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吾輩は。
しおりを挟む吾輩は馬である。
名前はまだない。
というのが形式美であるらしい。ジャスパーってなんか吾輩とか言い出しそうだと同居人その2が言っていた。
その1のほうが首をかしげていたが、来客その2は爆笑していた。
失敬な。
「おまえ、名前もらえてよかったな」
つい先日まではなかった。来客その2は知らないだろうが、おそらく同居人その1は自分の名前も名乗らないし、名付けるという発想もなかった。
馬は馬である。
然り。
少々不満はあったが、問題はない。
それが少々変わりだしたのが、同居人その2が現れてからだ。挨拶をされ、日課のようにブラシ掛けをされ、おやつに人参を差し入れられるようになった。
吾輩は、人参はそんなに好きではない。
期待に満ちた目に負けるようにもそもそと食べているが、森に生えている人参のほうが活きがいい。奴らはぴぎゅうと鳴くが一呑みしてしまえばよい。
手足がついているような気がしないでもないが。あと紫色だが。
おそらく形状は細長く、地中に埋まっているので人参と同類に違いない。
冬の間は、町に預けるからねと言われていたが食糧事情が変わるのは好ましくない。断固拒否する所存だったが、先日、泊まったときに綺麗な娘さんがいたので今はやぶさかでもない。
むしろ、町に連れて行っていただきたい。それほど悪い感触でもなかったが、吾輩はおじさんの部類なので少々分がわるい。
大人の余裕というものをだな。
いや、初対面がぐいぐいと他の娘さんに迫られて困っていたところを助けられたという情けない状況ではあった。大人の余裕どこいった。
大きいのに可愛らしいとかなんとか言われていたたまれない気分にはなったのだが。
たまに一緒になる知り合いから笑われてさんざんであった。
うむ。忘れよう。
同居人その2はアリカという名前があるらしい。その1は未だに名乗っていないので知っているけど知らない。
ごく希に愚痴めいたものをこぼすようになったのは確実に彼女の影響ではあるのだろう。
吾輩は暇なのでよいのだが、人は動物に話しかけたりはしないものではないだろうか。まあ、前にいた場所でもよく話しかけられたが。
おまえ、馬なの? とは言われたが、馬以外のなにに見えるというのだろうか?
同種にも異物のように見られることもなくはないが、吾輩は馬である。
大型種で稀少であるとは言われているし、完全に同じ種にあったことはない。類似した血縁などはよく会うが、恭しく対応されて困ってしまう。
吾輩はもう少し気安い付き合いがしたい。
少し前の場所にいた娘さんたちも少しばかりぐいぐい来すぎて、辟易したものだと言えば知り合いからは白い目で見られた。
おっとりした優しい娘さんがいいのだよと言えば贅沢といわれたので、彼女たちについて色々話してやった。聞きながら震えていたが気のせいだな。
軍馬など気が強くなければやってられんよ。不意に弱るとかない。
あれは凛々しくて格好いいというものだ。
お姉様すてきっ! とたまに立ち寄る町や村でももてていた。吾輩は恐れ多いと言われ遠巻きに見られていたので少し寂しく、いや、寂しくはないぞ。
今はとても平穏であったのだが、少々揉めているらしい。吾輩、隠居という生活が好ましいので出歩きたくないのだが、今後のため連れて行くとかなんとか。
もちろん拒否である。
吾輩は同居人その2のほうが好ましいと思っている。どうせ、世話を忘れるに決まっているのだ。行くならブラシは日課にするのだぞ。
忘れるんじゃないぞ。
そんな気持ちで同居人その一にブラシを咥えて見せるとなんだか笑われてしまう。
「アリカを頼むよ。俺の前じゃ、泣き言も泣くこともしないからさ」
むっ、その程度の機嫌をとるのは得意……。不得意である。
なにやら旅に出たい気持ちもしてきたのである。
結局残されるのではあるが、少々困ったことも確かであった。同居人その1よ、無理なことを言うな。
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