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番外編 幼き日の約束 後編 ~la fin~

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「何をしているっ!」

 私は堪らずベッドの下から飛び出した。

「ロベール様、何故ここに!?」
「お兄さま!?」

 アンの綺麗な紅い瞳には涙が滲んでいた。
 私の弟を泣かせるなんて許せなかった。

「アンに手を上げるとは何事だ! 貴様などクビだ、処刑だ! 即刻この部屋から出ていけ!」
「ヒッ」

 家庭教師は逃げ出す様に退室していった。
 私はアンに向き直る。

「大丈夫だったか、アン?」
「お兄さま、ずっとこの部屋にいたの……?」

 可哀そうに、アンはぽろぽろと大粒の涙を零していた。
 ハンカチを取り出してその涙を拭き取っていく。

「ぼく、ぼくね……」
「もう大丈夫だぞアン。怖い人は追い払ったからな」

 鼻もハンカチでチンと噛ませる。

「ちがうの、ぼく……お兄さまにうそついてた……」
「ああ」

 すっかり忘れていた。
 その時にはアンが叩かれたショックで嘘を吐かれたことが頭から吹き飛んでいた。

「ぼくね、お兄さまにたくさんほめられたくて、もじよめないっていっちゃった……ごめんなさい」

 後から後から彼の目からは大粒の涙が零れてくる。
 ハンカチだけでは足りなさそうだ。

「そんなこと気にしてない。これからはしないように気を付けような」
「うん」

 アンはこくんと頷いてくれた。

「それよりも家庭教師に嫌なことはされてないと言ったじゃないか。どういうことだ」
「たたかれたのは今日が初めてだよ。いつもはいやなことはされてない……ぼくがいやなことしちゃってるみたい」
「アンが?」

 アンの方が嫌なことをしているとはどういうことだろうか。
 詳しい事情を聞き出すことにした。

「なんかね、みんなぼくのことがこわいんだって」
「みんなって誰のことだ?」
「みんなはみんなだよ」

 まだ六歳のアンには『みんな』の内訳を詳しく描写するだけの語彙力はない。
 後で知ったことだが、爺や以外の従者や護衛、その他の使用人のほとんどがアンのことを気味悪がって避けていたそうだ。

「アン。それは立派な『嫌なこと』だ。アンのことを怖がるやつなんて全員処刑でいい。よしんば怖かったとしてもそれを表に出さないのが大人だろう」
「そうなの……?」
「そうだ。だから嫌なことをするやつは役に立たないからクビにしてしまっていいんだぞ」
「でも……」

 アンの表情は沈む。
 私の言葉はちっとも励みにならないようだった。

「クビにしても、新しい人もぼくをこわがるにきまってるよ。ぼくのかみの色と目の色がいけないんだって」
「誰がそんなことを言ったんだ!」
「わかんない……」

 彼の少ない語彙力から想像力を働かせて読み取らねばならないが、恐らく誰から言われたのか分からなくなるくらい多くの人間から言われてきたのではないだろうか。恐らく私や父や、アンの母親が聞いていない瞬間を見計らって。

「ぼく、こんなかみいらない! 目もいらない! ふつうがよかった……!」

 アンは自分の髪の毛を引っ張って無理やり引き抜こうとする。
 こんなに小さな子供が自分の外見に激しい憎悪を向けている様子が痛々しかった。

「アン、やめろ!」

 私は彼の手を掴んで止めさせる。

「私はアンの髪と目が綺麗で好きだ。だからいらないなんて言わないでくれ」「ほんとう……?」

 私がアンの目を見つめて言い聞かせると、彼は少し落ち着きを取り戻した。

「そうだ。アンの髪と目と肌の色はこの上なく綺麗だ。おそろしくなんかない」
「……みんなお兄様みたいだったらよかったのに」

 ぽろりとまた一粒、彼の瞳から涙が零れた。
 彼のその様子を目にして、アンのことを守れるのは私しかいないのだと思った。アンのことを理解してやれるのは私だけだと。

「ぼく、お兄さまとだけずっといっしょにいる」

 アンはポツリと呟いた。
 そうすることでしかアンが幸福を感じられないなら、それを実現するべきだと思った。

「じゃあ、大きくなったら結婚しよう。それでずっと二人っきりでいるんだ」
「けっこん……?」

 神話の神様だって兄妹で結婚しているし、従兄弟同士で結婚した親戚の話だって聞いたことがある。
 私とアンだって結婚できないはずがない。
 そんな考えで私は誓った。その頃はまだ結婚というのがどういうものかよく分かっていなかった。


「ああ、それをするとずっと二人一緒にいられるんだ」
「じゃあ、ぼくお兄さまとけっこんする!」

 そこでアンはようやく泣き止み、笑顔を見せたのだった。
 それが幼き日に私がアンと約束を交わした経緯だった。
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