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第十六話 ツツジ、恋の自覚

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「傭兵……?」
「ああ」

 彼がオレの素肌を目にしたのを確認して、そそくさとボタンを閉めてしまう。
 まるでそこにまだ生傷が存在しているかのように、覆い隠す。

「所によっちゃ山賊と変わらず、出会った者すべてから力づくの略奪を行うあの傭兵団だ」

 力を持っていれば、それを振るわずにいる理由を見つける方が難しい。
 特に旅先で出くわせば死を覚悟しなければならない存在。
 それが傭兵団というものだった。

「勿論うちの傭兵団は無駄な略奪なんか行わなかった。けれど世間からはそう目された」

 街中に入れば、狼の群れが現れたかのように怯えられた。
 それがオレの日常だった。

「あんたもオレのことそう思うか?」
「まさか」

 オレが尋ねると、固まっていたアレクシスが時が動き出したかのように反射的に答えた。

「いや、職業の貴賤はない。偏見はないとも」

 彼の答えは何とも優等生然としたものだった。
 これだから最初からオレは思っていたんだ。
 オレと彼とでは何もかもが違い過ぎると。

 それでも真っ向から罵倒されなかったことにほっとしてしまっていた。
 勝手に幻想を抱かれて、「騙したな」と怒鳴られることがなくて良かったと。

 今までずっと息を止めていたかのように、ほっと大きく息を吐いた。

 このことは自分から言わなくてもその内発覚していたことだろう。
 例えば何かの拍子に傷跡だらけの裸を見られたりとか。
 その時に問い質されるよりは、自分から暴露する方がマシではないかと最近ずっと思っていた。
 どうせ嫌われるなら早い方がいい。

 だから、肩から重荷を下ろしたような気分だった。

「おふくろはオレが生まれる前から傭兵をやっていた。だから、オレも剣を握れる年になると自然に傭兵をやることになった」

「つまり、傭兵として稼いでいたから学園の授業料が賄えたということか」

 アレクシスの問いに頷く。

「おふくろは何時頃からか危険で見返りの大きい依頼ばかり受けるようになった。今考えてみれば、それはオレに魔術師としての才能があると分かってからのことだった」

 そっぽを向きながら語って聞かせる。
 話し始めると自分にしてはすらすら言葉が出てくるのを感じて、オレはもしかしたら誰かに話したかったんじゃないかと思った。

「やがておふくろはリスキーな仕事ばかり受けていた報いを受けることになった。おふくろは片足を失って傭兵を辞めることになった」

「…………」

 アレクシスは口を挟まず話を聞いてくれている。

「……なのに、貯めた金で魔術学校に入れとおふくろは言った。一歩間違えれば手足を失うような仕事からは抜け出せと」

 気がつけばオレの声音は震え始めていた。

「オレはおふくろや仲間と一緒に剣を振るえればそれで良かったのに。戦いの中で手足を失うことなんて怖くない。オレたちを異物だと思っている周りの視線の方がよっぽど……」

 怖かった。
 その一言を呑み込んだ。

 一人ひとりの人間は決して怖くなどない。
 人間はみな剣で突けば殺せる。

 だがそれらが集まると何とも言えない空気を生み出す。
 「常識」とか「良識」と呼称されるような、オレたちみたいな存在を言外に拒絶する透明な膜のようなものだ。
 目に見えない何かから仲間外れにされている。
 その感覚がオレはいつも怖かった。森の中にいるとされる化け物よりも。戦場よりも。

「だが君の母君は君のこと想ってそう言ったのだろう」

 アレクシスはオレの隣で、何とも言えない視線をオレに向けていた。
 その瞳に籠められた感情は憐憫だろうか。

「分かってる。……だから、何も言えなかった」

 嫌だって言えなかった。
 オレは魔術師なんかになりたくないって。
 オレはこのまま傭兵をやっていたいと、言えなかった。

「オレの行為は余計なお世話だったか?」

 アレクシスが静かに尋ねる。
 彼の行為とは一体いつのどれのことだろう。
 アレクシスは世話焼き過ぎてどれのことやら心当たりが多すぎる。
 でも答えは確定している。オレは迷いなく答えた。

「ああ、余計なお世話だったよ」

 オレの返答にアレクシスはぎくりと身を強張らせる。

「でも……良かった。あんたにプライドを折ってもらえたのは幸運だったかもしれない。おかげでオレの剣術なんか大したものじゃないって分かった。魔術に邁進すべきだと理解した。おふくろが正しかったって納得できた」

「しかし……」

「だから鍛錬場には行かない。もう剣は握らない」

 一番最初の話に舞い戻る。
 流石にアレクシスもこれだけ話を聞いて無理強いはしないだろう。
 こんなに喋ったのは久しぶりのことで、喉を潤すために水差しを手に取る。

 不意に、すっと彼の指がオレの頬を撫でた。

「?」

 振り向くと、彼の黒い指が濡れているのが見えた。
 それでオレの頬を伝う涙を掬い取ったのだと分かった。
 オレはいつの間に涙なんか流していたんだ?

「話してくれて、嬉しかった」

 そんな、そんな馬鹿なことを言って、彼がオレの身体を抱き寄せる。
 彼の腕がオレの身体を包み込む。

 何が嬉しいっていうんだ。オレの身の上話なんか聞いてアレクシスに何の得があるんだ。
 本当に何もかもが訳が分からない。

 それでも不思議と彼の腕をはねのける気になれなかった。
 多分、そんな彼だからだろう。

「うるせぇ」

 ただそれだけポツリと呟くと、彼の胸に顔を押し付けた。
 せめてお綺麗な服を涙で汚してやるのだ。

 まさかオレが貴族様の腕の中で泣くことがあるなんて。
 人生は分からないものだ。



 *



 翌朝、ベッドの中でいつもより心地よさを感じていた。
 何故こんなにも暖かいのだろう。
 うとうととしながら目を開ける。

 目の前にアレクシスが寝ていた。
 彼の睫毛がとても長くて、日の光を受けるとキラキラ輝くことを知ってしまった。

「ッ!」

 慌てて毛布をめくる。
 二人ともちゃんと服を着ていた。
 昨晩彼と話をした時と同じ格好だった。
 きっとあのまま寝落ちてしまったのだろう。

 ほっと胸を撫で下ろした。

「…………」

 彼の顔を見つめる。

 自分がどんな感情を彼に対して抱いているか、もう分かっていた。
 ただ、それはとても恐ろしいもののような気がした。

 例えばもしもアレクシスに嫌われることがあれば、その時オレはどうなってしまうのだろうか。

 コントロール不能なものが胸の中に植わってしまったようで座りが悪い。
 深く考えたらその居心地の悪さが恐怖に変わってしまいそうだ。

 この気持ちから目を逸らさなければ。
 せめて彼が学園を卒業する一年後まで。

「……でっかいワンコだな」

 のんきに寝てるアレクシスの黒い額に軽くデコピンした。
 寝顔まで気品漂うそれだったのが少し気に食わなかったのだ。

 ベッドから這い出て、伸びをする。
 さて、今日も一日頑張るとするか。
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