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おうちにかえりたい編

閑話 彼について5

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 レオンがその手紙をローガンからもらったのは、その日の昼過ぎのことだった。

「なんだこれ」

 闇の神の神官が至急会いたいと言っている。行ってやって欲しい。利はある。

 そんな文面を目を眇めて見ながら他の意味が隠れていないか考える。走り書きなのか雑な紙だ。今日の昼に届いて、その夜に来いとは急すぎる。

 しかも一度あったきりの闇の神の神官が呼んでいるという。
 その後、礼の手紙と供物を送ったが、返答はなかったなと思いだした。それどころではなかったので見逃したのかもしれないと思い直して調べることにした。

「俺が見てないのこっち?」

 今日は副官は別の仕事に回している。ウィリアムから預かったソランが執務室にいた。集まってきた書類の分類を今は任せている。

「どのくらいの期間のですか?」

 ソランは無表情のまま書類や手紙類を入れている箱を開けた。きっちり整理されているのは副官の習性だが、彼もそれに従っているらしい。
 以前、別の者を置いた時にはぐちゃぐちゃになって嘆かせたものだが。
 彼は剣ばかり振り回しているというわけでもない。

「最新一ヶ月くらい」

「どうぞ」

「……慣れた?」

「そうですね」

 対応がいつも冷ややかではある。理由は複数あるので、別に咎めようと言う気はレオンにはない。
 それに、多少の意地悪は仕返している。

 従者として置いているのに決して連れ歩かない。それは決して、姫君の視界に入らないことを意味する。
 ソラン一人では、そんな領域に足を踏み入れることは許されていない。

 自分でも心が狭いと思うが、今はダメでも数年後にはやらかしてくれそうな予感がする。

「元気そうですか?」

 誰が、とは言わない。レオンは少し笑った。

「どうかな。いつも通り」

「それは良かった」

 全く良さそうな声でもないし、顔でもない。
 ソランのちらりと見える怒りに、苦笑した。近づけないのは彼らのためでもあると言ってもきかないだろう。
 レオンと違って、彼らはまだ替えのきく存在だ。うっかり知ってはいけないことを知って消されてしまってはウィリアムに申しわけがない。

 それでも多分に私情が入ってはいる自覚はある。
 彼らだけは、ちょっと警戒が必要だと無意識に思っていることには気がついていなかった。

「あった」

 見逃していただけで、素っ気ない文章で気にするな、と書いてあった。
 困った事になったら相談しろと意外なくらい強い語調で追記してあって首をかしげる。

 それは姫君と会う前の日付になっている。だから彼女は関係がない。

「他に来てなかったか?」

「イーサン様、ですか。記憶にありません。なんというか癖の強い字ですよね」

「……そうだな」

 レオンは改めて手紙を見た。確かに一部の字が潰れていて普通に読むにはちょっと困りそうだ。そして、それを全く意識せずに読んだ。

 言葉ではなく、その意味を読んだ。
 無意識にそれをした。

 ぞっとするな、これは。

 確かに神官なら知ってるかもしれない。レオンが加護をもっていることを。
 だからこそ、ここまで強く、相談しろと書いてあった。

「ディラスが隠したんだな」

「どうしてですか?」

「あいつ、かなりの光の方の信者で、闇の方は好きじゃない」

 むしろ嫌いなんじゃないだろうか。それは教会の考えでそれほど光の神は闇の神を嫌ってはいないようだ。
 暴くときは短時間神を降ろしている状態に近い。光の神が見たいと思ったものを勝手に目を通して見られる。
 そのときに少しだけ神の残り香を感じる時はある。

 姫君を見たあとは少し優しい何かを感じる。

「まあ、いいや。出かけてくるので、行き先はごまかしておいてくれ。ばれたら監禁されそうな気がする」

「……そーですか。お気を付けて」

 ソランの返答は全く感情がなかった。無理なこと言うなとため息をつかれてもやってもらわねば困る。

 レオンはひらひらと手を振って部屋を後にした。

 その様子にとても複雑な顔したソランがいたことを知らない。








 指定された店はレオンが良く行く店だった。異国の料理が多く物珍しいと通っていたら、いつの間にか店員に顔を覚えられてた。
 王都にいる間は2,3日に一度くらいは来ている。それは現在も変わらない。

 店員に軽く手をあげて挨拶すると空いている席に座れと言われた。
 呼び出した本人はまだ来ていないらしい。

 軽い果実酒とつまみに何かと頼めばすぐに出てくる。酒は好きではないが、飲まないという場でもない。
 半分ほど杯の中身を減らしたあたりでイーサンはやってきた。

「やあやあ、虹色君」

 急に音が消えた気がした。いや、気のせいではない。隣の席の声さえとても遠い。
 彼は闇色に染まった目を細めて笑う。
 何か、したのだ。

 レオンはこの物騒な神官様はお姫様と似ていると思っていた。言えば双方イヤな顔をしそうだが、本質的にとても冷たい。

 イーサンは向かいに座った。

「そのふざけた呼び方やめて欲しいんですけどね。神官殿」

「うんうん。ちょっとヤバイ感じですね」

 レオンの顔を見るなりイーサンは勝手に納得している。
 この人の話を聞かない感じは似てない。なんだかんだと言って彼女は確かに話を聞いてくれる。ただし、聞いていてもそれだけだ。

 イーサンは姫様とは別の方向で物騒だ。
 先に言われているのだ。害そうとすれば思うだけで不幸が起こるだろうと。闇の神の加護はそこまで強い。
 その身を器として差し出すほどものが真っ当とも言えない。

 とりあえず、エール! と店員に叫んでいるところが、どこか憎めないふとっちょ感がある。副官はこんなに物騒ではないが、見た目通りでもないので、和む丸い生き物はいないのかもしれない。

「それで急用ってなんです?」

「はい。我が主からの下賜品。光のお方ではどうにも出来ないらしいから、相殺しろと」

 渡されたのは眼鏡だった。青黒いようなガラスが嵌められている。
 レオンはイーサンを見たが、全く見通せない。いや、黒い何かで守られている。周囲も黒い何かで覆われていた。
 近くの音すら聞こえなくなっている理由はこれだろうか。

「見たくないものを見続ける必要はないと僕は思うよ?」

 いっそ優しいくらいの声だった。
 知らずに止めていた息を吐く。最初に会ったときから知っていたのだろう。確かに最初に妙なことを言っていた。
 初めて見たと。

 それからずっと黙っていたのだから、少なくとも敵ではない。

 小さな頃からこの加護を知られることを恐れていた。知られてしまえば、人として生きることは難しい。

 光の神は滅多に加護を与えないと言われる。実際は少し違う。皆、黙っているだけだと気まぐれに教えてくれた。下を覗くときに必要な目だと。

 特別に相性が良かったのは不幸かなと透明な声で告げられた。

「供物は?」

「楽しんだからいいっていってましたね。なにしたんです?」

「見せ物じゃないんですけどね」

 それでもありがたくいただくことにする。
 眼鏡をかけた世界は薄く青に沈む。ぼんやりとした輪郭にほっとする。確かに無意識に見ていたことが多かったようだ。

 今はイーサンも普通に見える。
 なんだかニヤニヤして嫌な感じではあるが。

 頼んだエールを持った店員がうろうろしていることに気がつき、イーサンは手を振った。そこにいたことに初めて気がついたように慌ててやってくる。

「特技? こちらから何かしないと見えないようですよ。姫様も持ってますけど、その目じゃ分が悪いですかね」

 なぜ、レオンだけが見つけられるのかその答えをもらった。そして、見つける度にどうして見つかったのか不思議そうな顔をされる理由もわかった。

「そんで、惚れちゃった?」

「なんで、みんな聞きたがるんですかね」

 その類の問いはレオンにはうんざりしている。
 どう答えろというのだろう。どうあっても一方的で、不毛と言うしかない。相手はお姫様でその上、いまのところは人妻でもある。
 不道徳と責められる立場である自覚は一応ある。

 物語のように美しくあるうちだけ、許容される絵空事だ。分類上は悲恋だ。

「強いて言えば興味」

「悪趣味」

「だって、気になるじゃないですか? あの姫様が誰かを選んだんだから」

 レオンはその言葉の意味を図りかねる。

 イーサンはエールを嬉しそうに飲んでいるが、ヒゲが出来てる。指摘すれば、きちんとハンカチを取り出し拭いていた。
 どことなく育ちの良さは感じる。グラスを置くときに音を立てない。肉が付いている割に歩き方はきれいだ。

「今までは誰かが片思いするなんて掃いて捨てるほどあったんですよ。
 視界に入れてもらえても勝手に諦めて去って行くんですよね。幼なじみが悪かったわけですけど。
 そんなのが続いていたので誰かを選ぶなんて耳を疑いましたね」

 彼が頼んでいたつまみを無遠慮に手出ししてくるところは、本人の性格だろうか。
 あ、おいしっ。と呟いて、店員に同じのと注文している。

「ごめんね。つい癖で。知らない人とあまり食事や飲みに行かないから。新しいやつどうぞ」

「……いいけど」

 主義を曲げてまで渡しに来て貰ったことに礼を言うべきだろうか。
 イーサンは楽しそうに笑っているので、言わないことにした。

「全然違うのを選んできたなと思ったんですよね。あ、ちなみにあの王様は却下。
 彼女の幼なじみと似たところあるんですよね」

 ……ところで、聞きたくないと無視したのは悪手だっただろうか。レオンは微妙に後悔した。さらっと情報を提供してくる。

 そして、この神官から見ても王は却下されるのかと微妙に同情した。色々やらかしたのがまずいのだろう。婚姻自体、既になかったことにされていないだろうか。教会的には不成立で無効と思っていそうな気さえしてきた。

 レオンはその幼なじみが誰なのか程度は知っている。話をしていれば話題に出そうではあるが、その影も感じない。言わないことになにか強い意志を感じるくらいだ。
 つまりこれは本人が絶対口にしそうにない話題だ。
 逆に黙っていたらどこまで話してくるか興味が出てきた。

「無駄に地位と権力といい顔があるのが最悪って感じ」

「……なんで、俺に言うんです?」

 レオンはため息をついた。それはあまり知りたくなかった。多分、全部ない。

「ちょっと頑張って欲しいみたいな? 世の男はあんなヤツだけじゃないと知ってもらいたいみたいな?」

「無理言わないでください。足りないでしょう。埋めようもない」

 にやにやした顔にいらっとくる。
 一体なにをしろというのだ。
 最初から、終わりが見えている。わかっていて、選んだ。こうなると知っていたら、絶対にうなずきはしなかっただろう。
 レオンの表情を見てイーサンは少し驚いたようだった。

「そういうところが、気にいってるんでしょうね。あと、白状しているからその言い方は気を付けた方が良いですよ」

「そりゃどうも」

「彼女を選べばいい。それで希望はあるはずです」

「逆に失望されますよ」

「ははっ、ちゃんとわかってるんですね」

 イーサンは楽しげに笑う。
 たちが悪い。とても悪い。
 あの国に関わる人物で素直と言えるのは一人もいない。部下たちがとても単純で可愛い生き物のような気さえする。
 あれはあれで脳筋すぎて困るんだが。

「傷つけるな、なんて過保護なこともいうつもりないから好きにしたらいいんですよ」

 じゃあね、と自分の分の勘定だけきっちりと置いてイーサンは去って行った。
 途端に周囲から音が溢れて、レオンは顔をしかめた。
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