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第二十五話 キンギョソウ、おせっかい
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「聞いてもいいかな?」
ケントが声を潜めてそう尋ねてきたのは、授業が始まる前のことだった。
「なんだ?」
「昨日、番相手といやに親密な様子だったが、もしかして……」
「もしかして?」
昨日とは授業の終わりにアレクシスがオレを迎えに来てくれた時のことだろう。
何を聞きたいのだと顔を顰める。
「もしかして、"そういう関係"になったのか?」
「なっ、な……っ!?」
ケントの言葉の意味していることを理解して、たちどころに顔が熱くなった。
"そういう関係"とはすなわちそういう関係のことに他ならないだろう。
「そんな訳ねえだろ……っ!」
「そ、そうか。やたら距離が近かった気がして」
噛み付かんばかりの勢いで反論するオレを、ケントは両手を前に出して宥めた。
オレの勢いに肩に乗っていたエーファが驚いて飛び上がった気配がした。
「そんなのはまだ早過ぎるだろ!」
「え? ということは、いずれ時が経てばということか?」
「あ、ち、違う!」
口が滑ったのをケントは耳聡く聞き付けた。
まさかアレクシスに絆されかけているのをケントまで勘付いているのだろうか。
オレはアレクシスに対する好意をはっきりと自覚してしまった。
この胸を擽る熱い想いこそがきっと恋煩いというものなのだろう。
オレはその想いをアレクシスに気取られたくなかった。
それは……どうせいつか彼に嫌われるから。
そうでなかったとしても、オレよりも家を優先するに決まってるから。
それ以上に――――何かを信じるのが怖かった。
気持ちを裏切られたら死にたくなるほどの何かに自分の身を託して、報われるようにと請い願うことなんてオレの手には余る。もしも裏切られたらオレはこの気持ちを何処へやればいいのか。その時、心臓は地獄のような苦しみに苛まれることだろう。オレはその痛みにどう対処したらいいか分からない。そんな痛み自体を負いたくはなかった。
オレはきっと、誰よりも臆病なんだ。
「とにかく、妙な勘繰りをするな!」
「ええ、ごめん……」
しかめっ面をしながら、これはケントの仕返しだなと思った。
昨日バルト先生との関係を無遠慮に聞いて彼を慌てさせたから、同じことをしてきたのだろう。
……この間はちょっと悪いことをしたかもしれない。
「ところで、ヒュフナー先生が君の事を呼んでいたよ」
「教授が?」
教授がまた何の用だろう。
「ああ。放課後に研究室に来て欲しいらしい。今朝たまたま会って、君に伝えるように言われたんだ」
「そうか」
そういえば学園の警備を素早く強化してもらえたのもあの初老の教師のおかげだ。そのことに対してまだ一言も礼を言ってなかった。呼ばれたのでなかったとしても、一度教授には会いに行くべきだろうと思った。
「分かった」
ケントの言葉に頷いて了解した。
*
「ボレスフォアくん、来てくれたんだね。ようこそ」
黴臭い地下の研究室に足を踏み入れると、何も言わずとも猫がニャーと一鳴きして椅子の上から下りた。この黒猫の名前はラウラだったろうか。ヒュフナー教授に手ぶりで促されて椅子に座ると、ほんのりと温かかった。
黒猫は床を蹴ると、凄まじい身体能力を発揮して高い棚の上に登った。前回もあそこに登ってた気がするが、お気に入りの場所なのだろうか。
「それにしてもこの間から、どうだね? 何か変わったことはなかったか?」
尋ねながら、教授はお茶を淹れてくれている。
「特に何も。おかげ様で……?」
ぎこちなく答えた。
「ははは、畏まらなくて大丈夫だとも。ルトガー、頼む」
教授がフクロウに声をかけると、フクロウが飛んできて紅茶のポッドを掴む。
ルトガーと呼ばれたフクロウは人間の頭の高さまで飛ぶと、ポッドを傾けてカップの中へと紅茶を注いだ。フクロウは零したり撥ねさせることなく器用に二杯分の紅茶を淹れた。まるで使い魔というよりも優秀な執事のようだ。
エーファはフクロウに怯え、「チュ!」と一声鳴いてオレのローブの中に隠れてしまった。
「どうぞ」
「ありがとう、ございます」
紅茶なんて洒落たものを嗜む趣味などないのだが、と内心独りごちながらカップを傾ける。
「それじゃつまり、これまでの間誰かに襲われたり、もしくは見張られてるような視線を感じたりといったことはなかったんだね?」
「はい、別に」
「それは良かった」
どうやら教授はオレの身を案じてくれているようだ。
近況を聞きたかったからオレの事を呼んだのだろう。
「教授が早々に学園長にかけあって学園の警備を強化してくれたからだと思います」
きっと見えないところでも警備の強化の為にいろいろやってくれているのだろう。
「礼を言われる程のことではない。教師として、いや君たち生徒を守る義務のある大人として当然のことだ」
教授は鷹揚に笑う。
これが魔術を受け継ぐ跡継ぎだとか弟子だというならまだ理解できるが、オレは一介の生徒に過ぎないのに、教授はこうして親切にしてくれる。そのことが未だに不思議で堪らなかった。
「あるいは、私があげた指輪の効能かもしれんな」
教授は冗談めかして笑った。
彼がくれた木製の指輪に目を落とす。これが何か効果を発揮したという実感は特にないから、本当に気休め程度のものなのだと思う。
「ところで……一つ聞きたいことがあるんですが」
カップを机に置くと、教授を真っ直ぐ見据えた。
「教授は以前『グロースクロイツ家に気を付けろ』と言ってましたが、それは何か根拠があるんですか?」
オレの言葉に、紅茶を飲んでいた彼の手がはたりと止まった。
「それはだな……」
言葉に詰まったその様子に、何かあるのだとオレは確信した。
オレは知りたかった。アレクシスの家に一体どんな事情があるのか。
それは別にこのまま彼と付き合うのは危ないかもしれないとか、番であるオレには知る権利があると思ったからとかではない。ただ、エーファに柔らかく微笑みかけていたあの優しい彼がもし、変な環境に置かれているのであれば……それは何とかしたい。そう思っただけだ。オレなんかに出来ることなんて、たかが知れてるかもしれないけれど。
「お願いします。教えて下さい」
オレは教授に向かって真剣に頭を下げた。
教授は何も言葉にしなかったが、悩んでるような気配が感じ取れた。
やがて、教授は一つの嘆息と共に口を開いた。
「……分かった」
「……!」
「君には聞いておく権利があると思うからな」
教授はカチャリと微かな音を立ててカップを置く。
「まず最初に『全なる一』という概念については知っているかな。いや、知らなかったとしてもいずれ授業で習うだろう」
こくりと教授の言葉に頷いた。
確か古代魔術師がこぞって目指してる最終目標みたいなものだったか。
「それなら話が早い。魔術の到達すべき深奥、此岸の果て。ロワン・ディシ。それが全なる一だ」
「前にその全なる一? について聞いた時はすべての人間が幸せになれるみたいなとんでもない代物だって聞いたんだけど」
その全なる一とやらが話にどう関係するのかと思いながらも、話を聞く。
この際だから前にケントに話を聞いてピンと来なかった所を聞いておこう。
「ふふ。確かにそういう俗っぽい言い方もできるな」
「違う……んですか?」
教授は可笑しそうにくすりと微笑んだ。
「かつては全ての魔術師が全なる一を目指していた。それこそ古代魔術が現代魔術に取って代わられる前はな」
教授の話にこくりと頷く。
「前に使役術というのは大陸から半端にしか伝わって来なかった不完全な術だということは話しただろう。しかしある意味では、使役の術だけではなくすべての魔術が不完全なのだ」
「なるほど……?」
「完全な魔術は人類を完全な状態にするだろうと思われた。完全な状態を目指すのに理由などいらなかった。そこに数式があれば解を求めずにはいられないように。ただ完全に至って人類が次のステージに至れば、副産物として不自由が無くなり幸福になれると言われてる」
話は何となく理解できてきた。
「それで、それがグロースクロイツ家の話に何の関係があるんですか?」
「グロースクロイツ家は未だに全なる一を目指している――――それこそ何を犠牲にしてでも」
『何を犠牲にしてでも』
その言葉に嫌な予感がして、胸を鋭く突き刺されたような気がした。
ケントが声を潜めてそう尋ねてきたのは、授業が始まる前のことだった。
「なんだ?」
「昨日、番相手といやに親密な様子だったが、もしかして……」
「もしかして?」
昨日とは授業の終わりにアレクシスがオレを迎えに来てくれた時のことだろう。
何を聞きたいのだと顔を顰める。
「もしかして、"そういう関係"になったのか?」
「なっ、な……っ!?」
ケントの言葉の意味していることを理解して、たちどころに顔が熱くなった。
"そういう関係"とはすなわちそういう関係のことに他ならないだろう。
「そんな訳ねえだろ……っ!」
「そ、そうか。やたら距離が近かった気がして」
噛み付かんばかりの勢いで反論するオレを、ケントは両手を前に出して宥めた。
オレの勢いに肩に乗っていたエーファが驚いて飛び上がった気配がした。
「そんなのはまだ早過ぎるだろ!」
「え? ということは、いずれ時が経てばということか?」
「あ、ち、違う!」
口が滑ったのをケントは耳聡く聞き付けた。
まさかアレクシスに絆されかけているのをケントまで勘付いているのだろうか。
オレはアレクシスに対する好意をはっきりと自覚してしまった。
この胸を擽る熱い想いこそがきっと恋煩いというものなのだろう。
オレはその想いをアレクシスに気取られたくなかった。
それは……どうせいつか彼に嫌われるから。
そうでなかったとしても、オレよりも家を優先するに決まってるから。
それ以上に――――何かを信じるのが怖かった。
気持ちを裏切られたら死にたくなるほどの何かに自分の身を託して、報われるようにと請い願うことなんてオレの手には余る。もしも裏切られたらオレはこの気持ちを何処へやればいいのか。その時、心臓は地獄のような苦しみに苛まれることだろう。オレはその痛みにどう対処したらいいか分からない。そんな痛み自体を負いたくはなかった。
オレはきっと、誰よりも臆病なんだ。
「とにかく、妙な勘繰りをするな!」
「ええ、ごめん……」
しかめっ面をしながら、これはケントの仕返しだなと思った。
昨日バルト先生との関係を無遠慮に聞いて彼を慌てさせたから、同じことをしてきたのだろう。
……この間はちょっと悪いことをしたかもしれない。
「ところで、ヒュフナー先生が君の事を呼んでいたよ」
「教授が?」
教授がまた何の用だろう。
「ああ。放課後に研究室に来て欲しいらしい。今朝たまたま会って、君に伝えるように言われたんだ」
「そうか」
そういえば学園の警備を素早く強化してもらえたのもあの初老の教師のおかげだ。そのことに対してまだ一言も礼を言ってなかった。呼ばれたのでなかったとしても、一度教授には会いに行くべきだろうと思った。
「分かった」
ケントの言葉に頷いて了解した。
*
「ボレスフォアくん、来てくれたんだね。ようこそ」
黴臭い地下の研究室に足を踏み入れると、何も言わずとも猫がニャーと一鳴きして椅子の上から下りた。この黒猫の名前はラウラだったろうか。ヒュフナー教授に手ぶりで促されて椅子に座ると、ほんのりと温かかった。
黒猫は床を蹴ると、凄まじい身体能力を発揮して高い棚の上に登った。前回もあそこに登ってた気がするが、お気に入りの場所なのだろうか。
「それにしてもこの間から、どうだね? 何か変わったことはなかったか?」
尋ねながら、教授はお茶を淹れてくれている。
「特に何も。おかげ様で……?」
ぎこちなく答えた。
「ははは、畏まらなくて大丈夫だとも。ルトガー、頼む」
教授がフクロウに声をかけると、フクロウが飛んできて紅茶のポッドを掴む。
ルトガーと呼ばれたフクロウは人間の頭の高さまで飛ぶと、ポッドを傾けてカップの中へと紅茶を注いだ。フクロウは零したり撥ねさせることなく器用に二杯分の紅茶を淹れた。まるで使い魔というよりも優秀な執事のようだ。
エーファはフクロウに怯え、「チュ!」と一声鳴いてオレのローブの中に隠れてしまった。
「どうぞ」
「ありがとう、ございます」
紅茶なんて洒落たものを嗜む趣味などないのだが、と内心独りごちながらカップを傾ける。
「それじゃつまり、これまでの間誰かに襲われたり、もしくは見張られてるような視線を感じたりといったことはなかったんだね?」
「はい、別に」
「それは良かった」
どうやら教授はオレの身を案じてくれているようだ。
近況を聞きたかったからオレの事を呼んだのだろう。
「教授が早々に学園長にかけあって学園の警備を強化してくれたからだと思います」
きっと見えないところでも警備の強化の為にいろいろやってくれているのだろう。
「礼を言われる程のことではない。教師として、いや君たち生徒を守る義務のある大人として当然のことだ」
教授は鷹揚に笑う。
これが魔術を受け継ぐ跡継ぎだとか弟子だというならまだ理解できるが、オレは一介の生徒に過ぎないのに、教授はこうして親切にしてくれる。そのことが未だに不思議で堪らなかった。
「あるいは、私があげた指輪の効能かもしれんな」
教授は冗談めかして笑った。
彼がくれた木製の指輪に目を落とす。これが何か効果を発揮したという実感は特にないから、本当に気休め程度のものなのだと思う。
「ところで……一つ聞きたいことがあるんですが」
カップを机に置くと、教授を真っ直ぐ見据えた。
「教授は以前『グロースクロイツ家に気を付けろ』と言ってましたが、それは何か根拠があるんですか?」
オレの言葉に、紅茶を飲んでいた彼の手がはたりと止まった。
「それはだな……」
言葉に詰まったその様子に、何かあるのだとオレは確信した。
オレは知りたかった。アレクシスの家に一体どんな事情があるのか。
それは別にこのまま彼と付き合うのは危ないかもしれないとか、番であるオレには知る権利があると思ったからとかではない。ただ、エーファに柔らかく微笑みかけていたあの優しい彼がもし、変な環境に置かれているのであれば……それは何とかしたい。そう思っただけだ。オレなんかに出来ることなんて、たかが知れてるかもしれないけれど。
「お願いします。教えて下さい」
オレは教授に向かって真剣に頭を下げた。
教授は何も言葉にしなかったが、悩んでるような気配が感じ取れた。
やがて、教授は一つの嘆息と共に口を開いた。
「……分かった」
「……!」
「君には聞いておく権利があると思うからな」
教授はカチャリと微かな音を立ててカップを置く。
「まず最初に『全なる一』という概念については知っているかな。いや、知らなかったとしてもいずれ授業で習うだろう」
こくりと教授の言葉に頷いた。
確か古代魔術師がこぞって目指してる最終目標みたいなものだったか。
「それなら話が早い。魔術の到達すべき深奥、此岸の果て。ロワン・ディシ。それが全なる一だ」
「前にその全なる一? について聞いた時はすべての人間が幸せになれるみたいなとんでもない代物だって聞いたんだけど」
その全なる一とやらが話にどう関係するのかと思いながらも、話を聞く。
この際だから前にケントに話を聞いてピンと来なかった所を聞いておこう。
「ふふ。確かにそういう俗っぽい言い方もできるな」
「違う……んですか?」
教授は可笑しそうにくすりと微笑んだ。
「かつては全ての魔術師が全なる一を目指していた。それこそ古代魔術が現代魔術に取って代わられる前はな」
教授の話にこくりと頷く。
「前に使役術というのは大陸から半端にしか伝わって来なかった不完全な術だということは話しただろう。しかしある意味では、使役の術だけではなくすべての魔術が不完全なのだ」
「なるほど……?」
「完全な魔術は人類を完全な状態にするだろうと思われた。完全な状態を目指すのに理由などいらなかった。そこに数式があれば解を求めずにはいられないように。ただ完全に至って人類が次のステージに至れば、副産物として不自由が無くなり幸福になれると言われてる」
話は何となく理解できてきた。
「それで、それがグロースクロイツ家の話に何の関係があるんですか?」
「グロースクロイツ家は未だに全なる一を目指している――――それこそ何を犠牲にしてでも」
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