扇屋あやかし活劇

桜こう

文字の大きさ
上 下
32 / 92
五章

十一

しおりを挟む
「丹後……あそこに納められていたのは」
霊扇れいせん十二支じゅうにしのひとつ」
「――”氷申こおりざる”か」
 夢一は思案顔で、足元の闇を凝視した。脳裏に矢鱈屋やたらや勘之助かんのすけの殺しの現場が浮かんでくる。室内を一瞬で凍らせたと思われる氷の霊験。魔思の痕跡。あれほどの凄絶な力を発揮できる霊扇はざらにはない。
 しかし、霊扇十二支なら……。
「”氷申”……」
 もう一度夢一はその名を呟いた。それが使われたとすれば、お咲が耳にした猿の鳴き声についても合点がいく。
「しかしいったい誰が、なんのために……」
「ここ数年、各地で霊扇の蒐集家しゅうしゅうかが殺され扇を奪われる事件が相次ぎ、いずれも下手人は捕まっておりません。”氷申”が奪われたのも、それと関連があるのかもしれません」
 男は「なにやら不穏な予感がいたします」と、硬い口調で付け加えた。
 男のその言葉は夢一の胸の奥に落ち、胸騒ぎへ形を変える。それを吐き出すように夢一は嘆息した。
「俺はどうにもこうにも、霊扇十二支にえんがあるみてえだな」
 男は闇の中で微笑で応じた。
「江戸随一の扇士、夢一殿だからでございましょう」
「けっ、おだてるんじゃねえよ」
 夢一は面倒くさそうに肩をすくめた。
「まあ、心構えだけはしとくさ」
「わたしのほうでも、気をつけておきましょう」
 闇の中で木の葉が舞うような微かな足音が聞こえ、それを最後に男の気配が遠退いた。が、すぐに先程よりは少し離れた暗がりから声が聞こえてきた。
「おかつで、すずめ殿の歓迎の宴が開かれていると聞きましたが」
「らしいな」
「夢一殿はこれから?」
「俺が行ったら場が白けるだろ? すずめの奴、毛虫でも見たように嫌な顔するに決まってる」
「そうでしょうね」
「おい、否定しろよ」
 男は静謐な晩に相応しく、囁くように笑った。
「でも、内心は喜ばれると思います」
「んなわけあるかよ」
「霊験では夢一殿に及びませんが、女心はわたしのほうがよくわかっておりますゆえ」
「勝手に言ってろ。おかつになんか行かねえよ」
「あまり呑みすぎないほうが」
「だから行かねえって――」と、夢一が言い終える前に男の気配は今度こそ消え、月明かりに獣の尻尾が素早く過ぎった。
「相変わらず、素早い野郎だ」
 感心したように呟くと、夢一はもう一度、ぽっかりと浮かんだ半分の月を見上げた。その冴え冴えとした月に必死に届けとばかりに、どこかで鈴虫が鳴いている。
 夢一は扇屋を振り仰いだ。明かりの消えた家に、ひとりでいるのはつまらない気がした。そういう晩だと思った。
 夢一は大げさにため息をつくと、懐手をしながら、おかつへ向かってゆっくりと歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

けもの

夢人
歴史・時代
この時代子供が間引きされるのは当たり前だ。捨てる場所から拾ってくるものもいる。この子らはけものとして育てられる。けものが脱皮して忍者となる。さあけものの人生が始まる。

織田信長に育てられた、斎藤道三の子~斎藤新五利治~

黒坂 わかな
歴史・時代
信長に臣従した佐藤家の姫・紅茂と、斎藤道三の血を引く新五。 新五は美濃斎藤家を継ぐことになるが、信長の勘気に触れ、二人は窮地に立たされる。やがて明らかになる本能寺の意外な黒幕、二人の行く末はいかに。 信長の美濃攻略から本能寺の変の後までを、紅茂と新五双方の語り口で描いた、戦国の物語。

淡き河、流るるままに

糸冬
歴史・時代
天正八年(一五八〇年)、播磨国三木城において、二年近くに及んだ羽柴秀吉率いる織田勢の厳重な包囲の末、別所家は当主・別所長治の自刃により滅んだ。 その家臣と家族の多くが居場所を失い、他国へと流浪した。 時は流れて慶長五年(一六〇〇年)。 徳川家康が会津の上杉征伐に乗り出す不穏な情勢の中、淡河次郎は、讃岐国坂出にて、小さな寺の食客として逼塞していた。 彼の父は、淡河定範。かつて別所の重臣として、淡河城にて織田の軍勢を雌馬をけしかける奇策で退けて一矢報いた武勇の士である。 肩身の狭い暮らしを余儀なくされている次郎のもとに、「別所長治の遺児」を称する僧形の若者・別所源兵衛が姿を見せる。 福島正則の元に馳せ参じるという源兵衛に説かれ、次郎は武士として世に出る覚悟を固める。 別所家、そして淡河家の再興を賭けた、世に知られざる男たちの物語が動き出す。

夜珠あやかし手帖 ろくろくび

井田いづ
歴史・時代
あなたのことを、首を長くしてお待ちしておりましたのに──。 +++ 今も昔も世間には妖怪譚がありふれているように、この辻にもまた不思議な噂が立っていた。曰く、そこには辻斬りの妖がいるのだと──。 団子屋の娘たまはうっかり辻斬り現場を見てしまった晩から、おかしな事件に巻き込まれていく。 町娘たまと妖斬り夜四郎の妖退治譚、ここに開幕! (二作目→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/284186508/398634218)

処理中です...