扇屋あやかし活劇

桜こう

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十章

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霊扇れいせん十二支じゅうにしを最後に、仔弐阿弥は霊扇を描かなくなりました」
 大川を音もなく滑る屋形船の中で、松原江西はその面長の顔に感情らしきものを浮かべないまま淡々と語りだした。
「己の霊扇が売れれば売れるほど、仔弐阿弥は苦悩を深めていましたから」
「表舞台で認められないじれんまと、争いの道具として用いられることもある霊扇を描くことへの良心の呵責かしゃくに耐え切れなくなったってところか?」
 夢一が口を挟んでも、江西は視線をピクリとも動かさないまま「ええ」と、頷く。
「仔弐阿弥はそれまで支援してきた矢鱈屋勘之助、高処一蔵、そしてこのわたしにその霊扇十二支を渡してきました。わたしどもへの手切れ金だったのでしょう。まあ、それまでにもう彼の霊扇でだいぶ稼がせてもらっていましたから、残念ではあったが仔弐阿弥との縁を絶つことにしたのです」
「おめえさんたち、その霊扇はどうしたんだ?」
 腕組みをして聞いていた我聞が訊ねると、江西は悪びれる様子もなく「もちろん売り捌きました」と、答えた。
「十二品すべてをか?」
「霊扇など、扇士でもないわたしどもが持っていてもしかたないでしょう。しかも桁違いの力を秘めた霊扇なんて、恐ろしくて手元に置いておけません。あれは扇子とはいえあやかしの類と言っても過言ではない」
 夢一はちらりとましろを見た。俯き加減の顔は、かすかに翳っている。
 つらい話になっちまったな。
 続いてはちみつを見た。座卓に用意された料理を一心にぱくついている。
 こっちは……まあ、いいか。
「高処なんて、魔扇ませんなどと大仰な名を付けて商いをしていたようですよ。あれは金にがめつい男でしたから。まあ、でも効果はあったようです。怖いもの見たさとでも言うべきか、仔弐阿弥の魔扇という触れ込みで、値は何倍にも上がったでしょう」
「魔扇なんて存在しねえよ。そんなもん人間の欲望が生んだ幻じゃねえか」
 夢一が吐き捨てたが、江西は少しも意に介さず話を続けた。
「霊扇十二支を売った金を元手に、わたしどもはそれぞれ商いをはじめたのですが、どうやらわたし以外はうまくいかなかったようですね」
 江西は酷薄な笑みを浮かべた。
「しがない寺子屋の師に、贋物がんぶつまがいの品を売る骨董屋の主人……。聞けば、高処は仔弐阿弥の絵を隠し持っていたとか。おおかたその絵で仔弐阿弥霊扇の贋物でもこしらえようとしていたのでしょう……。哀れなものです」
 その口ぶりに、夢一は薄ら寒いものを感じたが、江西はすぐに無表情に戻った。
「仔弐阿弥の贋者にせものがわたしの命を狙っているそうですね」
 我聞の野太い声がそれに答える。
「仔弐阿弥が描き、自ら降ろした魔思だってことはわかっている。そいつが仔弐阿弥にゆかりのある者を殺し回ってるんだ」
「仔弐阿弥自身も殺されたわけですね」
 我聞は「ああ」と、不機嫌そうに頷いた。
「まったく、化物の考えることはわからねえ。なんのためにそんなことをしやがるんだ?」
「それは……」
 江西は自分の膝先を見つめるように俯いた。その瞳に冷然とした感情が垣間見えたように思えたのは、夢一の気のせいだったであろうか。
 再び顔を上げた江西の瞳は宵闇のように深く虚ろなだけだった。
「いつの世も、著名な絵師の作品には贋作がんさくが付きものです」
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