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第二十一話

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 飛び込んだ先は、海だった。
 
 湖は温かい塩水で満たされていた。
 塩水の温かさに安らぎを覚えながら、ウエルは底へ、底へ沈んでいく。
 
 頭の中に何かが流れ込んでくるかのように、映像が思い浮かんだ。
 それは寝ていた。愛しい人がこの世に生まれてくるその日を待って、寝ていた。待った。永遠に近い日を待った。早く会えないかな。さびしいよ。それは寝ながら涙の雫を落とした。
 
「ああ……」
 
 この湖はすべて、ハオハトの涙でできているのだ。だからしょっぱいのだ。だから海のようなのだ。だから、彼の記憶が流れ込んでくるんだ。
 
 また、涙の記憶が見える。
 さびしくてたまらない。永遠の微睡は永遠の孤独で、永遠の苦痛だった。戯れに平行世界を幾つも作っては、破壊してみた。無聊はちっとも慰められなかった。作ったまま存在を忘れた平行世界がいくつもある。
 孤独の色に染まった涙の記憶がいくつもあった。無限に思えるほど。
 
 その中で、喜びの色に染まっている涙を見つけた。ついに待ち人がこの世に生まれたのだ。微睡みから目覚め、ハオハトはまだ赤ん坊の待ち人を夢中で見つめた。愛おしい、愛している。早く大きくなってくれないかな。ずっと待っていたんだよ。
 暖かい気持ちに、ウエルの胸の中が熱くなる。なんだ、ハオハトだって嬉し泣きしているじゃないか。
 
 喜びの涙がいくつも通り過ぎる。
 待ち人はだんだんと大きくなり、働いて山神に祈祷をするようになり、遂に嫁入りの日がきた。花嫁衣裳をまとって純白の野を歩いている。それをハオハトは遥か高い場所から見下ろしている。
 可愛いからつい眺めてしまっていたなんて、ハオハトは言っていた。けれど本当は、自分の前に姿を現すのに緊張したんじゃないかな。長い間ずっと見つめていただけだったから、どう接すればいいのか分からなかったのかもしれない。何度も見た夢は、彼の予行練習だろうか。くすりと、ウエルは微笑んだ。
 
 喜びの涙が、唐突に悲しみの涙の大群に変わった。
 ハオハトの声が嘆いている。
 
《ウエルは人の子だ。人の子はすぐに死んでしまう。こんなにも永遠に近い時を待ったのに。一瞬でいなくなってしまう》
 
《耐えられない。ウエルと逢える時を待っているのすら辛かったのに。もう二度とウエルに会えないのに、孤独の苦痛に耐えられない》
 
《ウエルが死んだ後の夢を見た。正確には夢でなく、演算だ。演算された光景の中で、私はウエルが好んでいたものや使ったことがあるものになぞるように触れていた。ひたすらにウエルとの記憶を辿り続ける虚しい日々を送っていた》
 
《演算を終えた後、現実と演算との区別がつかなかった。ウエルがいない部屋で、私は何をしていたのだったか。どこかに行ったウエルを待っていたのだったか。それとも、ウエルはとっくのとうに死んでしまっていて、彼の部屋で私はただその記憶を辿っていただけだったのか。ウエルが戻ってくるまで、混乱したままだった》
 
《分からなくなっていく。ウエルは本当にそこにいるのだろうか。目に見えているものはすべて、ウエルを亡くした後の私が想い出を再現しているだけではないのか》
 
 ハオハトの嘆きの声を聞きながら、ウエルはカトグの言葉を思い出していた。
 
『奥手なのは駄目ですよ主神サマ、人の子はすぐ……』
 
 人の子はすぐ死んでしまうから、とカトグは言おうとしていたのだ。ハオハトはその事実が怖かったんだ。だから、言葉を途中で遮った。
 
 ハオハトはずっと怖がっていた。独りを。孤独を。ウエルが天寿を全うした後に訪れる世界を。
 カトグの言葉をきっかけに、寿命の違いに気づいてしまった。だから、おかしくなり始めた。
 神の時間間隔では、ウエルの一生などそれこそ一瞬にしか思えないのだろう。
 
「そっか、ハオハトはオレが死ぬのが怖かったんだ。時を止めたのはそのためだったんだ……」
 
 いま、すべてが理解できた。
 だが湖から上がる術がなかった。ヤルトが引き上げてくれる様子はない。
 
 肺から空気が奪われていく。
 深く、深く。ウエルはひたすらに沈んでいく……。
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