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第十八話 アプリコット、疑惑
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「ここ、いいかな?」
食堂でケントと向かい合って食事していると、二人組の男に声をかけられた。
彼らが着ているのは下級生の証の黒いローブでも、上級生の証である白いローブでもない。
一人はアレクシスと同じくらい濃く黒い肌色で、金糸の刺繍がされた紫色のローブを羽織っている。
もう一人はモノクルをかけた初老の男で、シャツの上に赤褐色のベストをキッチリと着ている。
彼らが何者であるかは明白だ。
彼らはこの魔術学校の教師だ。
この学園にいる教師はもちろんバルト先生だけではない。
どうやら彼らは他に席の空きがなくて、オレたちの隣にやってきたようだった。
「はい、どうぞ!」
ケントが即答した。
「新入生の子かぁ。学校の授業にはもう慣れたかい?」
紫ローブの方の教師が椅子に腰掛けながらオレたちに尋ねる。
「ええ、毎日大変ですがどうにか」
受け答えはケントに任せて、オレはスープをすする。
オレでは愛想のよい返事を返せそうにない。
「失礼ですが先生方は何の講義を担当してらっしゃるのかお聞きしても?」
ケントはこの機会に教師らと親睦を深めようとしているようだった。
教師らも自分の専門を尋ねられて機嫌良さそうににこりと笑う。
「ああ、僕は風読み士だよ。此方のヒュフナー氏は使役学の教授さ」
「本当ですか! 僕は風読学に、ルノくんは使役学に興味があるんです」
偶然にも彼らはそれぞれオレたちが学びたいと思っている科目の教師だった。
「おお、それは嬉しいね」
初老の教師ヒュフナーがにこにこと頷いてオレを見る。
オレはなるべく不機嫌な顔にならないように気を付けながら会釈を返す。
だが、
「ルノくんと言ったか。良ければでいいんだが、授業が終わったら、私の研究室に来ないかい?」
その一言に思わずオレは「面倒くさい」と顔に出してしまった。
*
「散らかっていてすまんね」
「いえいえ」
「……」
結局オレはケントを巻き込んで二人でヒュフナー教師の研究室にお邪魔した。
使役学には確かに興味があるが、教師がわざわざ研究室に生徒を呼ぶからには何か手伝いをさせる気なんだろう。
ケントを誘うと、ケントは喜んでついてきた。
「ほれ、退いてくれないか」
研究室の椅子に黒猫が丸まって寝ていた。
ヒュフナー教師が頼むと、言葉が通じているかのように黒猫は椅子から下りた。
そして彼はもう一脚椅子を持ってくる。
「さ、かけてくれ」
ヒュフナー教授が促すので、その椅子にそれぞれ腰を下ろした。
彼がぱっと空中に腕を突き出す。
するとバサバサと音がして、その腕にフクロウが留まった。
小ぶりな大きさのフクロウはぎょろりとした瞳でオレたちを見つめている。
「私の使い魔の一人のルトガーだ」
ヒュフナーはにこにことそのフクロウを自慢する。
その顔は無邪気な少年のようだった。
「私とルトガーや、さっきのラウラとの間には"絆"が結ばれている。そのおかげで私たちは意志の疎通ができる」
今は棚の上に上がってそこで横になっている黒猫を彼が視線で示す。
あの猫がラウラという名前なのだろう。
「ところで、君たちはどういう原理で私たち魔術師が使い魔と絆を結ぶことが出来ているのか知っているかね?」
「いえ。すみません不勉強で」
ケントと同じくオレも知らない。
首を横に振った。
「ふふ、すまんすまん。意地の悪い質問をしてしまったな」
それの何が面白かったのか、ヒュフナーは一人でくっくと笑っている。
「実を言うと使役学の原理は未だに解明されていないのだよ。それとも失われてしまったと言うべきか。古代魔術師の祖先たちが南の大陸から渡ってきた時、使役術についてはそのやり方しか伝わって来なかったのだ。かくして長い間我々は『こうこうこうすれば使い魔を作ることが出来るが、どうしてそうなるのかは分からない』という状態なのだ」
それなら使役学の原理なんか誰も知らないんじゃないか。
オレはムッと顔を顰めた。
「私はその原理を研究してるんだ」
ルトガーがパッと羽を広げて、ヒュフナーの腕から飛び立った。
そしてヒュフナーは後ろを向く。後方にあった籠から何かを取り出している。
彼が振り向くと、手の中に白いネズミがいた。
「そいつも使い魔か?」
「いいや、コイツは実験用さ」
白いネズミが机の上の水槽に入れられた。
机の上には元々透明なガラス玉が台の上に設置されている。
これから何をする気なのだろう。
「絆を結ぶことで主と使い魔との間で意思疎通が可能になる理由は、主と使い魔とで魂のごく一部を混ぜ合って交換するからではないかと思う」
ヒュフナーは杖を取り出し、水槽の中のマウスを小突く。
それから空気を掻き回すように杖をマウスの頭上でくるくるさせる。
するとマウスが身体をビクビクと痙攣させ始めた。
「……ッ!」
杖に引っ張られるようにしてマウスの中から何かが抜け出していくのが分かった。
目に見えた訳ではないがそんな感じがした。
それと同時にマウスがパタリと死んだように倒れる。
そしてヒュフナーはマウスの中から取り出した『何か』をガラス玉の方へと杖で引っ張っていく。
すると引き込まれるように『何か』がヒュッとガラス玉の中へと入っていく感覚がした。
ガラス玉の中でその『何か』が渦を巻いている。
「見えたかね? 今のは使い魔と絆を結ぶ時の要領を応用して、このネズミの魂をガラス玉の中へと移し替えたのだ」
教授は何でもないことのように言う。
「このネズミは、死んだのか?」
「いやいや。魂を元に戻せば何ということはない」
オレが物問いたげな顔を向けているのに気がついたのか、ヒュフナー教授は説明を始める。
「勿論、これも使役の研究をするのに必要なことだ。使役とは主と使い魔の魂を分け与え合う行為だと聞いて、浮上した疑問など無かったかね?」
「ええと……例えば沢山の使い魔を作り過ぎたら、その人の元の魂がなくなってしまうんじゃないかとかですかね?」
ケントが質問に答えた。
「そうだ。私も同じことを考えた。使い魔を持ち過ぎると獣の魂を持つことになるのだろうかと。もし実際にそうして獣の魂を持つことになってしまった人間がいれば、使役とは魂を媒介にした術であることを証明できる」
「まさか自分の身体で実験をする気か?」
ルトガーやラウラなど複数の使い魔がいるのはその為だろうかと尋ねる。
「ははは、そんな勇気があれば良かったが無理だったよ。とはいえ他人の身体で実験するのも良くない。だから何とか動物で実験できないかと思ってるんだ」
「このガラス玉もその一環という訳か」
なるほど。この教師のしたいことが見えてきた。
「ああ。人工的に動物同士の間に使役の絆を結ばせられないかと試しているんだ。だがこれがなかなか上手くいかなくてね」
そう言いながらヒュフナーが籠の中からさらにもう一匹のマウスを取り出す。
そしてそのマウスからも魂を抜き出してしまう。
水槽の中にもう一匹、死んだように動かなくなったマウスが増えた。
ヒュフナーは抜き出した魂を再びガラス玉の中に入れようとする。
しかし杖がガラス玉に触れた瞬間、そこに入ろうとした魂は弾かれてしまった。
「ほら、こんな風に失敗してしまうんだ」
「なるほど」
ケントは神妙な顔で頷くが、オレはそろそろ不安になってきていた。
こんなことをオレたちに説明して、ヒュフナーは何をさせようという気なのだろうと。
「思うに、ネズミでは身体の構造が複雑過ぎるのかもしれん。次は昆虫か何かで試してみようと思ってるんだが……」
マウスの魂を元の身体に戻してやりながら、ヒュフナーがにっこりとした笑みをオレたちに向ける。
「時間があればでいいんだが、虫を捕って持ってきてくれないか? いくらか駄賃も弾もう」
やっぱりそういう用事だったかと顔を顰める。
後々講義を受けさせてもらう立場だから無下に断れる筈もない。
「……分かりました」
オレは渋々とそう答えたのだった。
仕方ない、後で森に行くとしよう。
「ああそうだ、黄薔薇の君!」
話が終わって研究室から出ようとすると、オレだけ呼び止められた。
ケントに「先に行ってろ」と手ぶりで示す。
「いやなに、その刻印が懐かしくて」
「懐かしい……?」
ヒュフナーの視線はオレの右手の甲に注がれている。
「ああ、私がここの学生だった時も番相手がグロースクロイツ家の人でね。君の刻印を見て思わず思い出してしまったんだ」
「ふうん……?」
自分の右手を見下ろす。
ヒュフナー教授も若い時にはこの魔術学校の生徒だったのか。
その時にグロースクロイツ家の奴に薔薇を刻まれて……?
「もちろん刻印として刻まれた花の種類は違うとも。だが刻印から感じる魔力の質というか、それが懐かしくてね」
まさか代々薔薇の刻印を送っているのかと思いかけたところで、ヒュフナーのフォローが入る。
また変な勘違いをするところだった。
「グロースクロイツ家の人はちょっと強引で大変だろう?」
「まあな」
性格に関しては代々似たようなものらしい。
全員アレクシスみたいな性格をしている一家を想像して、ニヤリと笑ってしまう。
「同じ家系の人間を番にしたよしみだ、ちょっとした物をあげよう」
そう言ってヒュフナーは引き出しから小箱を取り出した。
彼が小箱をパカリと開けると、中には真っ黒な指輪が入っていた。
艶っぽい材質でできたそれはキラリと光を反射している。
「黒曜石……? いや、木か」
指輪を手に取って内側を見てみると、それが木製だということがすぐに分かった。
外側には漆か何かが塗られてツヤツヤとして見えたのだろう。
「ぬか喜びさせてすまんね。ただの魔除けさ」
「同居人の邪な下心から身を守れるようにって?」
オレとヒュフナー教授は顔を見合わせると、二人してくすくすと笑ったのだった。
この初老の男とほんの少し気が合うかもしれないと思えたのだった。
「しかし、真面目な話をするとだね」
ヒュフナー教授がふっと真顔になる。
「個人的な付き合いならともかく、グロースクロイツ家のような古い家系とはあまり関わり合いにならない方がいい」
「それは一体、どういう意味で……?」
さっきまでのような軽い冗談ではないことは分かる。
オレは不安に眉を顰める。
「ああいう古い家は昔の威光を忘れられずにいるのだ。現代魔術に台頭される前のな」
「昔の威光……」
それは想像に難くない。
古い貴族たちにとっては権力を奪われたような気持ちがしているだろう。
でもだからと言って何か危険があるのか?
「彼らに利用されないように気を付けたまえよ」
教授の真剣な眼差しに、胸の中に不安が立ち込めてくるのを感じた。
食堂でケントと向かい合って食事していると、二人組の男に声をかけられた。
彼らが着ているのは下級生の証の黒いローブでも、上級生の証である白いローブでもない。
一人はアレクシスと同じくらい濃く黒い肌色で、金糸の刺繍がされた紫色のローブを羽織っている。
もう一人はモノクルをかけた初老の男で、シャツの上に赤褐色のベストをキッチリと着ている。
彼らが何者であるかは明白だ。
彼らはこの魔術学校の教師だ。
この学園にいる教師はもちろんバルト先生だけではない。
どうやら彼らは他に席の空きがなくて、オレたちの隣にやってきたようだった。
「はい、どうぞ!」
ケントが即答した。
「新入生の子かぁ。学校の授業にはもう慣れたかい?」
紫ローブの方の教師が椅子に腰掛けながらオレたちに尋ねる。
「ええ、毎日大変ですがどうにか」
受け答えはケントに任せて、オレはスープをすする。
オレでは愛想のよい返事を返せそうにない。
「失礼ですが先生方は何の講義を担当してらっしゃるのかお聞きしても?」
ケントはこの機会に教師らと親睦を深めようとしているようだった。
教師らも自分の専門を尋ねられて機嫌良さそうににこりと笑う。
「ああ、僕は風読み士だよ。此方のヒュフナー氏は使役学の教授さ」
「本当ですか! 僕は風読学に、ルノくんは使役学に興味があるんです」
偶然にも彼らはそれぞれオレたちが学びたいと思っている科目の教師だった。
「おお、それは嬉しいね」
初老の教師ヒュフナーがにこにこと頷いてオレを見る。
オレはなるべく不機嫌な顔にならないように気を付けながら会釈を返す。
だが、
「ルノくんと言ったか。良ければでいいんだが、授業が終わったら、私の研究室に来ないかい?」
その一言に思わずオレは「面倒くさい」と顔に出してしまった。
*
「散らかっていてすまんね」
「いえいえ」
「……」
結局オレはケントを巻き込んで二人でヒュフナー教師の研究室にお邪魔した。
使役学には確かに興味があるが、教師がわざわざ研究室に生徒を呼ぶからには何か手伝いをさせる気なんだろう。
ケントを誘うと、ケントは喜んでついてきた。
「ほれ、退いてくれないか」
研究室の椅子に黒猫が丸まって寝ていた。
ヒュフナー教師が頼むと、言葉が通じているかのように黒猫は椅子から下りた。
そして彼はもう一脚椅子を持ってくる。
「さ、かけてくれ」
ヒュフナー教授が促すので、その椅子にそれぞれ腰を下ろした。
彼がぱっと空中に腕を突き出す。
するとバサバサと音がして、その腕にフクロウが留まった。
小ぶりな大きさのフクロウはぎょろりとした瞳でオレたちを見つめている。
「私の使い魔の一人のルトガーだ」
ヒュフナーはにこにことそのフクロウを自慢する。
その顔は無邪気な少年のようだった。
「私とルトガーや、さっきのラウラとの間には"絆"が結ばれている。そのおかげで私たちは意志の疎通ができる」
今は棚の上に上がってそこで横になっている黒猫を彼が視線で示す。
あの猫がラウラという名前なのだろう。
「ところで、君たちはどういう原理で私たち魔術師が使い魔と絆を結ぶことが出来ているのか知っているかね?」
「いえ。すみません不勉強で」
ケントと同じくオレも知らない。
首を横に振った。
「ふふ、すまんすまん。意地の悪い質問をしてしまったな」
それの何が面白かったのか、ヒュフナーは一人でくっくと笑っている。
「実を言うと使役学の原理は未だに解明されていないのだよ。それとも失われてしまったと言うべきか。古代魔術師の祖先たちが南の大陸から渡ってきた時、使役術についてはそのやり方しか伝わって来なかったのだ。かくして長い間我々は『こうこうこうすれば使い魔を作ることが出来るが、どうしてそうなるのかは分からない』という状態なのだ」
それなら使役学の原理なんか誰も知らないんじゃないか。
オレはムッと顔を顰めた。
「私はその原理を研究してるんだ」
ルトガーがパッと羽を広げて、ヒュフナーの腕から飛び立った。
そしてヒュフナーは後ろを向く。後方にあった籠から何かを取り出している。
彼が振り向くと、手の中に白いネズミがいた。
「そいつも使い魔か?」
「いいや、コイツは実験用さ」
白いネズミが机の上の水槽に入れられた。
机の上には元々透明なガラス玉が台の上に設置されている。
これから何をする気なのだろう。
「絆を結ぶことで主と使い魔との間で意思疎通が可能になる理由は、主と使い魔とで魂のごく一部を混ぜ合って交換するからではないかと思う」
ヒュフナーは杖を取り出し、水槽の中のマウスを小突く。
それから空気を掻き回すように杖をマウスの頭上でくるくるさせる。
するとマウスが身体をビクビクと痙攣させ始めた。
「……ッ!」
杖に引っ張られるようにしてマウスの中から何かが抜け出していくのが分かった。
目に見えた訳ではないがそんな感じがした。
それと同時にマウスがパタリと死んだように倒れる。
そしてヒュフナーはマウスの中から取り出した『何か』をガラス玉の方へと杖で引っ張っていく。
すると引き込まれるように『何か』がヒュッとガラス玉の中へと入っていく感覚がした。
ガラス玉の中でその『何か』が渦を巻いている。
「見えたかね? 今のは使い魔と絆を結ぶ時の要領を応用して、このネズミの魂をガラス玉の中へと移し替えたのだ」
教授は何でもないことのように言う。
「このネズミは、死んだのか?」
「いやいや。魂を元に戻せば何ということはない」
オレが物問いたげな顔を向けているのに気がついたのか、ヒュフナー教授は説明を始める。
「勿論、これも使役の研究をするのに必要なことだ。使役とは主と使い魔の魂を分け与え合う行為だと聞いて、浮上した疑問など無かったかね?」
「ええと……例えば沢山の使い魔を作り過ぎたら、その人の元の魂がなくなってしまうんじゃないかとかですかね?」
ケントが質問に答えた。
「そうだ。私も同じことを考えた。使い魔を持ち過ぎると獣の魂を持つことになるのだろうかと。もし実際にそうして獣の魂を持つことになってしまった人間がいれば、使役とは魂を媒介にした術であることを証明できる」
「まさか自分の身体で実験をする気か?」
ルトガーやラウラなど複数の使い魔がいるのはその為だろうかと尋ねる。
「ははは、そんな勇気があれば良かったが無理だったよ。とはいえ他人の身体で実験するのも良くない。だから何とか動物で実験できないかと思ってるんだ」
「このガラス玉もその一環という訳か」
なるほど。この教師のしたいことが見えてきた。
「ああ。人工的に動物同士の間に使役の絆を結ばせられないかと試しているんだ。だがこれがなかなか上手くいかなくてね」
そう言いながらヒュフナーが籠の中からさらにもう一匹のマウスを取り出す。
そしてそのマウスからも魂を抜き出してしまう。
水槽の中にもう一匹、死んだように動かなくなったマウスが増えた。
ヒュフナーは抜き出した魂を再びガラス玉の中に入れようとする。
しかし杖がガラス玉に触れた瞬間、そこに入ろうとした魂は弾かれてしまった。
「ほら、こんな風に失敗してしまうんだ」
「なるほど」
ケントは神妙な顔で頷くが、オレはそろそろ不安になってきていた。
こんなことをオレたちに説明して、ヒュフナーは何をさせようという気なのだろうと。
「思うに、ネズミでは身体の構造が複雑過ぎるのかもしれん。次は昆虫か何かで試してみようと思ってるんだが……」
マウスの魂を元の身体に戻してやりながら、ヒュフナーがにっこりとした笑みをオレたちに向ける。
「時間があればでいいんだが、虫を捕って持ってきてくれないか? いくらか駄賃も弾もう」
やっぱりそういう用事だったかと顔を顰める。
後々講義を受けさせてもらう立場だから無下に断れる筈もない。
「……分かりました」
オレは渋々とそう答えたのだった。
仕方ない、後で森に行くとしよう。
「ああそうだ、黄薔薇の君!」
話が終わって研究室から出ようとすると、オレだけ呼び止められた。
ケントに「先に行ってろ」と手ぶりで示す。
「いやなに、その刻印が懐かしくて」
「懐かしい……?」
ヒュフナーの視線はオレの右手の甲に注がれている。
「ああ、私がここの学生だった時も番相手がグロースクロイツ家の人でね。君の刻印を見て思わず思い出してしまったんだ」
「ふうん……?」
自分の右手を見下ろす。
ヒュフナー教授も若い時にはこの魔術学校の生徒だったのか。
その時にグロースクロイツ家の奴に薔薇を刻まれて……?
「もちろん刻印として刻まれた花の種類は違うとも。だが刻印から感じる魔力の質というか、それが懐かしくてね」
まさか代々薔薇の刻印を送っているのかと思いかけたところで、ヒュフナーのフォローが入る。
また変な勘違いをするところだった。
「グロースクロイツ家の人はちょっと強引で大変だろう?」
「まあな」
性格に関しては代々似たようなものらしい。
全員アレクシスみたいな性格をしている一家を想像して、ニヤリと笑ってしまう。
「同じ家系の人間を番にしたよしみだ、ちょっとした物をあげよう」
そう言ってヒュフナーは引き出しから小箱を取り出した。
彼が小箱をパカリと開けると、中には真っ黒な指輪が入っていた。
艶っぽい材質でできたそれはキラリと光を反射している。
「黒曜石……? いや、木か」
指輪を手に取って内側を見てみると、それが木製だということがすぐに分かった。
外側には漆か何かが塗られてツヤツヤとして見えたのだろう。
「ぬか喜びさせてすまんね。ただの魔除けさ」
「同居人の邪な下心から身を守れるようにって?」
オレとヒュフナー教授は顔を見合わせると、二人してくすくすと笑ったのだった。
この初老の男とほんの少し気が合うかもしれないと思えたのだった。
「しかし、真面目な話をするとだね」
ヒュフナー教授がふっと真顔になる。
「個人的な付き合いならともかく、グロースクロイツ家のような古い家系とはあまり関わり合いにならない方がいい」
「それは一体、どういう意味で……?」
さっきまでのような軽い冗談ではないことは分かる。
オレは不安に眉を顰める。
「ああいう古い家は昔の威光を忘れられずにいるのだ。現代魔術に台頭される前のな」
「昔の威光……」
それは想像に難くない。
古い貴族たちにとっては権力を奪われたような気持ちがしているだろう。
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