12 / 33
第十二話
しおりを挟む
食事の席に、山神の姿はあった。
蒼い瞳でまっすぐこちらを見つめていた。圧迫感はない。こちらの顔色を窺うような視線だったから。
「ウエル……」
彼が声をかけてきたが、ウエルは無視して箸を手に取った。どうでもよかったからではない、続きを聞くのが怖かったからだ。
「本当は君に恋していないのじゃないかと問われ、私は一日考えてみた」
山神は続きを話す。
耳は傾けているだろうと、信じているのだろうか。
「それで?」
極めて無関心を装って、揚げ物に手をつけた。
「答えは、出なかった」
聞こえてきた言葉に、胸がつきんと痛んだ。
愛していると答えを出せなかったということはつまり、やはりまがい物の心だったということだ。
箸から、揚げ物が転がり落ちた。
無償の愛など存在しないと最初から分かっていたはずなのに、なぜこんなにも動揺してしまうのだろう。
胸の嫌な鼓動がうるさかった。
「比べようにも、私は人の子がどのように愛するか知らない。だから、答えを出せなかった。ウエル、私は人の子がどのように愛し合うか知りたい――私に教えてはくれないか?」
「は?」
神の言葉としては、最高に間抜けな一言が聞こえた気がした。「愛を教えてくれ」と言わなかっただろうか。ウエルは耳を疑った。
思わず彼を見つめると、彼は真剣な眼差しだった。
「人の子がどのように愛し合うか、ウエルに教えてもらいたい。答えはそれから出したい」
ウエルが聞き逃したとでも思ったのだろうか、山神は言葉を重ねた。
「いや、お前は神なんだろう? どのように愛し合うかなんて、そんな……そんなの不思議な力でどうとでも分かるだろ?」
ウエルは困惑して答える。
「そんなことはない。私はウエルが生まれてくるまで、ずっと微睡んでいた。人の子のことはよく知らない。だから、教えてほしい」
ずっと微睡んでいたというのは、言葉通りずっと眠っていて何も経験してこなかったということか。それを聞いて、急に彼が幼く何も知らない存在に見えてきた。
振るう力以外は、何一つ神の名に相応しくない無知な赤ん坊。透徹とした美しさも、無垢ゆえに思えた。
「な、なんでオレなんだよ。ヤルトにでも聞けよ」
慌ててヤルトに矛先を向けた。
「ヤルトは……駄目だろう。たしかにヤルトは人の子によく関わっているが、あくまでも神だ。あれの口から語られる人の子の愛は、確実にウエルの価値観とは異なったものだろう」
そんなものなのだろうか。
だってヤルトは山神よりもよほど人間らしい。親切に世話をしてくれるし、いつもにこにこと胡散臭い笑みを浮かべているし、何より歩くときに足音が立つ。
山神ときたらデカい図体をしているのに不自然に足音がしない上に、瞬きもしないのだ。
山神よりもよほど人間に近いヤルトの人間観が、さほど狂っているとも思えなかった。
ウエルは説明に納得していなかったが、なんとなく頷いておいた。
「私はウエルから聞きたいんだ」
「そう言われても……」
人間がどう愛し合うかなんて、自分にも分からない。愛どころかちょっとした親切心すら無縁の日々を送ってきたのに。
「なんでもいいから、教えてくれないか」
「……分かった」
食事をちょっとずつ食べ進めながら、彼に話をすることになってしまった。
「人間がどう愛し合うかっていうと……まず、愛の告白をして恋人になるんだよ」
「恋人?」
彼が首を傾げる。白い髪がさらりと流れて綺麗だった。
「愛し合っている者同士のことだ。告白で好き合っていることが分かったら、恋人になる」
「好き合っている……人は人をどうやって好きになるんだ?」
「ええ?」
そんなの、分かるわけがないだろう。
ウエルは顔を顰めながら、海老の煮物を口に運んだ。
「そりゃ、見目がよくて惚れるとか。気立てがいいからとか……。街の人間たちの中には、親が決めた相手と結婚する奴らもいるらしいけど」
「結婚は私も知っているぞ。永久に一緒にいようと誓うのだろう」
知っている言葉が出てきたからか、山神は誇らしげに口にした。
そういえば、結婚式では新郎新婦は山神に向かって誓いの言葉を述べる。人々がした誓いや祈りは実際に山神に届いているのだろうか。
それならば、彼が結婚の概念を知っているのも納得がいく。
「好き合った奴らも、親に決められた奴らも、最終的に結婚して家族になる」
「家族? それは恋人とは違うのか?」
「違うものだ。恋人は好き合っているだけだけれど、家族は一つの家に住んで一緒に生活する。生活の糧を稼いだりなんだり、生き延びるための努力を一緒にするんだ。それで、子を作って家族を増やすんだ」
「やはり、生命あるものにとって子をなすのは最大の愛情表現なのだな」
山神は満足げに頷いた。
いま思えば初夜に無理やり抱かれたのも、狂気ではなく幼さによるものだったと分かる。
「違うよ。生活のためだ」
「え?」
否定すると、彼は目を丸くさせた。
間抜けな表情に、口元がつい緩む。
「子も働かせて、生活を楽にするためだ。それくらい生き延びるのは難しいんだ」
互いが互いの生命に責任を持つ仲。それが家族ではないだろうか。
山跳びだって、普段の仕事の他に集落の皆のための食料品や日用品を街で買いつけて、集落まで運ぶ必要がある。そういう意味では山跳び仲間全員が家族だったと言えるかもしれない。
「では、生き延びるのが大変ではない人間は結婚しないのか?」
山神の問いに、ウエルは考える。
ウエルの説明では、生きるのに充分裕福な人間は結婚や子作りをしないことになる。だが実際はそうではない。
「それは……家と家の繋がりを作るためとか、いろいろ理由があるんだろ。金の問題だけじゃなく、いろんな理由でひとりだけじゃ生き延びるのが難しいのが人間なんだよ」
肩を竦め、羹をすすった。
「生き延びるため……そうか、それが人の子の愛か」
山神の顔が曇ったように見えた。
このままでは自分の愛は愛ではなかったと判断づけてしまいそうだ。
「待て待て、それだけじゃない!」
慌てて口にした。
自分で自分の説明に納得がいっていない部分もあった。本当に愛とはそれだけなのだろうか。無償の愛は存在しないのだろうか。
「また明日も説明してやるから、まだ答えを出すな!」
ウエルがそう言うと、山神の顔色はぱっと明るくなった。
また明日も、彼と語らうことになってしまった。
蒼い瞳でまっすぐこちらを見つめていた。圧迫感はない。こちらの顔色を窺うような視線だったから。
「ウエル……」
彼が声をかけてきたが、ウエルは無視して箸を手に取った。どうでもよかったからではない、続きを聞くのが怖かったからだ。
「本当は君に恋していないのじゃないかと問われ、私は一日考えてみた」
山神は続きを話す。
耳は傾けているだろうと、信じているのだろうか。
「それで?」
極めて無関心を装って、揚げ物に手をつけた。
「答えは、出なかった」
聞こえてきた言葉に、胸がつきんと痛んだ。
愛していると答えを出せなかったということはつまり、やはりまがい物の心だったということだ。
箸から、揚げ物が転がり落ちた。
無償の愛など存在しないと最初から分かっていたはずなのに、なぜこんなにも動揺してしまうのだろう。
胸の嫌な鼓動がうるさかった。
「比べようにも、私は人の子がどのように愛するか知らない。だから、答えを出せなかった。ウエル、私は人の子がどのように愛し合うか知りたい――私に教えてはくれないか?」
「は?」
神の言葉としては、最高に間抜けな一言が聞こえた気がした。「愛を教えてくれ」と言わなかっただろうか。ウエルは耳を疑った。
思わず彼を見つめると、彼は真剣な眼差しだった。
「人の子がどのように愛し合うか、ウエルに教えてもらいたい。答えはそれから出したい」
ウエルが聞き逃したとでも思ったのだろうか、山神は言葉を重ねた。
「いや、お前は神なんだろう? どのように愛し合うかなんて、そんな……そんなの不思議な力でどうとでも分かるだろ?」
ウエルは困惑して答える。
「そんなことはない。私はウエルが生まれてくるまで、ずっと微睡んでいた。人の子のことはよく知らない。だから、教えてほしい」
ずっと微睡んでいたというのは、言葉通りずっと眠っていて何も経験してこなかったということか。それを聞いて、急に彼が幼く何も知らない存在に見えてきた。
振るう力以外は、何一つ神の名に相応しくない無知な赤ん坊。透徹とした美しさも、無垢ゆえに思えた。
「な、なんでオレなんだよ。ヤルトにでも聞けよ」
慌ててヤルトに矛先を向けた。
「ヤルトは……駄目だろう。たしかにヤルトは人の子によく関わっているが、あくまでも神だ。あれの口から語られる人の子の愛は、確実にウエルの価値観とは異なったものだろう」
そんなものなのだろうか。
だってヤルトは山神よりもよほど人間らしい。親切に世話をしてくれるし、いつもにこにこと胡散臭い笑みを浮かべているし、何より歩くときに足音が立つ。
山神ときたらデカい図体をしているのに不自然に足音がしない上に、瞬きもしないのだ。
山神よりもよほど人間に近いヤルトの人間観が、さほど狂っているとも思えなかった。
ウエルは説明に納得していなかったが、なんとなく頷いておいた。
「私はウエルから聞きたいんだ」
「そう言われても……」
人間がどう愛し合うかなんて、自分にも分からない。愛どころかちょっとした親切心すら無縁の日々を送ってきたのに。
「なんでもいいから、教えてくれないか」
「……分かった」
食事をちょっとずつ食べ進めながら、彼に話をすることになってしまった。
「人間がどう愛し合うかっていうと……まず、愛の告白をして恋人になるんだよ」
「恋人?」
彼が首を傾げる。白い髪がさらりと流れて綺麗だった。
「愛し合っている者同士のことだ。告白で好き合っていることが分かったら、恋人になる」
「好き合っている……人は人をどうやって好きになるんだ?」
「ええ?」
そんなの、分かるわけがないだろう。
ウエルは顔を顰めながら、海老の煮物を口に運んだ。
「そりゃ、見目がよくて惚れるとか。気立てがいいからとか……。街の人間たちの中には、親が決めた相手と結婚する奴らもいるらしいけど」
「結婚は私も知っているぞ。永久に一緒にいようと誓うのだろう」
知っている言葉が出てきたからか、山神は誇らしげに口にした。
そういえば、結婚式では新郎新婦は山神に向かって誓いの言葉を述べる。人々がした誓いや祈りは実際に山神に届いているのだろうか。
それならば、彼が結婚の概念を知っているのも納得がいく。
「好き合った奴らも、親に決められた奴らも、最終的に結婚して家族になる」
「家族? それは恋人とは違うのか?」
「違うものだ。恋人は好き合っているだけだけれど、家族は一つの家に住んで一緒に生活する。生活の糧を稼いだりなんだり、生き延びるための努力を一緒にするんだ。それで、子を作って家族を増やすんだ」
「やはり、生命あるものにとって子をなすのは最大の愛情表現なのだな」
山神は満足げに頷いた。
いま思えば初夜に無理やり抱かれたのも、狂気ではなく幼さによるものだったと分かる。
「違うよ。生活のためだ」
「え?」
否定すると、彼は目を丸くさせた。
間抜けな表情に、口元がつい緩む。
「子も働かせて、生活を楽にするためだ。それくらい生き延びるのは難しいんだ」
互いが互いの生命に責任を持つ仲。それが家族ではないだろうか。
山跳びだって、普段の仕事の他に集落の皆のための食料品や日用品を街で買いつけて、集落まで運ぶ必要がある。そういう意味では山跳び仲間全員が家族だったと言えるかもしれない。
「では、生き延びるのが大変ではない人間は結婚しないのか?」
山神の問いに、ウエルは考える。
ウエルの説明では、生きるのに充分裕福な人間は結婚や子作りをしないことになる。だが実際はそうではない。
「それは……家と家の繋がりを作るためとか、いろいろ理由があるんだろ。金の問題だけじゃなく、いろんな理由でひとりだけじゃ生き延びるのが難しいのが人間なんだよ」
肩を竦め、羹をすすった。
「生き延びるため……そうか、それが人の子の愛か」
山神の顔が曇ったように見えた。
このままでは自分の愛は愛ではなかったと判断づけてしまいそうだ。
「待て待て、それだけじゃない!」
慌てて口にした。
自分で自分の説明に納得がいっていない部分もあった。本当に愛とはそれだけなのだろうか。無償の愛は存在しないのだろうか。
「また明日も説明してやるから、まだ答えを出すな!」
ウエルがそう言うと、山神の顔色はぱっと明るくなった。
また明日も、彼と語らうことになってしまった。
38
お気に入りに追加
1,434
あなたにおすすめの小説
男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~
さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。
そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。
姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。
だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。
その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。
女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。
もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。
周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか?
侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?
パーティー全員転生者!? 元オタクは黒い剣士の薬草になる
むらくも
BL
楽しみにしてたゲームを入手した!
のに、事故に遭った俺はそのゲームの世界へ転生したみたいだった。
仕方がないから異世界でサバイバル……って職業僧侶!? 攻撃手段は杖で殴るだけ!?
職業ガチャ大外れの俺が出会ったのは、無茶苦茶な戦い方の剣士だった。
回復してやったら「私の薬草になれ」って……人をアイテム扱いしてんじゃねぇーーッッ!
元オタクの組んだパーティは元悪役令息、元悪役令嬢、元腐女子……おい待て変なの入ってない!?
何故か転生者が集まった、奇妙なパーティの珍道中ファンタジーBL。
※戦闘描写に少々流血表現が入ります。
※BL要素はほんのりです。
【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜
N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。
表紙絵
⇨元素 様 X(@10loveeeyy)
※独自設定、ご都合主義です。
※ハーレム要素を予定しています。
某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。
この道を歩む~転生先で真剣に生きていたら、第二王子に真剣に愛された~
乃ぞみ
BL
※ムーンライトの方で500ブクマしたお礼で書いた物をこちらでも追加いたします。(全6話)BL要素少なめですが、よければよろしくお願いします。
【腹黒い他国の第二王子×負けず嫌いの転生者】
エドマンドは13歳の誕生日に日本人だったことを静かに思い出した。
転生先は【エドマンド・フィッツパトリック】で、二年後に死亡フラグが立っていた。
エドマンドに不満を持った隣国の第二王子である【ブライトル・ モルダー・ヴァルマ】と険悪な関係になるものの、いつの間にか友人や悪友のような関係に落ち着く二人。
死亡フラグを折ることで国が負けるのが怖いエドマンドと、必死に生かそうとするブライトル。
「僕は、生きなきゃ、いけないのか……?」
「当たり前だ。俺を残して逝く気だったのか? 恨むぞ」
全体的に結構シリアスですが、明確な死亡表現や主要キャラの退場は予定しておりません。
闘ったり、負傷したり、国同士の戦争描写があったります。
本編ド健全です。すみません。
※ 恋愛までが長いです。バトル小説にBLを添えて。
※ 攻めがまともに出てくるのは五話からです。
※ タイトル変更しております。旧【転生先がバトル漫画の死亡フラグが立っているライバルキャラだった件 ~本筋大幅改変なしでフラグを折りたいけど、何であんたがそこにいる~】
※ ムーンライトノベルズにも投稿しております。
ブレスレットが運んできたもの
mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。
そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。
血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。
これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。
俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。
そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる