扇屋あやかし活劇

桜こう

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五章

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 驚愕するすずめの見つめる先で、黒い塊の上部が内部から押し出されるように膨れ、そこから赤いほむらの瞳と刀身の牙を持った頭部が現れた。ぴんっと立った耳と隆起した鼻。たしかにその形は犬のものだ。が、その巨大さも相まって、闇から生まれた獰猛な化物にしか見えない。
 しかしその姿に、夢一は感心したように頷く。
「戯れに描いた絵にしては悪くねえ。こいつを扇絵にしたためた野郎はなかなかに筆が立つぜ。とにもかくにも、魔思の中ではましなほうだ」
「こんなときに駄洒落だじゃれを言わなくても」
「駄洒落なんか言った覚えねえよ」
「本当に?」
「……」
「本当に?」
「……駄洒落だよ」
「しょうもな」
「うっせえな、てめえに言われる筋合いねえんだよ!」
 ふたりのやりとりが癇に障ったのか、牛より大きい黒犬魔思が咆哮を上げた。地獄の底から噴き出るような響きに雑木林の枝葉は震え、すずめは腰を抜かしかけ、思わず夢一の着物の袖を掴んだ。
「ふんっ、犬っころごときに夢一様が食われてたまるかい!」
 夢一は袂から一本の扇子を取り出し、勢いよくそれを開いた。
「食らいやがれ!」
 ふわふわ、はらはら。
 ついさっきお咲をなぐさめた花吹雪が呑気に舞った。
 わあ、綺麗。
「――て、ここで和ませてどうすんの!?」
「間違った。この扇子じゃねえや」
 夢一が花吹雪の扇子をしまい、代わりにべつの扇子を袂から取り出したときには、黒犬は赤い目をたぎらせ、ふたりの目前まで迫っていた。
 もう駄目!
 すずめが恐怖に目をつむったとき、再び夢一が叫んだ。
「生まれしえにし、今こそ出でよ! ──”虎獣こじゅう天牙てんが”」
 闇に閉ざされた裏通りに、鈍い破裂音が響いた。
「ぎゃうんっっ!」
 と同時に、空気を切り裂くおぞましい鳴き声ひとつ。思わず耳を押さえたすずめであったが、ふと気づくと、死地にいざなう黒犬の地響きが嘘のように消えている。
 すずめは恐る恐る目を開けた。
 黒一色、墨にまみれた魔思の結界の中で、目に眩しい鮮やかな黄金の色が君臨していた。
「……と、虎?」
 そこには闇の黒犬よりもさらに二回りは大きい黄金の虎が、その隆々たる前足で黒犬を地べたに押さえつけ、喉元に食らいついていた。
 黒犬は牙の覗く口から墨汁のような涎を吐き散らし、懸命に起き上がろうともがく。が、頭と胴を完全に押さえ込まれては、それもままならない。しかも黄金の虎の牙が食い込んだ首からは墨色の血がおびただしく噴き出し、しだいにその動きは弱々しくなっていく。圧倒的な力の差によって、一瞬で趨勢は決していた。
「虎を描かせたら天下一品、井上いのうえ良生りょうせいの霊扇だ。おめえも犬っころにしてはいい線いってるが。しょせん戯れの扇絵。格が違う。諦めな」
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