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第二十九話

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 フェリックスの誕生日の前日。
 いつも通りの日常を過ごしているように振る舞ってはいたが、心に刺さった棘は抜けなかった。
 フェリックスは王族として城に迎えられるべきではないのか。


 その日、フェリックスは受付仕事を抜けられなくてマコトは一人で昼食をとることになった。
 これまでも何度かあったことだが、なぜだかほっとしてしまった。
 
 バーンドでも食べようとバーンドの屋台を探しに行く。
 だが、いつも屋台がある辺りには何もなかった。
 代わりに黒づくめの男がいた。黒いシルクハットに、黒いタキシード。そしてぶくぶくに太った身体。
 いかにも貴族然とした男は、マコトの姿を見ると帽子を脱いで礼をした。
 一体誰だろう、とマコトは訝しむ。

「マコト・ユキシタ殿でございますね? 少し、お時間をいただけますでしょうか」
「はあ……」

 黒い男は、わざわざマコトのことを待っていたのだ。
 怪しく思いながらも、話を聞く他ないと判断した。

 公園に備えつけられた東屋めいた建物に、黒づくめの男と向かい合って座った。

「時は金なりと申しますから、さっそく本題に入りましょう。ワタクシはマコト殿が王の庶子であらせられるフェリックスさまと交際なさっていることを存じております」

 切り出された話題に、石を飲み込んだような感じがした。

「先日ワタクシの部下が酒場で飲んでいる際に偶然、グラントリアス殿下とフェリックスさまとの会話を耳にしてしまい。それでワタクシのところまで情報が上がってきたのでございます」

 やはり二人の会話を耳にしてしまった客はいたようだ。
 聞かれてしまってもいいのだろうかと、ひやひやしていたのは間違いではなかった。

「何をおっしゃりたいんですか?」

 尋ねながらも、予感がしていた。
 貴族然とした男が、マコトがフェリックスと付き合っていると知っていて声をかけてきたのだ。内容など決まっている。

「マコト殿、フェリックスさまとの交際をやめてはいただけませぬか」

 やはりか。
 予想通りの言葉だが、心は重く沈んだ。

「国を運営する者たち、大臣などのほとんどはフェリックスさまのことをお待ち申し上げております。ところが、マコト殿のためにフェリックスさまは王族にはならないと言い出している。これはよろしくないことでございます。理解できますね?」
 
「……」

 マコトは俯いて、地面を見つめる。
 そんなマコトの様子をどう判断したのかはわからないが、男は言葉を続ける。

「フェリックスさまのような仁の心を持ったお方が政治に関わってくだされば、どれほど民が救われることでございましょう」

 きっとそうなのだろう。
 フェリックスは自分だけでなくすべての人の助けになれる人だ、と心の内で頷く。

「例えば、半魔と呼ばれる存在はご存じでしょうか。彼らの母親のほとんどは意に染まぬ妊娠を強いられて、彼らを出産しました。そのせいか半魔のほとんどは天涯孤独で、また周囲の偏見も強くまともな職に就けません。そんな彼らが生きていくには娼婦か冒険者になるしか選択肢はなく、そのことがまた彼らへの偏見を強めているのです。フェリックスさまのお力が加われば、こうした 負の輪廻を断ち切ることも可能となるかもしれません」

 マコトはカインのことを思い浮かべた。
 半魔という存在が、そんなに酷い立場に立たされているだなんて知らなかった。
 カインが尖らなければ生きていけなかった理由がわかった気がした。
 フェリックスならば、絶対にそんな不平等を許しはしないだろう。

「殿下もフェリックスさまをお迎えできる日を心待ちにしているのです」
「はい、それはよくわかります」
「ですから別れていただきたいのです。いえ、別れるだけではございません。いまの職を辞して王都を去り、彼の前から姿を消していただきたいのです」
「そ、そんな……!」

 無茶な話に、マコトは慌てる。
 職を失って、どうやって生きていけばよいというのか。

「ああもちろん、新しい住居はこちらで用意させていただきます。当面の生活費も保障いたしましょう。それくらいのことは当たり前でございます」
「でも……」

 それでも、男の話は呑めない。
 マコトがいきなり姿を消したりしたら、フェリックスがどれだけ悲しむか想像できるからだ。彼がどれだけ自分を大切に想ってくれているか、知っているから。マコトがいなくなったら、彼はきっと自分を責めるだろう。そこら中を探し回るに違いない。

「フェリックスさまが不幸になるのではないか、とお考えですね?」

 マコトの考えを読んだかのように、男が言った。

「ところが逆なのです。マコト殿と別れた方がフェリックスさまは幸せになれるのでございます」

 男は、マコトがこの前から懸念していたことを口にした。
 ずっとずっと、そうなんじゃないかと恐れていたことを。

「王族として認められれば、城で暮らすことになり今より生活水準は遥かに上昇します。正当な身分が認められて下々の者に敬意を払われるようになり、兄弟で共に食事をする程度のことはいつでもできるようになります。現在のようにグラントリアス殿下が必死に時間を作って、お忍びでギルドを訪ねる必要などどこにもなくなるのです。それからきちんとした良家の息女を娶り、幸せな家庭を築くことができるでしょう」

 男の言葉は残酷だった。
 マコトの存在がことごとく彼の幸福を邪魔している。そう言っているのだ。

「でも……先輩は、僕のことを好きだと言ってくれました……」

 この胸には、彼が口にしてくれた言葉の数々が宝物のように大事に仕舞われている。マコトは縋りつくように、そのことを主張した。

「マコト殿もわかっておられるでしょう、それは同情心からのことでございます」
「同情……心……」
「異界から渡ってきたばかりで、身寄りも知識も財もないマコト殿にお優しいフェリックスさまは同情なされたのでございます。それを恋心と勘違いなされた」

 そんなことはない、と反論したかった。
 同情心などでは決してないはずだ。彼が隣にいて手を握ってくれれば、間違いなく断言できるのに。男の言葉を聞いていると、どんどんあやふやになっていく。

「マコト殿さえ異界から渡ってこられなければ、すべてが上手く回っていたのでございます。貴方という闖入者のせいで、ズレが生じてしまったのです」
「あ……」

 余計なことをしやがって、という元上司の大音声が耳元で聞こえた気がした。
 違う、そんなことはないと思おうとしたとき。

「マコト殿、罪悪感を覚えられましたね?」

 男は素早く懐に手を入れると、懐中時計を取り出した。
 懐中時計の蓋には、独特の紋様が刻まれていた。その紋様に見覚えがある気がした。フェリックスと一緒にショッピングしたときに、見たことがある気がする。似たような紋様が刻まれたペンダントがなかっただろうか……。

「この懐中時計をよくご覧くださいませ」

 男は、ゆっくりと懐中時計を左右に振る。
 すると、マコトの中で変化が起こった。まるで、今しがた沸いた罪悪感が自分の中で何倍にも膨れ上がっていくかのようだった。

 心が暗闇に放り込まれる。
 マコトは前の会社にいて、目の前で元上司が顔を真っ赤にしながら唾を飛ばしていた。

『言われたこともできないのか、このグズが!』
『いるだけで余計な存在なんだよお前は!』
『もうお前は死刑だ、死刑! さっさと死んじまえ!』

 せっかく作った書類をマコトにぶつけるようにして、床にぶちまけられる。
 麻痺して何も感じなくなった心で、マコトは書類を拾い集めた――

 そうだ、自分は余計な存在なんだ。
 生きていてはいけないんだ。なぜそんな簡単なことを忘れていたのだろう。

「……別れます。この街から消えます。何をすればいいですか」

 抑揚のない声で尋ねた。
 男の言う通りにするのが、正解のように思われた。
 異世界からやってきてこの世界を騒がせてしまったのだから、責任を取って消えなければ。
 死ねと言わないだけ、目の前の男は優しいように感じられた。

「素晴らしい! ではまず、フェリックスさまに残す置手紙をお書きくださいませ。『お気持ちが重すぎて辛いので離れます、探さないでください』といった旨の内容であれば結構でございます!」

 マコトの返事に、男は顔を輝かせた。
 こんな自分でも正しい選択ができたのだ、と少しは救われた気持ちになる。

「はい、かしこまりました」
 
 マコトは差し出された羊皮紙に、言われるがままにペンを走らせた……。

「フェリックスさまの幸福のために身を引いた勇気、褒め称えさせてくださいませ」

 男が言った。
 
「これで先輩が幸せになれるのであれば……」

 先輩がなるべく悲しみませんように、とマコトは祈った。
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