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第十二話

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 食事の席に、山神の姿はあった。
 蒼い瞳でまっすぐこちらを見つめていた。圧迫感はない。こちらの顔色を窺うような視線だったから。
 
「ウエル……」
 
 彼が声をかけてきたが、ウエルは無視して箸を手に取った。どうでもよかったからではない、続きを聞くのが怖かったからだ。
 
「本当は君に恋していないのじゃないかと問われ、私は一日考えてみた」
 
 山神は続きを話す。
 耳は傾けているだろうと、信じているのだろうか。
 
「それで?」
 
 極めて無関心を装って、揚げ物に手をつけた。
 
「答えは、出なかった」
 
 聞こえてきた言葉に、胸がつきんと痛んだ。
 愛していると答えを出せなかったということはつまり、やはりまがい物の心だったということだ。
 
 箸から、揚げ物が転がり落ちた。
 無償の愛など存在しないと最初から分かっていたはずなのに、なぜこんなにも動揺してしまうのだろう。
 胸の嫌な鼓動がうるさかった。
 
「比べようにも、私は人の子がどのように愛するか知らない。だから、答えを出せなかった。ウエル、私は人の子がどのように愛し合うか知りたい――私に教えてはくれないか?」
「は?」
 
 神の言葉としては、最高に間抜けな一言が聞こえた気がした。「愛を教えてくれ」と言わなかっただろうか。ウエルは耳を疑った。
 思わず彼を見つめると、彼は真剣な眼差しだった。
 
「人の子がどのように愛し合うか、ウエルに教えてもらいたい。答えはそれから出したい」
 
 ウエルが聞き逃したとでも思ったのだろうか、山神は言葉を重ねた。
 
「いや、お前は神なんだろう? どのように愛し合うかなんて、そんな……そんなの不思議な力でどうとでも分かるだろ?」
 
 ウエルは困惑して答える。
 
「そんなことはない。私はウエルが生まれてくるまで、ずっと微睡んでいた。人の子のことはよく知らない。だから、教えてほしい」
 
 ずっと微睡んでいたというのは、言葉通りずっと眠っていて何も経験してこなかったということか。それを聞いて、急に彼が幼く何も知らない存在に見えてきた。
 振るう力以外は、何一つ神の名に相応しくない無知な赤ん坊。透徹とした美しさも、無垢ゆえに思えた。
 
「な、なんでオレなんだよ。ヤルトにでも聞けよ」
 
 慌ててヤルトに矛先を向けた。
 
「ヤルトは……駄目だろう。たしかにヤルトは人の子によく関わっているが、あくまでも神だ。あれの口から語られる人の子の愛は、確実にウエルの価値観とは異なったものだろう」
 
 そんなものなのだろうか。
 だってヤルトは山神よりもよほど人間らしい。親切に世話をしてくれるし、いつもにこにこと胡散臭い笑みを浮かべているし、何より歩くときに足音が立つ。
 
 山神ときたらデカい図体をしているのに不自然に足音がしない上に、瞬きもしないのだ。
 山神よりもよほど人間に近いヤルトの人間観が、さほど狂っているとも思えなかった。
 ウエルは説明に納得していなかったが、なんとなく頷いておいた。
 
「私はウエルから聞きたいんだ」
「そう言われても……」
 
 人間がどう愛し合うかなんて、自分にも分からない。愛どころかちょっとした親切心すら無縁の日々を送ってきたのに。
 
「なんでもいいから、教えてくれないか」
「……分かった」
 
 食事をちょっとずつ食べ進めながら、彼に話をすることになってしまった。
 
「人間がどう愛し合うかっていうと……まず、愛の告白をして恋人になるんだよ」
「恋人?」
 
 彼が首を傾げる。白い髪がさらりと流れて綺麗だった。
 
「愛し合っている者同士のことだ。告白で好き合っていることが分かったら、恋人になる」
「好き合っている……人は人をどうやって好きになるんだ?」
「ええ?」
 
 そんなの、分かるわけがないだろう。
 ウエルは顔を顰めながら、海老の煮物を口に運んだ。
 
「そりゃ、見目がよくて惚れるとか。気立てがいいからとか……。街の人間たちの中には、親が決めた相手と結婚する奴らもいるらしいけど」
「結婚は私も知っているぞ。永久に一緒にいようと誓うのだろう」
 
 知っている言葉が出てきたからか、山神は誇らしげに口にした。
 そういえば、結婚式では新郎新婦は山神に向かって誓いの言葉を述べる。人々がした誓いや祈りは実際に山神に届いているのだろうか。
 それならば、彼が結婚の概念を知っているのも納得がいく。
 
「好き合った奴らも、親に決められた奴らも、最終的に結婚して家族になる」
「家族? それは恋人とは違うのか?」
「違うものだ。恋人は好き合っているだけだけれど、家族は一つの家に住んで一緒に生活する。生活の糧を稼いだりなんだり、生き延びるための努力を一緒にするんだ。それで、子を作って家族を増やすんだ」
「やはり、生命あるものにとって子をなすのは最大の愛情表現なのだな」
 
 山神は満足げに頷いた。
 いま思えば初夜に無理やり抱かれたのも、狂気ではなく幼さによるものだったと分かる。
 
「違うよ。生活のためだ」
「え?」
 
 否定すると、彼は目を丸くさせた。
 間抜けな表情に、口元がつい緩む。
 
「子も働かせて、生活を楽にするためだ。それくらい生き延びるのは難しいんだ」
 
 互いが互いの生命に責任を持つ仲。それが家族ではないだろうか。
 山跳びだって、普段の仕事の他に集落の皆のための食料品や日用品を街で買いつけて、集落まで運ぶ必要がある。そういう意味では山跳び仲間全員が家族だったと言えるかもしれない。
 
「では、生き延びるのが大変ではない人間は結婚しないのか?」
 
 山神の問いに、ウエルは考える。
 ウエルの説明では、生きるのに充分裕福な人間は結婚や子作りをしないことになる。だが実際はそうではない。

「それは……家と家の繋がりを作るためとか、いろいろ理由があるんだろ。金の問題だけじゃなく、いろんな理由でひとりだけじゃ生き延びるのが難しいのが人間なんだよ」
 
 肩を竦め、あつものをすすった。
 
「生き延びるため……そうか、それが人の子の愛か」
 
 山神の顔が曇ったように見えた。
 このままでは自分の愛は愛ではなかったと判断づけてしまいそうだ。
 
「待て待て、それだけじゃない!」
 
 慌てて口にした。
 自分で自分の説明に納得がいっていない部分もあった。本当に愛とはそれだけなのだろうか。無償の愛は存在しないのだろうか。
 
「また明日も説明してやるから、まだ答えを出すな!」
 
 ウエルがそう言うと、山神の顔色はぱっと明るくなった。
 また明日も、彼と語らうことになってしまった。
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