嫌われてたはずなのに本読んでたらなんか美形伴侶に溺愛されてます 執着の騎士団長と言語オタクの俺

野良猫のらん

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番外編

スイカ割り編

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 宝石が欲しい、服が欲しい。
 化粧品を買え、靴を買え、アクセサリーを買え。

 結婚当初は、伴侶のワガママに第一騎士団団長エルムートは嫌気が差していた。
 ところがある時、魔法のように伴侶はワガママを言わなくなった。
 エルムートも自分に至らぬ点があったことを自覚し、大いに反省した。
 それからエルムートとその伴侶フランソワは良好な仲だ。

 そのはずだったのだが……

「エルムート、俺はスイカ割りがしたい!」

 朝方、顔を合わせるなりおねだりをしてくるフランソワに、エルムートは既視感を覚えた。
 一瞬、また彼のワガママが再発したかと思った。

 だが、彼は今なんと言った?
 『スイカ』とは一体なんだろうか、聞いたことのない言葉だ。
 彼の翻訳した古代語の単語だろうか。エルムートは推量する。

 フランソワは古代語の翻訳が得意だった。
 彼は言葉全般が好きなのだ。
 最近では、砂と水の国バルバストルを訪れたのをきっかけにその国の言葉を勉強しているらしい。
 それを考慮すると、古代語ではなくバルバストル語かもしれない。

 それにしても――――彼の輝くような笑顔の美しいこと。
 この顔を見ると、なんでも買ってあげてほしくなってしまう。
 
 とくんとくんと脈打つ心臓の鼓動を抑え、エルムートは穏やかに尋ねた。

「フランソワ、スイカとは一体なんだ?」
「スイカっていうのは人間の頭くらいの大きさがある果物で、硬い皮に覆われている。でも中には赤い果肉がぎっしり詰まっていて甘いんだ。そのスイカを割るのがスイカ割りだ!」

 フランソワは意気揚々と説明する。

「その果物のスイカとやらをわざわざ割ってしまうだなんて、一体どうして?」
「スイカ割りはスポーツなんだよ。まず、スイカ割りに挑戦する人間は目隠しをして木の棒を持つ。外野は『もっと右』とか『左』とか指示をして、目隠しをした人間はそれに従って動く。そして、目の前にスイカがあると思う場所で棒を振り下ろすんだ。当たったら一点、ヒビが入ったら四点、赤い果肉が見えたら十点だ」

 彼の活き活きとした説明を聞いていたら、実に楽しそうな競技に聞こえた。

「確かに面白そうだが、どうして急にまた?」
「バルバストルで一足先に猛暑を体験したからな。夏の風物詩を味わいたくなって」

 にこりと笑って、華奢な肩を竦める。
 所作の一つ一つがいちいち可愛らしい。

「この世界に……じゃなくてこの国にスイカがないことは知っているが、似たようなものでいいんだ。俺はエルムートと一緒にスイカ割りがしたい」
「分かった、努力しよう」

 一緒にスイカ割りがしたい、と上目遣いにねだられたら断れるはずもない。
 エルムートはキリリと返事した。

 ◆
  
 いつものように馬車でフランソワと共に王城に向かい、彼を図書館に送り届けた後は第一騎士団の本部へと足を向けた。

「おや、フィルブリッヒ騎士団長様じゃあないか」

 その時、鼻にかけたような嫌らしい声が耳に届いた。
 エルムートが振り返ると、そこには一人の騎士が立っていた。
 ブロンドの髪を気障ったらしく掻き上げている男は、真紅の騎士服を身に纏っていた。
 真紅は、第三騎士団の色だ。第三騎士団は全国へと赴き、魔物の退治をすることが主な任務だ。

「君は……!」

 男の姿に、エルムートは目を見開き――――

「ええと、一体どなただったろうか?」

 記憶が蘇ることはなかった。

「ピエールだ! ピエール・プラフォードだ! 剣闘大会で常に貴様と対峙し、惜敗してきた男だ! この顔を忘れたとは言わせんぞ!」

 忘れたとは言わせんぞ、と言われてもエルムートには覚えがなかった。
 剣闘大会で戦った相手をいちいち覚えているなんて、まめな人だとエルムートは思った。

「失念していたことはすまない」
「ハッ、流石コネで騎士団長の座まで登り詰めた方は嫌味を言うのも上手くていらっしゃる!」
「コネ……?」

 エルムートは首を傾げた。
 どうやら、顔を覚えているのにわざと覚えてない振りをしたと思われているようだ。
 ピエールと名乗る男がエルムートを睨みつける視線には、はっきりと敵意が含まれていた。

「その若さで騎士団長の座に就けるなど、貴様がフィルブリッヒ公爵家の次男だからだ。そうだろう!?」

 貴族ならばもっと遠回しに聞いてくるだろうに、なんて真っ直ぐに問いをぶつけてくるのだろう。
 正直さにエルムートは好感を抱いた。迂遠な物言いをしてくる輩よりは、よほどいい。

「家柄がまったく影響していないと言えば嘘になるかもしれないが……オレが騎士団長になれた主な要因は、ベテラン騎士たちが第三騎士団に移ったからだ。あの魔物災害でな」

 少し前まで、魔物を無限に生み出す魔王が復活したせいで魔物が大量発生していた。
 魔物討伐が主な任務である第三騎士団は、おかげでほとんど王都に留まってはいなかった。
 こうして王都で第三騎士団の人間に会えるということは、魔王が討伐されて第三騎士団の仕事にも余裕が出てきたということだろう。

「王都の治安を守るのが仕事の第一騎士団はあまり重要ではないから、オレのような若い人間が団長に就いても問題ないと判断されたのだろう。オレはそう思っている」

 エルムートは丁寧に質問に答えてあげた。

「く……っ! 俺だってなぁ、騎士団長にさえなれていればフランソワ殿の心を射止めるチャンスがあったのだ! 覚えていろよ!」
「は……?」

 ピエールは憎まれ口を叩いて去っていった。
 彼の吐き捨てた脈絡のない言葉の意味が理解できず、エルムートは眉を顰めたのだった。

 ◆
 
「ダミアン、相談があるのだが」
「おう、またお姫様のことか?」

 エルムートの親友であり副団長のダミアンは、笑顔で答えた。
 仕事の合間、エルムートは彼にスイカ割りのことを相談してみることにしたのだ。

「『また』だなんて、オレはそんなにしょっちゅう相談していないだろう?」

 ダミアンの口ぶりでは、幾度となくフランソワに関して相談をしているように聞こえてしまう。相談したことがあると言っても、ほんの一、二度程度のはずだ。
 
「ああ、うん。そういうことにしておいてやろう。それで、内容は?」
「それが……フランソワがスイカ割りをしたいというのだ」

 エルムートは彼に、フランソワから聞いたスイカの特徴とスイカ割りの内容を説明してみせた。

「……当たれば一点、ヒビが入れば四点、赤い果肉が見えれば十点といった具合だ」
「そりゃ面白そうだな。でもこの国にはない珍しい果物か……残念ながら、俺には心当たりはないな」

 ダミアンは首を捻った。

「そういうのって、もっと偉い人の方が詳しいんじゃないか? そう、たとえば王太子殿下とか! ……って、本気で王太子殿下に聞きに行ったりするなよ!」

 彼が冗談めかして言った言葉は、エルムートにはこの上ない名案に聞こえた。
 
「王太子殿下――――そうか!」
「エルムート? なあ、聞いてる?」

 ◆

「――――それで私のところに来たというのか、フィルブリッヒ騎士団長」

 近々国王の位を継ぐ予定の第一王子、アレクサンドル王太子は溜息を吐いた。

「はい、そういったわけなのです。王太子殿下はスイカという果物にお心当たりはございませんか?」

 王太子に目通りが叶ったエルムートは、至極真面目に尋ねた。
 エルムートの目にふざけた色合いは一切ない。

「そなたの伴侶への溺愛っぷりは相変わらずだな」

 アレクサンドルは呆れたように笑った。
 確かに溺愛はしているが、『相変わらず』などと言われる心当たりがなく、エルムートは内心で首を傾げた。

「だがそのスイカ割りとやら、確かに面白そうな余興だ。スイカそのものは見つからなくとも、代用できそうな果物なり野菜なりくらい探せばあるだろう。誰か人をやって探させよう」
「ありがたく存じます!」

 こうして、国の力を使ってスイカを探してもらえることになったのだった。


 この日、王城に勤める文官たちは一風変わった命令を仰せつかった。
 人間の頭ほどの大きさがある、硬い果物か野菜を探せという。
 文官たちは、不思議がりながら市場へと向かっていた。

「一体なんだってそんなものを?」
「新しい余興のためだとか」
「新しい余興? ああ、もしかして今度の剣闘大会の?」
「そうだろう、今度の剣闘大会は王太子殿下が取り仕切る。新しいルールを取り入れることで、代替わりすることをアピールしたいのだ」
 
 文官たちは大きく頷き合った。なるほど、納得できる話だ。
 そんな文官たちの会話を聞きつけた者がいた。

「なに、剣闘大会の新しいルールだと? 俺に聞かせろ!」

 掴みかからんばかりの勢いで文官たちに詰め寄ったのは、ブロンドの髪を後ろに撫でつけた色男――――ピエールだった。

 ◆
 
 それから数日。

「フランソワ、すまない」

 エルムートはフランソワと顔を合わせるなり、フランソワに頭を下げた。
 謝られる心当たりのないフランソワは、ぽかんと口を開けた。

「何の話だ?」
「スイカ割りのことだが、オレとフランソワの二人でやることはできなくなってしまった」
「え、本気でスイカ割りの準備をしてくれてたのか!?」

 フランソワは目を見開いた。
 本気でエルムートが願いを叶えてくれるつもりだとは、露とも思っていなかったようだ。

「二人でできなくなったって、大勢でならできるっていうことか……?」

 エルムートの妙な謝罪の仕方に、フランソワは訝りながら事情を聞き出す。

「実はそうなんだ。今度、剣闘大会が久しぶりに再開されることは知っているだろう?」
「ああ、エルムートも出るんだろう? 楽しみだ」

 楽しい思い出が想起されたのだろう、フランソワは顔を輝かせた。
 剣闘大会は幼い頃に二人で見に行き、エルムートが騎士を目指すことを心に決めた思い出のイベントだ。
 実際に騎士になってから剣闘大会に参加し、観客席の彼が見ている前で優勝してみせたことが何度かある。

 魔物災害のために剣闘大会はここ何年か開催が中止されていたが、魔王が倒されたことにより今年から再開されることになったのだ。

「その剣闘大会の決勝の勝負方法が、何故だかスイカ割りになってしまった」
「なんて?」

 理解できなかったのか、フランソワは美しい紅い瞳を何度か瞬かせた。
 当然だ、自分にも理解できていない。想定外の事態にエルムートは頭が痛かった。

「王太子殿下に相談してみたのだ。無事にスイカに似た物は見つかったらしい。だが、どう話がねじ曲がったのか剣闘大会の決勝戦の催しとなってしまった。既に決定事項らしい、すまない」

 エルムートは謝罪してうなだれた。
 あんなにも楽しみにしていたのに。

「なんで謝るんだ? 変な事態になってしまったのはエルムートのせいじゃないだろう? よく分からないけど、こうなったからにはスイカ割りでも優勝するエルムートが見たいな、俺は」
「フランソワ……!」

 だがフランソワは天使の笑みを見せてくれた。
 申し訳なかった気持ちが溶けていくように消えていき、代わりにやる気に満ち溢れていくのを感じる。

「分かった、オレは今回も必ず優勝してみせる!」

 こうしてエルムートに新たな目標ができた。

 ◆

 一回戦、対アリュシアン。勝利。
 二回戦、対イザーク。勝利。
 三回戦、対ウチャッシ。勝利。
 四回戦、対オーロント。勝利。

 二日間に渡る剣闘大会の一日目、エルムートは難なく勝利を収めた。
 対戦相手曰く、「フィルブリッヒ騎士団長の気迫は鬼神の如くだった」とか何とか。
 凄まじい気迫に、対戦者のことごとくは戦う前から気圧されていた。
 エルムートの活躍に、フランソワは観客席からきゃっきゃと声援を送っていた。

 そして二日目。
 
「フランソワ、それじゃあ行ってくる」
「ま、待って!」

 玄関から外に出ようとしたエルムートを、フランソワが腕を掴んで引き留めた。

「どうした?」
「そ、その……おまじない」

 彼が背伸びをしたかと思うと、唇に柔らかいものが触れた。
 キスをしてくれたのだ。
 いつもお見送りのキスは、頬になのに。
 エルムートはあっけに取られて目を見開いた。

「俺がここまでしたんだから、絶対に勝てよ!」

 照れ隠しのためか、彼は怒った顔になって応援の言葉を送ってくれた。
 くるくる変わる表情が愛おしくてたまらない。

「ああ――――」

 エルムートはフランソワの身体を引き寄せる。

「うわっ」

 華奢で柔らかい身体を大切に抱き締め、エルムートは誓った。

「――――絶対に優勝してくるよ」


 第五回戦も勝利し、残すは準決勝と決勝のみ。
 控室へと戻る道すがら、エルムートはある男とすれ違った。
 すれ違うと、男は振り返った。
 
「おや、フィルブリッヒ騎士団長様じゃあないか」

 既視感を覚える台詞に、嫌らしい声の調子。
 ブロンドの髪を後ろに撫でつけたピエールだった。

「この調子なら決勝戦で俺たちはかち合うな」
「そうか、順調に勝ち上がっているようで何よりだ」

 世間話と思い、エルムートは言葉に応じる。
 そういえば以前の言葉はどういう意味だったのだろう。
 エルムートは尋ねてみることにした。

「この間はフランソワがどうのと言っていたが、どういう意味だ?」

 途端に、彼はギリリと歯ぎしりした。

「フランソワ殿はなぁ、俺の初恋の相手だったんだッ!」

 狭い通路にキンと声が響いた。

「あれは今から十五年前のことだ。幼かった俺は、茶会で一人の可憐な花と出会った。誰よりも美しく咲く花だった。俺は彼に告白したよ。だが、どうだ。彼の答えは『もうフィアンセがいるからごめんね』だ――――」

 ピエールは滔々と語り出した。

「号泣したさ。人前でみっともなく泣いたのは、後にも先にもあの時だけだ。その数年後、剣闘大会で俺をぶちのめした相手こそが、フランソワ殿のフィアンセだと知った。そうさ、貴様こそが俺の恋のライバルなのだ!」

 最後に、ピエールは人差し指でエルムートを指し示した。
 なんと、そういうことだったとは。道理で敵意を感じるわけだと、エルムートは納得した。

「恋のライバルという割には、勝負にもなっていないようだが……?」

 エルムートは静かに事実を指摘した。
 フランソワの心を奪うどころか、彼はピエールの存在を認識してすらいないのではなかろうか。

「うるさいうるさい、せめて貴様にはフランソワ殿が見ている前で恥をかかせてやるからな! 絶対にだ、どんな手を使ってでも!」

 彼は捨て台詞を吐いて去っていった。

「いいだろう、受けて立つ」

 残されたエルムートは、一人呟いた。


 準決勝の相手は、第二騎士団の副団長。
 かなりの実力者ではあったが、エルムートはこれは無傷で下した。
 エルムートの頭の中にあるのは、もはや決勝戦のことのみであった。
 挑戦状を叩きつけられたからには、勝たねば。フランソワとも約束したのだ。優勝すると――――。

「それでは、これより決勝戦のルールを説明いたします!」

 剣闘大会の舞台上で、審判が声を張り上げる。

「これより選手たちには目隠しをしてもらい、観客の皆様の声に従って暗闇の中を歩いてもらいます。割らなければならない目標、これをスイカと呼びます。」

 審判が両手に果物を掲げ、観客たちに見せた。
 フランソワの言っていたスイカそのものか、それに似た野菜だ。

「これが目の前にあると思う場所で、選手は棒を振り下ろします。見事スイカに当たれば一点獲得、ヒビが入れば四点、中の果肉が覗けば十点でございます! スイカが完全に粉砕された時点で、試合は終了です!」

 エルムートと対戦相手のピエールはその横で並んで、審判が声を張り上げる様を聞いている。
 
 ピエールも見事決勝まで勝ち上がってきたのだ。
 これで彼が負けていれば、拍子抜けするところだった。

「それでは、これより先攻と後攻を決定いたします!」

 審判のコイントスによって、ピエールが先攻に決まった。エルムートは後攻だ。

 スイカ割りは一人ずつ行う。
 ピエールが目隠しの布を巻かれるのを見ながら、エルムートは舞台上から降りた。
 目隠しをしたピエールが木の棒を構える。

「それでは、始め!」

 審判の合図により、試合が始まった。
 スイカはピエールが目隠しをされてから置かれたが、すぐ近くにはないと踏んだのだろう。
 ピエールは大胆に歩みを進めた。
 ピエールがスイカのある場所を通り過ぎると、観客たちは口々に指示し出した。そっちじゃない、通り過ぎたぞ、といった具合に。
 
 なるほど、上手い。ちょこちょこと少しずつ動くより、派手に動いた方が観客の反応が分かりやすいというわけか。エルムートは唸った。

 ピエールはピタリと立ち止まり、くるりと円を描くように方向転換する。
 スイカのある方向で、観客の歓声は一番大きくなる。ピエールの口が大きく弧を描いたのが見えた。
 ピエールは突進するように前方に進むと、勢いよく棒を振り下ろした。

「当たった! ヒビが入った、四点!」

 わああ。
 観客たちは一気に沸いた。
 スイカと呼ばれた野菜の硬い皮を見ると、確かに雷のようなジグザグのヒビが一本入っているのが見えた。

「くっくっく……」

 嫌らしい笑みを零しながら、ピエールは目隠しを外した。
 彼は交代するエルムートの肩に馴れ馴れしく手を置く。

「フィルブリッヒ騎士団長様、せいぜいがんばってくださいよ」
「……?」

 彼の笑みに、含みを感じた。
 何か嫌な予感がする。

 目隠しをされながら、エルムートは思い出していた。
 そういえば彼は言ったではないか、どんな手を使ってでも恥をかかせると。

「どんな卑怯な手を使われようと、策ごと粉砕するのみだ」

 呟き、木の棒を構えた。

 エルムートはピエールの動きを真似ることにした。
 エルムートが目隠しをした後にスイカはまた移動されたから、さっきと同じ場所にはない。
 それでもエルムートはここぞと思う場所に、大胆に足を進めてみた。
 先ほどと同じように、ある場所を過ぎた瞬間に観客の声が大きくなった。
 スイカのある場所を通り過ぎたのだろう。
 エルムートは慎重に方向転換する。

「もっと右だ!」
「右!」
「そう、そこ!」

 観客たちの反応が分かりやすい。
 エルムートは棒を握り直し、しっかりと地面を蹴った。

「はあッ!」

 途端に腕に伝わる、物が砕ける衝撃。
 しかしスイカが砕けたのではない。
 風切り音と共に、何かがエルムートの耳のすぐ横を通り過ぎながら飛んでいった。

「当たった! だがヒビは入らず! 代わりに粉砕されたのは棒の方です!」
「な……ッ!?」

 目隠しを外し、エルムートは愕然とした。
 手に持った木の棒が真っ二つに折れていたのだ。
 さっき飛んで行ったのは、折れた棒の先っぽだ。

 いくらエルムートの力が強いとは言っても、スイカではなく棒の方が壊れるわけはない。
 罠だ。ピエールのやつが何か仕掛けを施したに違いなかった。
 その証拠に、ピエールはしてやったりとばかりにニヤニヤと笑っている。
 だが、この場でそれを証明する手立てはない。

「これは一体どうしたものか……棒が折れた場合の規定は取り決めておりませんでした」
「このまま続行すべきです。代わりの棒を用意はしていないのでしょう? 観客を待たせるよりも、折れた棒で戦わせるべきだ。壊したのは彼の自業自得なのですから」

 ピエールがペラペラと審判を説得する。
 審判はそれに頷いてしまった。

「確かに。試合はこのまま続行いたしましょう!」

 奴は四点。エルムートは一点。
 ただでさえ点差をつけられているのに、エルムートは折れた棒で戦うことになってしまった。

 
「よし、また四点!」

 ピエールの手番、奴はまたスイカにヒビを入れることに成功した。

「はっはぁ、これは俺の勝ちで決まりかな?」

 勝ち誇っている奴と交代し、今度はエルムートが目隠しをつける。
 そして、随分と軽くなってしまった棒を構えた。
 エルムートの手番が始まる。

 やることは変わらない。ただ、棒が短くなってしまっただけだ。
 再び、大胆に歩みを進める。観客の声が大きくなる。
 あとは慎重に向きを変えながら、観客の声をよく聞いてスイカの位置を確かめればいいだけだ。

 だが――――。

「右だ、右!」
「左! 左!」
「そのまま前に進め!」

 相反する声がいくつも入り混じっていた。

「これは……」

 額を冷や汗が伝い落ちる。
 
 ピエールの第二の策だろうか。観客の幾人かを金で雇い、事実と相反することを言わせているのだ。
 あるいは、観客の一部が賭けでもしているのかもしれない。
 騎士団長の自分と、ただの一般騎士でしかないピエールとの試合だ。勝った場合に儲けが大きいのは、ピエールに賭けた方に決まっている。
 ピエールに勝ちの目が出てきたと見て、本格的に妨害を始めたのだ。

 どれだ。どの声が本当なんだ。
 考えようとしても、否が応でも耳に飛び込んでくる千の声が思考を阻害する。
 分からない。出鱈目に棒を振り下ろそうか。突っ立っているよりは、可能性がある。たまたまスイカに当たるかもしれない――――。
 
「エルの馬鹿、諦めるな!」

 その時、群集の声を割って凛と力強い声が耳に届いた。
 それは、フランソワの声だった。
 何も聞こえない喧噪の中、彼の声が確かに聞こえたのだ。

「エル、三歩前だ!」

 もはや思考など必要なかった。
 エルムートは彼の声に従い、三歩、進んだ。
 目の前にスイカがある疑いようもなかった。

「果肉が見えれば十点……だったな?」

 棒で割れば十点、とは誰も言っていなかった。
 棒をその辺に投げ捨てる。短くなった棒などよりも、もっといいものがある。
 エルムートは拳を握ると――――真下に向かって真っすぐに振り下ろした。

「な、なんと! 完全粉砕! エルムート・フィルブリッヒ、拳でスイカを完全粉砕しました! 十点獲得! そして、これにて試合決着ですっ!」

 目隠しを外すと、驚愕するピエールの姿が見えた。
 今はピエールなど、どうでもいい。

 先ほど声が聞こえた方角に視線を向けると、観客席に目当ての人物の姿を見つけることができた。
 そう、跳ね飛びながら全身で喜びを露わにするフランソワの姿が。
 
 ◆

「フランソワ!」

 エルムートが称えられ、剣闘大会が終わった後。
 会場の敷地の外で、フランソワと合流した。
 フランソワと再会したエルムートは、ぎゅっと彼の身体を抱き締めた。

「エルムート、凄かった! 正拳突きでスイカを割っちゃうなんて!」

 彼の顔は、エルムートへの感嘆と興奮で紅く色づいていた。
 心から喜んでいる彼の顔を見て、約束を果たすことができて良かったとエルムートの胸の内も喜びで満たされたのだ。

「オレが優勝できたのは、フランソワのおかげだ」
「俺の……?」

 彼はぽかんと目を丸くさせた。
 その顔が本当に可愛らしくて、エルムートは衝動に駆られた。
 顎をくいっと上げさせ、桃色の唇に軽い接吻けを落とした。

「な、なっ、こんな、人前で……!」

 辺りには帰りの観客たちがまだ大勢いる。
 エルムートの目にはフランソワの姿しか映らないが、視線は何となく感じた。

「あのとき、フランソワの声がはっきりと聞こえたんだ。だから、オレは迷いを捨てることができた」
「そ、そうか……」

 伝えると、照れたように耳朶が染まるのが見えた。
 抱き締める腕の力を強め、エルムートは囁いた。

「フランソワはオレのものだ――――誰にも渡さない。これからも、ずっと」
「ひょわっ!?」

 いきなり囁かれてびっくりしたのか、彼は可愛らしい声を上げた。

「い、いきなりなんだよエルムート!?」
「なんでもない。ただ、言っておきたい気分になったんだ」

 エルムートは今一度フランソワを強く抱き締めた。

 ピエールにかつてのフランソワへの恋心を告白された瞬間、己の中で炎がごうと燃え上がった。執着心という名の炎だ。
 初恋だろうと過去の話だろうとなんだろうと、オレのフランソワへ恋心を向けたピエールをその場でぶちのめしたくなった。
 それを何とか理性で抑え、試合で彼を打ち負かすことにした。
 フランソワのおかげで、それは見事に成功した。

「フランソワ、愛しているよ」
 
 胸いっぱいの愛と、執着心。
 執着の騎士団長と呼ばれようとなんだろうと、愛しい彼への執着心は一生消えないに違いなかった。
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旧題:悪役令息の役目も終わったので第二の人生、歩ませていただきます 〜一年だけの契約結婚のはずがなぜか公爵様に溺愛されています〜 【元・悪役令息の溺愛セカンドライフ物語】 *真面目で紳士的だが少し天然気味のスパダリ系公爵✕元・悪役令息 「ダリル・コッド、君との婚約はこの場をもって破棄する!」 婚約者のアルフレッドの言葉に、ダリルは俯き、震える拳を握りしめた。 (……や、やっと、これで悪役令息の役目から開放される!) 悪役令息、ダリル・コッドは知っている。 この世界が、妹の書いたBL小説の世界だと……――。 ダリルには前世の記憶があり、自分がBL小説『薔薇色の君』に登場する悪役令息だということも理解している。 最初は悪役令息の言動に抵抗があり、穏便に婚約破棄の流れに持っていけないか奮闘していたダリルだが、物語と違った行動をする度に過去に飛ばされやり直しを強いられてしまう。 そのやり直しで弟を巻き込んでしまい彼を死なせてしまったダリルは、心を鬼にして悪役令息の役目をやり通すことを決めた。 そしてついに、婚約者のアルフレッドから婚約破棄を言い渡された……――。 (もうこれからは小説の展開なんか気にしないで自由に生きれるんだ……!) 学園追放&勘当され、晴れて自由の身となったダリルは、高額な給金につられ、呪われていると噂されるハウエル公爵家の使用人として働き始める。 そこで、顔の痣のせいで心を閉ざすハウエル家令息のカイルに気に入られ、さらには父親――ハウエル公爵家現当主であるカーティスと再婚してほしいとせがまれ、一年だけの契約結婚をすることになったのだが……―― 元・悪役令息が第二の人生で公爵様に溺愛されるお話です。

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