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温泉と故郷と泣き叫ぶ豆
呼ぶ声をたどり 1
しおりを挟む食事の良い匂い。それがほっとするものだと思い出させてくれる。
難しい顔をしていた子供たちも少しだけ雰囲気が和らぐ。
「おいしいにおいがする」
一番小さい子供がそわそわしたようにキッチンに視線を向けていた。
「期待していいぞ」
アリカはほかの誰かが食べる料理では大きな失敗をしたことはない。本人しか食べないときに冒険するらしい。実際、食い合わせが最悪でしたと半泣きしていたことは数度見たことがある。誰かに食べさせるわけにはとアリカが拒否するので、エリックがそれを食べたことはないのだが。
「頑張ったらおやつもあるかもしれない」
「!?」
五人の子供が驚愕したように目を見開いていた。エリックが孤児院にいたころにはおやつが出てくることはめったになかった。今も変わらないらしい。
なお、間食として出された歯ごたえが自慢のようなパンとクラッカーの中間のようなものはおやつの分類に入れられない。
「あ、あまいやつ? 酸っぱいリンゴじゃなくて?」
「もそもそ蒸しパンでもなくて?」
「じゃがいもはおやつじゃない」
「おやつー」
「かもしれないだぞ。騙されるな」
一人は冷静そうに見えて、そわそわしているのは他の子と変わりない。
「飴くらいは俺も持ってる。
そうだな。魔素を感じれるくらいになったら一つ」
俄然やる気を出した子供たちにエリックは笑う。思ったよりも素直に育っているようで微笑ましくもあった。しかし、少しだけ辛くもある。かつての自分はこうではなかったと思えるから。
傷を傷としてみることもしないで放っておいたツケだろう。エリックは小さくため息もついて子供たちに向き合った。
呪式をそれぞれの感覚で認識しているのは間違いない。同じものを見せてもそれぞれ感覚が違うので主張が異なり、それで小さな喧嘩があったが、見えるものが違うから仕方ないと強引に納得させた。
その次の自分の体にある魔素を溜める器官の認識に進んだが、子供たちはそれはよくわからないようだった。大体はみぞおちの付近にあるが、時々違う場所にあったりもするので本人が把握する必要があった。
そこまでしたら一時的魔封じをしておくつもりだ。この先は師匠がついてからのほうがやりやすいだろう。
エリックはまだ弟子をとるつもりはないし、アリカも同様だろう。それに専門が異なる。味覚で感じる系統は師匠を探すのに苦労するかもしれない。あれは極端で、辛党もいれば甘党も美食家もいたりする。さらに酒に例えるように酔うものもいた。
「あのね、あのね。ここにあるの。おっきなかたまり」
一人の子に声をかけられてエリックは注意を向けた。
「そこから全身に巡るのはわかるか?」
「うん。なんか、優しいので包まれてるみたい」
「その感覚を覚えておくように」
エリックは約束の飴を一つ渡す。それから次々とやってくる子供たちに飴を配り、最後の一人もなんとかぼんやりと知覚できるようになった。
「これから一時的に魔封じをする。師匠を見つけるまでの間、暴発したり、思わぬことをしてしまわないようにするためのことだ。
感覚が一部失われるように思えるかもしれないが、魔法を使わない人と同じ感覚だから慌てないように」
「えー、かっこよく魔法使えるようになるんじゃないの?」
「なんでもできるって聞いたよ。好きにできるって」
「手順通りすれば使えるが、まず、その手順を覚えるところからだ。
組み立て方のわからない積み木を積んでもなんとなく上手くいくかもしれないが、やり方を知っていればもっと上手に好きなものが作れるだろう?」
「じゃあ、教えてよ」
「同門の相手しかできないな。見えているものも感じているものも違うから、思わぬ事故になるぞ」
「事故って?」
「基礎を覚えても、こういう怪我はする」
エリックは手の怪我の痕を見せる。使いはじめのころの失敗や油断したころに作った傷だが実例としては適切だろう。
それを見た子供たちは少し怯えたように封じることに同意した。
それがようやく終わるころにはエリックはそわそわどころか、キッチンへ顔をのぞかせに行こうとする子供たちを捕まえなければならなくなっていた。
「ごはんですよー、腹ペコはいませんかー」
アリカはキッチンからひょっこり顔を出したかと思えば、そんなことを言いだした。無自覚であろうが、大量の食事を用意するときはとても生き生きしている。仕事してるって気分になるらしい。
ご機嫌なアリカの声を聞いて、ロブがぎょっとしたようにキッチンを見ていた。
良い匂いはしていたのは気がついていたが、アリカが用意しているとは思っていなかったらしい。
「な、なんで、勝手につかってやがんだ」
「暇ですし、お腹すきましたし。ごはんは素敵です。温かいとなおよいでしょう」
ロブの当たり前の指摘にアリカは厳かに告げるが内容がない。
ごはんーっ! と子供たちが喜ぶのはわかるが、他の者もばたばたとあたりを片付け始めていた。
裏切られたという表情のロブがなにか面白い。エリックはそっと視線をそらした。そのまま見ていたら笑い出しそうだからだ。
エリックが目を離した隙に子供たちはお手伝いするという主張の邪魔をしに行っているのが見えた。
「百戦錬磨のシスター、シスターを求めておりますっ! っていうか鍋あぶないしっ!」
キッチンの中から聞こえた悲鳴じみた声にエリックは苦笑がこぼれる。マルティナも慌てたように子供たちを大人しくさせようとしている声も聞こえた。
「こどものやる気を嘗めてました。あと、食欲も。
いつもカリナさんがついてたから大人しかったのですね……」
あとをマルティナに任せたのかアリカが疲れたようにキッチンから出てきた。
「まあ、あの年頃は仕方ない」
エリックが騒がしい厨房をなんとなく見ていると袖を引かれた。なんだろうとアリカを見下ろせばなに? と言いたげに首を傾げられた。
怪訝に思うが、引かれた袖は彼女がいたほうとは逆だった。改めてエリックは視線を向ければ少年が立っていた。
「……あのね。声が聞こえなくなったの」
「声?」
「こっちにおいでって、寂しいから。その子はお兄ちゃんをさがしてるんだって」
「どこから?」
エリックは普通に言ったつもりだったが、思ったよりも硬い声だった。嫌な予感が現実になりつつあると知らせてくるような言葉は聞きたくはなかった。
しかし、聞かないということでは済ませられない。
「んー、教会のどこか。探してみたんだけど、その子はいなかったよ。妖精だったのかな」
そう言って、少年はキッチンへ足を向けた。エリックには少年が少々怯えたように見えた。そしてそれはおそらく気のせいではない。
隣には微笑むアリカがいるが、雰囲気が怖い。子供を少しばかりビビらせるには十分だ。怒り出す前のシスターに似てると言っても彼女は喜ばないだろう。
「へぇ、面白い話ですね。
ね、ディレイ。一人で探しに行ってはいけませんよ。あたしが寂しくて泣きますよ」
「……そうだな。寂しがりやは一人で十分だ」
「そうです。あたしがその枠は占拠します」
アリカは胸を張って主張する。本当の寂しがり屋は、彼女ではないだろう。
一人は、寂しくて、悲しくて、でも、それを埋められなくてなかったことにした。しかし、見ないからと言って消えるわけはなかった。
「わわわっ」
「早く帰りたい」
力任せにアリカを抱き寄せた。エリックはぬるま湯に漬かるような冬の心地よい日々に戻りたかった。この先は、失望させるのではないかと少し怖い気がした。
「ちゃっちゃっと片付けましょ」
宥めるように背中を叩かれるのも気持ちが良かった。エリックは子供扱いを喜ぶようなところはなかったはずなのだがと思うが、アリカにならいいかと思う。
手のかかる人だと甘やかされて、許されるのは今までなかった。
もうしばらく、と思っているうちに後ろから衝撃が来た。
「だから、子供の教育に良くないからいちゃつくなと言ってるじゃないっ!」
「ごめんなさいというかなんというか。不可抗力です」
「このくらい、い、いや、悪かったって」
マルティナにぎろりと睨まれてエリックは反論をあきらめた。シスターつえぇと言う外野をうるさーいと一喝するのはやはり貫禄があった。何年過ぎても勝てる気はしないし、逆らって何かをしようと思わないというのはすごい刷り込みと言える。
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