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七章
一
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「ちょくちょく遊びに来るんだよ、夢坊。おばちゃん、あんたの好きなぼた餅作って待ってるからさ」
我聞の女房のお藤はそう言いながら茶を出し、そのまま部屋に居座ろうとした。が、我聞から「いいから、おめえはあっち行っててくれ」とたしなめられ、口を尖らせつつ部屋から出ていった。
「叔母上も元気そうで」
「元気すぎてかなわねえ」
「相変わらず尻に敷かれてるのですか?」
「ああ、勝気な嫁を持つと苦労するぜ……――て、んなことはどうでもいいんだ!」
罪人なら腰を抜かしそうな我聞の怒鳴り声も、その頬の赤らみでは迫力不足だ。夢一は笑みを隠すため、湯呑みを口元に持っていった。
我聞の家は富川町の北の端にあり、同じ町内とはいえ南の端にある扇屋からは半時ほど掛かる。それでも足が遠退く距離ではないのだが、じっさい夢一が我聞宅を訪れるのは一年ぶりくらいだ。
そうなった理由はほかでもない。無闇に顔を出して岡っ引きの仕事に巻き込まれるのを恐れたからである。
扇士としての能力を知っている我聞は、なにかと夢一を頼るきらいがある。それは我聞に悪気があるわけでも、岡っ引きとして無能というわけでもない。ただ単に楽がしたいだけだ。町の平和のためならなんでもするが、その役目は自分でも自分以外でもいい。他にいないから自分がやっているだけのこと。それが我聞の信条だった。
だがそれに付き合わされ、事件に巻き込まれる方としては堪ったものではない。しかも夢一の本業は扇子屋。物騒な事件に関わらないよう、自然、夢一の足はこちらに向かわなくなっていた。
まあでも、叔母上があんなふうに言ってくれるなら、もう少し顔を見せてもいいか。叔母上のぼた餅はうめえし。ぼた餅、ぼた餅か……やべえ、もう、ぼた餅の口になっちまったな。帰ったらましろに作らせるか。
などと考えていた夢一だが、
「すずめちゃんの様子はどうだ?」
すずめの名を出されては、そんな甘い想像はしまいこむしかなかった。
「今朝は変わりなかったですよ。飯も二杯かっくらってましたからね」
我聞は少し安心したように自分の額を撫で付けた。
「そうかい、よかった。いや、これでも責任を感じてたんだ。おめえがどうしてもと言うから二度も現場に連れて行ったが、二度とも気分を悪くさせちまった。しかも自分の父親の絵が、現場から意味有りげに見つかったとあっちゃあ、気持ちのいいもんじゃねえしな」
「叔父上が責任を感じる必要はないでしょう。俺が勝手に連れ歩いていただけですから」
「でもよ……」
考え込むように我聞が腕を組む。
「で、そろそろ言いな、夢坊。理由はなんだ? おめえがあの娘を連れ歩く理由だ」
夢一は一瞬逡巡したが、我聞に隠し立てをしてもしかたないと思い、話しだした。
「あいつは自分の霊験の強さを知りません。わずかな霊験であればそれに気づかず生きていく道もあったでしょう。しかし並外れた霊験の強さは己の意思とは関係なくあやかしを呼び込むもの。今はまだ完全には目覚めてませんが、いずれは……。そうなったとき、その霊験の質によってはあやかしに襲われることだって考えられる」
我聞が膝を叩き、夢一の言葉を継いだ。
「なるほど、おめえは早めにすずめちゃんの力を目覚めさせてやろうと思ったわけだ」
「ええ。あやかしに触れれば、霊験は喚起されます。一刻も早く力を自覚させ、それを律する術と心構えを持たせるべきだと考えました」
我聞は二、三度頷き、それから憂いを帯びた表情で呟いた。
「十六の娘にとっちゃあ、酷な道でもあるな」
「しかしそれがあいつの生きる道でもあります」
我聞の女房のお藤はそう言いながら茶を出し、そのまま部屋に居座ろうとした。が、我聞から「いいから、おめえはあっち行っててくれ」とたしなめられ、口を尖らせつつ部屋から出ていった。
「叔母上も元気そうで」
「元気すぎてかなわねえ」
「相変わらず尻に敷かれてるのですか?」
「ああ、勝気な嫁を持つと苦労するぜ……――て、んなことはどうでもいいんだ!」
罪人なら腰を抜かしそうな我聞の怒鳴り声も、その頬の赤らみでは迫力不足だ。夢一は笑みを隠すため、湯呑みを口元に持っていった。
我聞の家は富川町の北の端にあり、同じ町内とはいえ南の端にある扇屋からは半時ほど掛かる。それでも足が遠退く距離ではないのだが、じっさい夢一が我聞宅を訪れるのは一年ぶりくらいだ。
そうなった理由はほかでもない。無闇に顔を出して岡っ引きの仕事に巻き込まれるのを恐れたからである。
扇士としての能力を知っている我聞は、なにかと夢一を頼るきらいがある。それは我聞に悪気があるわけでも、岡っ引きとして無能というわけでもない。ただ単に楽がしたいだけだ。町の平和のためならなんでもするが、その役目は自分でも自分以外でもいい。他にいないから自分がやっているだけのこと。それが我聞の信条だった。
だがそれに付き合わされ、事件に巻き込まれる方としては堪ったものではない。しかも夢一の本業は扇子屋。物騒な事件に関わらないよう、自然、夢一の足はこちらに向かわなくなっていた。
まあでも、叔母上があんなふうに言ってくれるなら、もう少し顔を見せてもいいか。叔母上のぼた餅はうめえし。ぼた餅、ぼた餅か……やべえ、もう、ぼた餅の口になっちまったな。帰ったらましろに作らせるか。
などと考えていた夢一だが、
「すずめちゃんの様子はどうだ?」
すずめの名を出されては、そんな甘い想像はしまいこむしかなかった。
「今朝は変わりなかったですよ。飯も二杯かっくらってましたからね」
我聞は少し安心したように自分の額を撫で付けた。
「そうかい、よかった。いや、これでも責任を感じてたんだ。おめえがどうしてもと言うから二度も現場に連れて行ったが、二度とも気分を悪くさせちまった。しかも自分の父親の絵が、現場から意味有りげに見つかったとあっちゃあ、気持ちのいいもんじゃねえしな」
「叔父上が責任を感じる必要はないでしょう。俺が勝手に連れ歩いていただけですから」
「でもよ……」
考え込むように我聞が腕を組む。
「で、そろそろ言いな、夢坊。理由はなんだ? おめえがあの娘を連れ歩く理由だ」
夢一は一瞬逡巡したが、我聞に隠し立てをしてもしかたないと思い、話しだした。
「あいつは自分の霊験の強さを知りません。わずかな霊験であればそれに気づかず生きていく道もあったでしょう。しかし並外れた霊験の強さは己の意思とは関係なくあやかしを呼び込むもの。今はまだ完全には目覚めてませんが、いずれは……。そうなったとき、その霊験の質によってはあやかしに襲われることだって考えられる」
我聞が膝を叩き、夢一の言葉を継いだ。
「なるほど、おめえは早めにすずめちゃんの力を目覚めさせてやろうと思ったわけだ」
「ええ。あやかしに触れれば、霊験は喚起されます。一刻も早く力を自覚させ、それを律する術と心構えを持たせるべきだと考えました」
我聞は二、三度頷き、それから憂いを帯びた表情で呟いた。
「十六の娘にとっちゃあ、酷な道でもあるな」
「しかしそれがあいつの生きる道でもあります」
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