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第七話 シルバーグラス、心が通じる

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 剣術でアレクシスに負けてからというものの、一言も彼と口を利いていない。

 分かっている、これが甘えだということは。
 こんなことを続けていればいずれ彼に嫌われるだろう。
 その時に傷つくのは自分の方だ。

 それでもオレは彼の優しさに甘えて、ヘソを曲げ続けていた。

「ルノくん、ごめん!」

 週明け、そう謝ってきたのはケントだった。

「は……? なんでお前が謝るんだ?」

 意味が分からず、怪訝な顔つきをする。

「この間、一緒に食事をしていたのに君を放ってしまった。だから君、無言で席を立ったろう?」

「ああ」

 合点が言った。
 ケントの番とバルト教師がケントの取り合いをしていた時のことか。
 あの時は飽きたし巻き込まれるのが面倒だから、早々に距離を取っただけだったのにな。
 彼はあれをオレが機嫌を損ねたからだと思ったらしい。

「本当に酷いことをしたと思ってるよ。ごめん」

 そもそもオレが一緒に昼食を摂ろうと言い出した訳でもなんでもなく、ただ流れで何となく一緒に食堂に行っただけなのにな。何を真摯に謝ってるのだろうケントは。

「別に。気にしてない」
「そうか……! 良かった……!」

 ケントはパアッと顔を輝かせた。
 その無邪気な表情にオレは嘆息する。

「……まあ、お前も大変だったな」

 オレはぽつりと呟くように彼の苦労をねぎらうと、それでその話を終わりにした。



 *



「一週間の座学、これまでご苦労。これからお前たちには実践に入ってもらう」

 バルト教師が声を響かせて宣言した。
 黒ローブの生徒たちはにわかに活気づく。
 実際に魔術を行使してみたくてうずうずしていたのだろう。

「……綺麗な髪だ」

 ケントはバルトの姿を見て嘆息を漏らす。
 どうやらまだ恋煩いは治ってないようだ。

「おっと、実践と言っても魔術を使うのはまだまだ先だぜ」

 バルト教師の二言目に、「なーんだ」という落胆の声がいくつか耳に届いた。

「お前たちには学んだ古代エルフ語で精霊との会話を試みてもらう」

 生徒たちの騒めきが静まる。

「術を行使していいのは、精霊との会話が成功してからだ」
「はい、先生!」

 最前列に座った生徒が挙手する。

「何だ?」
「精霊との会話をしないまま、魔術を使用するとどうなるのですか?」

 挙手した生徒の右手に紫色の花の刻印があるのが、ここからだとよく見えた。
 自分が挙手する時には左手を挙げようと密かに心に決めた。

「そりゃぁ古代魔術は、現代魔術のような呪文だけで魔術を紡いでいく代物とは違う。精霊との会話を疎かにして魔術を行使しようとしたって、そりゃ独り言にしかならんさ」

 なるほど。それは確かに精霊との会話は重要なようだ。

「古代魔術師が唱えるのは呪文ではない。精霊と交わすことばだ。それを忘れるなよ」

 バルト教師が生徒たちを見回す。

「さて、ここは精霊と語らうには適さない。外に移動するとしよう――――」



 *



 現代魔術は世界を騙し改変する理。
 古代魔術は精霊と語らい、助けを借りる術。
 故に、古代魔術師には精霊との語らいが必須となる。

 授業で習ったことを反芻しながら、タオルを温かい湯に浸して絞る。

 結局、今日の授業では生徒の誰も精霊と会話を交わすことは叶わなかった。
 バルト教師は「予想通りだな」と笑い、そして各自自主練習しておくように生徒たちに言いつけたのだった。

「ふう……」

 清潔な布で身体を拭く。
 身体が小ざっぱりして、清涼感が身体を満たす。

 精霊と言葉を交わす練習、か。
 楽ではなさそうだが、人間と会話するよりかは遥かにマシだろう。

 と自主練習の算段を立てていたその時だった。

「ルノ、入るぞ」

 ノックの音。
 慌てて毛布で身体を隠す。

「っ! すまん。身体を拭いていたのか」

 部屋に戻ってきたアレクシスがオレの姿を見て、慌てて後ろを向く。

「……」

 無言で彼の背中を睨みつける。
 着替えるからさっさと出てけ、と視線で訴える。
 もちろん後ろを向いた彼には伝わらない。

「……大浴場には行かないのか?」

 背中を向けたまま彼が尋ねる。

「……」
「大勢で大きな風呂に入るのはかつてのエルフの習慣であまり馴染みがないかもしれないが、実際入ってみると結構病み付きだぞ」

 この魔術学校にあるという大浴場のことを彼は語る。
 オレは一度も行ったことがない。
 ずっとアレクシスが部屋にいない隙を狙って清拭で済ませていた。

「作法が分からないのなら、今度一緒に行って教えようか?」
「……嫌だ」
「嫌? 何故?」

 彼が振り返ろうとしたので、彼の顔に向かってタオルを投げつける。
 濡れたタオルが見事に彼の顔にべしゃりと命中した。

「す、すまん。すまなかった。理由も何となく理解した」
「出てけ。今すぐ」

 低い声で彼を脅すと、彼はタオルを手に持ったまま部屋の外に飛び出した。

 暫くしてオレが服を着た後に再び扉がノックされた。
 オレは扉に駆け寄って、扉を開く。

「すまん。ありがとう」

 アレクシスは部屋に入ると、ベッドの縁に腰掛けた。

「それで、他人に裸を見られたくない理由でもあるのか?」

 彼が尋ねる。そこには彼も気づいたようだ。

「……別に。何だっていいだろ」
「それはそうだが。君のことを知りたいんだ」
「…………」

 ブロンド野郎に言われた言葉が、胸の内で膿んだ傷となっている。
 貴族様に取り入るのが無力な者の効率的な生き方。
 その言葉に従うならば、ここでシャツを捲り上げて素肌を見せればアレクシスも多少は喜ぶだろうか。
 考えた末にオレは――――

「十八」
「え?」
「前にオレの年を聞いたろ。それなら答えてやる」

 やっぱり、ブロンド野郎が言うような生き方は出来ないと思った。
 真似したくても出来ない。多分、真似しようとすれば心が窒息して死ぬ。
 あの野郎はかつての自分にオレが似ていると言っていたが、オレには全然そうと思えなかった。
 オレは水の中では息ができない。

「そうか。オレは二十歳だ」

 アレクシスはオレの返答を聞いて顔を輝かせる。
 オレの年齢を聞いただけで喜ぶなんて変な奴。
 他の人間と会話すれば、年齢だけじゃなく色んなことをポンポン答えてくれるだろうに。

「十八歳か、随分と若いな。入学前に魔術の勉強をしたことは?」
「いや」

 どうやらアレクシスはさっきまでの話を忘れてくれたようだ。
 目先の餌に食い付いている。

「それならこの一週間大変だったろう」
「お前は勉強してたのか?」
「ああ。古代エルフ語については一通り」
「チッ、これだからお貴族様は」

 そりゃあ楽だったことだろう。
 夜寝る前すら古代エルフ語が頭の中でぐるぐる渦巻くあの感覚を味わわずに済んだなんて。

「そうだな、君は途方もない努力をしてるのだろう。何か困ったことがあったら遠慮なくオレに言ってくれ。助けになろう」

 彼の澄んだ瞳とその言葉に耐え切れず、無言でそっぽを向く。
 努力してるのは確かだが、そうじゃない。

「……まあ、正直。その」

 考えるような間があった後、彼が口を開く。

「幼い頃から勉強漬けの毎日で苦痛だったよ。魔術の勉強以外にも礼儀作法、剣術の鍛錬、帝王学その他諸々……うんざりだ」

 その言葉に目を丸くして振り向く。
 彼はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

「ふん、そうか。」

 つられてオレも口端を吊り上げる。

 まさかグロースクロイツ家の嫡男様が勉強に嫌気が差したなんて弱音を吐くとは。オレ以外誰も知らないだろうと思うと気分が良かった。

 どうやらアレクシスの方が先にオレに媚びる方法を覚えてしまったようだった。
 オレの気を惹きたくてわざと言った言葉なんだろうということは分かっていたが、悪い気はしない。

 オレとアレクシスはまったく違う生き物だが――――まあ、同じ空間に住む程度ならば問題ないだろう。
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