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■7/むーこ先輩、描かれる。(下)

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 用事を済ませた十方院さんが、大きな缶の箱を抱えて応接間に戻ってくる。ソファに座って僕の絵を見るなり、彼女はこう言った。

「芸術は爆発とは言うけど、これは爆発というより地震ね」
「……面白く例えるね」

 僕の絵は想定通り、とてもじゃないけど正視に耐える出来にはならなかった。十方院さんの言った地震という表現は言い得て妙だ。原稿用紙に描かれている、むーこ先輩の輪郭を追った線はびっくりするほど頼りない。それこそ描いている最中に地震が来たのかと疑いたくなるくらいだった。

「まぁでも、初めてにしては良いと思うわよ。顔のパーツもあまりずれてないし、どんな顔か想像可能なレベルだと思う。空見くん、意外といけるんじゃない? イラスト」
「いやいやいや、過大評価だ。素人目に見てもこの絵はひどいと思う」
「そうかしら? 本当に酷かったら清書すら出来ないと思うわよ。でもこれは全然いける」

 ちょっと待ってて、と十方院さんは原稿用紙の束の中からトレーシングペーパーを取り出して、僕の絵の上に乗せた。クリップで位置を固定する。うっすらと僕の絵がトレーシングペーパーに透けていた。
 そこからはあっという間だった。十方院さんが見事な筆さばきで僕の絵を一枚の作品として仕上げていく。ものの一〇分かそこらで、綺麗な線画だけのイラストが出来上がった。

 あっという間だ。
 むーこ先輩を漫画に出したらこんな感じ——としか言えないような見事さだった。僕の絵ではポニーテールの根元に綿菓子でも付いているようにしか見えないのに、十方院産のイラストではちゃんとシュシュになっている。洞察力も凄いんだな。

「どう?」
「先輩も驚いてます——というか、なんか照れてます」
「い、言わないでよっ」
「はは」

 むーこ先輩が僕の口元に掌をあてようとするが、実体のない身体で僕の笑い声は隠せなかった。僕の反応を見た十方院さんは満足そうに頷いている。

「その様子じゃ、良い具合に似せられたってとこかしら」
「うん、凄いよ。プロみたい」
「プロと比べられるのは複雑ね……っていうか急に恥ずかしくなってきたわ……」
「十方院さんまで照れることないのに」
「うるさいわね! 自分の絵に自信がないのは空見くんと同じ! なのになんかドヤ顔しちゃったみたいで——ああもう、この話は終わり!」

 慌てる十方院さんを見られるとは新鮮だ。しかしここらで切り上げないと本当になにをされるか分からないので、彼女の言うとおり与太話はここで終わらせておこう。怖い。

「でも、これで分かったでしょ。空見くんの絵、全然イケてたって」
「は」
「キミ、本当にそれ好きね……。下書きとして空見くんの絵が優秀だったら、モデルを見なくても似せることが出来た。本当に向いてるかもしれないわよ。芙葉先輩もそう思わない?」

 うんうん、と何度も頷く先輩。

「あんまりからかわないでよ、十方院さんの描いたものを見たら余計に自信がなくなったんだから」
「ふふ、ごめんなさい。ちょっと仕返ししたくなっちゃった」

 なんのだよ。

「なにはともあれ、これで先輩の顔はなんとなくわかったわ。あとはコレを使って芙葉先輩を知ってる人に聞き込みすれば、私も先輩の人柄とか理解出来そう」

 自分の絵を聞き込みに使うのは問題ないのかな。僕に見せるぐらいで恥ずかしがっていたけど。

「あ、でもそれって私の絵を知らない人に見せるってことよね!?」

 あ、やっぱり気付いた。

「やっぱりやめとこうかしら……」
「なにを今更。これだけ綺麗な絵だったら全然問題ないよ」
「……空見くん、思ったより意地悪よね」
「そうかな」なんてとぼけちゃったりして。

 今度は僕から十方院さんへのちょっとした仕返しだった。

「ねぇねぇ、尚理くん」
「どうしましたか」

 そこでむーこ先輩が不安げにトーンの低い声で割って入ってくる。

「似顔絵を描いてくれたのは良いんだけど、聞き込みするにも私の知り合いってどうやって探すの?」
「あー」

 そうか、考えてなかった。むーこ先輩が亡くなったのは九年前。先輩の同級生がそう簡単に見つかるかといえば……どうだろう? よしんば見つけられたとして、九年前のことを覚えている人も少なそうだ。もう一度十方院さんに頼んで生徒名簿を見てきて貰おうかとも思ったけど、それはそれで脅される先生が気の毒になる。

「どうしたの?」

 頭を悩ませていると、僕の様子を訝しんだ十方院さんが首を傾げた。

「いや、先輩がどうやって知り合いを見つけるのかって」
「ああ、それなんだけど——空見くんが絵を描いてる間、私も色々調べてみたのよ」

 なにを、と聞き返す前に十方院さんはおもむろに脇に置いてあった缶の箱を開けてみせる。
 箱にはぎっしりと本が詰まっていた。出版されたものではない。それらは和紙で出来ていた。右綴じになるようにたこ糸でくくられた、本の形として整えられた紙の束。

 表紙にはどれも『過去帳』と毛筆で書かれていた。中には見るだけでとてつもなく古いと分かる、日焼けした古紙で作られた物もある。

「えっと、これは」
「これはこのお寺で葬儀した人たちの記録。まだまだたくさんあるんだけど、芙葉先輩が亡くなったのは九年前ってことで、この缶だけ持ってきたの」

「……?」
「ちょっとは頭使いなさいって。生前の芙葉先輩の住まいこの町だって名簿に書いてあったから、もしかしてと思って倉庫から引っ張り出してきたのよ」

 もしかしてとは、つまり——。
 十方院さんが取り出した一冊の過去帳には、真新しい桃色の付箋が張られている。彼女はそのページを開いて、僕に手渡した。

「調べてみたらビンゴ。先輩の名前、あったわよ」

 ——むーこ先輩がこのお寺で葬儀をした、ということか。

「すんごい偶然。見つけたときはさすがに私も自分の目を疑った。ここには遺族の名前も一人だけ書かれてる」

 ざっと過去帳に目を通す。あった。

・俗名 芙葉夢子 行年十七歳 ・法名 釋尼永観信女 ・施主 芙葉啓助
 啓助って人が遺族の名前だろう。お父さんだろうか。

「この人に会えれば、むーこ先輩の話が聞けるってことだよね」
「……会えればね」
「なんだよ、珍しくぱっとしないな」

 煮え切らない十方院さんの態度。そんな彼女とは裏腹に、先輩は興味深そうに過去帳の紙面をなぞっていた。

「ねぇ尚理くん。この、法名っていうのはなにかな?」

 先輩の質問を十方院さんに伝えると、彼女はすんなりと答えてくれた。

釋尼永観信女しゃくにえいかんしんにょ——出家した証として付けられる名前ね」
「出家?」
「ええ。仏教では亡くなった人は出家して、仏門に入ることになってる。だからそれは、芙葉先輩の仏様としてのもう一つの名前よ。世間では戒名という方が馴染みが深いかも知れないけど」
「私の……もう一つの名前……」

 むーこ先輩の目が過去帳に釘付けになっていた。同じ立場だったら僕もこうなっていたに違いない。まさか死んでから別の名前が付けられるなんて、思いもしないだろうから。

「へぇ。なんか、面白いね」
「普通の人には確かに面白いかも。でも注目すべき点はそこじゃないの。ここ見て」
「……?」

 十方院さんが指で示したのは、頁の一番左下。
 赤いボールペンで「住所変更済」と書かれている。

「やっぱり、見てきたとおりよ。芙葉先輩が亡くなった後、遺族は転居したみたい。空き地だったのも頷けるわ。別の資料で調べたんだけど、残念ながらご家族は新潟に移ったって。実家があるのかしら」
「新潟……」

 僕とむーこ先輩の声がハモる。

「そんな、先輩のことを聞こうにもそんな遠くじゃ……」
「ご家族に会うのは現実的な話ではないわね」

 十方院さんが言った「会えればね」の意味をようやく理解する。確かにいち高校生がおいそれと会いにいけるような距離ではなかった。

「でも、手がかりは他にもある」

 彼女の言葉に、途方に暮れた顔の先輩と目を合わせる。十方院さんは缶からクリアファイルを取り出して続ける。

「今度はこれ、見てみて」

 彼女はファイルから一枚の紙片を取り出す。折りたたまれたそれが開かれると、「会葬者一覧」と印字されているのが確認出来た。その中に見覚えがある字面が見えた気がしたが、確認する前に十方院さんがリストについての説明を始めた。

「芙葉先輩の告別式に来た人達のリストよ。多分、当時の担任や同級生の名前があるはず」

 ……やっぱり十方院さん、探偵みたいだな。

「芙葉先輩、見覚えのある名前とかないかしら? そうじゃなくても、なにか心に引っかかる人とか……」

 むーこ先輩はしばらくそのリストに目を落としていたが、時間が経つごとに彼女の表情は曇っていく。やがて先輩がリストを見終えると、静かに首を横に振った。

「——いないみたい」
「そう……ふりだしに戻っちゃったわね」

 十方院さんが溜息を吐き出すと、先輩が僕らに向かって頭を下げた。

「ごめんなさい」
「むーこ先輩が謝ることないですよ。ゆっくり探せばいいんです」
「————うん」

 記憶がないって、どういう気分なんだろう。やっぱり、孤独なんだろうか。思い出がなくて、しかも自分が幽霊だとしたら。それは自分を知っている人間がいないことと同義じゃないのか。

「……なんにせよ絵は出来たし、時間を作って学校関係者に聞き込みを始めましょうか。今日はこれで解散ってことでいいわよね、空見くん」

 じゃあ、幽霊になった先輩はずっと、独りぼっち。僕も人間関係を築くのは苦手で、独りぼっちだけれど、先輩に比べれば僕の孤独なんて可愛いもんだ。大体、僕は孤独を感じてもそれを苦に感じたことはない。

 僕と先輩を比べるのは、失礼だと思った。

 ……でも、僕も先輩も、いまは一人じゃない。僕には先輩がいるし、先輩には僕がいる。
 言い換えれば、先輩がいま確実な繋がりを持っているのは僕しかいない。

「その前に。僕もそのリスト見ていいかな」

 僕しか、先輩の力になれない。なら、少しでも僕が先輩を安心させてあげたかった。

「芙葉先輩がいいなら、私は構わないけど」
「いい? 先輩」

 彼女は黙って首肯する。僕は「ありがとうございます」と呟いて、リストを十方院さんから受け取る。
 さっき横目でこれを見たとき、気になる名前があった。勘違いじゃなければ、リストの最後の方に……、

「あった」

 やっぱりだ。

「あった……って、なにが?」

 その質問が十方院さんからなのか、先輩からなのかは分からなかった。なぜなら、僕の意識は視線と共に、吸い込まれるように一つの名前へと注がれていたからだ。

 ——方邊毅。

 この名字を、僕は嫌というほど知っている。
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