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第三十話

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 知らない窓から、知らない景色を見上げている。
 王都よりも静かな田舎町だからか、星が明るく見えた。
 
 最初に彼に連れていってもらった丘から見た光景を思い出す。
 夜の闇の中に、王都が浮かんでいるようだった。

 もうグリュっちに乗せてもらって、あの丘から王都を見下ろすことはない。


 マコトは王都を離れた。
 家に置手紙を残し、男の手引きで馬車に乗せられてどこかの田舎町へと移動した。
 着いた先で用意されていた住居は、前の家が比べ物にならないほど立派なお屋敷だった。貴族の別荘だったが、手放されたものだと説明された。
 なんと別荘に住むのはマコトだけではなく、召使いの人がいて料理から洗濯から掃除から何から何までやってくれる。
 マコトがやらなければならないことは、何一つなかった。

 この屋敷に来てからというものの、マコトは日がな一日何もせずに部屋に閉じ籠っていた。
 新しい環境でなにかをする気が何も起きなかった。

(先輩は置手紙を読んだだろうか……)

 彼の幸福のためとはいえ、彼を傷つけてしまった。
 そんな自分が幸せになる権利があるわけがない。
 この屋敷で埋もれるように人生を終えるべきなのだ。

「ゲホッ、ゴホッ」

 不意に、咳が出た。
 最近咳が出ることが多い。空気のいい田舎に引っ越してきたはずなのに、どうしてだろう。と、マコトは自分の口を押さえた手を見下ろした。

「え……」

 マコトの手は赤く汚れていた。

 
「結核でございますね」

 翌日呼ばれてきた町医者が、マコトに言い渡した。

「結核……」
「不治の病でございます。先は長くないでしょう」

 町医者は沈んだ顔で言った。
 結核は前の世界では、不治の病などではなかった。抗生物質だとかで治る病気だったはずだ。
 だが、この世界には結核を治す技術がないのだ。

「これは僕に与えられた罰なのでしょうか……」

 医者は何も答えなかった。


 それからマコトは、日に日に弱っていった。
 ベッドから起き上がれなくなり、窓から外を眺めるだけになった。
 
(結局、誕生日プレゼント渡せなかったな……)

 フェリックスの誕生日はとっくに過ぎ去ってしまった。
 誕生日プレゼントは、王都の家に置き去りになったままだ。
 どことも知れぬ地でマコトが病で死んでいこうとしているなんて、彼は知るよしもないだろう。

「あ、そういえば……」

 首から下げたペンダントを、服の下に隠したままだったことに気づく。
 マコトはなんとなしに、ペンダントを引き出してみる。

「え……っ!」

 驚きに声が出た。
 ペンダントについている翠緑の宝石が、明るく光り輝いていたからだ。

「なんで……」

 いままで宝石が光り輝いていたことなどなかったのに。
 まるでマコトを励ましているように見えた。
 
『いいか、マコトはマコトだっていうだけで価値があるんだよ』

 彼の声が聞こえた気がした。
 
「先輩……!」

 眦から溢れ出たものが、頬を伝い落ちた。

「先輩、会いたいです……!」

 なぜ彼から離れる選択をしてしまったのだろう。
 こんなにも恋しいのに。こんなにも彼の言葉を求めているのに。彼の抱擁が暖かかったのに。

 どんなに悔いても、もう彼の元に帰ることは叶わない。


 ◆


 マコトが涙を流している頃、秘密裏に屋敷を訪れる者があった。
 マコトにフェリックスと別れるよう勧めたあの黒づくめの男である。
 屋敷で働く召使いは、揉み手をしながら男を出迎えた。

「首尾はどうだ」
「順調でございます――財務大臣さま」

 黒づくめの男の正体は、国の財務を取り仕切る大臣であった。

「あの異界人は弱っていっております。毒を盛られ続けているとも知らずに。町医者も結核と診断を下しました」
「重畳。あの毒は結核に似た症状を引き起こすもの。ただの町医者ごときに見破れるわけがない」

 財務大臣は、ニヤリと口端を歪ませた。

「だが、まだ死んでいないのか。いつもならば、死んでいる頃合いだが」
「まあ……弱っていっているのはたしかでございますから、個人差でございましょう」
「そうだな」

 召使いの主張に、財務大臣は納得した。
 実のところ、召使いもただの召使いではない。
 財務大臣の子飼いの私兵のひとりだ。

「王太子殿下には、随分と邪魔をされてきた。だがそれももうすぐで終い。そう思うと、王太子殿下の小生意気な口の利き方も可愛らしく思えてくる」
「ええ、ええ。王太子殿下には、貴方さまのなさりたいことを随分と邪魔されましたからね」

 マコトの住居であるはずの屋敷内で、財務大臣はソファに深々と腰かけ我が物顔でくつろぐ。それもそのはず、この屋敷は財務大臣の別荘なのだ。
 
「国王陛下もお亡くなりになられた。あとは時期を置いて王太子殿下も毒殺し、フェリックスさまを玉座に担げばよい。王になる教育を受けていない庶子など、傀儡にするのはたやすい」

 財務大臣は薔薇色の未来を思い描き、呟いた。
 すでにその頭の中では、王国の権力をほしいままにしている。

「そのためにはあの異界人が邪魔だった。フェリックスさまに未練が残らぬよう、念には念を入れて殺しておかねばな」
「それにしても、なぜ毒殺などと迂遠な方法を? 王族はともかく、異界人の殺害など手っ取り早い方法でもよろしかったのでは?」

 召使いが尋ねると、財務大臣は顔を顰めた。
 
「馬鹿者、これが一番手っ取り早い方法だ。安易な方法で殺害して、そのあと死体をどうする気なんだ? 山に埋めれば魔物が掘り返し、海に捨てれば浜で死体が上がる。燃やそうとすれば、人ひとり燃やせるほどの火力が出せる魔道具をどうする気なのかと魔術学院に目をつけられる。ゆえに、病死と見せかけて毒殺し正式に葬式を上げるのが一番確実な処理方法だ。ここまで来て、私の地位を脅かすような博打など打つべきではない」
 
「ははあなるほど、流石財務大臣さまは聡明であらせられる!」
「ふん」

 実のところ、どうして毒殺という手法を選ぶかなんて召使いは百も承知だ。
 だが馬鹿の振りをして称えれば、財務大臣は機嫌がいい。こういう手を使って、召使いは私兵の中でも特別可愛がられてきた。

「財務大臣さまの輝かしい未来に乾杯、ですね」

 こうしてマコトは誰も知らぬ僻地で、じわりじわりとその命を魔の手に絡め取られようとしてた。
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