですれ違った少年だ。店主と何か話し込んでいた様だったが。
 傘をさしていない為、しとどに濡れた濃い茶の髪が、襟足に張り付いていた。横から見る瞳の色は澄んだブルーグレー。
 綺麗な色だと思った。昔、お屋敷に住み着いていた野良猫の目を思い出した。こんな色をしていたように思う。その猫はいつの間にかいなくなってしまったが。
 小脇にしっかりと革の袋に包んだつつみを抱えている。濡らしたくないのだろう。
 ぱっと見た限り、身なりはいい方ではない。服の汚れは落ちきれず、かなり着古されている。履いている靴も良く磨かれてはいるものの、すっかり革が擦り切れくたびれていた。
 歳の頃は十代半ばから後半だろう。街ではそういった身なりのものも多かったが、この少年は特に薄汚れているように見えた。

 苦労しているのだろうな。

 袋をしっかりと掴む指先があかぎれていた。その少年の足取りがどこかおぼつかない。
 と、わだちに足を取られたのか、バランスを崩した少年の身体が泥水の道の方へと傾いた。
 あっと思ったがすでに遅い。見る間に泥の中へと転んでしまった。

「君、大丈夫か?」

 駆け寄る間にも、起き上がろうともがくように腕を伸ばす。一方の手にはしっかりと薬の入った包みを掴んでいた。それを手放せばすぐに起き上がれただろうが、そうはしたくないようで。

 よほど、大事なのだろう。

 すぐに手を差し伸べようとした矢先、勢いのついた馬車が走りこんできた。
 転ぶ少年に気付いた御者が慌てて手綱を引く。馬のいななく声。周囲の悲鳴。

 危ないっ!

 シーンはためらいなく、自らは受け取った薬を放り出すと、転んで泥の中に蹲る少年を薬ごと抱え上げ、道の端へと飛び退いた。
 間一髪、少年は車輪の下敷きになることを免れるが、互いに身体は泥だらけだ。

「…良かった。君、怪我は?」

 腕に抱えた少年を見下ろすが、反応が薄い。顔色は蒼白だ。貧血を起こしているのだろう。
 どうやら意識を半ば失っている様だった。

 身体の調子が悪いのだろうか? 

 先程ふらふらとしていたのも、そのせいかもしれない。
 周囲の人間の手も借りて立ち上がると、そのまま少年を抱きかかえた。
 小柄な少年は思っていた以上に軽い。まるで枯れ枝を抱えたよう。受けた感触から、ろくに食事をとっていないのがうかがえた。

「すまないが、馬車を止めてもらえないか?」

 シーンの頼みにそこにいた村人が流しの馬車を止める。礼を言ってから乗り込もうとしたが、流石に泥だらけでは乗せられない。
 一旦、少年を薬屋の軒先に座らせると、泥水に浸かったコートを脱いで、中に着込んでいた上着を脱ぐと、それで少年を包みこんだ。
 それから先ほど自身が投げ出した薬を掴み、コートと少年の包みと一緒にそれも馬車に乗せる。
 再び少年を抱き上げると、ようやく馬車に乗り込んだ。御者はその様に一瞬ぎょっとして見せたが、シーンの必死の顔に何も口にはしなかった。

「すまないが、医者のクレール先生の所へお願いできるか?」

「はい。旦那様」

 御者は手綱をふるい、馬車は出発した。

+++

 医師のクレールとは旧知の仲だった。
 年齢はシーンより少し上だが、ざっくばらんで気安く頼れる好人物だ。
 知り合ったのは、屋敷に通いだした頃。当時病弱だった当主の息子の付き添いで来たのが始まりだ。

「おうおう、その恰好、泥遊びでもしたのか?」

 突然の来訪に、遅い朝食をとっていたクレールは、奥の部屋から大柄な身体を揺らしのそりと顔をだした。
 濃い茶色の目と髪に無精ひげ。長めの髪を背で一まとめにしていた。切るのが面倒で、結果そうなったのだと言う。
 口調とは裏腹に、シーンの腕の中に人がいるのを見ると、すぐにベッドへと導いた。
 少年を包んだ上着はそのままだ。外せば泥がベッドについてしまう。
 クレールは少年の胸元を寛げると、一瞬、眉間しわを寄せたが、それから思い直したようにいつも通り胸に聴診器を当てて暫く何か探る様に沈黙していたが。

「…大丈夫だな。入浴させてもいいようだ。お前もその泥を落としてこい」

 言って手直にあったおろしたてのタオルを押し付ける。それを受け取りながら。

「私も手伝おうか?」

 その言葉にクレールは少年に目を落とし何処か考えるようにした後。

「…や、いい。俺だけの方がいいだろう…」

 その言葉を訝しく思い首をかしげるが。

「ほら、さっさとあっちの風呂場に行ってこい。着替えは俺のを出しとく。おい、ロシュ、面倒を見てやれ」

「はい!」

 傍らで心配そうに見守っていた赤毛の少年が大きく頷いた。
 ロシュと呼ばれた少年は、クレールの元で働く医師見習いだ。貧しい家の出らしいが、頭がよく、少年の母親の往診に来ていたクレールがその能力を見初め、ここで働くようになったのだ。
 もう一人、看護師の女性、笑顔の明るいカリダもいたが、今日は休みの様。
 クレールの大柄な身体の向こうに見え隠れする少年は、まだ意識を取り戻さないようだった。

「シーン、こちらにどうぞ」

「ああ、すまない…」

 気にはなったが、今は任せるしかない。大人しくロシュの後に従った。
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