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第10話 冒険者は助けを呼ぶ

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 クマに追われて迷子になっている今の僕達には、大きく分けて3つの選択肢がある。

 一つ目は山を登る、という選択肢だ。山を登り切れば視界も開けるし電波が届くかもしれない。体力的な負担は大きいけれど迷うリスクは少ない。
 二つ目は山を下る、という選択肢。降りるルートがわからないリスクはあるけれど、体力的な負担は少ない。
 三つめは山を横に移動する。つまり街に近い斜面に向かって高度を変えないまま移動する選択肢だ。山影のせいで街からの電波が届かないのなら届く場所まで移動しよう、ということだ。体力的な負担は少ないけれど、クマは同じ高度で餌を探す、と聞いたような気がするのでリスクはある。

「気分的にはすぐに降りたいけど、二つ目はなしだろうね」

「えー!あたしもう帰りたい…」

「僕だってそうさ。だけど、迷ったときに下ったら駄目って山岳ガイドアプリか何かで読んだ覚えがある。とにかく元のルートに戻るのがいいって…」

「だけど元のルートにはクマがいるのよ?」

「そうなんだよね…だから選択肢は実質的に登るか横に移動するかのどちらかになる。ローカルの地図で見る限り、この斜面をぐるっと1キロも回り込めば街側に出ると思うんだ。そうしたら電波が通じるかもしれない」

「でもクマが追ってくるかもしれないでしょ?一番いい選択肢っぽい山に登る、を選ばない理由は?」

「…今の僕達の体力で山を登るのは無謀だよ」

「そうね…そうかもね」

 アンテナも僕の現状認識に同意した。

 水と食料はそこそこ多めに持ってきた。
 ただ、僕達の背負う荷物は重過ぎた。
 登山初心者の常で何でもかんでも念のために詰め込んだ結果だ。
 
 そして重い荷物を背負い続けた結果、足も背中も疲労が蓄積して棒のようになっている。
 口には出さないけど、たぶんアンテナの体力も似たようなものだろう。

 本当は腰を下ろしてしっかり休んだ方がいいのかもしれない。
 だけど、完全に座り込むのは怖いんだ。

「とにかく、歩いて電波の通じる斜面まで移動しよう」

 僕とアンテナはよろよろと歩き出した。

 ★ ★ ★ ★ ★

「コンパスって、こういう時に使うのね」

「そうだね」

 スマホに入っているローカル地図アプリでは地図上の自分の位置をGPS信号をとらえて表示してくれるけれど、自分が地図上で今向いている方向まではわからない。
 なので、右手にスマホを掲げて、左手にコンパスを掲げるという両腕を前に掲げて歩くスタイルになる。

「スイデン、なんか中国拳法の修行してる人みたい」

「仕方ないさ、こうしないと迷いそうなんだ」

 アンテナが評したように、とても腕が疲れる姿勢なので鍛錬としても効果があるかもしれない。
 やや視線を落としながらゆっくり足を運ばないと笹薮に覆われた足元が滑りそうで怖い。ますます修行っぽい。
 切り開かれていない道を歩いているので、低い枝が目の保護ゴーグルにバシバシ当たる。

 アメリカの特殊部隊とかが使ってる高級品なら、地図とGPSとコンパスが一体型のディスプレーで両手に銃を構えながらFPSみたいに移動できるのかもしれないけれど、田舎の高校生の僕達はありもので何とかするしかない。

「…ゴーグルと靴、買っといて良かったね」

「そうだね」

 冒険者ポイントをはたいて購入したゴーグルも靴も十分に役立っている。
 じっさい低レベル冒険者としての装備は十分だったんだ。
 僕とアンテナは精一杯準備した。
 ただ、依頼の内容が間違ってたか、あるいは絶望的に運が悪かっただけで。

「スイデン、ここから街が見えるわよ!」

 思考に沈んでいた僕は、アンテナの元気な声で視線を上げた。

 僕達が進む予定の進路上、山腹の途中で森の木々がすっぱりと切れて視界が広がっていた。

 近づいていくと予定外の場所で視界が開けていた原因がわかった。
 足元の地面が下方向に急角度で大きく抉れて、数千本の森の木々がなぎ倒されて下の方に落ちていた。
 地面を崩さないよう、ゆっくり慎重に崖から距離を取る。

「地滑りの跡か…」

 斜面には草が茂っているので最近の出来事ではないっぽい。

「去年の台風かな」

「そうかもね」

 一難去ってまた一難

 こんな情報は地図には載っていなかった。

 地滑り跡を乗り越えて先に進むのは無理だろう。
 危険が大きすぎる。

「頼むから電波通じてくれよ…」

 祈る思いでスマホをとりだすと、アンテナが一本立っていた。

 ★ ★ ★ ★ ★

「冒険者アプリで依頼達成、それから救助を呼ぶ、と…」

 比較的バッテリーが残っているアンテナに依頼報告を任せることにする。
 罠の写真もアンテナが撮っていたからね。

「んー?んー??あれ?うーん?」

「どうした?」

 アンテナがスマホを持ったまま奇妙な踊りを始めたので声をかけた。

「救助を呼ぼうと思ったんだけど、アプリだとうまくいかないのー!なんか『依頼遂行を中止して救助を呼ぶ』とかいうボタンしか出てこなーいー!!依頼は果たしたってーのー!!」

「ちょっと見せて。あれ…ほんとだ。依頼を果たした後に救助を呼ぶ、がないね」

「ねー!!ないでしょー!?」

 依頼を達成してから救助を呼ぶ、という想定がアプリにないらしい。

 仕方がないので、僕の冒険者アプリを立ち上げて『救助を呼ぶ』をタップする。

『救助を呼ぶと費用が発生する可能性があります。また必要のないコールであった場合、訴訟の対象となる可能性があります。救助を呼びますか?』

「怖っ!あと費用ってなーにー?」

「ええと、何だろう。たぶん山岳保険とかなんとか?確か低レベル冒険者って保険に入ってなかったっけ…?」

 アプリの表示したメッセージが怖い。
 費用って何だろう?
 物凄く高価じゃないといいけど。

『救助を呼ぶ』をタップした。
 費用の点は怖いけれど、命には代えられない。

 すると画面が遷移して選択肢が表れる。

『以下の選択肢から救助連絡先を選んでください』
 ▽警察 110
 ▽消防 119
 ▽山岳救助隊 〇〇〇
 ▽冒険者(推奨)

「なんだこれ?」

 なんだかわからないけど、救助依頼の選択肢に「冒険者」があった。
 冒険者が救助に来ることなんてあるのか。

「警察、に電話してもなあ」

 うちの街には警察署はない。交番があって腹の出たお年寄りの駐在さんが1人いるだけだ。
 悪ガキだった小学生の頃に悪戯をしてはよく𠮟られた覚えがある。

「あのお爺さんに冒険者仕事の説明をして救助を呼んでもらうのか…」

「無理じゃない?ぜったいわかってくれないわよ」

「少なくとも短時間で助けに来てくれたりしないよね…」

 警官も少子高齢化の影響で平均年齢の上昇が大きな職業だ。
 僕はドラマの中以外で若い警察官という人種を見たことがない。
 たぶん山登りは無理だろう。
 クマをやっつける銃だって持ってないだろうし。

「消防、もなあ」

「うち、消防団しかないものね」

「しかもお年寄りばっかりだし」

 うちの街から消防署がなくなってしばらく経つ。
 実際の消火活動は専用のドローン消防車が担当する。
 街の有志でいちおう消防団が組織されているけれど、ほとんどお年寄りの飲み会集団と化していて実態はない。

「あの人達に山登りは無理だよね」

「無理よねえ」

 警察もダメ、消防も頼りにならない ――― 実は連絡すれば広域なんたら体制で大きな自治体の専門家が来てくれるらしい。だけどその時の僕達は自分達の街の警察や消防が来るものだと勘違いしていたわけで。それくらい視野が狭まっていたんだ―――。

「となれば、この山岳救助隊だね。専門家っぽいし」

 タップしたら、数字を打ち込む画面が出てきた。

『社会保障番号を入力してください』

 なんかよくわからないものを要求された。

「社会保障番号?」

「なにそれ?」

 日本で高校生として生きてきて16年、僕もアンテナも社会保障番号とかいうものを要求されたことはない。

「マイナンバー、のことかな…?」

「えー!あたし今カード持ってないわよ!たぶんお母さんに預けたまんま家にある…」」

「僕も…あったかなあ…?」

 ごそごそとバックパックの中の財布を探ると、マイナンバーカード、とかいうのが出てきた。
 このカード、使ったことないんだよね。

「変なかおー」

「うるさいなあ…」

 覗き込んできたアンテナが茶化してくる。小学生か。
 それにしても証明写真の顔写真というやつは、どうして変な顔になるのだろう?
 元の顔が大したことない、という意見は却下する。

「で、マイナンバーを入力すれば…って、桁が合わなくない?」

 アプリで要求された社会保障番号とマイナンバーとでは数字の桁が合わなかった。
 社会保障番号で要求された数字は9桁。マイナンバーは12桁もある。

「じゃあ違うってこと…?マイナンバーじゃないの?」

「社会保障番号ってなんだ…?」

 慌てて検索すると、どうもアメリカ人の保険証の番号みたいなものらしい。

「ここ日本だし…」

「アメリカのアプリはこれだから―!!!」

 肝心なところのローカライズが甘いあたり、やはりアメリカのサービスだ。
 世界中、どこでもアメリカのサービスが標準だと信じて疑わない無邪気さがある。

「仕方ない。親に電話するか…」

「ぜったい冒険者辞めろって言われるよね…」

「だよなー…」

 ここで親に電話したとする。
 その後の流れが、ありありと想像できた。

 まず親が大騒ぎして、警察とか消防に連絡が行って、学校にも連絡が行って、それで思い切り叱られて、僕もアンテナも冒険者は辞めさせられて、スマホも取り上げられて、元の乾きかけた水たまりに生まれたオタマジャクシのような日々を過ごすのだ。

「…嫌だな」

「…そうね」

 冒険者は仕事としてはあまり儲からないし、今回みたいなリスクもある。
 大人は冒険者なんて止めなさい、と簡単に禁止するだろう。

 だけど、時が止まって淀みきった街で半分将来を諦めた暮らしをしていた僕にとって、冒険者アプリは外の世界の空気を吸い込むことのできる小さな窓なんだ。
 僕は、この暮らしを捨てたくない。
 それはアンテナだって同じはずだ。

「それじゃあ、冒険者に依頼してみようか」

「いいわね。新米冒険者が冒険者に救助を依頼する。これも冒険者っぽいじゃない?」

 アンテナはさっぱりした顔で笑い、僕もつられて笑い「冒険者に救助を依頼する」とタップした。
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