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第二十六話 カーネーション、無垢で深い愛
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グロースクロイツ家は何を犠牲にしてでも全なる一を求めている。
その一言に鋭く胸が串刺しにされた。一種の予感があったからかもしれない。
「その『何を犠牲にしてでも』というのは具体的に例えば?」
オレは恐る恐る尋ねた。
教授は重々しく口を開いた。
「曰く、人体実験をしているとか。曰く、敵対している者に暗殺者を差し向けたとか」
ドッ、ドッ、と心臓が嫌な感じに打っている。
「曰く……グロースクロイツ家の秘密を見てしまった乳母を口封じに殺した、とか」
「え――――」
まさか。
まさか、その乳母とは。
「それは確かなことなんですか!?」
思わずガタリと身を乗り出した。
必死なオレに、教授はゆっくりと首を横に振った。
「いや、どれも確証はない。風の噂さ」
「そう、なんですか……」
次第に気が落ち着いていくと同時に、自分の額を冷や汗が伝っていたことを自覚した。
ただの噂なら、口さがない人間が尾鰭を付けて垂れ流してるだけかもしれない。まさかアレクシスの大事な人が殺されていたなんて、それも家族に殺されたなんてそんな酷いことはないと信じたい。
「ただ、一つ確かなのは」
「確かなのは?」
ごくりと唾を飲んで、言葉の続きを促した。
「アイツは変わってしまったということだ」
教授は右手の甲を摩りながら遠い目をした。
右手の甲。オレならば黄薔薇の刻印がある場所だ。
だから何となく察した、アイツというのが誰の事か。
教授も昔はグロースクロイツ家の人間と番を組んでいたと言っていたではないか。その相手というのは年から考えると、もしかしてアレクシスの父……今のグロースクロイツ家の当主ではないだろうか。
「アイツは家のことしか考えなくなってしまった。……昔はよく共に時を過ごしたのにな」
教授は寂しそうに零した。
その言葉に、笑い合う若き日の彼らの姿を一瞬垣間見たような気がした。
「……」
オレは、何も言えなかった。
*
部屋に帰って、彼に何と言葉をかけよう。
乳母はただ死んだのではなく殺されたのではないか、と正面切って尋ねる勇気はなかった。そこはオレが土足で踏み入ってはならない場所だと思う。
では父親との仲は良好かと聞いてみようか? グロースクロイツ家の噂をアレクシスは知っているのか。事実だとしたらアレクシスはそれをどう思っているのか。
知りたいが、それを自然に聞き出せる会話能力はオレにはない。きっといかにも「悪い噂を耳にしました」という態度になってしまうだろう。事実無根だった場合、アレクシスを傷つけることになるのではないか。
だから、オレは何も聞かなかった振りをするしかない。上手く振る舞える自信はない。でも、やるしかない。
「チュ?」
エーファがオレのローブの中から顔を出して首を傾げる。
そうだ、フクロウに怯えてローブの中に隠れてたんだった。
「そうだな、行くか」
エーファの顔をうりうりと撫でてやると、オレは自室の扉を開けたのだった。
「ただいま……」
「ああ、ルノか」
窓際に立っていたアレクシスが振り向く。
同時に窓の向こうで何か黒い影が飛び立った。
「うん?」
彼が振り向いた瞬間、背中に何かを隠したように見えた。
間違いない、動く物を捉えるのは得意なのだ。
「何を持ってるんだ?」
思わず尋ねてしまった。
「あー……見つかってしまったか」
彼はニッコリと笑みを浮かべた。
オレはその笑みを見て思わずしかめっ面になってしまった。彼の笑顔が何かを誤魔化す時のそれだったからだ。
「いや何、父からの手紙だ。その、つい隠してしまっただけで」
「父?」
父親ということは、つまりグロースクロイツ家の当主――――。
動揺にピクリと身体が反応しそうになる。
「父親って、どんな人なんだ?」
オレは恐る恐る尋ねた。もしかすれば噂に反して良い人間かもしれないと思ったからだ。
「ああ、そうか。君は父君を亡くしているんだったな」
アレクシスがオレを哀れむように眉を下げた。そういう意味ではなかったのだが。
「そうだな、個々人にとって父親がどんな存在であるかは個人差があると思う。だがオレにとっての父親を言い表すとするのならば……」
オレが尋ねたのが嬉しかったのかペラペラと喋り出したと思ったのに、彼はすぐに言い淀んでしまった。
「言い表すと、するならば……」
彼の表情は陰り、口ごもった。
「どうした?」
心配になって、彼に近寄ると顔を上目遣いに見つめた。
「いや、すまない。ここのところ……疲れていて」
彼が片手で目元を覆う。
彼の憂いのある雰囲気に、黄薔薇の刻印が刻まれたその手の下から涙の粒が今にも伝い落ちてくるのではないかと思ってしまった。
「アレクシス……」
こんな時、どうすればいいのだろう。
目の前で大事な人が苦しそうな顔をしている。そのことに心が痛んだ。
彼のこんな顔を見るのは初めてのことだった。オレはこんな時、何を言ってあげればいいのだろう。
彼に何があったのかは分からなくても、オレは彼の助けになってあげたかった。
そっと、彼の手を取った。
「ルノ……?」
驚きに彼が顔を上げる。
「その、上手く言えないけれど……アレクシスの支えになりたい」
ぽつりと言った言葉に、彼が目を見張る。
彼のその表情だけで自分の言葉がもう恥ずかしくなってきてしまったが、言った事を翻しはしなかった。
「えっ、いやオレがルノの支えになるならまだしもそれは……」
「オレじゃ支えにはなれないか?」
じっと彼の瞳を見つめる。
「……いや、そんなことはない」
彼の瞳が、揺れたような気がした。
それを見たオレは、おずおずと彼の背中に手を伸ばした。
彼を抱擁し、母親が子供にするように柔らかく背中を撫でさする。
彼の身体を抱き締めながら、彼がオレに世話を焼いてお節介していた時の気持ちはこんな感じなのだろうかと思った。愛おしい人のその顔が暗くなると見ているだけで胸が痛くなる。何とかしてあげたいという気持ちが湧いてきた。
どれだけの間そうしていただろう。
肌に感じる彼の呼吸が落ち着いてきたような気がして、身体を離した。
「もし良ければ、何があったのかオレに話してくれないか?」
頼み込むような気持ちで彼の瞳を覗き込んだ。
いつの間にかお節介焼きの彼のような台詞を口にしている自分に気が付いた。自分の差し伸べた手が撥ね退けられてしまうのではないかと、不安に唾を飲む。こんなにも勇気のいる行為だとは知らなかった。彼はこれまでどれほどの勇気を振り絞って来たのだろう。
彼が優しい人間だからというのもあるかもしれないが、それ以上に……オレが相手だから気にかけてくれていたのではないだろうか。
「それは……」
オレから視線を逸らすように彼の視線が泳ぎ……そして、戻ってきた彼の視線がしっかりとオレの目と合った。
「……分かった。話そう」
「……!」
彼が事情を話してくれる。そのことに喜びすら覚えた。
彼が苦しんでいるのだからオレが喜んでいる場合ではない、気を引き締め直す。
「実を言うと、父が最近オレに隠し事をしている気がしてならないんだ」
「隠し事?」
それはもしや、グロースクロイツ家の黒い噂にまつわる話なのだろうか。
「ああ、オレに何か教えてくれないかと再三手紙を出したが、父の返事は『お前は何も知らなくていい』とだけ……」
くしゃり、紙が握り潰される音がした。
彼が今握り潰したのはその父親からの返事とやらなのだろう。
「それは一体、どんな事に関してなんだ?」
口にした瞬間、彼の内側に踏み込み過ぎてしまったのではないかと冷やりとした。
オレにそんなことを聞く権利があるのだろうか。
「そうだな。ルノには話しておこう」
それでも、彼はそう言ってくれたのだった。
そして口を開く。
「次の満月の晩、オレはグロースクロイツ家の敵を討つ――――」
その一言に鋭く胸が串刺しにされた。一種の予感があったからかもしれない。
「その『何を犠牲にしてでも』というのは具体的に例えば?」
オレは恐る恐る尋ねた。
教授は重々しく口を開いた。
「曰く、人体実験をしているとか。曰く、敵対している者に暗殺者を差し向けたとか」
ドッ、ドッ、と心臓が嫌な感じに打っている。
「曰く……グロースクロイツ家の秘密を見てしまった乳母を口封じに殺した、とか」
「え――――」
まさか。
まさか、その乳母とは。
「それは確かなことなんですか!?」
思わずガタリと身を乗り出した。
必死なオレに、教授はゆっくりと首を横に振った。
「いや、どれも確証はない。風の噂さ」
「そう、なんですか……」
次第に気が落ち着いていくと同時に、自分の額を冷や汗が伝っていたことを自覚した。
ただの噂なら、口さがない人間が尾鰭を付けて垂れ流してるだけかもしれない。まさかアレクシスの大事な人が殺されていたなんて、それも家族に殺されたなんてそんな酷いことはないと信じたい。
「ただ、一つ確かなのは」
「確かなのは?」
ごくりと唾を飲んで、言葉の続きを促した。
「アイツは変わってしまったということだ」
教授は右手の甲を摩りながら遠い目をした。
右手の甲。オレならば黄薔薇の刻印がある場所だ。
だから何となく察した、アイツというのが誰の事か。
教授も昔はグロースクロイツ家の人間と番を組んでいたと言っていたではないか。その相手というのは年から考えると、もしかしてアレクシスの父……今のグロースクロイツ家の当主ではないだろうか。
「アイツは家のことしか考えなくなってしまった。……昔はよく共に時を過ごしたのにな」
教授は寂しそうに零した。
その言葉に、笑い合う若き日の彼らの姿を一瞬垣間見たような気がした。
「……」
オレは、何も言えなかった。
*
部屋に帰って、彼に何と言葉をかけよう。
乳母はただ死んだのではなく殺されたのではないか、と正面切って尋ねる勇気はなかった。そこはオレが土足で踏み入ってはならない場所だと思う。
では父親との仲は良好かと聞いてみようか? グロースクロイツ家の噂をアレクシスは知っているのか。事実だとしたらアレクシスはそれをどう思っているのか。
知りたいが、それを自然に聞き出せる会話能力はオレにはない。きっといかにも「悪い噂を耳にしました」という態度になってしまうだろう。事実無根だった場合、アレクシスを傷つけることになるのではないか。
だから、オレは何も聞かなかった振りをするしかない。上手く振る舞える自信はない。でも、やるしかない。
「チュ?」
エーファがオレのローブの中から顔を出して首を傾げる。
そうだ、フクロウに怯えてローブの中に隠れてたんだった。
「そうだな、行くか」
エーファの顔をうりうりと撫でてやると、オレは自室の扉を開けたのだった。
「ただいま……」
「ああ、ルノか」
窓際に立っていたアレクシスが振り向く。
同時に窓の向こうで何か黒い影が飛び立った。
「うん?」
彼が振り向いた瞬間、背中に何かを隠したように見えた。
間違いない、動く物を捉えるのは得意なのだ。
「何を持ってるんだ?」
思わず尋ねてしまった。
「あー……見つかってしまったか」
彼はニッコリと笑みを浮かべた。
オレはその笑みを見て思わずしかめっ面になってしまった。彼の笑顔が何かを誤魔化す時のそれだったからだ。
「いや何、父からの手紙だ。その、つい隠してしまっただけで」
「父?」
父親ということは、つまりグロースクロイツ家の当主――――。
動揺にピクリと身体が反応しそうになる。
「父親って、どんな人なんだ?」
オレは恐る恐る尋ねた。もしかすれば噂に反して良い人間かもしれないと思ったからだ。
「ああ、そうか。君は父君を亡くしているんだったな」
アレクシスがオレを哀れむように眉を下げた。そういう意味ではなかったのだが。
「そうだな、個々人にとって父親がどんな存在であるかは個人差があると思う。だがオレにとっての父親を言い表すとするのならば……」
オレが尋ねたのが嬉しかったのかペラペラと喋り出したと思ったのに、彼はすぐに言い淀んでしまった。
「言い表すと、するならば……」
彼の表情は陰り、口ごもった。
「どうした?」
心配になって、彼に近寄ると顔を上目遣いに見つめた。
「いや、すまない。ここのところ……疲れていて」
彼が片手で目元を覆う。
彼の憂いのある雰囲気に、黄薔薇の刻印が刻まれたその手の下から涙の粒が今にも伝い落ちてくるのではないかと思ってしまった。
「アレクシス……」
こんな時、どうすればいいのだろう。
目の前で大事な人が苦しそうな顔をしている。そのことに心が痛んだ。
彼のこんな顔を見るのは初めてのことだった。オレはこんな時、何を言ってあげればいいのだろう。
彼に何があったのかは分からなくても、オレは彼の助けになってあげたかった。
そっと、彼の手を取った。
「ルノ……?」
驚きに彼が顔を上げる。
「その、上手く言えないけれど……アレクシスの支えになりたい」
ぽつりと言った言葉に、彼が目を見張る。
彼のその表情だけで自分の言葉がもう恥ずかしくなってきてしまったが、言った事を翻しはしなかった。
「えっ、いやオレがルノの支えになるならまだしもそれは……」
「オレじゃ支えにはなれないか?」
じっと彼の瞳を見つめる。
「……いや、そんなことはない」
彼の瞳が、揺れたような気がした。
それを見たオレは、おずおずと彼の背中に手を伸ばした。
彼を抱擁し、母親が子供にするように柔らかく背中を撫でさする。
彼の身体を抱き締めながら、彼がオレに世話を焼いてお節介していた時の気持ちはこんな感じなのだろうかと思った。愛おしい人のその顔が暗くなると見ているだけで胸が痛くなる。何とかしてあげたいという気持ちが湧いてきた。
どれだけの間そうしていただろう。
肌に感じる彼の呼吸が落ち着いてきたような気がして、身体を離した。
「もし良ければ、何があったのかオレに話してくれないか?」
頼み込むような気持ちで彼の瞳を覗き込んだ。
いつの間にかお節介焼きの彼のような台詞を口にしている自分に気が付いた。自分の差し伸べた手が撥ね退けられてしまうのではないかと、不安に唾を飲む。こんなにも勇気のいる行為だとは知らなかった。彼はこれまでどれほどの勇気を振り絞って来たのだろう。
彼が優しい人間だからというのもあるかもしれないが、それ以上に……オレが相手だから気にかけてくれていたのではないだろうか。
「それは……」
オレから視線を逸らすように彼の視線が泳ぎ……そして、戻ってきた彼の視線がしっかりとオレの目と合った。
「……分かった。話そう」
「……!」
彼が事情を話してくれる。そのことに喜びすら覚えた。
彼が苦しんでいるのだからオレが喜んでいる場合ではない、気を引き締め直す。
「実を言うと、父が最近オレに隠し事をしている気がしてならないんだ」
「隠し事?」
それはもしや、グロースクロイツ家の黒い噂にまつわる話なのだろうか。
「ああ、オレに何か教えてくれないかと再三手紙を出したが、父の返事は『お前は何も知らなくていい』とだけ……」
くしゃり、紙が握り潰される音がした。
彼が今握り潰したのはその父親からの返事とやらなのだろう。
「それは一体、どんな事に関してなんだ?」
口にした瞬間、彼の内側に踏み込み過ぎてしまったのではないかと冷やりとした。
オレにそんなことを聞く権利があるのだろうか。
「そうだな。ルノには話しておこう」
それでも、彼はそう言ってくれたのだった。
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