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第二話
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「フェリックス先輩、チェックをお願いします!」
「どれどれ……。おっ、計算ぜんぶ合ってるじゃないか」
「ありがとうございます……っ!」
休憩室から戻った後、マコトは仕事に精を出した。
フェリックス先輩が魔力を充填してくれたから、羽ペンも問題なくすらすらと書けた。
疑問点があればすぐに彼に尋ね、彼も親切に答えてくれた。
前の会社では分からないことがあっても皆忙しそうにしていて、マコトが何か質問しても返ってくるのは舌打ちだけだった。
こうしてマコトは生まれて初めて、大した失敗もなくまともに仕事をこなすことに成功したのだった。
「ポッポー、ポッポー」
不意に、壁際に立っているのっぽな振り子式鳩時計が時を告げる。
すると職員たちが一斉にデスクの上を片付け始める。
何が起こったのか分からず、マコトはきょろきょろとして狼狽えた。
「おっし、今日はもう終わりだ」
フェリックス先輩が隣で伸びをする。
「えっ、えっ、何が起こったんですか?」
マコトは視線でフェリックス先輩に助けを求める。
背の低いマコトは彼を見上げる形になった。
「何って、仕事はもうおしまいの時間だよ」
「えっ、まだ明るいのに……!?」
マコトは窓の外を見た。
外では日が傾き始めているが、まだまだ明るい。
「もう水の刻じゃないか、充分たくさん働いたぜマコトは」
フェリックス先輩は、壁際の鳩時計を指し示す。
時計盤には数字ではなく、奇妙な絵が刻まれている。
彼曰く今は「水の刻」という時間帯らしい。マコトの腹時計では、まだ夕方の五時ぐらいに感じる。こんな早い時間に帰ってしまっていいのだろうか。
マコトは不安で仕方がなかった。
「マコトくんが不安そうよ。異界からこの世界に来たばっかりだそうなんだから、王都の案内ぐらいしてあげたら、フェリックスくん?」
朝の自己紹介の時に、クレアと名乗った中年の女性が声をかけてくれる。
どうやら彼女は、マコトが知らない街を一人で歩かなければならないことに不安を覚えたのだと思ったらしい。
単純に明るい時間帯に帰ったことがないから、不安なのだ。
「ええー、オレがですか?」
「だって、サボり魔のあなたが今日は一度もサボらなかったじゃない。マコトくんが目の前の席にいたからじゃない? だから、マコトくんともっと一緒にいればあなたにとって良い変化が起こると思うの」
クレアさんは悪戯っぽくクスリと微笑む。
彼女の言葉に、フェリックス先輩は動揺を見せた。
「わー! マコトの前でサボり魔だとか何とか言わないで下さいよ!」
「あら、やっぱりマコトくんの前で格好を付けたかったのね」
「ぐ……っ!」
指摘されて肩を落とすフェリックス先輩を、マコトはキラキラと輝く瞳で見つめていた。
サボり魔だなんてカッコいい、きっとサボっていても首にされないくらいとても有能なのだろう。
マコトの目にはそう映っていた。
「先輩、大丈夫です。そんなことで僕は幻滅したりしません。今日、僕に優しくいろいろ教えてくれたのは、先輩なので。僕はそのことを感謝していますし、尊敬してます」
マコトが一生懸命に伝えると、彼は目を潤ませた。
「マコト! お前っていう奴は、天使なのか……!?」
「て、天使!?」
自分は天使だなんて評されるに値する人間ではない。
彼の言葉に、マコトは仰天した。
「……分かりました。天使なマコトに仕事を教える間は、サボりを封印します」
何かに誓うように、彼は呟いた。
マコトは嬉しかった。今日だけではなく、これからも彼が教育係をしてくれるらしいと分かったからだ。
ギルドの人はみんな優しそうだけれど、せっかくなら彼からいろいろと教わりたかったから。
「さっそくいい変化が表れたみたいね。じゃあ、案内をお願いね。ちゃんと家まで送ってあげるのよ」
「はいはい、分かりました」
クレアさんは満足そうに頷くと、荷物を纏めてさっさと退勤した。
「……その、なんかオレが街を案内することになっちゃったんだけど、大丈夫?」
「むしろありがたいです。住み始めたばかりの家からここまで、何とか来れたんですけど帰り道迷わないか不安で……」
政府に用意してもらった新居に昨日から住み始めているのだが、昨日は新居の掃除だけで一日が終わってしまった。おかげで近所に何があるのか、どう行けばいいのかまだ何も覚えていないのだ。
「へえ、家はどこなんだ?」
「ええと、ラクード地区ってところにあります」
おぼろげな記憶を頼りに答える。
地名ももちろんまだ全然頭に入っていない。
地区名を聞くと、彼の顔色はパッと明るくなった。
「あそこら辺は美味い飯屋が多いんだ。ギルドからもさほど遠くない。いいとこじゃないか」
「そうなんですか?」
「よし、どうせなら一緒に晩飯食おうぜ。オレはマコトの『センパイ』だからな、奢ってやるよ」
「ええ、そんないいんですか!?」
「ああ、だってまだこっちの通貨もあんまり持ってないだろ?」
彼はマコトのことを天使と称したが、マコトにとってみれば彼の方が天使のように慈悲深く見えた。
マコトはありがたく彼に奢ってもらうことにした。
国から渡された当面の生活費しかなく、財布の中身が心もとないのは事実だったから。
こうしてフェリックスによる王都案内が始まった。
ギルドを出ると、温かな風がマコトの頬を撫でる。
寒くも暑くもない心地の良い気候。道端には、名前の分からない花が揺れている。
どうやらこの世界は春のようだ。それとも秋だろうか。自分の知っている四季が存在しない可能性もある。
「ギルドを出てこっちの方向に行くとラクード地区だ。逆にあっちの大通りをまっすぐに進むと、王都一規模の大きい市場がある。ラクード地区にも食料品店くらいあると思うけど、もし珍しい食材とか欲しい時はあっちに行くといい」
マコトはこくこくと頷きながら、彼の言葉に集中して耳を傾けた。
「ほら、ここら辺からもうラクード地区だ。ギルドから近いだろ? 雑貨店とかあるのは多分あっちの方かなって気がする」
彼はあちこち指差しながら教えてくれる。
「んで、この通りに飲み屋とか飯屋がずらりだ。今日はこの通りのどっかの店で夕食にしようと思うんだけど、いいよな?」
「はい!」
彼の指し示す通りを見ると、夕焼けの赤に彩られた料理店の軒並みが見えた。
風がこちらに向かって吹いてくると、ありとあらゆる美味しいものの匂いが入り混じったような、何ともお腹の空いてくるいい香りが鼻を擽った。
不意にお腹が空いていたことを思い出したかのように、急に空腹感に襲われる。
「どんな飯が食いたい?」
「え、えっと、この世界にどんな料理があるのか分からないので、先輩の好きなところに……」
「あ、そっか。じゃあオレが美味しいものをマコトにたくさん教えてやらないとな」
にかっと笑った彼の笑顔が夕焼けに照らされて眩しかった。
マコトは胸の内がきゅっと締め付けられるような、妙な感覚を覚えた。
(こんなに優しい人は初めてだから、かな……)
胸の内に降って湧いた小さな痛みの正体も分からぬまま、マコトは彼の後をついて歩いた。
「どれどれ……。おっ、計算ぜんぶ合ってるじゃないか」
「ありがとうございます……っ!」
休憩室から戻った後、マコトは仕事に精を出した。
フェリックス先輩が魔力を充填してくれたから、羽ペンも問題なくすらすらと書けた。
疑問点があればすぐに彼に尋ね、彼も親切に答えてくれた。
前の会社では分からないことがあっても皆忙しそうにしていて、マコトが何か質問しても返ってくるのは舌打ちだけだった。
こうしてマコトは生まれて初めて、大した失敗もなくまともに仕事をこなすことに成功したのだった。
「ポッポー、ポッポー」
不意に、壁際に立っているのっぽな振り子式鳩時計が時を告げる。
すると職員たちが一斉にデスクの上を片付け始める。
何が起こったのか分からず、マコトはきょろきょろとして狼狽えた。
「おっし、今日はもう終わりだ」
フェリックス先輩が隣で伸びをする。
「えっ、えっ、何が起こったんですか?」
マコトは視線でフェリックス先輩に助けを求める。
背の低いマコトは彼を見上げる形になった。
「何って、仕事はもうおしまいの時間だよ」
「えっ、まだ明るいのに……!?」
マコトは窓の外を見た。
外では日が傾き始めているが、まだまだ明るい。
「もう水の刻じゃないか、充分たくさん働いたぜマコトは」
フェリックス先輩は、壁際の鳩時計を指し示す。
時計盤には数字ではなく、奇妙な絵が刻まれている。
彼曰く今は「水の刻」という時間帯らしい。マコトの腹時計では、まだ夕方の五時ぐらいに感じる。こんな早い時間に帰ってしまっていいのだろうか。
マコトは不安で仕方がなかった。
「マコトくんが不安そうよ。異界からこの世界に来たばっかりだそうなんだから、王都の案内ぐらいしてあげたら、フェリックスくん?」
朝の自己紹介の時に、クレアと名乗った中年の女性が声をかけてくれる。
どうやら彼女は、マコトが知らない街を一人で歩かなければならないことに不安を覚えたのだと思ったらしい。
単純に明るい時間帯に帰ったことがないから、不安なのだ。
「ええー、オレがですか?」
「だって、サボり魔のあなたが今日は一度もサボらなかったじゃない。マコトくんが目の前の席にいたからじゃない? だから、マコトくんともっと一緒にいればあなたにとって良い変化が起こると思うの」
クレアさんは悪戯っぽくクスリと微笑む。
彼女の言葉に、フェリックス先輩は動揺を見せた。
「わー! マコトの前でサボり魔だとか何とか言わないで下さいよ!」
「あら、やっぱりマコトくんの前で格好を付けたかったのね」
「ぐ……っ!」
指摘されて肩を落とすフェリックス先輩を、マコトはキラキラと輝く瞳で見つめていた。
サボり魔だなんてカッコいい、きっとサボっていても首にされないくらいとても有能なのだろう。
マコトの目にはそう映っていた。
「先輩、大丈夫です。そんなことで僕は幻滅したりしません。今日、僕に優しくいろいろ教えてくれたのは、先輩なので。僕はそのことを感謝していますし、尊敬してます」
マコトが一生懸命に伝えると、彼は目を潤ませた。
「マコト! お前っていう奴は、天使なのか……!?」
「て、天使!?」
自分は天使だなんて評されるに値する人間ではない。
彼の言葉に、マコトは仰天した。
「……分かりました。天使なマコトに仕事を教える間は、サボりを封印します」
何かに誓うように、彼は呟いた。
マコトは嬉しかった。今日だけではなく、これからも彼が教育係をしてくれるらしいと分かったからだ。
ギルドの人はみんな優しそうだけれど、せっかくなら彼からいろいろと教わりたかったから。
「さっそくいい変化が表れたみたいね。じゃあ、案内をお願いね。ちゃんと家まで送ってあげるのよ」
「はいはい、分かりました」
クレアさんは満足そうに頷くと、荷物を纏めてさっさと退勤した。
「……その、なんかオレが街を案内することになっちゃったんだけど、大丈夫?」
「むしろありがたいです。住み始めたばかりの家からここまで、何とか来れたんですけど帰り道迷わないか不安で……」
政府に用意してもらった新居に昨日から住み始めているのだが、昨日は新居の掃除だけで一日が終わってしまった。おかげで近所に何があるのか、どう行けばいいのかまだ何も覚えていないのだ。
「へえ、家はどこなんだ?」
「ええと、ラクード地区ってところにあります」
おぼろげな記憶を頼りに答える。
地名ももちろんまだ全然頭に入っていない。
地区名を聞くと、彼の顔色はパッと明るくなった。
「あそこら辺は美味い飯屋が多いんだ。ギルドからもさほど遠くない。いいとこじゃないか」
「そうなんですか?」
「よし、どうせなら一緒に晩飯食おうぜ。オレはマコトの『センパイ』だからな、奢ってやるよ」
「ええ、そんないいんですか!?」
「ああ、だってまだこっちの通貨もあんまり持ってないだろ?」
彼はマコトのことを天使と称したが、マコトにとってみれば彼の方が天使のように慈悲深く見えた。
マコトはありがたく彼に奢ってもらうことにした。
国から渡された当面の生活費しかなく、財布の中身が心もとないのは事実だったから。
こうしてフェリックスによる王都案内が始まった。
ギルドを出ると、温かな風がマコトの頬を撫でる。
寒くも暑くもない心地の良い気候。道端には、名前の分からない花が揺れている。
どうやらこの世界は春のようだ。それとも秋だろうか。自分の知っている四季が存在しない可能性もある。
「ギルドを出てこっちの方向に行くとラクード地区だ。逆にあっちの大通りをまっすぐに進むと、王都一規模の大きい市場がある。ラクード地区にも食料品店くらいあると思うけど、もし珍しい食材とか欲しい時はあっちに行くといい」
マコトはこくこくと頷きながら、彼の言葉に集中して耳を傾けた。
「ほら、ここら辺からもうラクード地区だ。ギルドから近いだろ? 雑貨店とかあるのは多分あっちの方かなって気がする」
彼はあちこち指差しながら教えてくれる。
「んで、この通りに飲み屋とか飯屋がずらりだ。今日はこの通りのどっかの店で夕食にしようと思うんだけど、いいよな?」
「はい!」
彼の指し示す通りを見ると、夕焼けの赤に彩られた料理店の軒並みが見えた。
風がこちらに向かって吹いてくると、ありとあらゆる美味しいものの匂いが入り混じったような、何ともお腹の空いてくるいい香りが鼻を擽った。
不意にお腹が空いていたことを思い出したかのように、急に空腹感に襲われる。
「どんな飯が食いたい?」
「え、えっと、この世界にどんな料理があるのか分からないので、先輩の好きなところに……」
「あ、そっか。じゃあオレが美味しいものをマコトにたくさん教えてやらないとな」
にかっと笑った彼の笑顔が夕焼けに照らされて眩しかった。
マコトは胸の内がきゅっと締め付けられるような、妙な感覚を覚えた。
(こんなに優しい人は初めてだから、かな……)
胸の内に降って湧いた小さな痛みの正体も分からぬまま、マコトは彼の後をついて歩いた。
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