8 / 92
二章
四
しおりを挟む
垂れ目少女はすずめをもう一度、上がり框に強引に座らせてしまった。
「だから女中のことはもう――きゃっ」
戸惑うすずめにおかっぱ少女が抱きついてくる。
「しけんっ、しけんっ、女中さんのしけんだぞ」
きゃっきゃっと笑いながら、おかっぱ少女が無垢なまなざしを向けてくる。そんな瞳に見つめられると、すずめも腰が上げにくい。雛鳥のようにじゃれてくるおかっぱ少女のあどけなさに、抵抗する気力が奪われていく。
そんなすずめの膝先に、重箱をふた回りほど大きくしたほどの、桐箱が静かに置かれた。表面はあちこち黒ずみ、年季を感じさせる。
「女中募集さんには、みなさんこれをやっていただきますです。この試験ができた方だけが女中募集さんから、女中さんに大昇格するのです」
垂れ目少女はそう言ってから、ひとり蚊帳の外といった様子の扇屋主人に振り返った。
「いいですよね、旦那様? ましろはいちおうお伺いを立てるのです」
男は手元にあった扇子を所在なげに、ぱたり、ぱたりと開いたり閉じたりしながら「勝手にしろい」と、欠伸まじりで返答した。
その態度にまたまたすずめは、かちんとくる。
ふん、どうせ試験なんかできないと思ってるんだ。試験に失敗したわたしを笑うつもりなんでしょう? でもおあいにくさま。わたし、はなから試験なんて受ける気ないもの。あんなひとのもとで働く気なんてこれっぽっちも――。
「頑張れ頑張れだぞ。はちみつ、懸命に懸命に命を掛けて応援するんだぞ。祈ってるぞ」
おかっぱ少女は本当に祈るように胸の前で手を組み「女中になれますように、なれますように」と、潤んだ瞳を向けてくる。
「え……ええ……」
すずめは目眩がした。こんないたいけな少女の願いを、無下に断れるわけがない。命を掛けて応援しているとまで言われ、それを踏みにじる性根を、すずめは持ち合わせてはいなかった。
そうだ、とりあえずこの子のために試験だけ受けよう。でもきっと落ちると思うから、今から謝っておくね。ごめんね。
すずめは心の中でおかっぱ少女に詫びてから、ようやく垂れ目少女に応えた。
「試験、受けるわ」
垂れ目少女は満足そうに微笑み、すずめの前に置かれた桐の箱に手を伸ばし、蓋を取った。
「ではこの中から選んでいただきますです」
選ぶ?
「この中から一本、あなたが一番必要だと思う扇子を。そう言ってましろは八十本、末広がりで縁起がいい扇子たちをお見せするのです」
桐の箱の中には大小様々、色とりどりの扇子が、どれも閉じられた状態でびっしりと収まっていた。
「一番必要だと思う扇子を?」
「はい、と、答えるましろです」
「この中から一本?」
「はい、と、答えるましろです」
「八十本の中から?」
「はい、と、答えるましろです」
「いまさらだけど、あなたのお名前、ましろさんっていうんですね?」
「以後お見知りおきを、です」
「はちみつは、はちみつって名なんだ」
すずめの膝の上にちょこんと座りながら、おかっぱ少女は元気よく答えた。
「うん、はちみつちゃんね。素敵なお名前。わたしはすずめ」
「すずめもいい名前なんだ。はちみつは好きになったぞ」
「うん、ありがと~」
「――て、おめえら、和やかに自己紹介してんじゃねえよ。ちゃっちゃと扇子を選びやがれ」
苛立たしそうに、男が口を挟んだ。
「ひとり仲間外れで拗ねてるんだぞ、旦那様」
「ば、馬鹿か、おめえ。こんな茶番とっとと終わらせて、俺は静かに昼寝でもしてえんだ」
男は肩を怒らせつつ「ちなみに俺は、衣音夢一」と、ぼそりと呟いたが、すずめは無視した。
「だから女中のことはもう――きゃっ」
戸惑うすずめにおかっぱ少女が抱きついてくる。
「しけんっ、しけんっ、女中さんのしけんだぞ」
きゃっきゃっと笑いながら、おかっぱ少女が無垢なまなざしを向けてくる。そんな瞳に見つめられると、すずめも腰が上げにくい。雛鳥のようにじゃれてくるおかっぱ少女のあどけなさに、抵抗する気力が奪われていく。
そんなすずめの膝先に、重箱をふた回りほど大きくしたほどの、桐箱が静かに置かれた。表面はあちこち黒ずみ、年季を感じさせる。
「女中募集さんには、みなさんこれをやっていただきますです。この試験ができた方だけが女中募集さんから、女中さんに大昇格するのです」
垂れ目少女はそう言ってから、ひとり蚊帳の外といった様子の扇屋主人に振り返った。
「いいですよね、旦那様? ましろはいちおうお伺いを立てるのです」
男は手元にあった扇子を所在なげに、ぱたり、ぱたりと開いたり閉じたりしながら「勝手にしろい」と、欠伸まじりで返答した。
その態度にまたまたすずめは、かちんとくる。
ふん、どうせ試験なんかできないと思ってるんだ。試験に失敗したわたしを笑うつもりなんでしょう? でもおあいにくさま。わたし、はなから試験なんて受ける気ないもの。あんなひとのもとで働く気なんてこれっぽっちも――。
「頑張れ頑張れだぞ。はちみつ、懸命に懸命に命を掛けて応援するんだぞ。祈ってるぞ」
おかっぱ少女は本当に祈るように胸の前で手を組み「女中になれますように、なれますように」と、潤んだ瞳を向けてくる。
「え……ええ……」
すずめは目眩がした。こんないたいけな少女の願いを、無下に断れるわけがない。命を掛けて応援しているとまで言われ、それを踏みにじる性根を、すずめは持ち合わせてはいなかった。
そうだ、とりあえずこの子のために試験だけ受けよう。でもきっと落ちると思うから、今から謝っておくね。ごめんね。
すずめは心の中でおかっぱ少女に詫びてから、ようやく垂れ目少女に応えた。
「試験、受けるわ」
垂れ目少女は満足そうに微笑み、すずめの前に置かれた桐の箱に手を伸ばし、蓋を取った。
「ではこの中から選んでいただきますです」
選ぶ?
「この中から一本、あなたが一番必要だと思う扇子を。そう言ってましろは八十本、末広がりで縁起がいい扇子たちをお見せするのです」
桐の箱の中には大小様々、色とりどりの扇子が、どれも閉じられた状態でびっしりと収まっていた。
「一番必要だと思う扇子を?」
「はい、と、答えるましろです」
「この中から一本?」
「はい、と、答えるましろです」
「八十本の中から?」
「はい、と、答えるましろです」
「いまさらだけど、あなたのお名前、ましろさんっていうんですね?」
「以後お見知りおきを、です」
「はちみつは、はちみつって名なんだ」
すずめの膝の上にちょこんと座りながら、おかっぱ少女は元気よく答えた。
「うん、はちみつちゃんね。素敵なお名前。わたしはすずめ」
「すずめもいい名前なんだ。はちみつは好きになったぞ」
「うん、ありがと~」
「――て、おめえら、和やかに自己紹介してんじゃねえよ。ちゃっちゃと扇子を選びやがれ」
苛立たしそうに、男が口を挟んだ。
「ひとり仲間外れで拗ねてるんだぞ、旦那様」
「ば、馬鹿か、おめえ。こんな茶番とっとと終わらせて、俺は静かに昼寝でもしてえんだ」
男は肩を怒らせつつ「ちなみに俺は、衣音夢一」と、ぼそりと呟いたが、すずめは無視した。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
証なるもの
笹目いく子
歴史・時代
あれは、我が父と弟だった。天保11年夏、高家旗本の千川家が火付盗賊改方の襲撃を受け、当主と嫡子が殺害された−−。千川家に無実の罪を着せ、取り潰したのは誰の陰謀か?実は千川家庶子であり、わけあって豪商大鳥屋の若き店主となっていた紀堂は、悲嘆の中探索と復讐を密かに決意する。
片腕である大番頭や、許嫁、親友との間に広がる溝に苦しみ、孤独な戦いを続けながら、やがて紀堂は巨大な陰謀の渦中で、己が本当は何者であるのかを知る。
絡み合う過去、愛と葛藤と後悔の果てに、紀堂は何を選択するのか?(性描写はありませんが暴力表現あり)
狩野岑信 元禄二刀流絵巻
仁獅寺永雪
歴史・時代
狩野岑信は、江戸中期の幕府御用絵師である。竹川町狩野家の次男に生まれながら、特に分家を許された上、父や兄を差し置いて江戸画壇の頂点となる狩野派総上席の地位を与えられた。さらに、狩野派最初の奥絵師ともなった。
特筆すべき代表作もないことから、従来、時の将軍に気に入られて出世しただけの男と見られてきた。
しかし、彼は、主君が将軍になったその年に死んでいるのである。これはどういうことなのか。
彼の特異な点は、「松本友盛」という主君から賜った別名(むしろ本名)があったことだ。この名前で、土圭之間詰め番士という武官職をも務めていた。
舞台は、赤穂事件のあった元禄時代、生類憐れみの令に支配された江戸の町。主人公は、様々な歴史上の事件や人物とも関りながら成長して行く。
これは、絵師と武士、二つの名前と二つの役職を持ち、張り巡らされた陰謀から主君を守り、遂に六代将軍に押し上げた謎の男・狩野岑信の一生を読み解く物語である。
投稿二作目、最後までお楽しみいただければ幸いです。
狐侍こんこんちき
月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。
父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。
そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、
門弟なんぞはひとりもいやしない。
寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。
かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。
のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。
おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。
もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。
けれどもある日のこと。
自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。
脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。
こんこんちきちき、こんちきちん。
家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。
巻き起こる騒動の数々。
これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。
出雲屋の客
笹目いく子
歴史・時代
短篇です。江戸堀留町の口入屋『出雲屋』は、乳母奉公と養子縁組ばかりを扱う風変わりな口入屋だった。子を失い、横暴な夫に命じられるまま乳母奉公の口を求めて店を訪れた佐和は、女店主の染から呉服商泉屋を紹介される。
店主の市衛門は妻を失い、乳飲み子の香奈を抱えて途方に暮れていた。泉屋で奉公をはじめた佐和は、市衛門を密かに慕うようになっていたが、粗暴な夫の太介は香奈の拐かしを企んでいた。
夫と離縁し、行き場をなくした佐和を、染は出雲屋に雇う。養子縁組の仕事を手伝いながら、佐和は自分の生きる道を少しずつ見つけて行くのだった。
永遠より長く
横山美香
歴史・時代
戦国時代の安芸国、三入高松城主熊谷信直の娘・沙紀は「天下の醜女」と呼ばれていた。そんな彼女の前にある日、次郎と名乗る謎の若者が現れる。明るく快活で、しかし素性を明かさない次郎に対し沙紀は反発するが、それは彼女の運命を変える出会いだった。
全五話 完結済み。
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
ステンカ・ラージン 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 5】 ―コサックを殲滅せよ!―
kei
歴史・時代
帝国は北の野蛮人の一部族「シビル族」と同盟を結んだ。同時に国境を越えて前進基地を設け陸軍の一部隊を常駐。同じく並行して進められた北の地の探索行に一個中隊からなる探索隊を派遣することとなった。
だが、その100名からなる探索隊が、消息を絶った。
急遽陸軍は第二次探索隊を編成、第一次探索隊の捜索と救助に向かわせる。
「アイゼネス・クロイツの英雄」「軍神マルスの娘」ヤヨイもまた、第二次探索隊を率い北の野蛮人の地奥深くに赴く。
扶蘇
うなぎ太郎
歴史・時代
仁愛の心と才能を持ち、秦の始皇帝から後継者に指名されていた皇太子・扶蘇。だが、彼は奸臣趙高の手で葬られてしまった。しかし、そんな悲劇のプリンス扶蘇が、もし帝位を継いでいたら?歴史は過去の積み重ねである。一つの出来事が変われば、歴史は全く違うものになっていただろう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる