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第三十二話 勉強禁止
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「ヴァン様、言い付けを破りましたね?」
「え……」
連日勉学に精を出していたヴァンは、フィリップの言葉にギクリとした。
「お顔にクマができていますよ。寝ていませんね?」
ヴァンは思わず、自分の顔に触れる。
「いやあの、寝てはいますよ! ただ昨日は、新しく学んだ言語の単語が頭から零れ落ちそうで、ちょっと夜更かしして復習しただけなんです!」
王配ともなれば、同盟国の言語ぐらい話せなければならない。
夜中に突然不安でいっぱいになって、ほんの一時間ほど勉強に打ち込んだのだ。
「私の言い付けを破ったことには、変わりありません」
王配教育が始まって最初の数日間、ヴァンはほとんど睡眠を忘れて勉学に打ち込んだ。
事態を重く見たフィリップによって、ヴァンは過度に勉学に打ち込むことを禁止されてしまった。
ヴァン様の健康が損なわれては殿下とのラブロマンスも成り立ちません、などと呟くフィリップによって厳しく健康管理されることになった。
フィリップによって決まりが制定された翌日に、ヴァンは早速取り決めを破ってしまったのだった。
それが今の状況だった。
「ヴァン様がそのおつもりなら、私も実力行使に出させていただきます」
「え、ええ……っ!?」
お仕置きでもされてしまうのだろうか。
ヴァンが身構えていると、彼は踵を返して部屋から出ていってしまった。
部屋に一人ぽつんと取り残される。
言いつけも守れないご主人様は一人で朝の支度をして下さい、ということだろうか。ヴァンは仕方がなく一人で着替えを済ませた。自分で着替えをするくらい、ヴァンは慣れっこだ。ミストラル家では、メイドたちに放置されることは日常茶飯事だった。
「ヴァン様、ただいま戻りました」
少しして扉の向こうから、フィリップの声がした。
どうやら、仕事をボイコットする気ではなかったようだ。一体どこに行っていたのだろう。
入って下さい、とヴァンは入室の許可を出す。
「失礼します」
入室してきたフィリップは、一人ではなかった。
「ヴァン、フィリップの言い付けを守らなかったそうだな?」
彼の後ろにはギュスターヴがいた。
「で、殿下、どうして……!?」
フィリップは、ギュスターヴを呼びに行っていたのだ。実力行使とはこういう意味だったのかと、ヴァンは理解した。寝ぐせがついたままの頭を見られるのが恥ずかしくて、ヴァンは顔を赤らめた。
「どうしてだなんて、フィアンセが無理をしていると聞いたら心配で駆けつけるのは当然だろう」
彼は言葉通り心配そうな表情をしていた。
彼と話をするためにティーテーブルの椅子に腰かけ、向かい合う。
「ヴァン、お願いだからフィリップの言うことには従ってくれ」
「はい、すみません……」
彼に叱られ、ヴァンはしょんぼり項垂れた。
「聞きたいのだが、なぜヴァンはそこまでがむしゃらな努力をするんだ? 私はその、ヴァンがたとえ自堕落な性格であっても幻滅したりなどしない」
自堕落であっても幻滅しないという極端な言葉は、本気だろう。
だがヴァンは、もともと彼に好かれたくて努力しているわけではない。
「……もしかして父親か母親に何か言われたのか?」
「え?」
意外な言葉に、ヴァンは顔を上げる。
「君が何を気にしているのかは、わからない。だが寝る間を惜しんだくらいで、君の価値が減じたりはしない。君は君であるというだけで、価値があるんだ」
どうやらギュスターヴは、なにやら想像力を逞しくさせているらしい。
努力しなければお前など無価値だ、そんな言葉を父母から投げかけられた経験があると考えているらしい。いくらなんでもそんな酷い言葉など――かけられたこともあったかもしれない。
心を守るために、父や母の口にしたことはなるべく早く忘れるようにしていた。だからよくわからない。
もしかしたら自分の心は、思いのほか傷ついていたのかもしれない。ギュスターヴの言葉を聞くまで、そんなことにすら気が付いていなかった。
「ヴァン。頼むから自分を大事にしてくれ」
「……」
蒼い瞳は、真剣にヴァンを見つめている。
自分を大事にしてくれという言葉を、胸の内で噛み締める。
今まで自分は自分自身を大事にできていなかったのだろうか。それで彼にこんな心配そうな顔をさせてしまっているのか。
自分を大事にするという感覚はよく分からないが、彼に心配はかけたくないと思った。
「分かりました。これからはフィリップさんの言い付けを破らない範囲で勉学に打ち込みます」
今まではヴァンが無理をしたところで、心配してくれる人などいなかった。だから、心配をかけたくないなどと思うのは初めてのことだった。
「ヴァン、分かってくれたか」
ギュスターヴの顔が安堵で明るくなる。
彼の後ろでフィリップもほっと胸を撫で下ろしていた。殿下だけでなく、フィリップにも心配をかけてしまっていたことに気がつく。
「それはそれとして。ヴァン、君には仕置きが必要だな」
「え?」
ギュスターヴの言葉に、ヴァンはパチパチと目を瞬かせる。
「ヴァン、今日は丸一日勉強禁止だ」
「えぇっ!?」
思わず跳ねるように椅子から立ち上がった。
一日あればどれだけ勉学が進むことか。それがフイになるだなんて。顔から血の気が引く。
「その代わり仕事に付き合ってもらおう」
「お仕事、ですか?」
「ああ。今日はとある救貧院の視察に赴く予定だったのだが、ヴァンにもついてきてもらう。私の伴侶になるのであれば、今の内に少しずつ慣れておかねばならないからな」
彼が命じたのはいわゆる王族としての公務だ。
確かに彼の言う通り、今のうちに慣れておくべきだと感じた。
「確かにそれは参加すべきですね。提案していただきありがたいです、ぜひ同行させてください」
「決まりだね」
彼は目を細めて柔らかい微笑を浮かべる。
お仕置きとして公務に参加させるというよりも、勉強ばかりしていたヴァンに息抜きをさせたいのだろう。彼の気遣いがわからないヴァンではなかった。
「え……」
連日勉学に精を出していたヴァンは、フィリップの言葉にギクリとした。
「お顔にクマができていますよ。寝ていませんね?」
ヴァンは思わず、自分の顔に触れる。
「いやあの、寝てはいますよ! ただ昨日は、新しく学んだ言語の単語が頭から零れ落ちそうで、ちょっと夜更かしして復習しただけなんです!」
王配ともなれば、同盟国の言語ぐらい話せなければならない。
夜中に突然不安でいっぱいになって、ほんの一時間ほど勉強に打ち込んだのだ。
「私の言い付けを破ったことには、変わりありません」
王配教育が始まって最初の数日間、ヴァンはほとんど睡眠を忘れて勉学に打ち込んだ。
事態を重く見たフィリップによって、ヴァンは過度に勉学に打ち込むことを禁止されてしまった。
ヴァン様の健康が損なわれては殿下とのラブロマンスも成り立ちません、などと呟くフィリップによって厳しく健康管理されることになった。
フィリップによって決まりが制定された翌日に、ヴァンは早速取り決めを破ってしまったのだった。
それが今の状況だった。
「ヴァン様がそのおつもりなら、私も実力行使に出させていただきます」
「え、ええ……っ!?」
お仕置きでもされてしまうのだろうか。
ヴァンが身構えていると、彼は踵を返して部屋から出ていってしまった。
部屋に一人ぽつんと取り残される。
言いつけも守れないご主人様は一人で朝の支度をして下さい、ということだろうか。ヴァンは仕方がなく一人で着替えを済ませた。自分で着替えをするくらい、ヴァンは慣れっこだ。ミストラル家では、メイドたちに放置されることは日常茶飯事だった。
「ヴァン様、ただいま戻りました」
少しして扉の向こうから、フィリップの声がした。
どうやら、仕事をボイコットする気ではなかったようだ。一体どこに行っていたのだろう。
入って下さい、とヴァンは入室の許可を出す。
「失礼します」
入室してきたフィリップは、一人ではなかった。
「ヴァン、フィリップの言い付けを守らなかったそうだな?」
彼の後ろにはギュスターヴがいた。
「で、殿下、どうして……!?」
フィリップは、ギュスターヴを呼びに行っていたのだ。実力行使とはこういう意味だったのかと、ヴァンは理解した。寝ぐせがついたままの頭を見られるのが恥ずかしくて、ヴァンは顔を赤らめた。
「どうしてだなんて、フィアンセが無理をしていると聞いたら心配で駆けつけるのは当然だろう」
彼は言葉通り心配そうな表情をしていた。
彼と話をするためにティーテーブルの椅子に腰かけ、向かい合う。
「ヴァン、お願いだからフィリップの言うことには従ってくれ」
「はい、すみません……」
彼に叱られ、ヴァンはしょんぼり項垂れた。
「聞きたいのだが、なぜヴァンはそこまでがむしゃらな努力をするんだ? 私はその、ヴァンがたとえ自堕落な性格であっても幻滅したりなどしない」
自堕落であっても幻滅しないという極端な言葉は、本気だろう。
だがヴァンは、もともと彼に好かれたくて努力しているわけではない。
「……もしかして父親か母親に何か言われたのか?」
「え?」
意外な言葉に、ヴァンは顔を上げる。
「君が何を気にしているのかは、わからない。だが寝る間を惜しんだくらいで、君の価値が減じたりはしない。君は君であるというだけで、価値があるんだ」
どうやらギュスターヴは、なにやら想像力を逞しくさせているらしい。
努力しなければお前など無価値だ、そんな言葉を父母から投げかけられた経験があると考えているらしい。いくらなんでもそんな酷い言葉など――かけられたこともあったかもしれない。
心を守るために、父や母の口にしたことはなるべく早く忘れるようにしていた。だからよくわからない。
もしかしたら自分の心は、思いのほか傷ついていたのかもしれない。ギュスターヴの言葉を聞くまで、そんなことにすら気が付いていなかった。
「ヴァン。頼むから自分を大事にしてくれ」
「……」
蒼い瞳は、真剣にヴァンを見つめている。
自分を大事にしてくれという言葉を、胸の内で噛み締める。
今まで自分は自分自身を大事にできていなかったのだろうか。それで彼にこんな心配そうな顔をさせてしまっているのか。
自分を大事にするという感覚はよく分からないが、彼に心配はかけたくないと思った。
「分かりました。これからはフィリップさんの言い付けを破らない範囲で勉学に打ち込みます」
今まではヴァンが無理をしたところで、心配してくれる人などいなかった。だから、心配をかけたくないなどと思うのは初めてのことだった。
「ヴァン、分かってくれたか」
ギュスターヴの顔が安堵で明るくなる。
彼の後ろでフィリップもほっと胸を撫で下ろしていた。殿下だけでなく、フィリップにも心配をかけてしまっていたことに気がつく。
「それはそれとして。ヴァン、君には仕置きが必要だな」
「え?」
ギュスターヴの言葉に、ヴァンはパチパチと目を瞬かせる。
「ヴァン、今日は丸一日勉強禁止だ」
「えぇっ!?」
思わず跳ねるように椅子から立ち上がった。
一日あればどれだけ勉学が進むことか。それがフイになるだなんて。顔から血の気が引く。
「その代わり仕事に付き合ってもらおう」
「お仕事、ですか?」
「ああ。今日はとある救貧院の視察に赴く予定だったのだが、ヴァンにもついてきてもらう。私の伴侶になるのであれば、今の内に少しずつ慣れておかねばならないからな」
彼が命じたのはいわゆる王族としての公務だ。
確かに彼の言う通り、今のうちに慣れておくべきだと感じた。
「確かにそれは参加すべきですね。提案していただきありがたいです、ぜひ同行させてください」
「決まりだね」
彼は目を細めて柔らかい微笑を浮かべる。
お仕置きとして公務に参加させるというよりも、勉強ばかりしていたヴァンに息抜きをさせたいのだろう。彼の気遣いがわからないヴァンではなかった。
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