カーマン・ライン

マン太

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第1章 出会い

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「済まない。ここでは落ち着いて話せないな。外で話そう」

 アレクは先ほどと同じ、機体から降りるのに手を貸してくれると、そのまま近くの草地へ二人揃って腰を下ろした。
 木立が緑の影を作り、吹く風は涼やかで、操縦後の火照った身体に心地いい。
 正面には先程まで搭乗していた鈍色の機体が、午前の日差しに淡く輝いて見えた。
 アレクはそんな景色を暫く目にしたあと、徐ろに口を開く。

「君は技術者としてのみでなく、パイロットとしての腕も確かだ。だが、それだけではない素質がある…」

「…素質?」

「あの機体は君のような人間の為に作ったものだ。あのヘッドセットとレストには専用に特殊な装置が組み込まれている」

 アイスブルーの瞳が、鈍色に輝く機体に向けられる。乗っている時、頭部に違和感を覚えたのはそのせいか。

「俺の様なって…。いったい…?」

 アレクは立てた片膝に手を預けながら機体に目を向けたまま。

「過去の研究で、僅かではあるがパイロットの中に特異な資質を見せる者がいることが確認された。酷く感覚が鋭い者達だ。彼らは見ずともそこに敵を感じる事が出来る…。これは単なる偶然ではないのだよ。数十年前から正式に調査が続けられていた。それがこの時代になって、昔より遥かに多くの能力者が見つかるようになった」

「能力者…」

 聞き慣れない言葉だ。
 アレクはこちらに向き直ると。

「私の隊にも数人いる。その素質が君にもあるのだよ。それをこの機体で証明してくれた。試しに使って見たのだが、まさかな…」

 アレクは感嘆の息を漏らす。

「俺が…?」

「そうだ。まだ若いから体力も技術もない。直ぐに実戦という訳にはいかないが、訓練なら出来る。こんな僻地で眠らせておくには惜しい能力だ。是非、パイロットとして力を貸して欲しい」

 アレクの弁に熱が籠もる。

 俺が、パイロット。

 自分でも自覚していなかった素質によって。

「でも…俺に本当にそんな能力が?」

「この機体を自由に動かせただろう? 君の搭乗した側の操縦は、普通の人間ならああは行かない。機体を飛ばすのがやっとだろう。能力者だけが自由に飛ばせる…。そういう風に作らせた。どうか私と一緒に来てくれないか?」

 一緒に──。

 アレクに見つめられ、どう答えていいものか継ぐ言葉を失くす。
 ソルは視線を落とし、じっと自身の手を見つめた。
 そこにはオイルにまみれ、落ちなくなった汚れが指紋の間に黒くこびりついた手がある。
 出自こそ恵まれていたものの、その後は貧しい孤児院暮らし。学歴も中等部で止まっている。今の職に就くまでは、整備とは全く関係ない仕事ばかりしていた。
 お前は何様なのだと、その汚れが現実に引き戻す。

「その…、凄く嬉しい話で…。でも、ここの仕事も直ぐには辞められないし…。それに…やっぱり信じられない。確かに操縦は思っていた以上に楽しかった。でも、そんな能力があるなんて…」

 正直な気持ちだった。その様子にアレクは一つ息を吐くと。

「分かった…」

 その返答に、諦めたのかと思わず顔を上げれば、アレクがじっとこちらを見つめていた。

「アレク…?」

 その瞳は笑んでいる。こちらの気持ちなどお見通しなのだろう。バツが悪くなって再び下を向くが。

「パイロットの件は置いておくとしても、来ることは嫌ではないのだろう?」

 ソルはおずおずと頷く。

「…ここを出て、宇宙船に触れる生活が出来るなら…」

「では、人を寄越そう。隊から正式に打診する。それなら工場長も否とは言わないだろうし、辞めやすいだろう?」

「正式に…」

「ああ、そうだ。君は帝国軍に所属するのは不満か?」

「いいえ。ここを出られるならどこでも…」

「そうか。なら問題ないな」

 アレクは遠慮なくソルの手を取ると。

「この手が私には必要だ。君の様な人間を待っていた」

 白く優雅な指先が自分の油で汚れた手を握りしめる。
 いたたまれなくなって引っ込めようとしたが、アレクは許さなかった。
 それだけでなく、あろうことか絡めた指を口元に持っていき、キスをして見せた。
 唇は柔らかく、確かな温もりを伝えてくる。

「私の本当の名を教えよう…」

「本当の? それは──」

 どう言う意味なのか。

 唇が触れた指先が熱い。
 一旦指先を解くと、アレクは首にかけていたネックレスを外し、ソルの前に掲げた。
 プラチナの鎖のトップには、アレクの瞳と同じ色、青の石が光っている。中に星の様な輝きがあった。

「スターサファイア。これを私の気持ちの証として君に預けておこう」

 そう言うと、それを訝しむソルの首へとかけ直した。

「アレク、でもっ…」

 価値の分からない自分が見ても明らかに貴重なものだと分かる。こんな高価なものを預かるなど、とてもではないが無理だと思った。
 するとアレクはソルの手を取って、青い輝きを放つトップを手に握らせると。

「アレクシス・フォン・ファーレンハイト。それが私の名だ」

「アレクシス…フォン・ファーレンハイト…」

「そうだ。この名は誰にも口外してはいけない秘密の名だ。…君を信頼するから伝えた」

「信頼…って。でも…」

 フォンがつくものは貴族だと聞いた事がある。

 アレクは貴族なのか?

 アレクの白い指先が頬に触れ、そのまま滑り後ろ頭を引き寄せる。

 あ…。

 フワリと鼻先を掠める甘い香り。
 気がつけば、唇にアレクのそれが重なっていた。

「…っ? んん…っ!」

 深くなる口づけに、心臓が飛び跳ねる。必死に胸を押し返そうとしたが、アレクはびくともしなかった。

 アレクに──、キスされている。

 その事実を上手く飲み込めないでいた。
 こんなふうに他人に触れられるのは初めての事で。
 息をするのもままならない。
 羞恥心と胸に湧き上がるそれ以外の感情に揺れた。
 正直。嫌ではなかったのだ。
 漸くアレクが背中に回していた腕を緩め、解放してくれる。
 アレクは最後に名残り惜しげに口付けると、間近から見下ろしてきた。両の頬を捉えたまま。

「…誓いだ。迎えに来るまで外に気を逸らさない様にな…」

 こんなキスをされて。

 外に目を向けられる訳がない。しかも相手は恐ろしい程の美貌の持ち主で。
 十五歳のソルにはそれは余りに強烈だった。

「必ず、迎えにくる…」

 冴えたブルーとは対象的に、熱い眼差しだった。


 その後、アレクはすっかり整備の終わった機体と共に去って行った。
 去った後、直ぐに工場長の元に、ただの修理では得られない額の金額と共に、帝国軍からの正式文書が送られて来た。
 ソルを軍へ正式に迎え入れたいと。


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