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第三十三話 プリムラ、あなたなしでは生きられない
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「貴様の思い通りにはさせない。さっさと事を終わらせてルノを迎えに行くと約束してるんでな」
ルノの繊細な程の愛らしい顔を思い浮かべ、その顔を悲しみに歪ませたりはしないと満月に誓った。
ならば、目の前の敵を討ち倒していかなければなるまい。
サーベルの柄に手をかける。
途端に背後でバサリと羽音がした。
自分の首を狙ってフクロウの鉤爪が迫る殺気を感じる。刹那。
ガキィッ。
火花が散る。
振り返りざまに抜き放った刃で鉤爪を受け止めたのだ。
ぐっと鉤爪が刃を押し返そうとする。
フクロウが人間の振る剣を受け止めて更には押し返そうとしてくるなど、自然ではありえない。こうした超常じみた膂力をフクロウが持っているのは、魔術師の使い魔だからこそだろう。受け止めなければ首を切り裂かれていたと確信する。
「行けっ、ラウラ!」
殺気が教授の方からもやって来る。今度は肩に乗せていた黒猫をけしかけてきたのだろう。
「ふっ!」
ぐっと力を込めると、フクロウの身体を押し返した。怪力と化していても元々至極軽い身体だ。フクロウの身体は森の奥へと吹っ飛んだ。
そのまま迫る殺気へと刃を振る。
ブンッ。
風を切り、サーベルが鳴る。
「フーッ!」
爪を振り下ろそうとしていた黒猫が後ろへ跳び、刃を避けた。
この猫の爪も人を殺すに足るだけの鋭さがあると警戒してしかるべきだ。決して侮ってはならない。
「流石グロースクロイツ家の嫡男だ、剣術も一流だな」
ぱち、ぱちと軽い拍手が聞こえた。
ふざけている。
「だがしかしルトガーとラウラを同時に相手にしては剣を振るうだけで精一杯だろう。精霊の助けを借りる暇はないんじゃないかな?」
教授自身は身動ぎする様子すら見せず、泰然と構えている。
自分の方が圧倒的に格上だと慢心しているのだろう。
「それはどうかな?」
「なに……っ?」
オレはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、一言、呟いた。
「Rütas」
火の粉が舞う。
夜の闇の中で蛍火のようにチラつく明かりが見えたかと思うと、それは突風に煽られてあっという間に大きな炎の渦と化した。
炎の渦は風を伴い、勢いを増しながら一直線に教授へと向かう――――。
「馬鹿な、たった一言で複合属性を扱うなど……っ! くっ!」
不意を突かれた教授が炎に巻かれる。
間髪入れずに踏み込み、剣で薙いだ。
「なるほど。そういうことか」
肉を裂いた感触がない。
逃げられたか。
「手の動きで古代文字を表すことで精霊と声を出すことなく交信する術か。非効率だからと今は講義も廃止された魔術の筈だ。独学で習得したのか? 流石は首席優等生だ」
炎の着いたローブを脱ぎ捨てながら饒舌に喋る教授の姿があった。
オレが先ほどの会話で時間を稼ぎながら術を編んだ方法を一目で見破ったらしい。
野望が実行可能なのかどうなのかなどと下らないことを聞いている最中に見えないように指で印を結んでいたのだ。
「だが、声を出さずに済むという利点を戦闘に応用するなど────現代魔術的発想だ」
教授の目付きが変わる。
「魔術をそんな俗で血腥い存在に堕とすべきではない……!」
教授が片手を肩の高さまで掲げる。
何かをする気だと理解できた。
「貴様が言えた事かッ!」
何かされる前に決着をつける。
刃に風と炎を纏わせながら、踏み込む。
「Jækous, menir yœrütas」
だが紙一重。
先に教授の手の中に魔力が凝縮する気配がした。
「ガ……ッ!?」
忽然、周囲の空気が消えたかのようだった。
息苦しさに膝を突き、剣を取り落とした。
「気高き魔術とはこうであるべきだ。ただ"呪えば"いい」
教授がゆっくりと歩み寄り、地に膝を突いたオレを見下す。
「こんなものは必要ない」
教授の足がオレの剣を蹴った。
剣が弧を描きながら地面を滑り、遠く離れた。
「さて、最期に言い遺すことはあるかね?」
教授はオレの身体に触れることすらせず、魔力を強めるだけでトドメを刺そうとしている。
心臓が、いや身体の内側全体が見えない手に鷲掴みにされているかのようだった。
――――その時。
オレはそれを視た。
「……何故、そんなに自分が正しいと信じられるんだ?」
「おや、また時間稼ぎの質問かね? また同じ手が通用するとは思わないことだ」
「ホウ」
吹っ飛ばした筈のフクロウの使い魔が羽ばたきと共に舞い戻り、教授の肩に止まった。
もう一度密かに印を結んでおくという手は通じないだろう。
「まあそれが最期の質問だというのであれば答えておこうか。答えは簡単だ、先人が同じことをしたであろうことが分かっているからさ」
教授は嬉しそうに再び口を開く。どうやら彼は自分の研究のこととなると口を閉じていられないようだ。
オレを締め付ける魔術も微かに弱まっているのを感じる。
「先人とは?」
「我々魔術師の先人なんて決まっているだろう、旧大陸の人間のことだ」
すべての人間が忽然と姿を消したかのように無人だったという、南の大陸のことを教授は口の端に乗せた。
「旧大陸の人間はすべて姿を消していた。それは何故か? 問うまでもない、私と同じ結論に達したからだ。即ち旧大陸にいるすべての人間の魂を統合し、現世の肉体など無意味だと悟った彼らは精神だけの存在となったのだ」
教授の言葉を耳にしながら、別にオレは理論の根拠を聞きたかった訳ではないのだけれどな、と思った。
信念や信条ではなく、自分の研究で人類を救えると思ったから救う。教授の中の動機はもしかすればその程度なのかもしれない。
「さて。小指の一つ動かすことも出来なかったようだが、時間稼ぎの意味はあったかねアレクシスくん?」
「ああ。あったさ」
痛みを堪えながらニヤリと不敵に笑ってみせる。
「……?」
オレの笑みがただの強がりではないことを感じ取ったのか、教授は訝しげに眉を顰めた。
「学校長、今です!」
オレは教授の肩越しに暗がりを見据えて叫んだ。
「なっ、学校長……ッ!?」
教授は慌てて振り返る。
彼が振り返った先には人の姿はない。
「誰もいないではないか、子供騙しの……」
「ッるァァァーー!!!」
咆哮。
木陰から人影が飛び出し、教授の背中を斬り付けた。
避けようとした教授の肩口が切り裂かれ、鮮血が宙を舞った。
飛び出してきた小柄なその人影が持つ剣は、先ほど蹴り飛ばされたオレのものだった。
「わざわざ隙なんか作ってくれなくても大丈夫だったのに」
不満げに唇を尖らせた彼の白い顔が月光に照らされた。
「エーファとの視覚共有で来ているのが見えていたぞ――――ルノ!」
使い魔との五感を共有するその術で、ルノがこの場所へと全速力で向かって来てくれているのが視えたのだ。エーファがルノの肩の上で誇らしげな顔をしていた。
「チッ、やっぱりエーファで覗き見してやがったのか」
「はて何のことだか」
身体を縛めていた魔術も解けたので、ニコリと笑いながらルノからオレの剣を受け取る。そしてルノの方は懐からナイフを取り出した。オレが贈ってあげた物だ。
彼とエーファが隣にいてくれることがとても心強く感じた。オレは彼らを危険な目に遭わせたくないと勝手に遠ざけたというのに。
「コイツの研究室に沢山の子供が捕らえられてた。何故かこの指輪で隠し扉が開いたんだ」
ルノの手短な説明で大体の経緯が理解できた。
「その指輪で?」
何故教授はそんなものをわざわざルノに託したのか?
思案し――――一つの可能性に思い至る。
「ぐゥ……ッ、不意打ちなどっ、魔術師としての自覚がないのか!」
肩から血を流し教授が叫ぶ。
「あいにくと数か月前まで傭兵だったんでな」
襲い来る黒猫の攻撃を弾き返しながら、ルノが答える。
「ルノ、ありがとう」
「な、何だよ急に!」
礼に照れているルノが愛らしかったが、今はそれを堪能している場合ではない。
「もしかすればだが、父の意図がルノのおかげで理解できたかもしれない」
「はあ?」
何故父が必要最低限の情報しか寄越さなかったのか。どうやって教授の研究内容を知ることができたのか。謎が解けたかもしれなかった。
「ほう、グロースクロイツ家の当主の意向だと?」
教授がピクリと反応する。
同時にフクロウと黒猫の動きがほんのわずかに鈍くなったように感じられた。
どうやら流れる血を気にしないほどの並々ならぬ興味がオレの父に対してあるらしい。
「良ければ聞かせてもらおうか?」
「いいだろう」
一呼吸おいて、オレはその推理を口にした――――
ルノの繊細な程の愛らしい顔を思い浮かべ、その顔を悲しみに歪ませたりはしないと満月に誓った。
ならば、目の前の敵を討ち倒していかなければなるまい。
サーベルの柄に手をかける。
途端に背後でバサリと羽音がした。
自分の首を狙ってフクロウの鉤爪が迫る殺気を感じる。刹那。
ガキィッ。
火花が散る。
振り返りざまに抜き放った刃で鉤爪を受け止めたのだ。
ぐっと鉤爪が刃を押し返そうとする。
フクロウが人間の振る剣を受け止めて更には押し返そうとしてくるなど、自然ではありえない。こうした超常じみた膂力をフクロウが持っているのは、魔術師の使い魔だからこそだろう。受け止めなければ首を切り裂かれていたと確信する。
「行けっ、ラウラ!」
殺気が教授の方からもやって来る。今度は肩に乗せていた黒猫をけしかけてきたのだろう。
「ふっ!」
ぐっと力を込めると、フクロウの身体を押し返した。怪力と化していても元々至極軽い身体だ。フクロウの身体は森の奥へと吹っ飛んだ。
そのまま迫る殺気へと刃を振る。
ブンッ。
風を切り、サーベルが鳴る。
「フーッ!」
爪を振り下ろそうとしていた黒猫が後ろへ跳び、刃を避けた。
この猫の爪も人を殺すに足るだけの鋭さがあると警戒してしかるべきだ。決して侮ってはならない。
「流石グロースクロイツ家の嫡男だ、剣術も一流だな」
ぱち、ぱちと軽い拍手が聞こえた。
ふざけている。
「だがしかしルトガーとラウラを同時に相手にしては剣を振るうだけで精一杯だろう。精霊の助けを借りる暇はないんじゃないかな?」
教授自身は身動ぎする様子すら見せず、泰然と構えている。
自分の方が圧倒的に格上だと慢心しているのだろう。
「それはどうかな?」
「なに……っ?」
オレはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、一言、呟いた。
「Rütas」
火の粉が舞う。
夜の闇の中で蛍火のようにチラつく明かりが見えたかと思うと、それは突風に煽られてあっという間に大きな炎の渦と化した。
炎の渦は風を伴い、勢いを増しながら一直線に教授へと向かう――――。
「馬鹿な、たった一言で複合属性を扱うなど……っ! くっ!」
不意を突かれた教授が炎に巻かれる。
間髪入れずに踏み込み、剣で薙いだ。
「なるほど。そういうことか」
肉を裂いた感触がない。
逃げられたか。
「手の動きで古代文字を表すことで精霊と声を出すことなく交信する術か。非効率だからと今は講義も廃止された魔術の筈だ。独学で習得したのか? 流石は首席優等生だ」
炎の着いたローブを脱ぎ捨てながら饒舌に喋る教授の姿があった。
オレが先ほどの会話で時間を稼ぎながら術を編んだ方法を一目で見破ったらしい。
野望が実行可能なのかどうなのかなどと下らないことを聞いている最中に見えないように指で印を結んでいたのだ。
「だが、声を出さずに済むという利点を戦闘に応用するなど────現代魔術的発想だ」
教授の目付きが変わる。
「魔術をそんな俗で血腥い存在に堕とすべきではない……!」
教授が片手を肩の高さまで掲げる。
何かをする気だと理解できた。
「貴様が言えた事かッ!」
何かされる前に決着をつける。
刃に風と炎を纏わせながら、踏み込む。
「Jækous, menir yœrütas」
だが紙一重。
先に教授の手の中に魔力が凝縮する気配がした。
「ガ……ッ!?」
忽然、周囲の空気が消えたかのようだった。
息苦しさに膝を突き、剣を取り落とした。
「気高き魔術とはこうであるべきだ。ただ"呪えば"いい」
教授がゆっくりと歩み寄り、地に膝を突いたオレを見下す。
「こんなものは必要ない」
教授の足がオレの剣を蹴った。
剣が弧を描きながら地面を滑り、遠く離れた。
「さて、最期に言い遺すことはあるかね?」
教授はオレの身体に触れることすらせず、魔力を強めるだけでトドメを刺そうとしている。
心臓が、いや身体の内側全体が見えない手に鷲掴みにされているかのようだった。
――――その時。
オレはそれを視た。
「……何故、そんなに自分が正しいと信じられるんだ?」
「おや、また時間稼ぎの質問かね? また同じ手が通用するとは思わないことだ」
「ホウ」
吹っ飛ばした筈のフクロウの使い魔が羽ばたきと共に舞い戻り、教授の肩に止まった。
もう一度密かに印を結んでおくという手は通じないだろう。
「まあそれが最期の質問だというのであれば答えておこうか。答えは簡単だ、先人が同じことをしたであろうことが分かっているからさ」
教授は嬉しそうに再び口を開く。どうやら彼は自分の研究のこととなると口を閉じていられないようだ。
オレを締め付ける魔術も微かに弱まっているのを感じる。
「先人とは?」
「我々魔術師の先人なんて決まっているだろう、旧大陸の人間のことだ」
すべての人間が忽然と姿を消したかのように無人だったという、南の大陸のことを教授は口の端に乗せた。
「旧大陸の人間はすべて姿を消していた。それは何故か? 問うまでもない、私と同じ結論に達したからだ。即ち旧大陸にいるすべての人間の魂を統合し、現世の肉体など無意味だと悟った彼らは精神だけの存在となったのだ」
教授の言葉を耳にしながら、別にオレは理論の根拠を聞きたかった訳ではないのだけれどな、と思った。
信念や信条ではなく、自分の研究で人類を救えると思ったから救う。教授の中の動機はもしかすればその程度なのかもしれない。
「さて。小指の一つ動かすことも出来なかったようだが、時間稼ぎの意味はあったかねアレクシスくん?」
「ああ。あったさ」
痛みを堪えながらニヤリと不敵に笑ってみせる。
「……?」
オレの笑みがただの強がりではないことを感じ取ったのか、教授は訝しげに眉を顰めた。
「学校長、今です!」
オレは教授の肩越しに暗がりを見据えて叫んだ。
「なっ、学校長……ッ!?」
教授は慌てて振り返る。
彼が振り返った先には人の姿はない。
「誰もいないではないか、子供騙しの……」
「ッるァァァーー!!!」
咆哮。
木陰から人影が飛び出し、教授の背中を斬り付けた。
避けようとした教授の肩口が切り裂かれ、鮮血が宙を舞った。
飛び出してきた小柄なその人影が持つ剣は、先ほど蹴り飛ばされたオレのものだった。
「わざわざ隙なんか作ってくれなくても大丈夫だったのに」
不満げに唇を尖らせた彼の白い顔が月光に照らされた。
「エーファとの視覚共有で来ているのが見えていたぞ――――ルノ!」
使い魔との五感を共有するその術で、ルノがこの場所へと全速力で向かって来てくれているのが視えたのだ。エーファがルノの肩の上で誇らしげな顔をしていた。
「チッ、やっぱりエーファで覗き見してやがったのか」
「はて何のことだか」
身体を縛めていた魔術も解けたので、ニコリと笑いながらルノからオレの剣を受け取る。そしてルノの方は懐からナイフを取り出した。オレが贈ってあげた物だ。
彼とエーファが隣にいてくれることがとても心強く感じた。オレは彼らを危険な目に遭わせたくないと勝手に遠ざけたというのに。
「コイツの研究室に沢山の子供が捕らえられてた。何故かこの指輪で隠し扉が開いたんだ」
ルノの手短な説明で大体の経緯が理解できた。
「その指輪で?」
何故教授はそんなものをわざわざルノに託したのか?
思案し――――一つの可能性に思い至る。
「ぐゥ……ッ、不意打ちなどっ、魔術師としての自覚がないのか!」
肩から血を流し教授が叫ぶ。
「あいにくと数か月前まで傭兵だったんでな」
襲い来る黒猫の攻撃を弾き返しながら、ルノが答える。
「ルノ、ありがとう」
「な、何だよ急に!」
礼に照れているルノが愛らしかったが、今はそれを堪能している場合ではない。
「もしかすればだが、父の意図がルノのおかげで理解できたかもしれない」
「はあ?」
何故父が必要最低限の情報しか寄越さなかったのか。どうやって教授の研究内容を知ることができたのか。謎が解けたかもしれなかった。
「ほう、グロースクロイツ家の当主の意向だと?」
教授がピクリと反応する。
同時にフクロウと黒猫の動きがほんのわずかに鈍くなったように感じられた。
どうやら流れる血を気にしないほどの並々ならぬ興味がオレの父に対してあるらしい。
「良ければ聞かせてもらおうか?」
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