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番外編

書籍化記念SS 結婚指輪

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 家にいながらも、言語に耽溺することはある。
 たとえば閃きが舞い降りてきた時、あるいは逆にアレなんだっけと確かめたくなった時。そういう時、書斎に赴いて自分の作った覚え書きを眺めるか、伴侶に贈られた古文書を開くのだ。
 今日もそうして書斎で、フランソワは書物の世界に埋もれていた。
 
「フランソワ」
 
 柔らかく低い声が、耳朶を擽った。
 
「エルムート」
 
 フランソワは微笑みながら、顔を上げた。声をかけた相手がわかっているから。
 顔を上げると、そこにいたのは黒髪蒼眼でフランソワ好みの美形……己の伴侶エルムートだった。
 
「流石の集中力だな。しばらく隣にいたのに、全然気がつかなかっただろう」
「えっ、いたのか!」
 
 書斎に人が入ってきたことに、まったく気がつかなかった。なぜ声をかけなかったのかと、むっとエルムートを睨みつける。
 
「フランソワが細い指で筆を走らせる様が美しくてな、つい見惚れてしまったんだ。それに、改めてこの金色の結婚指輪がフランソワによく似合っていると思った。フランソワの髪色と明るい肌の色に調和して、引き立たせている」
 
 見惚れていたと言われれば、怒れるわけがない。
 エルムートは手を伸ばし、フランソワの左手の薬指をそっと撫でた。指の背をなぞるような撫で方に、密やかな情熱を感じてさっと顔が赤くなる。閨でのことを想起させる触れ方だ。
 この男わざとやっているんだろうかと思いたくなるが、天然なのだ。エルムートにそのような手管があるはずがない。天然なのが一番始末が悪いかもしれない。

「結婚指輪はフランソワがすべてデザインを決めたんだったな。流石フランソワだ、自分に似合うものを熟知している」

 エルムートのまっすぐすぎる言葉に気恥ずかしくなり、頬を赤らめて薬指の指輪に視線を落とした。
 イエローゴールドの指輪に、慎ましい大きさの宝石が埋め込まれている。ダイヤモンドのような白銀に輝く宝石だ。

「そういえばそうだったな、懐かしい。でもな、俺はあの後自分でデザインを決めたことを後悔したんだよ」
「後悔だって? こんなに似合っているのに、どうしたんだ?」

 たちまち心配そうな顔になった彼に、くすりと笑う。

「深刻なことじゃないさ。ノンノワール同士の茶会で、こんなことを言われたんだ」

 それは結婚式を終え、初めて出席した茶会でのこと。
 正式に公爵次男の夫人となったフランソワに、ノンノワールたちの注目は集まっていた。
 皆してフランソワの薬指に輝く金色の指輪を、こぞって誉めそやした。
 そこでこのような会話が起こった。

『なんてお似合いなんでしょう! こんなに似合いの指輪を贈ってくださるなんて、フランソワ様の御夫君はフランソワ様のことをいつも考えていらっしゃるんでしょうね』

 フランソワはこの言葉を否定し、自分がデザインを決めたのだと発言した。
 すると相手はこのように返した。

『おや、いけませんよフランソワ様! 伴侶が贈ってくれた宝飾品がどれだけ自分に似合っているかを見れば、伴侶の愛がどれだけ大きいか知れるというものです。それだけ自分を観察し、想ってくれているということなのですから!』

 お茶会の中の些細な会話の一つだ。
 その時は軽く流した。だが、時間が経つにつれ「伴侶の愛がどれだけ大きいか知れる」との言葉が気になっていった。
 新婚だが、伴侶のエルムートは愛の言葉を何一つ囁いてくれない。愛の大きさとやらを実感したい。
 フランソワは、結婚指輪のデザインを自分で決めてしまったことを後悔した。エルムートに任せていれば、彼の愛を実感できたかもしれないのに。
 
 だから赤いイヤリングを欲したのだ。「伴侶から贈られた宝飾品でないと自慢できないから」などと自分を誤魔化していたが、今思えばあの頃の自分は不安だったのだろう。
 必死に目を逸らしていたが、エルムートに嫌われているのではないかと心の奥底で危惧していたのかもしれない。
 たくさんの宝飾品を持っているにも関わらずイヤリングをねだり、結果として代わりに突きつけられたのは古文書だった。

 といったことを、フランソワは苦笑と共にエルムートに語って聞かせた。

「そんな、そんな事情があっただなんて……まったく知らなかった。フランソワの気持ちを全然考えていなかった」

 話を聞いたエルムートは、顔を青くさせている。

「もう終わったことだ、気にするな」
「だが『どれだけ似合っているかで愛の大きさを知れる』だなんて、知らなかった。オレは想いの丈に見合うだけの贈り物を贈れたのだろうか」

 彼は可哀想なくらいに動揺している。

「安心しろよ、エルが贈ってくれたイヤリングは充分に俺に合っている。そうだろう?」

 エルムートが贈ってくれた赤い涙型の宝玉がついたイヤリングは、今もフランソワの耳で揺れている。

「それにな、贈り物が似合うかどうかなんかで愛の大きさなんか決まったりしないから安心しろ」
「へ? そうなのか?」

 いつものキリリとした精悍さはどこへやら、彼は間抜けな声を出して目を丸くさせた。

「目の前に相手がいて、聞きたいことがあるのに『贈り物が似合うかどうか』に委ねるなんて、怠慢で非効率だとは思わないか? かつての俺も言葉足らずだったんだよ」

 かつての自分の態度を思い返すと、決して彼だけが言葉足らずだったわけではないのだと思う。自分たちは互いにコミュニケーション不足だった。
 フランソワは椅子から立ち上がると、挑発的にエルムートを見上げた。
 
「せっかく『言語』という道具を俺たち人類は持っているんだ、それを使わずしてどうする。だから俺はただこう尋ねれば良かったんだ――エルムート、俺を愛しているか?」

 フランソワの言葉を聞き、エルムートはハッとしてフランソワの身体に腕を回して抱き締めた。彼は優しく囁く。

「――ああ、もちろん。愛しているよフランソワ。世界の誰よりも」

 何よりも嬉しい言葉が、耳に届いた。
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