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二人と一匹
一方その頃 王国では
しおりを挟むミリアの婚約破棄及び、不在は即座に王城内に知れ渡った。
元よりシリルには隠す気もなかったし、口止めもしなかったのだから当たり前とも言える。エディアルドは速やかにミリアを連れ去った。
シリルはその手際の良さに少々の疑惑を憶えた。しかし、その疑念は姉たちの襲来で消し飛んでしまった。
「ちょっと、どういうこと!?」
突然、部屋の扉が開いた。
視線を向ければ茶色の巻き毛を下ろしたままの女性が、まなじりをつり上げている。その後ろにはきちっと髪を結い上げ、乗馬服を着た女性もいた。
さらに後ろには青い顔をした護衛騎士が立っている。
「どうしたんです? 姉上」
シリルの私室へと断り無く入ってくるのは傍若無人な姉たち以外いない。彼女たちを止めることは護衛騎士には無理だろう。彼女たちに睨まれれば王城にいる場所はなくなる。職務怠慢とは言えないだろうなとシリルは心の中でため息をついた。
この部屋はほとんど来客がない。例外的にエリゼの入出は許可していたが、ミリアを入れたことはなかった。
「あなた、バカなの?」
ばたりと扉を閉めて、下の姉ジュリアが開口一番にそういった。
腰に当てた手が、やはり偉そうだった。シリルはこの姉たちが苦手だった。男であれば良かったのにと父がぼやいていたところもそうだが、ことあるごとに愚弟と言う。
姉たちのほうが出来がよいというのはよく聞かされた。家庭教師にも、他のものにも。そういえば、ミリアは言ったことがなかったなと思い出す。
元婚約者で、現在は帝国の王子に連れて行かれた娘。誰にも人当たりも良く、次期王妃としてふさわしい風格だと言われていた。ただ、シリルは気に入らなかった。ただの政略結婚であり、お互いにそう認識していたと思う。嫉妬じみたものさえ見たことはなく、婚約者としての振る舞いを求められたこともない。
つまらない人形のようにしか見えない。エディアルドが興味を持ったというのも不思議ではある。おそらくは物珍しいというところだろう。
ミリアの見事な赤毛はこの国内では珍しい。東方の血を引いている証と聞いた事がある。その妹であるエリゼは光に溶けそうな甘い金髪だった。優しく柔らかく微笑み、あなたは良き王になるでしょうと励ましてくれた。
面差しも性格も全く違う二人は普通に見れば姉妹には見えないだろう。
エリゼは今は実家に戻っている。彼女の両親に強引に連れ戻されたのだ。殿下も愚かなことをと吐き捨てるように言われたのは、全く持って心外だった。
寵姫より王妃の方がよほど良いだろうに。感謝されてても良いと思ったところだ。
エリゼは気丈にも笑って、大丈夫ですと去って行ったが、気がかりである。
早く手元に取り戻したい。
「この子が、こうなのは昔からよ」
上の姉レベッカがため息をついてそういう。
シリルが姉たちに失望したようなため息をつかれるのは、いつものことだった。他者より優れていると知でも武でも示しているのに、まるで出来ない子のように扱われるのは理不尽にしか思えない。
姉たちは座るつもりもないようだ。
シリルがすすめるまでもなく、座る気ならさっさと座っている。
「まあ、いいわ。戻った陛下からお叱りを受けたら、そのエリゼとかという娘と婚姻しなさい。
それから、ウィルとゼルを養子にして、それからさっさとその娘を孕ませなさい」
「……姉上?」
レベッカの直接的な言葉にシリルは面食らった。想定していた言葉とはだいぶ違う。ミリアを取り戻せとかそんな話をされると思ったのだ。
それならばエリゼをいかに愛しているか、愛し合っているのだから結ばれて当然だと告げるつもりだった。姉であるミリアルドで良いなら妹のエリゼでも代用できる。
それをあっさりと婚姻を認めるなど言うとは思わなかった。
そして、姉たちの子を養子にしろと言われるとも。
「今更、ミリアを取り戻すことは出来ない。それに戻ってきても同じ場所には戻せない。なら、出来ることをするしかないわ。
それにゼルよりジェイにしてちょうだいね。年は離れた方がいいでしょう? 支え合うには少し年の差があった方がいいわ。
それにゼルは向いてないし」
ジュリアも異論はないようだ。シリルが望むことには難色を示してきた姉たちの変わりように戸惑う。
「そう。ゼルは以前からの意向通り武の方に進ませるのね」
「しかたないわ。宰相を引き継がせたかったけれど、あまり血縁で継ぐのもよくないでしょう」
やれやれと言いたげな姉たちの様子に、シリルは言いようのない不安を覚えた。
まるで、彼の存在など気にも留めていないように思える。
「なぜ、あの子たちを養子に?」
「次期王として育てるためよ。あら、あなた、自分が王になれると今も思っているの? あなたに要求するのは、女を孕ませるくらいよ。
そうね、5人くらいは欲しいかしら。好きな相手を選べばいいわ」
「俺が王太子ですよ」
次期王として指名されているのは紛れもなく、シリルである。その次となると国内では甥のウィルとゼル、ジェイの順にはなるだろう。
ただし、他家に嫁いだ娘の子ともなれば良い顔はされない。国外にはもっと血の濃い有力な候補がいる。
シリルたちにとっての従兄弟たちは揃って他国の王族であり、継承権は残っている。複数の継承権をもつのは彼らだけではない。
シリルたちもそれほど高くはないが他国の継承権は保持している。
それは親の世代くらいまでは王族同士の婚姻が多かったことによる。今は推奨されていないのは、特定の病気を持つ子が増えがちであったり、夭折する場合が増えたためである。
例外は帝国くらいであろうか。あの国においては、母親の血は重視されない。帝国の皇太子であるエディアルドも母親は確か地位が高い家ではなかったはずだ。
何人かいたはずの兄弟よりも優秀であることを示さねば、その地位にあることはできない。それだけ優れていたということだ。
ちりっと嫉妬めいたものを感じることもあったが、彼はシリルにとっては良き友であった。
その彼が、ミリアを望んでいたことは知らなかった。
ミリアがそれを断るとも思っていなかった。エディアルドが望めば、誰でも肯くであろうという気がしていたのだ。
ほんの一瞬も、ためらいなく拒否したのは痛快ですらあった。
シリルが、初めてミリアに興味を持ったと言ってもいい。今なら、少しくらい可愛がってやっても良いとさえ思う。
「それにその次を継ぐのは俺の子であるべきだ」
じいと姉たちに見られてシリルはたじろいだ。
冷たいというより値踏みするような視線は受けたことはない。
「そうね。大人しくミリアを選んでおけばよかったのに、バカな子。
あなた、自分が王として教育されていると思っている? ミリアに任されていたことと同じ事を出来るの?」
「当たり前ではないですか」
「姉様、どうします? この愚弟」
「思い知らせたらいいと思うのだけど、国政が滞るのも問題よね。急ぎは私たちに回して、それ以外で三日ほど様子を見ましょう。陛下もそのくらいにはお戻りでしょうからね」
「そうですね。ならば、やってごらんなさい。あなたの側近も使っていいわ」
姉たちはそう言い残して去って行った。
ほんのわずかの興味もシリルには残さずに。
ジュリアとレベッカは彼女たちに与えられた部屋に戻った。
侍女にお茶の用意を頼むとそれぞれに好みの場所に座る。ジュリアは外が見える出窓に座ることが多く、今日もそうする。
レベッカは長椅子に座ることにした。
レベッカは話を聞いて、慌ててやってきたのだ。優雅に馬車での移動ではない。久しぶりに乗馬服に身を包み、馬でやってきた。
出遅れてはならないと焦燥にかられながら。
少しだけ視線を妹へ向けるがジュリアは外へ視線を向けていた。
レベッカのように慌てたところを取り繕った感じはしない。髪は下ろされていたが、他はきちんと整えられた姿に彼女は確信めいたものを感じる。
「ミリアはどうするかしら」
外を眺めながら明日の天気の話でもするようにジュリアが呟いた。
「死ぬでしょうね。あの皇太子嫌ってたもの。手込めにされる? ふざけるなとこれ見よがしに目の前で死んでみせるわよ。あの子。
そうでなければ、そうね。従順な振りをして、食い尽くすかしら」
帝国の皇太子の求婚を退けるなどミリアでなければしない。
レベッカですら、既婚で子もありながらも求婚されたらすこしは考えたかもしれない。年頃の娘がいれば、かわりにと押し込んだだろう。
それはその手に出来る権力に誘惑されてのことだ。
権力だけではなく、エディアルド皇子は美しい。そこだけに重みはないが、それも付加価値だ。若い娘には特に効果がある。
ジュリアもそれを思ったのか小さく笑っていた。
「逃げ出したりは?」
「させないでしょう。可能であれば、さっさと逃亡して悠々自適に生活するんじゃないかしら。
でも、祖国に仇なす事だけはしないでしょう」
「そうね。為政者としての資質にめぐまれていたものね。
本当にあの子の治世がみれないのが残念でならないわ。愚弟が」
そう言いながらも妹は楽しげだ。
レベッカは困った妹だと思う。彼女もそれなりに野望は持ち、国の中枢に関わってきていたがジュリアほどの熱意はない。
私たちは女で良かったのだと思う。
そうでなければ、誰か一人しか残らなかった。
「……ねぇ、ジュリア」
「なにかしら、お姉様」
「誰が、手引きしたのかしらね?」
「知りませんわ。罰しますの?」
「いいえ。今更いいわ。咎を負うべきは弟とエリゼという娘。私たちはなにも知らない」
「そうね。間に合わなかったわ。残念ね」
今から追いかければミリアを取り戻すことは可能だろうとしても手出しはしない。国境を越えさせることも見逃す。帝国と事を構えるかは国王が決めるべき事柄。
代理を任されていたのは、彼女たちではない。
姉妹は笑みを交わした。
それで、その話はおしまいだった。
侍女が用意したお茶を飲み、軽く交わす言葉は最近の流行や近況ばかり。それでも慎重に家族の話題は避けられた。
お互い、一杯のお茶で短い茶会は終了する。
ジュリアとレベッカは部屋を出ると軽く挨拶を行い背を向け、振り返らなかった。
どちらの子が、王となるかなど今はわかりはしない。まだ、幼いとさえ言える子供たち。
一つ確かなのは、シリルの子が継ぐ可能性は極めて低いことだ。
レベッカは小さくため息をついた。政争に武力に極振りした夫が役に立つとは思えない。
その点ではジュリアの夫が羨ましい。現宰相であり、王の片腕として辣腕を振るうのだから。しかし、堅物で臣下の立場を越えるのは良しとしないだろう。
息子をシリルの養子にすると説得するのも骨が折れるに違いない。
うちの夫はその点、楽ね。楽すぎてレベッカは、別の意味で頭が痛い。なにも考えずにがははと笑いながらがんばれと背中を叩いて、息子は迷惑そうな顔をするだろう。
何事も考えすぎなレベッカにしてみればちょうど良い夫ではあったが、問題がないわけでもない。
良き父であり、良き夫ではある。物理的には頼りになる。今はちょうど城内で訓練をしている時間であろう。
少し、顔を出してみるのも良い。息子も甥もそこにいるだろう。
「……あの子の思うとおりにしてあげることもないわ」
ぽつりとレベッカは呟いた。
おそらく一番、困り果てるのは国王たる父であろう。しかし、レベッカはざまぁみろとしか思えない。
ジュリアは姉弟の中では一番出来がよく、父に可愛がられていた。他国に嫁がせるべきだという主張をことごとくねじ伏せた結果がこれだ。
妹には女だてらに一国くらいとってくる資質はあったというのに。逆に言えば身のうちに飼うには危なすぎる。
まあ、とりあえずは護衛だ。彼女はそのまま訓練場へと足を向けた。
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