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第三十一話 殿下なわけがない

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 そうだ、それが既視感の正体だ。
 孤児院のアニエスに「そよ風みたいに優しい」と言われた時に感じた既視感の正体は、七歳の時の思い出だったのだ。
 すっかり忘れていた。
 
「ヴァン様、いかがされました?」
 
 しばしの間ぼうっとしていたヴァンを、フィリップが心配する。
 
「あ、実を言うと迷子になった時のことを思い出して……」
 
 ヴァンは彼に金髪碧眼の子供と会ったことを話した。
 話を聞くと、フィリップは目を丸くしてとんでもないことを言い出した。
 
「金髪に蒼い目をされていたのですか? それはもしかして幼い頃の殿下ではありませんか?」
「えっ!?」
 
 思いもよらぬ可能性に、ヴァンはびっくりする。
 
「殿下ならば一人で庭を散歩くらいなさるでしょうし、その子はヴァン様よりも一回り小さかったのでしょう? 年齢も合います」
 
 今はヴァンよりも背が高い彼も、十五年前ならば小さかっただろう。
 しかしそんなことはあり得ないのだ。
 
「殿下なわけがありません」
「なぜ、そうおっしゃるのですか?」
「だって……その子は、ギーくんは少なくとも太陽の精霊には守護されていませんでした。どんな精霊に守護されていたか記憶はないのですが、少なくともそれは確かです」
 
 ギーくんの周囲をどんな精霊が漂っていたか、不思議と記憶はない。だが太陽の精霊を含む十二もの精霊が彼を加護していたのならば、いくらなんでも記憶に残っているだろう。
 それに、ギーくんはやんちゃそうな性格だった。ギュスターヴとはだいぶ雰囲気が違う。同一人物なわけはない。

「なるほど、そういうことならば確かに殿下ではないようですね」
 
 フィリップは溜息を吐く。
 
「残念です。幼き日の殿下とヴァン様が実は出会っていたということであれば、大変麗しい出来事だと思ったのですが」
 
 彼の表情は口惜しそうだった。
 
「フィリップさん、今なんと?」
「殿下とヴァン様ほど、見ているだけで心の洗われるお二人はいらっしゃいませんからね。お二人の麗しい思い出が多ければ多いほどよいのは、当然のことでしょう」
 
 彼はよく分からないことをキリッと言い放った。
 どうやら星の精霊に愛されし彼の忠誠心は、ギュスターヴからヴァンの側仕えへと配置換えを命じられたことで、斜め上の方向へと変質を遂げたようである。
 ヴァンはフィリップの忠誠心の方向性について、あまり深く考えないことに決めた。
 
「それで、『そよ風みたいに優しい』と甘く囁かれた後はどうなったのでございますか?」
 
 ギーくんはギュスターヴではないと判明したはずだが、フィリップは頭の中でギーくんをギュスターヴに置き換えているのか興味津々で聞いてくる。
 
「え? ええーと、どうなったんでしたっけ……」
 
 今の今まで忘れていた十五年前の出来事だ。
 ヴァンは一生懸命に記憶をたぐり寄せようとしたが、徒労に終わった。
 
「ごめんなさい、思い出せません。たぶん、無事に帰れたのだと思うのですけれど」
「そうでございますか。思い出せたらいつでもお聞かせ下さい」
 
 フィリップの周囲の精霊たちも同調して、くるくると彼の周りを落ち着きなく漂っていた。
 
 ギーくんとの会話は、楽しい思い出だった。
 幼い日の思い出を蘇らせることができて、ヴァンもいい気晴らしになったのだった。
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