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第二十三話

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 ハオハトに抱えられて、ウエルは屋敷へと戻った。
 ハオハトが手ずから乾いた服に着替えさせてくれて、温かいあつものを持ってきてくれた。
 
 いったいヤルトはどうしたのだろう。湖から引き上げてくれなかったし、まさか彼の身に何かあったのだろうか。
 
 羹を食べ終えて体温が戻ってきたと自己判断したウエルは、自室から出てみた。食堂の方から気配がすると感じたので、食堂へ入ってみた。
 なんとそこでは、ヤルト見えない何かで壁に磔にされ、ハオハトが彼を睨みつけていた。
 
「な、何をしているんだ……!?」
 
 驚きのあまり、声を上げてしまった。
 
「ああ、ウエル。大丈夫だよ。裏切者をどう罰しようか、考えていただけだからね」
 
 ハオハトはウエルを振り返り、にこりと笑いかけてくれた。
 
「う、裏切者って……」
 
 湖から引き上げてくれなかったのは、そういうことだったのか。あのままハオハトに助けてもらっていなければ、ウエルは死んでいただろう。つまりヤルトに殺されかけたということだ。
 ヤルトが自分を殺そうとしただなんて、信じられない思いでヤルトを見つめた。
 
「お聞きくださいウエルさま。これには深いワケがあるのです」
 
 項垂れていたヤルトが顔を上げ、ウエルを見やる。
 
「うるさい、お前には……」
「ハオハト。話を聞いてやろうよ」
 
 ウエルは、ハオハトにお願いした。ヤルトが何の理由もなく裏切っただなんて、信じられなかった。
 ウエルのお願いに、ハオハトは腕組みした。不服そうだが、話を聞いてくれるようだ。
 ヤルトは語り出した。
 
「ウエルさま。ワタクシは以前、ご主人さまが貴方をおざなりにするようなことがあれば、ここから脱出させてさしあげますと申しましたね。ワタクシはそれを実行しただけでございます」
「どういう、こと……?」
「決してウエルさまを殺すつもりなどございませんでした、直前でお助けするつもりでした。ご主人さまに、ウエルさまは既に死んだと偽装するつもりだったのでございます。それからウエルさまをお助けして、ここでの記憶を失ってもらって遠くの地でひっそりと暮らしてもらう予定でした。ウエルさまが亡くなったと勘違いすれば、ご主人さまもこれ以上時間を止める理由もなくなるでしょうから」
 
 必死に訴える様子に、ウエルは信じてあげたくなってしまった。
 
「人間を助けるためにやったっていうこと?」
 
 ヤルトは頷いた。
 
「それもございます。ですが、それ以上にウエルさま個人をお助けしたかったのです。ワタクシはご主人さまに、あったかもしれない未来を語りました。それはご主人さまがウエルさまを失うことを恐れるあまり、ウエルさまに向き合わなくなる未来でございます。今のままでは、高確率で訪れていたであろう未来でございました。ウエルさまがここで死んだような日々だけ送って生涯を閉じるなど、ワタクシには耐えられませんでした。そこで、ウエルさまが死んだことにすればここから連れ出すことができると思いつき、実行に移した次第でございます」
「ヤルト……」
 
 ヤルトは、ずっと自分のためを考えてくれていたのだ。
 手段は強引だったかもしれない。
 
 だが悪意はなかったのだ。もう彼を放してあげていいのではないだろうか、とウエルはハオハトを見上げた。
 彼はすさまじい怒りの表情を浮かべていた。
 
「ウエル、騙されるな」
 
 彼はヤルトを睨みつけたまま言った。
 
「死を偽装するだけならば、ウエルを騙して湖に飛び込ませる必要はない。ヤルトはウエルを殺すつもりだったんだ」
「あ……」
 
 ハオハトの指摘に、ウエルは青褪めた。
 たしかに、わざわざ湖になど連れていかず安全な場所に自分を隠しておけばよかったのだ。
 ハオハトはさらに指摘する。
 
「なにより、私を責めているときの奴の目にはありありと嗜虐欲の色が浮かんでいた」
 
 ヤルトはピクリとも動かなかった。
 静寂が場を支配する。
 
「――――フフ」
 
 静寂を破ったのは、ヤルトが零した笑いだった。
 
「フ、フフ、フフフフフフフ、アハハハハハハハハハハハ!」
 
 響き渡る哄笑に、ビリビリと空気が震えた。
 
「ええ、ええ! そうでございますとも! ウエルさまはご主人さまのせいで孤独のうちに老衰死しましたと責めた後、今度はとっくに死んだと勘違いしてぼけっとしていたせいでウエルさまは溺死しましたと死体を突きつけてやるつもりでございました! その瞬間の愉悦を想像したら……嗚呼、なんと甘美なことでございましょうか! 永い時を経てやっと出逢えた愛しい人を、自分のせいで殺すなんて!」
 
 恍惚とおぞましいことを語るヤルトが信じられなかった。
 彼にこんな本性が隠されていただなんて。
 
「それもこれもすべてご主人さま、貴方が人間らしくなってしまわれたせいです。つい、食指が動いてしまったではありませんか」
 
 何が面白いのか、まったくわからない。
 ウエルは怯えてハオハトにしがみついた。
 
「ヤルト。お前は一線を越えてしまった。お前から一切の神としての権能を剥奪し、下界へ追放する」
「フフ、まったく平気でございますよ。それくらいの覚悟はしておりました」
 
 ハオハトの告げた罰は、ヤルトにとってはまったく致命的なものではないようだ。余裕の表情から読み取れる。
 
 これでよいのだろうか。ウエルの胸中を不安が襲う。
 ヤルトの本性を知った今となっては、罰を下してもなんとかして彼が神の権能を取り戻して、自分たちの前に舞い戻ってくる可能性が恐ろしかった。
 かといって、これ以上重い罰を……たとえばヤルトの存在ごと抹消してしまうような罰を負ってほしいわけでもない。ハオハトにそんなことをさせるのが嫌だからだ。
 
「ハオハト……」
 
 ウエルは不安げにハオハトの衣服の裾を引っ張った。
 ハオハトはそれに答えた。
 
「大丈夫だよウエル。ヤルトに勝手なことをさせないよう、監視役をつけるからね」
「は……? 監視役?」
 
 ハオハトの言葉に敏感に反応したのは、ヤルトだった。
 いつもは糸のように細い瞳が恐怖に見開かれていた。
 ヤルトは監視役という言葉に恐怖を覚えているようだ、と思ったそのとき。
 
「よォ、主神サマ」
 
 目の前で炎が舞い踊った。
 炎の柱が、音もなく現れた。
 
「字義通り瞬く間に来てやったぜ」
 
 カトグだ。カトグが、自分たちとヤルトの間に立っていた。
 
「下界でのヤルトの生活を、カトグに見張らせる」
「そ、そんな……カトグがそんな面倒な命令を聞くとでも?」
 
 ヤルトが震えている。
 いつだったか、ハオハトがヤルトはカトグの炎が苦手だと言っていた。ヤルトは平気そうに振舞っていたが、あれは本当だったのだ。
 ヤルトの恐怖の対象は、カトグだ。
 
「聞くに決まっているだろう。オマエと違って、オレは忠誠に厚いからな」
 
 カトグは笑って、磔にされているヤルトの腕を掴んだ。
 
「ぐあぁぁぁぁ……ッ!」
 
 カトグの身体を覆う炎が、ヤルトの腕を焼いた。肉の焼ける臭いが鼻をつく。
 驚くことに、焼ける端からヤルトの腕が再生していく。神の権能の効果の一つなのだろう。
 
「カトグ、ヤルトを連れていけ。権能も君が奪っておいてくれ。私は残りの時間すべてを、ウエルのことだけ考えて過ごしたいんだ」
「了解。行くぞ、ヤルト」
 
 カトグはヤルトを磔にしていた見えない何かを腕力で引き千切ると、乱暴にヤルトの腕を引っ張って引き摺っていく。
 
「ヒギィ、グアアアアアッ、やめて、腕を掴まないで、自分で歩きますからァ……ッ!」
 
 ヤルトが哀れな悲鳴を上げて、去っていった。同情心は湧かなかった。
 
 すべて解決したのだ……。
 いや、まだすべてではない。一つだけ問題が残っている。
 
「ウエル、疲れていないかい。部屋に戻ろう」
「うん」
 
 ハオハトの言葉に頷き、手を引かれて自室へと戻った。
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