扇屋あやかし活劇

桜こう

文字の大きさ
上 下
51 / 92
八章

しおりを挟む
 本当に目の前のこの人は、わたしの知ってる番頭さんなの? 誠実で面倒見のいい、おたなのみんなから慕われていた番頭さんなの? 見た目は番頭さんなのに……たしかに番頭さんなのに……なのに、どうしてわたしは震えているの? 怖いと感じるの?
 退くこともできず、五十兵衛いそべえの汚泥のように濁った眼に射すくめられ、すずめはその場で動くことができないでいた。
 ついに五十兵衛はすずめの目の前までやってくると、不自然に上半身を傾かせて立ち止まった。
「ば、番頭さん……どうしてここに?」
 か細い声ですずめが尋ねると、五十兵衛は両頬を引きつらせて笑った。なぜか獣臭い匂いがすずめの鼻をつく。
「……元気……か……――すずめ」
 五十兵衛のその一言が、結果的にすずめを助けた。
 すずめは傍らのはちみつを咄嗟に抱きかかえると、背後に飛びのいた。すずめの首下に向かって伸ばされた五十兵衛の手が空を切る。
 このひとは番頭さんじゃない。姿かたちは同じでも、このひとはわたしの知っている番頭さんじゃない。
「すず……め?」
「あなたは誰!?」
「なにを……言ってる……わたしは――」
「番頭さんじゃない! 山葉多屋やまはたやの五十兵衛さんは、わたしを”おすず”って呼ぶもの!」
 五十兵衛は虚を突かれたようにぽかんと口を開け、それから顔の下半分をゆがめて笑った。その口元から涎が滴り落ちる。
「く、くくく、くっ」
 五十兵衛は喉の奥で笑い、ゆっくりと両手を広げた。すずめははちみつをその背に匿いながら、一歩、二歩とあとずさる。
「くく、く……――化けそこなったわ」
 不意に五十兵衛の両手の平から、ふさふさとした茶色の尻尾のような塊が出現した。
すずめとはちみつが唖然とする中、その茶色の尻尾は五十兵衛の頭上に向かって伸び、そこで孔雀の羽のごとく、九つに枝分かれして広がった
「くくく」
 五十兵衛が冷笑すると、その九本の尻尾は鎌首をもたげるように、先端をすずめたちに向ける。
「くくくくっ、扇士様のめいのため……あちきは、あんたの息の根止めてあげるわいな」
 五十兵衛のものとは思えない金切り声が響くと、それを合図に屹立する九尾きゅうびが一斉にすずめたちに向かって飛び掛ってきた。
 逃げられない!
 すずめはとっさにはちみつを庇うように抱きしめ、迫り来る恐怖に眼をつぶった。
 ざんっ!
 耳元でなにかが断ち切られる音が聞こえた。あるいは自分の体があの九尾に貫かれた音なのかもしれない、とすずめは思いながら「でも不思議。痛くない」と、思わず呟いた。
「ぎゃああっ!」
 耳をつんざく叫び声に眼を開けると、五十兵衛が膝を付き、苦悶の表情を浮かべていた。そしてその五十兵衛とすずめの間に立つひとりの男。
 手には小刀が握られ、刀身にはべったりと、墨のような黒い飛沫が飛んでいた。地面に目を落とすと男の足元には九尾の残骸が転がっている。
「怪我はありませんか? すずめ殿、はちみつ殿」
「からたちさん!?」
 岡っ引き我聞親分の手下てかからたちは、小刀を構えなおし、いつもの冷静沈着な口ぶりで話した。
「あの男には、魔思がとり憑いていますね」
「魔思が?」
 からたちが、ええ、と頷く。
「とり憑いた宿主の頭の中を覗きながら、それを意のままに操る魔思のようです」
「じゃあ、番頭さんは? 番頭さんは大丈夫なの?」
 憤怒の形相の五十兵衛を油断なく見据えながら、からたちは「心配ないでしょう」と答えた。
「とり憑いた魔思さえ祓えれば、命に別状はなさそうです。まあ、魔思にむりやり身体を動かされた手前、しばらくは寝込みそうですが」
 すずめは胸を撫で下ろしたが、からたちは困り顔だ。
「しかしそう易々と倒せる魔思ではなさそうです」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

けもの

夢人
歴史・時代
この時代子供が間引きされるのは当たり前だ。捨てる場所から拾ってくるものもいる。この子らはけものとして育てられる。けものが脱皮して忍者となる。さあけものの人生が始まる。

織田信長に育てられた、斎藤道三の子~斎藤新五利治~

黒坂 わかな
歴史・時代
信長に臣従した佐藤家の姫・紅茂と、斎藤道三の血を引く新五。 新五は美濃斎藤家を継ぐことになるが、信長の勘気に触れ、二人は窮地に立たされる。やがて明らかになる本能寺の意外な黒幕、二人の行く末はいかに。 信長の美濃攻略から本能寺の変の後までを、紅茂と新五双方の語り口で描いた、戦国の物語。

淡き河、流るるままに

糸冬
歴史・時代
天正八年(一五八〇年)、播磨国三木城において、二年近くに及んだ羽柴秀吉率いる織田勢の厳重な包囲の末、別所家は当主・別所長治の自刃により滅んだ。 その家臣と家族の多くが居場所を失い、他国へと流浪した。 時は流れて慶長五年(一六〇〇年)。 徳川家康が会津の上杉征伐に乗り出す不穏な情勢の中、淡河次郎は、讃岐国坂出にて、小さな寺の食客として逼塞していた。 彼の父は、淡河定範。かつて別所の重臣として、淡河城にて織田の軍勢を雌馬をけしかける奇策で退けて一矢報いた武勇の士である。 肩身の狭い暮らしを余儀なくされている次郎のもとに、「別所長治の遺児」を称する僧形の若者・別所源兵衛が姿を見せる。 福島正則の元に馳せ参じるという源兵衛に説かれ、次郎は武士として世に出る覚悟を固める。 別所家、そして淡河家の再興を賭けた、世に知られざる男たちの物語が動き出す。

夜珠あやかし手帖 ろくろくび

井田いづ
歴史・時代
あなたのことを、首を長くしてお待ちしておりましたのに──。 +++ 今も昔も世間には妖怪譚がありふれているように、この辻にもまた不思議な噂が立っていた。曰く、そこには辻斬りの妖がいるのだと──。 団子屋の娘たまはうっかり辻斬り現場を見てしまった晩から、おかしな事件に巻き込まれていく。 町娘たまと妖斬り夜四郎の妖退治譚、ここに開幕! (二作目→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/284186508/398634218)

処理中です...