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そのあとのいくつかのこと。

5月24日

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 早朝、ひっそりと馬車が町を出ていった。
 それをユウリはローゼと見送ってから、そのまま宿に戻る気もしなくて散歩に出ることにした。
 手をつなぐのは恥ずかしいと拒否するローゼに誰も見てないからとユウリは手を取った。

「可愛い手」

「……荒れてるわよ」

「うん。頑張ってる手だからいいんだよ」

 ぐっと押し黙ってうつむくローゼのかわいさをユウリは独占したい。しかし、無理なのも知っている。アーテルはローゼ可愛い、すごく可愛いと言っていたし、リリーもうちの義妹が可愛すぎると真顔で言っていた。その後、リリーの本物の妹が私も可愛いですと訴えだしてちょっとした修羅場だったそうだ。
 そして、リリーの父がうちのかわいい娘が増えて可愛いが困ると嬉しそうだったそうだ。なお、カメリアは一緒にお買い物に行ってくれる娘! と喜んでいるらしい。当の娘たちは母様の買い物は長いからとそっと目をそらしていたらしい。
 ステラ師は普通かと思えば護身用魔道具を送ってきた。リリーの二人いる兄も横暴ではない義妹と喜んでいて、本物の妹たちが抗議しているそうだ。

 必要だったこととはいえ養子に出てもらうのは心配だった。それが杞憂であったようにローゼは戸惑いながらもそこそこ楽しくやっているようだ。
 ローゼの両親には悪いことをしたと思っているが、侯爵家から話をつけたそうだ。形式的なものではあるものの大事な娘さんを預かるわけですからと。

「ねぇ、ローゼ」

「なによっ!」

 怒っているように聞こえるが、恥ずかしさの限界を超えた反応だとユウリは知っている。その証拠にローゼの顔が赤い。

「本当に俺といてよかった?」

 聞けばローゼにすごい顔で睨まれた。ユウリが少しひるむくらいの殺気を感じる。

「二度と言わないで」

 良いも悪いもなかった。そのあとに怒涛のお説教でも来るかと思えばローゼは黙っている。ユウリはぎゅっと握られた手の強さだけ感じた。

「ごめん」

「反省して」

「うん」

 ローゼはなにも覚悟せずにユウリの隣にいるわけではない。手を離して去るのはいつでもできたはずだ。それでも、幼馴染としてユウリの隣にいてくれた。いつもは恥ずかしいと断られるが、必要な時を知っているようにそっと手を握ってくれた。
 それだけで十分と思えないのはユウリのわがままだ。

「……もう少ししたら、僕らも新婚旅行しよう」

「新婚旅行って王都を出てこなかった?」

「中断したから、仕切り直し。水晶湖地方は避暑に良いって聞いたよ」

「今年の夏は社交シーズンになりそうってリリーさんが言ってたわよ」

「じゃあ、フィルナの秋祭り」

「王都での祭事」

「くっ、ローガンディの雪山でアイス作る」

「遭難するほうが早そうね」

「今年! 遊べないじゃないかっ!」

「ここが片付いたら、アーテルのところに遊びに行けば? 温泉あるの羨ましいって言ってたじゃない」

「それだっ!」

 ローゼはやれやれと言いたげだった。

「そういえば、アーテルを見送ってよかったの? 手は欲しいと言ってたけど」

「いないほうがいいよ。魔素の回復が絶望的なんだってさ。フラウが魔導師の数を減らすと良いと青い顔してたからほんとにまずいっぽい」

 体内の魔素が枯渇寸前までいった魔導師が6人もいたうえに、この地の魔素も消費尽くされているに等しい。そのためゲイルも俺がいないほうがマシになるはずとさっさと帰っていった。その言葉は確かのようでそのあとからフラウがちょっと元気になっていた。

「それに、来訪者を見たいとか話をしたいとかいうのが集まってきてたからちょうどいいよ。近隣領主がやってくるみたいだし」

「そういうもの?」

「僕の時と同じ」

「ああ」

 げんなりとした表情になったのでローゼも理解したらしい。ユウリは慣れてしまったがアーテルは慣れないだろう。そのうえ、体調も優れない。元気そうに見えて奥のほうが傷ついているという話だ。魔導師として使えなくなっているかもしれないとゲイルがこっそり教えてくれた。それも本人には言うなという口止め付きだ。
 それならユウリも知りたくはなかったが、ゲイルに無茶振りしそうだから先に釘を刺したかったと言われると視線が泳いだ。
 知らずに魔法を使ってほしいとお願いする可能性はなくもない。

「ま、災厄をやっつけたのは僕だし、僕が相手して英雄としての格をあげておくよ」

 ということにしている。その件についてはその場にいた者たちの同意は取れたし、口止めはしたがそれより心配なことがある。

「ぼろ出さないようにね」

「自信ないんだよ」

「私もないわ」

 物欲に負けるような相手ならともかく、海千山千の政治屋相手にユウリはごまかしきれる自信がない。ローゼもそのあたりは今手ほどきを受けているらしいが、既に投げ出したいようだ。
 今回、フィラセントを王都に残してきたのは間違いだった。ユウリはあとで来てくらい言っておくべきだったと反省している。いや、今からでも遅くない、すぐに来てと……。

「フィラセントを呼ぶべきかしら」

「だねぇ」

 同じことをローゼも考えていたことがユウリは嬉しかった。まあ、相手はあの眼鏡だが。
 本人が聞けば俺、文官なんですけどぉ!?と青筋を立てられそうだったが。

「さて、あと半月くらいで片付けて温泉。温泉」

 ちょうど宿まで戻ってきた。ローゼは中に入りかけたユウリの手を引いた。

「ユウリ」

「んー?」

「もう少し、散歩するわよ」

 ローゼは決定事項のように言って、少し不安そうに見てくる。

「うちの奥さんが可愛すぎる」

「な、ど、なにいって!」

「散歩と言わず、逃亡しようそうしよう」

「なにその急な早口! 逃げないの」

 ちっと舌打ちするユウリを聞き分けのない子供でも見るようにローゼは見てため息をついた。

「ちょっと散歩よ。散歩」

「わかったよ」

 手を繋いでちょっとだけの散歩。
 物足りないが、きっとこの先も時々は握ってくれるのだからとユウリはちょっと我慢することにした。



「護衛としては見送っちゃいけないんだけどな」

 町をひっそり通り抜ける馬車をティルスとシュリーは見送った。本来なら大勢に見送られるべき来訪者だが、面倒になりそうだと隠れて離れたのだ。
 隠れてと言いながらアーテルは御者台に座っているところは油断している。それというのもディレイがそこに座っているからでと推測できるところが面白くない。

「いらないと断られたから仕方ない」

 シュリーも何か面白くなさそうにそう言っていた。
 断られたからと言って引き下がるような立場にない。仕方ないから、こっそりついていくことにしている。そのため旅装を整え、数日前から町の外で張っていたのだ。正確な日程というものが読めなかったせいだ。
 ティルスはため息をついた。

「あいつ、俺のこと見たぞ」

「気のせいじゃないか?」

「そんなわけあるか」

 町を出たところでディレイは違和感を覚えたように辺りを見回していた。見えないほどに遠くはないので気がつかれることもあるかもしれないと思っていたが、それにしては早かった。
 どうしようかと判断する前にディレイはこちらへ視線を向けて頭が揺れたように見えた。それからなんでもないというように隣にいたアーテルを抱き寄せている。
 ティルスとシュリーがいることを気がつかせないためのような行動。

 ディレイは二人の立場にある程度の理解を示しているということだろう。ついてくることは黙認するし、アーテルには言わない。

「気に入らない」

「そろそろ行く」

 シュリーは淡々と出立の準備を整える。よく訓練された軍馬は静かに待つが、それなりに気が強い。
 早くいこうと馬に頭を小突かれてティルスもその背に乗った。

「宿に泊まってもいいと思う?」

「宿には泊まってもいいが、同じ宿には泊まれないだろう」

「だよな。出立時間とか張れないし、ルート変更すると思う?」

「しないのではないか?」

「そうかな」

 ここまでの旅程はほとんど予定ルートを逸れていなかったようだ。滞在が伸びたこともあるがそれも誤差の範囲内だろう。
 アーテルもディレイもこの辺りにはあまり詳しくなく、目的地も定まっていたため寄り道はしなかったようだ。
 この先も領地に向かうだけだと言っていたので新しく何かをすることはなさそうだ。
 あとをついていくだけの死ぬほど暇そうな任務になることは予想できる。

「そういや、おまえと二人で任務とか久しぶりだな」

「そうだな。最後は何年か前だった、ような気がする」

「そうそう。ユウリが」

 そう言ってティルスは黙った。あまりいい思い出でもなかった。ユウリが王家の役に立つのかを調べてに行ったのだ。
 シュリーも苦い表情をしている。
 しかし、ある意味あそこから始まったのだ。

 表面上でしかないかもしれないが穏やかな日常が戻ってきた。これからも細かい問題は出てくるだろうが大きな変動はないだろう。と思っていたらこの災厄の騒ぎだ。
 ユウリがある日突然、新婚旅行に行きたいなどと言いだしたのだ。

 その前日にバタバタしていたのはティルスも知っている。ユウリが頭が痛いと言いだして、ばったりと倒れたのだ。すぐに気がつき周囲の心配をよそに魔導協会に用があると出かけていった。誰も止める間もなかったらしい。そこから教会に行き、王への会談を求めてと権力をフル活用していた。

 なんだろうなと他人事のように傍観していれば、護衛がいるよねと強引に連れ出された。他にもユウリの結婚式後、しばらく滞在していた仲間も招集されていたのでよほどまずいことがあるらしいと気がついたのだが。

 追い立てられるように出立した後にその理由は語られた。
 災厄の一部がいる場所の神託があったこと。その場所というのが来訪者が立ち寄る予定の場所であること。そして、来訪者自体が災厄の依り代となりやすいことなど。
 不思議と誰もそれを疑わなかった。常に懐疑的に見ているティルスですら、特に異論を述べようとは思わなかった。

 それより問題だったのは。
 あーちゃん、だった。

 ティルスが思い出したのは仲間の内では遅いほうだろう。なにかの暗号のようにあーちゃんがという会話を聞きながら、誰だそれと思っていたのだから。
 ティルスはあの子供とアーテルが一致しない。どこか仄暗いところのあった笑顔と今の平和そうに笑うところに何とも言えない隔たりがあった。
 そもそも一年前に会った子供が、いきなり大人になって表れたら戸惑うだろう。

 シュリーもそうだったようで、戸惑っていたようだが、少し納得していたようだった。覚えていなくてもなにか引っかかるところがあったのだろうと。
 それからシュリーのアーテルを見る視線が、どことなく変化したのはティルスは気がついていた。妹のようなものだから気にかかるのだろうと。
 もっとも、それは少し無理をしているようにも見えた。

「定期的に馬が休憩するそうだ」

「は?」

 突然、シュリーが言いだしてティルスは思考の海から戻る。そして、なぜそう言いだしたのか気がついた。
 前方の馬車は緩やかに道を逸れてぴたりと止まった。

「賢いというかなんというか。あれ、ほんとに馬?」

「国に数頭の特別種らしいが、気まぐれすぎて軍に向かないと隠居したのだそうだ」

「あ、そう」

 突出しすぎて使い難いということはある。軍に必要なのは平均的なもので数が揃えられることが前提だ。あれは誤差の範囲ではおさまらない。

「ということは俺たちも休憩ってことか」

「そうだな。のんびりとした旅になりそうだ」

「飽きそうだな」

 ティルスはそう思っていたが、行く先々で厄介ごとに巻き込まれることになるとは知らなかった。
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