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第三十二話

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「エルネスト先生、エトワールを連れて来ましたよ」

 エトワールを肩に乗せたまま、空のキャリーバッグを抱えて彼の部屋の扉を叩いた。
 ガチャリと扉が開き、笑顔のエルネスト先生が迎え入れてくれた。

「エトワールが正式に使い魔になったようだな。喜ばしいことだ」

 彼が笑いかけると、エトワールはぴょいとエルネスト先生の肩の上に飛び乗ってしまった。そしてぺろぺろと彼の尖った耳を舐め出す。

「こら、エトワール!」
「おわっ、毛づくろいのつもりかい? ふふ、擽ったいな」

 エトワールはすぐにお父さんやツォカティスにも慣れて物怖じしない性格だったけど、妙にエルネスト先生に慣れるのが早い。
 自分を助けてくれた人だと分かっているのだろうか。

 エトワールは彼の銀色の髪も逆向きに舐め上げ、ボサボサのベトベトにしていく。それでも彼は怒るでもなく目を細めて笑いかけている。
 その優しい表情に胸が苦しくなる。

 ああ――――好きだなあ。
 分かっていたけれど、彼への好意を激しく自覚させられた。

「いい使い魔になりそうだ。君の選択は正しかったのかもしれないな」
「使い魔としてどうであろうと、エトワールはもう立派な僕の家族です」
「なるほど、家族か」

 僕の言葉に彼は微笑ましげに頷く。

「ところで、明日は治癒魔術学の最初の講義だったな」
「そういえばそうですね」

 話題は明日の授業のことに移り変わる。

「明日はまず座学だ。実践はないからリラックスして受けるといい」
「分かりました」

 先日の魔導芸術の授業では問題なく光属性の初級魔術を行使できた。
 そのことが自信を補強していた。
 本当に自分から選択肢を狭めることをしなくて良かったと思っている。

「みゃ」

 エルネスト先生を毛づくろいをしてあげるのに飽きたのか、エトワールは一鳴きすると僕たちの間のテーブルに降り立ち、そこでどかりと横になった。

「こらエトワール、行儀悪いぞ! ダメ!」

 少し本気で叱責すると、思いが伝わったのかエトワールは慌ててテーブルの上から床へと下り、僕の足元で丸まった。

「今度来るときまでにエトワールが寛げる場所を作っておいてあげなければね」

 今後も僕のことを部屋に招く気満々で彼は呟いたのだった。
 一瞬、そのことを嬉しいと感じてしまった。

「ごろごろ……」

 何だか知らないけど主が嬉しいらしいから僕も嬉しい、とばかりに喉を鳴らし出したエトワールにビクリとする。

「?」

 エトワールがごろごろ言う音は結構大きい。
 何故突然エトワールの機嫌が良くなり出したのかバレませんように、と願った。

「ところで、あのその……」

 半ば意識を逸らす目的で聞きたかったことを尋ねることにした。

「何だい?」
「聖女様は代々輪廻転生の術をかけ直すことで転生の輪を持続させていると聞きました。もしも先生の考える通り僕が聖女の生まれ変わりなら、僕では輪廻転生を受け継がせることはできません。先生はその点をどうお考えですか?」

 イッシュクロフト先生は本人に言うなって言ってたけど、これくらいの考えなら輪廻転生の術について知っていればいずれは考えつくことのはず。
 絶縁宣言云々について口にしなければ約束を守ったことになるだろう。

「ふむ、なるほど。そういう心配を抱えていたのか」

 別に本気で心配していたわけじゃない。
 だってまだ自分が聖女の生まれ変わりなのかどうか、半信半疑なのだから。

 もしも生まれ変わりだったとしたら嬉しい。
 彼からの愛を素直に受け止める権利があるのだから。

 もしも生まれ変わりだったとしたら怖い。
 それは彼にとって最悪の結末を招くのだから。

 相反する想いが渦巻いている。

「実はね、私はその点を心配してないんだ」
「え、どうして……」
「我が聖女のことを信じているからだ」

 言葉が出なかった。
 どうしたらこんなに純粋に永遠の愛を信じられるのだろう。
 どうしたらこんな風に他人に全幅の信頼を置くことができるのだろう。
 僕は自分が生まれ変わりだという彼の言葉すら信じられていないのに。

「つまり……聖女様が輪廻転生を途切れさせるようなことをするはずがないから、どうにかなるはずだってことですか」
「その通りだとも」

 鷹揚に頷く彼に、心が閉ざされるのを感じた。
 なるほど彼は御伽噺のような大昔から生きているだけあって、完全にフェアリーテイルの世界の住人らしい。
 二人はいつまでもいつまでも幸せに暮らしました、めでたしめでたし。
 そんなご都合主義を心の底から信じているのだ。

 馬鹿らしくなった。
 自分が聖女の生まれ変わりかもしれないとか、そうじゃないかもしれないとか、そんなことでこれ以上心を揺らすのはやめようと思った。

「ねえ、先生」
「まだ質問があるのかな?」
「はい、すごく大事な質問があるんです」

 まだ成長期の途上にある自分よりも背の高い彼を上目遣いに見つめる。

「――――二人きりの時は、先生のことエルって呼んでもいいですか?」
「え……?」

 大事なことは、僕が彼のことが好きで、そして彼は何故だか僕のことを聖女の生まれ変わりだと勘違いしてくれている。それだけじゃないか。
 真実などどうでもいい。
 自分から可能性を狭めるなと彼だって言ってたじゃないか。

 例え他に本物の聖女の生まれ変わりがいたとして、彼らはご都合主義で再会して結局愛し合うのだろう。
 なら、それまでの間にせいぜい勘違いを利用して唇の一つでも奪うくらい許されるはずだ。

 聖女伝説が物語として記されるなら、僕は二人の恋路を邪魔する悪役だろう。でもそれで良かった。彼と関われるならそれで。

「それは……」

 愛称で呼んでもいいかと提案された彼が逡巡するように視線を揺らす。なんとなくだが、彼はこれまでの聖女にも「エル」と呼ばれてきたのではないかという気がしていた。

「いやその、それはやめておこう」
「えっ、なんでですか……!?」

 愛しの聖女の生まれ変わりから愛称で呼ばれるのだから、二つ返事で頷いてくれると思っていたのに。
 驚きに目を丸くする。

「愛称で呼んでくれるのは嬉しいが、それは君が成人するまで待つことにしよう」
「……?」

 この国では十八歳で成人だ。
 成人までまだ二年もある。
 彼が何故そんなに待たせるのか分からず、僕は唇を尖らせた。

「ふふっ、そんなに可愛い顔して睨んでも駄目だ。私は君のことを大事にしたいんだ、分かってくれるね?」
「んゃー……っ、かふっ」

 空気を読まないエトワールが足元で伸びをしながら鳴いて、変な鳴き声を響かせた。
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