17 / 55
第十七話 美しい人
しおりを挟む
「ヴァン。今日は後で、私の部屋に来てくれないか」
翌日。朝食の席でギュスターヴに命じられた。ヴァンはドギマギとしながら朝食後、彼の部屋に向かった。
道中ヴァンの頭の中を占めていたのは、もしかして婚前交渉を求められるのだろうか、という危惧だった。
どうにもギュスターヴは本気で愛してくれているようだし、彼の目には――信じがたいことだが――ヴァンが愛らしく見えているらしい。
だからそういう要求もあるかもしれないと考えながら、フィリップと護衛の者を連れて彼の部屋を訪れた。
「ヴァン、来てくれたか」
ヴァンが入室すると、ギュスターヴが笑顔を向けた。彼の精霊たちがきらきらと光を投げかけてくる。
「商人たちを呼んでおいたよ」
彼の部屋には見覚えのない人間が、二人いた。
立派な身なりの男が二人。太って脂ぎった男と、そのお付きらしきひょろりと細長い男の二人組だ。
彼らが呼ばれたという商人なのだろう。彼らがテーブルの上に広げている装飾品の数々から察するに、宝石商だろうと推察することができた。
「私たちの婚約指輪を作ろう」
「あっ」
言われてみれば婚約指輪は必要だ。すっかり失念していた。
先に用事の内容を言ってくれればいいのに、とヴァンは拗ね気味に思う。手を出されるのではないか、と考えながら部屋を訪れたのが恥ずかしかった。
どうして、そんなことを考えてしまったのだろう。ギュスターヴはよくわからない人ではあるが、決して悪い人ではないのに。
父の言葉があったからだろうか。「早々に城に引っ越しさせるのは、妾扱いするためだ」という父の決めつけの影響が、あったのかもしれない。
結局、父の言葉は間違っていた。ヴァンには意図がよく掴めなかったが、引っ越しさせられたのは彼には彼なりの考えがあってのことだった。
そうだ、父が間違っていることもあるのだ。ヴァンの新たな発見だった。
「そういえば指輪、必要ですよね。婚約指輪なんて付けたことがないからすっかり忘れていました」
「前の婚約者のは?」
ギュスターヴはヴァンの言葉に、片眉を上げる。
エスプリヒ王国では婚約指輪は互いに贈り合うものだが、ミレイユには指輪は贈らなかったし贈ってもらったこともなかった。
「年頃になったら指輪作ろうねって話していたのですけど、結局その前に婚約破棄されちゃいましたね。あはは……」
ヴァンは乾いた笑みを零した。
指輪のことを話題に出す度に「まだ要らない」と言われて、指輪を贈る機会を逃してしまったのだ。
その態度を奥ゆかしいと思っていたのだが、思えば彼女は最初からヴァンと婚約させられたのが不服だったのだろう。前々から婚約破棄をしてやろうと思っていて、公爵の心を射止めることに成功したのを機に実行に踏み切ったのだ。いま考えてみれば、彼女の考えていたことは明白だ。
「私なら、ヴァンにいくらでも指輪を買ってあげるのに。なんなら今日欲しいものがあったら、いくらでも言ってくれ。買ってあげよう」
なぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべ出すギュスターヴ。それに同調しているかのように、彼の十二の精霊たちがチカチカと光っている。精霊の漏らす光まで得意げな雰囲気を纏っているように見えた。
それがなんだかおかしくって、情けない気分がどこかへ飛んでいくのを感じた。
いきなりの求婚はとんでもない体験だったが、彼のおかげでミレイユに婚約破棄された心の痛みを忘れられていた。彼が現れなければ、今頃塞ぎ込んで部屋に籠っていただろう。ヴァンは心の中で、彼に少しだけ感謝したのだった。
「そんなの悪いですよ、他にも装飾品だなんて。結婚した後は結婚指輪も必要になるのですし、第一こんな地味な僕なんかが着飾っても仕方がないですし」
何でも買ってあげるという言葉に遠慮した、その時。
「地味な見た目だって? 私の目の前には、美しい人しかいないけどな」
「ひゃ!?」
突然、ギュスターヴの白い手が伸びてきてヴァンの顎をくいっと掴む。
顔を上げさせられると、蒼い瞳がこちらをまっすぐ見つめていた。自分の瞳が琥珀の色なら、彼の瞳はまさに青玉《サファイア》だとヴァンは思った。
整った顔に見つめられ、否が応でも頬が熱くなってきた。
「い、意味不明なこと言って、僕のことからかわないで下さい!」
いくらなんでも、「美しい」だなんて。僕のことを言い表すのに、そこまで不適当な言葉もないだろうとヴァンも憤慨した。
「からかってなどいない。ヴァンに身に着けられるのだったら、宝石の方だって満足だろう」
ヴァンの顎からすっと手を離すと、彼は宝石商たちの方を向く。
「君たちもそう思うだろう?」
唐突に話を振られたにもかかわらず、二人の宝石商はにこにこと答える。
「ええ、ええ、柔らかくて可愛らしい顔立ちで、人の好さが滲み出ていらっしゃいます」
「ヴァン様のような可愛らしいお顔立ちのお客様にも似合う装飾品も、当商会は取り揃えておりますよ」
揉み手をする彼らの言葉は世辞だろう。
だがギュスターヴの言葉は、どうにも本気なようだ。思えば彼はいつでも真っ直ぐだった。嘘を吐く彼など想像ができなかった。
決して悪い気分ではない自分に、ヴァンは戸惑う。
「ほら、ヴァンの美しさは誰もが認めるところだ」
宝石商たちは、よくよく聞くと「美しい」ではなく「愛らしい」としか言っていないような……? と首を傾げる。
美しいと思っているのはやはり、ギュスターヴだけなのではないだろうか。
翌日。朝食の席でギュスターヴに命じられた。ヴァンはドギマギとしながら朝食後、彼の部屋に向かった。
道中ヴァンの頭の中を占めていたのは、もしかして婚前交渉を求められるのだろうか、という危惧だった。
どうにもギュスターヴは本気で愛してくれているようだし、彼の目には――信じがたいことだが――ヴァンが愛らしく見えているらしい。
だからそういう要求もあるかもしれないと考えながら、フィリップと護衛の者を連れて彼の部屋を訪れた。
「ヴァン、来てくれたか」
ヴァンが入室すると、ギュスターヴが笑顔を向けた。彼の精霊たちがきらきらと光を投げかけてくる。
「商人たちを呼んでおいたよ」
彼の部屋には見覚えのない人間が、二人いた。
立派な身なりの男が二人。太って脂ぎった男と、そのお付きらしきひょろりと細長い男の二人組だ。
彼らが呼ばれたという商人なのだろう。彼らがテーブルの上に広げている装飾品の数々から察するに、宝石商だろうと推察することができた。
「私たちの婚約指輪を作ろう」
「あっ」
言われてみれば婚約指輪は必要だ。すっかり失念していた。
先に用事の内容を言ってくれればいいのに、とヴァンは拗ね気味に思う。手を出されるのではないか、と考えながら部屋を訪れたのが恥ずかしかった。
どうして、そんなことを考えてしまったのだろう。ギュスターヴはよくわからない人ではあるが、決して悪い人ではないのに。
父の言葉があったからだろうか。「早々に城に引っ越しさせるのは、妾扱いするためだ」という父の決めつけの影響が、あったのかもしれない。
結局、父の言葉は間違っていた。ヴァンには意図がよく掴めなかったが、引っ越しさせられたのは彼には彼なりの考えがあってのことだった。
そうだ、父が間違っていることもあるのだ。ヴァンの新たな発見だった。
「そういえば指輪、必要ですよね。婚約指輪なんて付けたことがないからすっかり忘れていました」
「前の婚約者のは?」
ギュスターヴはヴァンの言葉に、片眉を上げる。
エスプリヒ王国では婚約指輪は互いに贈り合うものだが、ミレイユには指輪は贈らなかったし贈ってもらったこともなかった。
「年頃になったら指輪作ろうねって話していたのですけど、結局その前に婚約破棄されちゃいましたね。あはは……」
ヴァンは乾いた笑みを零した。
指輪のことを話題に出す度に「まだ要らない」と言われて、指輪を贈る機会を逃してしまったのだ。
その態度を奥ゆかしいと思っていたのだが、思えば彼女は最初からヴァンと婚約させられたのが不服だったのだろう。前々から婚約破棄をしてやろうと思っていて、公爵の心を射止めることに成功したのを機に実行に踏み切ったのだ。いま考えてみれば、彼女の考えていたことは明白だ。
「私なら、ヴァンにいくらでも指輪を買ってあげるのに。なんなら今日欲しいものがあったら、いくらでも言ってくれ。買ってあげよう」
なぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべ出すギュスターヴ。それに同調しているかのように、彼の十二の精霊たちがチカチカと光っている。精霊の漏らす光まで得意げな雰囲気を纏っているように見えた。
それがなんだかおかしくって、情けない気分がどこかへ飛んでいくのを感じた。
いきなりの求婚はとんでもない体験だったが、彼のおかげでミレイユに婚約破棄された心の痛みを忘れられていた。彼が現れなければ、今頃塞ぎ込んで部屋に籠っていただろう。ヴァンは心の中で、彼に少しだけ感謝したのだった。
「そんなの悪いですよ、他にも装飾品だなんて。結婚した後は結婚指輪も必要になるのですし、第一こんな地味な僕なんかが着飾っても仕方がないですし」
何でも買ってあげるという言葉に遠慮した、その時。
「地味な見た目だって? 私の目の前には、美しい人しかいないけどな」
「ひゃ!?」
突然、ギュスターヴの白い手が伸びてきてヴァンの顎をくいっと掴む。
顔を上げさせられると、蒼い瞳がこちらをまっすぐ見つめていた。自分の瞳が琥珀の色なら、彼の瞳はまさに青玉《サファイア》だとヴァンは思った。
整った顔に見つめられ、否が応でも頬が熱くなってきた。
「い、意味不明なこと言って、僕のことからかわないで下さい!」
いくらなんでも、「美しい」だなんて。僕のことを言い表すのに、そこまで不適当な言葉もないだろうとヴァンも憤慨した。
「からかってなどいない。ヴァンに身に着けられるのだったら、宝石の方だって満足だろう」
ヴァンの顎からすっと手を離すと、彼は宝石商たちの方を向く。
「君たちもそう思うだろう?」
唐突に話を振られたにもかかわらず、二人の宝石商はにこにこと答える。
「ええ、ええ、柔らかくて可愛らしい顔立ちで、人の好さが滲み出ていらっしゃいます」
「ヴァン様のような可愛らしいお顔立ちのお客様にも似合う装飾品も、当商会は取り揃えておりますよ」
揉み手をする彼らの言葉は世辞だろう。
だがギュスターヴの言葉は、どうにも本気なようだ。思えば彼はいつでも真っ直ぐだった。嘘を吐く彼など想像ができなかった。
決して悪い気分ではない自分に、ヴァンは戸惑う。
「ほら、ヴァンの美しさは誰もが認めるところだ」
宝石商たちは、よくよく聞くと「美しい」ではなく「愛らしい」としか言っていないような……? と首を傾げる。
美しいと思っているのはやはり、ギュスターヴだけなのではないだろうか。
289
お気に入りに追加
3,276
あなたにおすすめの小説

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。
みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。
生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。
何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。
国を救った英雄と一つ屋根の下とか聞いてない!
古森きり
BL
第8回BL小説大賞、奨励賞ありがとうございます!
7/15よりレンタル切り替えとなります。
紙書籍版もよろしくお願いします!
妾の子であり、『Ω型』として生まれてきて風当たりが強く、居心地の悪い思いをして生きてきた第五王子のシオン。
成人年齢である十八歳の誕生日に王位継承権を破棄して、王都で念願の冒険者酒場宿を開店させた!
これからはお城に呼び出されていびられる事もない、幸せな生活が待っている……はずだった。
「なんで国の英雄と一緒に酒場宿をやらなきゃいけないの!」
「それはもちろん『Ω型』のシオン様お一人で生活出来るはずもない、と国王陛下よりお世話を仰せつかったからです」
「んもおおおっ!」
どうなる、俺の一人暮らし!
いや、従業員もいるから元々一人暮らしじゃないけど!
※読み直しナッシング書き溜め。
※飛び飛びで書いてるから矛盾点とか出ても見逃して欲しい。

ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?

【完結】健康な身体に成り代わったので異世界を満喫します。
白(しろ)
BL
神様曰く、これはお節介らしい。
僕の身体は運が悪くとても脆く出来ていた。心臓の部分が。だからそろそろダメかもな、なんて思っていたある日の夢で僕は健康な身体を手に入れていた。
けれどそれは僕の身体じゃなくて、まるで天使のように綺麗な顔をした人の身体だった。
どうせ夢だ、すぐに覚めると思っていたのに夢は覚めない。それどころか感じる全てがリアルで、もしかしてこれは現実なのかもしれないと有り得ない考えに及んだとき、頭に鈴の音が響いた。
「お節介を焼くことにした。なに心配することはない。ただ、成り代わるだけさ。お前が欲しくて堪らなかった身体に」
神様らしき人の差配で、僕は僕じゃない人物として生きることになった。
これは健康な身体を手に入れた僕が、好きなように生きていくお話。
本編は三人称です。
R−18に該当するページには※を付けます。
毎日20時更新
登場人物
ラファエル・ローデン
金髪青眼の美青年。無邪気であどけなくもあるが無鉄砲で好奇心旺盛。
ある日人が変わったように活発になったことで親しい人たちを戸惑わせた。今では受け入れられている。
首筋で脈を取るのがクセ。
アルフレッド
茶髪に赤目の迫力ある男前苦労人。ラファエルの友人であり相棒。
剣の腕が立ち騎士団への入団を強く望まれていたが縛り付けられるのを嫌う性格な為断った。
神様
ガラが悪い大男。

聖女の力を搾取される偽物の侯爵令息は本物でした。隠された王子と僕は幸せになります!もうお父様なんて知りません!
竜鳴躍
BL
密かに匿われていた王子×偽物として迫害され『聖女』の力を搾取されてきた侯爵令息。
侯爵令息リリー=ホワイトは、真っ白な髪と白い肌、赤い目の美しい天使のような少年で、類まれなる癒しの力を持っている。温和な父と厳しくも優しい女侯爵の母、そして母が養子にと引き取ってきた凛々しい少年、チャーリーと4人で幸せに暮らしていた。
母が亡くなるまでは。
母が亡くなると、父は二人を血の繋がらない子として閉じ込め、使用人のように扱い始めた。
すぐに父の愛人が後妻となり娘を連れて現れ、我が物顔に侯爵家で暮らし始め、リリーの力を娘の力と偽って娘は王子の婚約者に登り詰める。
実は隣国の王子だったチャーリーを助けるために侯爵家に忍び込んでいた騎士に助けられ、二人は家から逃げて隣国へ…。
2人の幸せの始まりであり、侯爵家にいた者たちの破滅の始まりだった。

BLゲームのモブに転生したので壁になろうと思います
雪
BL
前世の記憶を持ったまま異世界に転生!
しかも転生先が前世で死ぬ直前に買ったBLゲームの世界で....!?
モブだったので安心して壁になろうとしたのだが....?
ゆっくり更新です。

【完結】悪妻オメガの俺、離縁されたいんだけど旦那様が溺愛してくる
古井重箱
BL
【あらすじ】劣等感が強いオメガ、レムートは父から南域に嫁ぐよう命じられる。結婚相手はヴァイゼンなる偉丈夫。見知らぬ土地で、見知らぬ男と結婚するなんて嫌だ。悪妻になろう。そして離縁されて、修道士として生きていこう。そう決意したレムートは、悪妻になるべくワガママを口にするのだが、ヴァイゼンにかえって可愛らがれる事態に。「どうすれば悪妻になれるんだ!?」レムートの試練が始まる。【注記】海のように心が広い攻(25)×気難しい美人受(18)。ラブシーンありの回には*をつけます。オメガバースの一般的な解釈から外れたところがあったらごめんなさい。更新は気まぐれです。アルファポリスとムーンライトノベルズ、pixivに投稿。

嫌われ変異番の俺が幸せになるまで
深凪雪花
BL
候爵令息フィルリート・ザエノスは、王太子から婚約破棄されたことをきっかけに前世(お花屋で働いていた椿山香介)としての記憶を思い出す。そしてそれが原因なのか、義兄ユージスの『運命の番』に変異してしまった。
即結婚することになるが、記憶を取り戻す前のフィルリートはユージスのことを散々見下していたため、ユージスからの好感度はマイナススタート。冷たくされるが、子どもが欲しいだけのフィルリートは気にせず自由気ままに過ごす。
しかし人格の代わったフィルリートをユージスは次第に溺愛するようになり……?
※★は性描写ありです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる