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三章
一
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扇屋の奥、工房として使っている六畳ほどの板間の真ん中で、衣音夢一はどこかの軒先で揺れる風鈴の音を耳にしながら、仰向けに寝転がっていた。
三河屋から依頼されていた扇子の修繕を徹夜仕事でやり終え、今しがた訪れた三河屋の使いの者にそれを手渡したところであった。
あの出来映えなら文句もねえだろ。衣音夢一の腕に頭を垂らしたくなるだろうぜ。
一仕事を終えた安堵感と達成感に浸りながら、夢一は寝転がったまま、う~ん、と伸びをした。疲労と眠気に四肢も瞼も重く、このまま一寝入りしちまおうか、と生欠伸をしたところで、ましろが茶を持って部屋に入ってきた。
「おつかれさまでした、旦那様。ましろは労っちゃうのです」
「俺ぁ、もう寝るぜ。今日は店を開ける気にならねえ」
面倒そうに言って、夢一は寝返りを打ってましろに背を向けた。その顔先に湯飲みがトンっと置かれる。渋めの上品な香りが鼻をくすぐり、それに刺激されて喉が鳴った。
むくりと起き上がり、湯飲みに手を伸ばす。
そんな夢一を見て、ましろは満足そうに微笑んだ。
「眠気すっきりお茶作戦大成功の巻なのです」
「なんだよ、それ? 俺が寝ちゃいけねえわけでもあるのか?」
「はい。ましろは答えるのです」
しかし夢一に心当たりはない。急ぎの仕事はもうないはずだし、出掛ける用も思い浮かばない。
「思い当たらねえな」
ずずずっと体に染み渡る茶を啜りながら、夢一は肩をすくめた。
「記念すべき、すずめさんの扇屋生活初日です。なのでましろはみんなで宴を開こうと思うのです」
「宴~!? おいおい冗談じゃねえや。なにが悲しくてたかだか女中のために宴なんぞ開かなきゃならねえんだよ? 却下だ、却下。胸くそ悪い提案なんてするんじゃねえよ」
「すでに今晩”おかつ屋”での大宴会が決定してるのです」
「ぎゃふん! ――て、ぎゃふんてなんだよ? 普通言わねえのに、言っちまったよ。驚いちまったよ」
「喜んでくれて、ましろも嬉しいのです」
「喜んじゃいねえ!」
「というわけで――」
「なにが、というわけでだ!?」
「ましろとはちみつは宴の仕度で忙しいので、旦那様はすずめさんがいらしたら、お相手よろしくお願いいたしますなのです」
なんで店の主人が女中に気を使う? 間違ってる、きっと間違ってるぞ。
内心嘆くものの、ましろとはちみつの強情さを熟知している夢一は、ただただ苦虫を噛み潰した表情で黙るしかない。
俺って、店の主人としての威厳が足りねえのかな……。などと真剣に心配しつつ、夢一は部屋から出て行こうとするましろを呼び止めた。
「なあ、ましろよ」
三河屋から依頼されていた扇子の修繕を徹夜仕事でやり終え、今しがた訪れた三河屋の使いの者にそれを手渡したところであった。
あの出来映えなら文句もねえだろ。衣音夢一の腕に頭を垂らしたくなるだろうぜ。
一仕事を終えた安堵感と達成感に浸りながら、夢一は寝転がったまま、う~ん、と伸びをした。疲労と眠気に四肢も瞼も重く、このまま一寝入りしちまおうか、と生欠伸をしたところで、ましろが茶を持って部屋に入ってきた。
「おつかれさまでした、旦那様。ましろは労っちゃうのです」
「俺ぁ、もう寝るぜ。今日は店を開ける気にならねえ」
面倒そうに言って、夢一は寝返りを打ってましろに背を向けた。その顔先に湯飲みがトンっと置かれる。渋めの上品な香りが鼻をくすぐり、それに刺激されて喉が鳴った。
むくりと起き上がり、湯飲みに手を伸ばす。
そんな夢一を見て、ましろは満足そうに微笑んだ。
「眠気すっきりお茶作戦大成功の巻なのです」
「なんだよ、それ? 俺が寝ちゃいけねえわけでもあるのか?」
「はい。ましろは答えるのです」
しかし夢一に心当たりはない。急ぎの仕事はもうないはずだし、出掛ける用も思い浮かばない。
「思い当たらねえな」
ずずずっと体に染み渡る茶を啜りながら、夢一は肩をすくめた。
「記念すべき、すずめさんの扇屋生活初日です。なのでましろはみんなで宴を開こうと思うのです」
「宴~!? おいおい冗談じゃねえや。なにが悲しくてたかだか女中のために宴なんぞ開かなきゃならねえんだよ? 却下だ、却下。胸くそ悪い提案なんてするんじゃねえよ」
「すでに今晩”おかつ屋”での大宴会が決定してるのです」
「ぎゃふん! ――て、ぎゃふんてなんだよ? 普通言わねえのに、言っちまったよ。驚いちまったよ」
「喜んでくれて、ましろも嬉しいのです」
「喜んじゃいねえ!」
「というわけで――」
「なにが、というわけでだ!?」
「ましろとはちみつは宴の仕度で忙しいので、旦那様はすずめさんがいらしたら、お相手よろしくお願いいたしますなのです」
なんで店の主人が女中に気を使う? 間違ってる、きっと間違ってるぞ。
内心嘆くものの、ましろとはちみつの強情さを熟知している夢一は、ただただ苦虫を噛み潰した表情で黙るしかない。
俺って、店の主人としての威厳が足りねえのかな……。などと真剣に心配しつつ、夢一は部屋から出て行こうとするましろを呼び止めた。
「なあ、ましろよ」
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