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なぜ彼女は妖艶な美女へと変貌したのか

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「……ないわー。ものすっごいないわー」

 どんよりとした声が室内をさまよって消えていく。寝起き特有の少し枯れた声は色っぽくもあったが、『僕の』声ではなかった。
 変に明るいとよく言われる甲高い声ではなく、しっとり落ち着いた『女性の』声。

「なによ、どういうことよ?」

 混乱したままに呟いても答えはない。
 どうやったとしても今を生きる必要がある。それだけは確かだった。



 『彼女』は、ユーリカといった。分類やつれた系美人。健康になればそれなりの美貌となりそうなのに、興味ないと言いたげに放置されている。
 鏡の向こうの彼女が不満そうな顔をしていた。

「僕も不満だよ。なんだって、昨日寝て起きて君なのさ」

 目が覚めたら、体がやけに軽かった。中年太りをしたおっさんらしくない軽さだった。なんなら軽快な目覚めといってよい。
 起き上がれば見知らぬ部屋。質素ではあるが女性のものであるとわかるのは鏡台や小物類のおかげだった。
 どこかの女性の部屋に入り込んだのかと焦ったが、部屋に他の人の気配はない。それなのに寝台から怪訝そうな顔で見ている女性が。
 目が合った瞬間に。

「きゅうっ」

 世にも可愛らしい声で卒倒した。

 再度目が覚めた時には、昼過ぎ頃だった。のろのろと鏡台に向かい、己が別の女性になっていることを再度確認した。寝巻であることもその確認するには手助けになったが救いにはならなかった。
 なんだこのけしからん物体は。

 ……。
 おっさんの欲望が大暴走しなかったことだけは、彼女の名誉のために証言したい。

 鏡台の上には一冊の本が置いてあった。ぱらりとめくれば、やや神経質そうな筆致の文章が書き込まれていた。
 それは彼女の日記だった。
 一ページ目にユーリカとだけ書かれたものはローデン歴465年から始まる。

「ん?」

 それは去年のことだ。
 最新の日付をみれば昨日だった。

「んん!?」

 見知らぬ女性に生まれ変わったのではなく、中に入っちゃったような……。

「そんなバカな」

 なお、生まれ変わりもかなりそんなバカなという話ではある。
 一番有力視できるのは、前世というのは夢であって存在しない、である。いやいや、ベレッド家は存在する……。存在するよな?

 貴族年鑑を探し、その中に自分の名前を探し当ててほっとして。

「なんだこの状態」

 途方に暮れた。

 動転していて気がつかなかったが貴族年鑑などが部屋にある以上、彼女は貴族の令嬢のようだ。それにしては、部屋は質素な気がした。
 それよりも貧乏貴族にしても、メイドの一人もやってこない状況が気になる。

 思い出したようにカーテンを開けて、外を見れば眩しさに目をすがめる。日当たり良好すぎて溶けそうな気がした。

「本館があっちでこっちが別邸という感じ?」

 庭を挟んで向こう側に大きな館が見える。僕の家と比べれば小さいと張り合いたい気がしたが、それはさておき。
 ご令嬢が別邸で、しかもメイドもなく放置されているというのは良い状況には思えない。

「うむ」

 心置きなく日記を楽しむ理由ができた。
 そこでユーリカはご令嬢ではなく、どこかの貴族の夫人であることが判明する。夫はといえば、別の女を愛人にしてユーリカと名乗らせていると。そのうえ、子供もいるらしい。もちろんユーリカの子ではない。

 まれに見るひどさがそこにあった。

 消えてしまいたいとなって、開いたところに僕の魂でも入ったんだろうか。
 と思ったが、僕の本体はどうなったんだろうか。本体、健康だった。肥満とかいわれたけど、健康だった! 奇跡のぷにぼでぃ!
 ……うん、医者には瘦せなよぉと半笑いで言われる程度には健康。
 モテないよぉなんて余計なお世話である。

 面倒な生まれの長男の苦肉の策をどう考えているのだと小一時間問いただしたい。言ってもきひひひと笑うだけだろうけど。
 あんな変人、幼馴染のよしみで家付きの医者にして箔をつけてやってるのに!

 まあ、それはいいんだ。
 つまりは本館には夫とユーリカのふりをした愛人が家族ごっこをしていて、ユーリカ本人は別邸にひっそりと隠されている。

 愛人。金もない、歴史もない騎士爵の娘なんだ。つまりは、伯爵家の嫁にはなれない程度と判断され別口で本妻を用意したのだろう。
 狡猾というかクズというかひどい男である。そして、こんな男が結婚出来て、僕には彼女の一人も出来ないというのはどうなんだ。
 ……。

 ユーリカはマメに日記をつける人だったのか、日記が数年分残っていた。結婚したらしいのは五年前。この五年分の日記を読破するころには彼女は悲劇のヒロインではないことが確定した。
 初期はほんのちょっとの幸せがあった。婚約期間や結婚式まで。その後に愛人が乗り込んできて、ユーリカは同敷地内の別邸に追いやられた。
 恨み言めいたことが延々と書かれていたが、ある日、ぱったりとそれは消えた。
 二年目、くらいだろうか。そのくらいに子供が生まれたらしい。

 その後は、淡々と日常のことを記載する日記になった。時々、嘘交じりの文章が踊る。虚勢かもしれないが、日々のスローライフをお楽しみだったようだ。

 丁寧な生活、という感じで、時間も金も気にせず気ままに暮らしている。監視の目もないことをいいことに抜け道を抜けて、町にさえ遊びに行ってもいる。そのときに名を偽って出版社に寄稿してコラムが掲載されたりするほどの才女。
 ちゃんと社交していれば社交界でもそれなりの地位にいたのではないだろうかと僕には思える。

 そんな彼女は、突然消えて、代わりに僕が中に入った。

 ……入れ替わっちゃった、とか?

 ま、まさかねぇ。そんな魔法みたいなことあるわけが。

「グラウス、なんかやってねーだろーなー」

 思わず地を這うような声が出た。幼馴染その5は絶滅危惧種のエルフだった。しかもやばいほうのエルフ。美貌を瓶底眼鏡で隠し、ぐふふふと笑う魔術狂い。
 昔のマジックアイテムがさぁと言いだしていたな、そういや、去年くらい。そんで、この間、泊りに来た。上機嫌だった。ちょっとどうかというくらいのペースで酒を進められて。
 うひゃうひゃ笑っていた。
 翌日、二日酔いで目覚めれば手首に古めかしいブレスレットがはめられて、グラウスは雲隠れしていた。

 ユーリカのほっそりとした手首には古めかしいブレスレットがはまっている。

「……」

 しばし、沈思黙考した。

 ユーリカが、戻ってきても困らないように、ものすっごい頑張ろう。うちの幼馴染がなんかしたかもしれないし。

 まずは、肌の手入れをして肉をつけて。
 それから、グラウスを絞める。今回は許さん。他人に迷惑かけんじゃねぇよ! 駄エルフ!

 まってて、ユーリカさん、頑張って元に戻れるようにするから! 慰謝料にもならないかもしれないけど、お手入れとか色々がんばるからっ!

 だから、その、僕の体でちょーっと我慢してほしい。
 おっさんの、しかも中年太りのちょっと髪の薄いのの中身とかしんどいと思うけど!

 ……大丈夫じゃないよね。僕に早くあいにいかなきゃ。
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