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聖女と魔王と魔女編
夜明けに
しおりを挟む「ヴァージニア様、どこまで行かれるのですか?」
「もうちょっと先だと聞いたよ」
イリューからの問いに軽く答える。
今いるのは魔王の領域の森の中。昼でも薄暗いと言われる場所は、夜ならなお暗い。明かりをつけているせいで闇もさらに深くなる。
まだ、浅いあたりで魔物がいそうな気配はないが、遠吠えが聞こえているので奥にはいるのだろう。わざわざ出てきて襲いはしないだろうが。
「夜明けを待つほうが良かったと思いますが」
少し怯えたようなイリューの態度に少し笑ってしまう。
一人で行くつもりだったのだけど、イリューに見つかってしまったのだ。正確にはソランとイリューの二人だったけど。ソランには遠慮してもらったから、後で何かご褒美をあげなくてはいけないかもしれない。我慢できて偉いねというのは、子供扱いで怒るかもしれないけどね。
私は空を見上げた。変わらず薄暗い。それでも朝はやってくる。
「ここは昼も夜もないよ。それに夜も終わる。もう夜明けだ」
「時間がよくわかりますね」
「体質かな。兄様たちはもっと正確だよ」
暗い森の中で夜明けを知るのは難しいが、なんとなくの時間間隔で測っている。
「さて、そろそろ現地なんだけど、イリュー、ここで待っててもいいよ」
「なぜですか」
「実はね、君のお兄さんをさがしに来たんだ。遺品はなかったって聞いた」
つまりは死体が回収されていない。それどころではなかったのだろう。実はこれまでの道すがら骨っぽいものも見かけている。くらいから見ないふりをしていたし、イリューは気がついてもいなかったに違いない。
わかってて素知らぬ表情だったなら豪胆だけれどね。
「……行く理由があるじゃないですか」
「そっか。じゃあ、黙っててくれると嬉しい。逃げられたら困る」
「わかりました」
淡々とした返事が少しばかり信用ならないが、連れてきてしまった私の責任でもある。まあ、ついてきたのだからそれなりに役に立ってもらわなければならない。
それが、どんなに納得のいかない役目であっても。
この砦には、隠し事があった。
小さな秘密。
それが、物事の発端をわからなくしていた。
たった一人の名誉を守るための沈黙。
傷つけぬための嘘。
それは、ほかの時には見逃してもよかった。暴いても誰も幸せにならない。もう終わってしまったことだから。
「全く。気軽に死ぬのは最悪だよ」
小さくつぶやく。己の信念に準じるならば、それなりに後処理まで考えてもらいたい。
大きな木の洞の前に彼はいた。
半ば透ける赤毛。
なるほど、似ていたかもしれない。
「やあ、ニーア殿。あなたをさがしていたんだ」
彼は怪訝そうに私を見て、イリューへ視線をとめた。
『イリュー、どうしてここに?』
「兄さんがいなくなったからじゃないか」
泣き出しそうな声に聞こえたので、私はイリューを見ないことにした。
泣き顔を見られるのは男の沽券にかかわると弟が主張していたから。
「あなたの後を追って、彼もここにきてしまったよ。
ねえ、教えて欲しいんだ」
彼が苦い表情なのは、何を聞かれるかわかっているからだろう。
「ここでなにがあったの?」
ニーア、という名前すらここでは聞かなかった。いたことを不自然に無視するようなことだと今なら思える。
彼はイリューの兄で、青の騎士団の副団長で、ランカスターの幼馴染。そして、メリッサの婚約者だった。まじめでいいやつでしたよとあの諜報部の男が言うのだから、それなりの良い人だったんだろう。
それが、森で拾った娘に度を超えて傾倒した。
そして、魔物に連れ去られた娘を守って死んだ。
私にはそれが隠された理由はよくわからなかった。
困惑した私にその理由を教えてくれたのウィリアムだ。苦い表情で、婚約者がいるのに他の女を優先するのは裏切りだろう、と。
婚約者のいる男が、他の女を守って死んだというのは醜聞足りえると彼らは思う。例え、それが聖女であっても。
むしろ相手の女性の身分が高いほうが、恨みにすら思ってしまいかねない。悲しみを持つことさえ許されなくなる。
それでも、そのとき、聖女であったなら名誉は守られただろう。
それが違うとこの砦のものは知っている。だから、黙ったのだ。慣例的に砦での死者は病死とされるのが幸いした。魔物はいないことになっていたのだから戦死とすることもない。
死んだ理由を聞かれなくてこれほど助かったこともないだろう。
ニーアの名誉は守られ、婚約者には彼の裏切りを知られることもない。誰もかれもが黙っていれば。
あの聖女ですら、黙った。いや、彼女の場合には、黙っていたのではなく言えなかったのだろう。
『あの日、夜なのに猿が砦を襲ったんです。今までなかったことに砦の中が混乱しているうちに彼女は連れていかれてしまった。
連れ戻そうと少し無理をしました』
ニーアはそう言って、弟(イリュー)にごめんと小さくつぶやいた。
自分がいなくなった後について少しは考えたのだろう。後悔が残っているから魂がここにとどまっていた、とでも思っていそうだ。
実際は違う。それを知れたのも闇のお方経由で死後の管理をする冬の女神に尋ねたからだ。もしかしたら記録が残っているかもしれないと。結果は魂が行方不明。
それならばここに残っているかとこんな森の中までやってきた。
案の定、残っていた。微かな熱さに囲われて。
『彼女は、大丈夫でしたか?』
「あまり良くない。気にするなというのも無理な話だよ。
自分を守って死んだ好きな男を忘れるのはね」
聖女の番は、魔王ではなかった。最初に出会った彼だったのだ。
そして、それがお気に召さなかった女神に殺された。おそらく、魔物も魔物ではなく、女神の作りものだ。出かける前に連絡したが魔女はその襲撃を知らなかったのだから。
猿は夜動かない習性であるらしい。オオカミならわかるけど、オオカミは人を連れていけないから話に無理があると。
そこからぷつりと返信が来ていないのが、不安である。
魔女は領域で好き勝手されていたことに気がついてブチ切れてるのではないだろうか……。それだけではなく、一番最初に会ったときは影響を受けていたんじゃないかと思うんだよね。
「じゃ、彼女のところに行こうか。
イリュー、ちょっと体、貸して」
「気軽になに言ってるんですか」
「はい、乗り移って。できるって闇のお方が言ってた。いけるいけるって」
えぇ? という顔をする兄弟にやさしくお願いし、憑いてもらう。
「……ところで」
「行く先の話?」
「その話も聞きたいですが。
ええと、あなたは誰ですか?」
……。
案外、この人もボケ属性かもしれない。今、ため息をついたイリューは本人だろう。
「その話は道々しようか。
私は、遠い国から来たお姫様なんだけど……」
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