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第二十五話

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 山歩きをするならば、乾期がいい。
 
 特に雨期が終わった直後ならば、なおいい。雨期の直後は天気が安定して空気が澄み渡っていて、遠くの空に聖地の頂が綺麗に見えるからだ。
 
 山頂を眺めるのは、やはり気持ちがいい。でも、以前とまったく同じ心地ではない。
 晴れやかな気持ちになるだけでなく、愛おしさが湧いてくる。遠くに見える白い頂きが彼の一部だと知ったからだろう。
 空を見上げて立ち止まっていたウエルは、後ろを振り返った。
 
「ハオハト、早く来ないと置いていくぞ!」
「待ってよウエル、手を繋いでいこうよ」
「馬鹿か、山の中に手を繋いで歩けるような安全な道があるわけないだろ!」
 
 振り向くと、後ろに纏めて縛った黒髪が翻った。彼に切ってもらった前髪が涼しい。
 
 一方で後ろからついてくるハオハトは、白い髪を高い位置で括っていた。髪を縛っている彼は新鮮だった。山歩き用の袖や裾の短い簡素な衣服に身を包んでいるのも。衣服から伸びる手足は白くひょろりと長い。
 彼は長い手足を持て余しているようで、苦労しながら山道を歩いていた。
 
 ふたりが歩いているのは雪のない、ウエルが以前山跳びをしていたときに歩いていたような高度だった。
 
 ハオハトは最初、自分がウエルの身体を抱えて宙を飛ぶと提案した。それに反対したのはウエルだ。
 自分がハオハトと一緒にしたいのは、あくまでも山歩きなのだと言ってきかなかった。自分の好きなことはハオハトにも好きになってもらいたいと上目遣いにねだったら、ハオハトは頷いてくれた。
 
 それにしても彼がこんなに歩くのが下手だとは思わなかった。
 山道が険しいからという理由だけでない。普通の坂道ですら、のろのろとした足取りなのだ。今までまっすぐな場所しか歩いたことがないのだろう。
 こうしてふたりで山歩きができるのは、ウエルはもう逃げたりしないと彼が信頼してくれたからだ。それがウエルには嬉しかった。
 だからハオハトがどんなにのろくとも、唇を尖らせてみせるだけで終始上機嫌だった。
 
「ハオハト、この先に『幻の野原』があるんだよな?」
 
 ウエルが山で迷ったとき、たった一度だけ目にした白い花で満たされた野原。その野原を幻の野原と呼び、探しに来ていた。
 せっかく山歩きをするならば、目的地を決めたい。自然と脳裏に浮かんだのが、真っ白な花で満たされた野原の光景だった。
 ハオハトはその場所を知っていると言った。だって、彼の身体の上なのだから。
 
「はあ、はあ……ウエル……やっと、追いついた」
 
 やっと追いついてきたハオハトは、息を切らして肩を上下させていた。
 疲労感も山歩きの醍醐味だと訴えたら、彼は一時的に呼吸をして疲労を感じる身体に変わってくれたのだ。疲労を感じる身体なんて、神にとってみたら不便でしかないだろうに。必死に肩で息をする姿に、愛を感じた。
 
「そうだよウエル、この先にあるよ。だから置いていかないでおくれ」
「そうだな、今日はハオハトが案内役なんだもんな。しっかりしてくれよ、オレの山跳び」
 
 必要なものがあれば彼が不思議な力で出してくれるのだから、荷物はない。
 背負う荷物がなくていいなんて、ウエルにとっては背中に羽が生えているように感じられた。
 
「ウエルはすごいね。毎日こんなキツイ道のりを歩いてきたんだね」
「いつも歩いている道は流石にもう少し整っているよ。オレたちはこれから秘境に行くんだからな!」
「それでもすごいよ。こうして山歩きして、ウエルの強さの元をまた一つ知れたよ」
 
 彼の言葉に、顔がにやけてしまう。
 彼はウエルのことを知りたい一心なのだ。嬉しいに決まっている。
 道なき道を歩き、時には岩壁をよじ登り。ついにふたりは辿り着いた。
 
「ここだ……」
 
 雪原のようにびっしりと咲いた白い花が、風に揺れていた。
 
 いつか見た光景と同じだった。
 雪に憧憬を抱くようになった、きっかけの景色だ。
 自然と零れ出た涙が、頬を伝った。
 
「ハオハト……オレの見た幻じゃなかったんだな。本当にあったんだな」
「そうだよ、ウエル」
 
 隣に並んだハオハトが、そっとウエルの手を握った。
 もう片方の手で、ウエルは涙を拭った。
 
「お腹がすいただろう、ハオハト。昼餉にしよう!」

 ウエルは、にっこりと笑みを浮かべた。
 野原の一角に布を敷き、ふたりはその上に座った。ハオハトは宙から食べ物を取り出した。パリパリの小麦粉の薄皮に具を挟んだ食べ物だ。もちろん、ふたり分ある。
 
「うん……うまい!」
 
 一緒にご飯に齧りつき、ウエルは明るい声を上げた。
 薄皮の中には、羊肉を削ったものが野菜と一緒に包まれていた。たっぷりの具に舌鼓を打った。
 
「なんだかいつもより美味しい気がする。ウエルが言っていたように、これが疲労感の効能だろうか」
 
 そういえば、仕事をがんばってくたびれたあとには特別食事が美味しく感じられるとも教えたっけか。
 
「それもあるし、青空の下で飯を食うのはやっぱり気分がいいからな」
 
 空は晴れ渡って、風も涼しい。
 一面に白い花の揺れる野原を目の前に食事をしていると、春とはこんな季節なのだろうなと思えてくる。
 すべての生命が歓びを詠う理想の季節――――
 
 食事を終えると、ウエルは白い花を一輪摘んだ。茎を二つに割くと、植物らしい青い匂いが香った。二つに割いた茎をウエルは捩っていく。
 
「ウエル、何をしているんだい?」
 
 ハオハトがウエルの手元を覗き込む。
 
「子供の頃は、よくこういう遊びをしたんだ」
 
 ウエルが捩った茎は、円を描いていた。
 
「ほら、花でできた指輪だ」
 
 作った指輪を、自分の指にはめてみせた。白い花が指を飾ると、真珠のように見えた。
 
「わあ。ウエルは器用だね」
 
 指輪一つで彼は顔を綻ばせ、感心してくれた。照れくさくて、むずがゆくなってしまう。
 ふと思いついたことがあって、ウエルは自分の指から花の指輪を外し、彼の左手をとった。
 
「互いの左手の薬指に同じ指輪をはめて、結婚の証とする氏族もいるんだってさ」
 
 耳まで赤くなりながら、左手の薬指に花でできた指輪をはめさせた。
 
「えっ、それって……! 待ってくれ、指輪の作り方を教えてくれないかウエル!」
 
 急に慌てた様子を見せる彼に、ウエルは花で指輪を作る方法を教えた。できた指輪をどうするつもりか知っていながら。
 
「ようやくできた……。ウエル、左手を出してくれ」
「ああ」
 
 照れながら左手を差し出すと、彼が四苦八苦しながら作ったやや不格好な指輪が恭しい手つきで薬指にはめられた。
 
「ウエルを生涯の伴侶とすることを、私は私に誓おう」
 
 この国では結婚の誓いを山神に向かってする。ハオハトが誓うならば、自分自身に誓うのは道理だ。
 ウエルも真似て言葉を続ける。
 
「ハオハトを生涯の伴侶とすることを、ハオハトに誓うよ」
 
 ふたりは顔を見合わせ……なんだかおかしくって、同時にふふっと笑った。
 契りを交わしたふたりを、優しい風が包み込んだ。
 
 いつか自分がいなくなっても、白い花を見るたびに今日のことを思い出してほしい。


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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
この後は番外編として中編程度の分量の新婚旅行編を載せていく予定です。
本編に詰め込み切れなかったイチャイチャをいっぱい詰めたいと思っています。
よければそちらの方も楽しんでいただければと思っております。
一週間ほどお休みをいただいたら、番外編を更新していきたいです。
改めて、最後まで読んでいただいたことに感謝を申し上げます。

野良猫のらん
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感想 3

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