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第二十四話 オディロンから見た可愛い教え子(後編)

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 油断していた。
 病弱だという事実を、甘く見ていたつもりはなかったが、本当には理解できていなかった。
 よく笑ってはしゃいでいるから、まさか熱が出ているなんて思いもしなかった。

 子供を持った経験のないオディロンは、熱を出させてしまった事実に酷く狼狽した。

 数日後、見舞いが可能になるなりオディロンはリュカの見舞いに行った。キータの実を持って。
 若かりし頃、病弱だった許嫁に持っていく見舞いの品は必ずキータの実だったのだ。

「えへへ、オディロンせんせー、ありがとう! ぼくね、キータの実だいすきなの!」

 彼は大喜びしてくれた。
 そればかりか、一緒に食べようとまで言ってくれた。
 オディロンは思わず、かつての許嫁のことを思い出してしまった。

 彼の命を救ったのは間違いではない。
 オディロンは、自分のしたことに自信を持つことができた。
 してもいない罪で断罪されるなど、絶対にあってはならないのだ。

「ふっふん。いまならとくべつに、ぼくのあたまをなでてもいいよ! ふけー不敬なんて怒ったりしないよ!」

 驚いたことに、彼は頭を撫でることをまるで褒美か何かのように胸を張った。
 頭を撫でてもらいたいが、王子の立場では素直に言えないのだろうか。
 彼の言動を愛らしく感じながら、おずおずと手を伸ばした。

 指先に、ふわりと巻き毛の感触が触れる。
 瞬間、許嫁だった彼女の髪もそっくりな感触だったことを思い出した。彼女の髪の感触も忘れていたことを、オディロンは自覚していた。
 大事だったはずの記憶は次々に忘れていって、忘れてしまったことすら忘れてしまう。
 そんな重要なことを、彼は思い出させてくれた。

「なんだかおとうしゃまになでられてるみたい……」

 彼が発した言葉に、オディロンははっとした。
 国王陛下があまり家族に興味がないのは、有名な話だ。
 病弱なだけで辛いだろうに、父親が見舞いに来てくれさえしないのだ、この子は。
 なんて孤独だったことだろうか。

 オディロンは彼の頭を大事に撫でた。
 許嫁との間に子ができていれば、頭を撫でる感触はこんな感じだったのだろうかと思いながら。
 少しでも彼の孤独が癒されてくれればよいのだが。

 その後彼はキータの実を使用したスイーツを作ってくれると、約束してくれた。
 張り切ってレシピを書こうとするので、慌てて止めた。
 まったくわんぱくな子だ。

 
 数日後、リュカから連絡が来た。
 午後からスイーツ作りをするから、見に来てほしいとのことだった。
 オディロンは当然、仕事を放り出して向かうことにした。大丈夫、放り出した分は後で残業でもなんでもして埋め合わせすればよいのだ。

 すぐに彼の元へと馳せ参じると、意外なことにシルヴェストルが一緒にいた。
 いや、意外ではないかもしれない。リュカの未来が変わったのは、シルヴェストルとの仲が良好になったおかげだろうと予想はついていたのだから。

 厨房に着くなり、リュカは料理人たちを相手に指揮を取り出した。オディロンは驚きに目を丸くし、その様を眺めた。
 また熱を出して倒れるのではないかとハラハラしていたが、無事にパウンドケーキとやらの生地をオーブンで焼く段階に入った。

 パウンドケーキが焼き上がるまで、厨房で待っている体力はリュカにはない。そうでなくとも、王族を四半刻以上も厨房で待たせるなんて論外だ。

 一行は部屋へと戻り、パウンドケーキが焼き上がるのを待った。
 
 パウンドケーキを待つ間、シルヴェストルとリュカの二人は仲良く戯れていた。
 シルヴェストルがリュカの頭を撫でてやり、リュカは気持ちよさそうに目を細めている。
 この分ならば、二人は決して争うことはなさそうだ。自分が見た未来を辿ることは、決してないだろう。
 オディロンは深く胸を撫で下ろしたのだった。

 それからパウンドケーキが届けられた。
 各人に切り分けられ、オディロンにもパウンドケーキが一皿与えられた。
 王族の二人が食したのを見てから、オディロンもまたパウンドケーキをおずおずと口にした。

 口の中に広がる優しい甘みに、思い出が蘇った。

 当時オディロンはまだ十代の少年で、親によって許嫁が定められてから間がなかった。
 宮廷占術士になるために勉強ばかりしている、冴えない少年だった。
 その日、オディロン少年は慌てていた。午後から許嫁とのお茶会があることを忘れ、すっかり勉強に打ち込んでいたからだ。大急ぎで使用人に正装に着替えさせてもらった。
 馬車に飛び乗る間際、許嫁に贈る花は持ったのかと母に尋ねられた。もちろん、花など用意していない。
 オディロン少年は仕方なく、庭のキータの木に生っていた果実を持っていった。

 お茶会の場に着いてから、巻き毛の許嫁にオディロン少年は恥ずかしさを堪えながらキータの実を差し出した。
 差し出されたものに、彼女は頬を赤く染めながら満開の笑みを見せた。

『わあ、ありがとう! わたし、キータの実だいすきなの!』

 ただ庭に生っていた木の実を渡しただけなのに、大喜びしたふりをして顔を立ててくれるなんて、なんて素晴らしい女性なんだ。その時のオディロンは思った。
 彼女がキータの実で大喜びするくらい本当に大好物なのだと知ったのは、その後のことだった。

 思わず蘇ってきた大事な記憶に、オディロンは眦に涙が滲んだ。

 彼女と同じく、リュカもまたスイーツが大好きなのだろう。
 彼がスイーツを食べるために協力できることがあるならば、いくらでも協力してあげたいと思った。
 天真爛漫にスイーツを求める彼と一緒にいれば、許嫁との日々を忘れずにいられる気がしたから。

 オディロンには、悩んでいることがあった。
 それは新たに見たリュカの未来を、他の宮廷占術士らに報告すべきかと。

 前の未来に比べれば、今回の未来は比較的害がなさそうに見える。だがシルヴェストルとリュカの二人で王をしている様子だったのが、気にかかる。
 彼ら二人の仲がよいと都合が悪い、という者もいるだろう。政治的駆け引きの動向によっては、二人のどちらかに危害が及ぶ可能性がある。

 今回の占いの結果も握り潰すべきかと悩んでいた中、第二回目のリュカの授業日を迎えた。
 
 今度はきちんと準備をして、木馬を買ってきてあげた。紐がついていて、引いて遊ぶ類の木馬だ。
 彼は喜んでくれた。木馬を気に入ってくれたようだ。今度は、彼が乗って遊べる大きさの木馬を買ってきてあげてもよいかもしれない。
 彼にあげるものを考えるだけで、幸せな気持ちで満たされる。こんな風になるのは、許嫁が生きていたとき以来だ。

 彼はがんばって授業を受けてくれた。
 その間、オディロンはずっと彼の顔色を注視していた。もう二度と倒れさせてはならないからだ。
 完璧に体調管理をこなしてみせる。オディロンは決意していた。
 努力の甲斐あってか、無事に授業を終えることができた。
 
 話の流れで、オディロンは許嫁の話を彼にすることになった。
 子供には退屈な話かもしれないが、静かに聞いてくれた。そればかりか、「いいこいいこ。さびしかったんだね」と頭を撫でてくれた。なんてお優しい方だろう。
 いかなる火の粉も、この尊いお方に降り注がせてはならない。彼の幸福で平穏な日常を守らなければ。

 それからなんと、リュカの方から占いの内容について口を閉ざしてほしいとお願いされたのだった。
 まさか、自分の悩みに気づいていたのだろうか。いや、そんなはずはない。
 驚きながらも、頼まれたならばオディロンのすることは決まっていた。

 彼のためならば、いくらでも悪い占術士になってやろうではないか。
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