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9.nove
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「専門学校の費用。その大半を彼女が支払っています。親子ローンが組まれていましたから。ですので、実際あなた方が出した額は先程申し上げた額の半分にも満たない」
「バカなことを言うな! そんなはずはない!」
父は勢いよく机を叩き、体を起こすと薫さんを見下ろした。
「ではお聞きしますが、あなたは自分の年商がどれくらいなのか、ご存知ですか? 全て奥様に任せきり。そうではないですか?」
畳み掛けるように質問を重ねる薫さんに、父は苦い表情になった。
「喧しい! お前みたいな若造に何がわかる! 亜夜! お前は騙されてるんだ。こいつはこんな端金さえ出したくないんだ。そうだろう!」
痛いところを突かれたからか、父は喚き立てる。都合が悪くなるといつもそうだった。そして私は、それが不快で従っていただけだ。けれど、今は違う。言いなりになる必要なんてないのだから。
立ち上がったままの父を真っ直ぐ見据え、声を絞り出す。一生立ち向かうことなんてないと思っていた。自分の気持ちに蓋をして、必死に押し込めるしかなかったから。でも、薫さんがいてくれるから、私の味方でいてくれるから勇気が湧いてくる。
「その端金を……出さなかったのは誰ですか? いえ、出せなかった。それでもお母さんは、なんとか私を希望通りの学校へ行かせるために頑張ってくれたんです。大事な娘? 笑わせないでください。あなたに大事にされた記憶なんてありません!」
言い返したのは初めてで、体が震えそうになる。それでも視線を逸らさず、睨みつけるように父を見上げた。
「なん……だと? お前に何がわかるっ!」
「わからないよ! お父さんだって、私が今までどんな気持ちだったかわからないでしょう!」
感情に任せて叫ぶ。涙が勝手に滲み、眦に溜まっていくのが分かる。父は顔を赤くしてワナワナと震えると、目の前にあったグラスを素早く手にしてそれを振り上げた。
「うるさいっ‼︎」
「亜夜っ!」
「父ちゃん‼︎」
身構えた私を庇おうと、素早く盾になるように薫さんの腕に閉じ込められる。その肩越しから見えた朝陽は、父の腕にしがみついている。
「あなた! 止めて下さい!」
母は悲鳴を上げ、父の足に縋りついていた。
グラスに入ったままのお酒は、そこらじゅうに溢れたのか、ぼたぼたと机に水溜りを作っては、不快な匂いを漂わせた。
「分からない、だろう……。跡継ぎだと言われて朝から晩まで、年中働いてもそれに見合う収入など入ってこない。やっと育った野菜が、たった数日降り続いた雨に全てやられる虚しさ。お前たちには分からないはずだっ‼︎」
父は悔しそうに吐き捨てると、腕を下ろしグラスを机に置いた。やりすぎたことに自分でも気づいたのだろう。
「父ちゃん……」
朝陽は父の隣に立ったまま、悲しげにその姿を見ている。その背はもうとっくに父を追い越していた。そして母は、畳に手をつき項垂れたまま、嗚咽を漏らしていた。
「もう……止めて下さい。私がいくらでも代わりになります。だから、亜夜に辛く当たるのは止めてください……」
次々と自分の瞳から溢れる涙は、止まることを知らず流れていく。
母が今まで、私の知らないところで、守ってくれていたことが痛いほど伝わってくる。
愛されていないと思っていた。どうして娘として生まれたのだろうと思うこともあった。そんな私を、母は母なりずっと愛してくれていたのだ。自分が犠牲になってでも。
「どいつもこいつも俺に文句ばかり! 何が悪い! 俺だって好きでこんな家に生まれたわけじゃない!」
開き直ったように父は叫ぶ。その姿を見て、複雑な思いが胸に広がった。
父には父なりの苦しみはあっただろう。けれどやはり、納得はすることはできない。それに、母はそんな父よりもっと苦しくて辛い思いをしてきたはずなのだから。けれど、父は母と私に謝罪する気などきっとない。それどころか、自分に非があるとは考えもしないだろう。だから、母は一人でずっと耐えてきたのだ。
重く苦しい沈黙のあと、それを破ったのは薫さんだった。
「桝田さん。私は農業の経験はありません。が、海外の農業に関わる人を見てきました。彼らも同じように苦しみ、虚しさを覚えてこともあったことでしょう」
薫さんは静かに、真摯的な態度で父に話しかける。
「それがどうした」
立ったままの父は吐き捨てるように、投げやりに答える。けれど臆することなく彼は続けた。
「バカなことを言うな! そんなはずはない!」
父は勢いよく机を叩き、体を起こすと薫さんを見下ろした。
「ではお聞きしますが、あなたは自分の年商がどれくらいなのか、ご存知ですか? 全て奥様に任せきり。そうではないですか?」
畳み掛けるように質問を重ねる薫さんに、父は苦い表情になった。
「喧しい! お前みたいな若造に何がわかる! 亜夜! お前は騙されてるんだ。こいつはこんな端金さえ出したくないんだ。そうだろう!」
痛いところを突かれたからか、父は喚き立てる。都合が悪くなるといつもそうだった。そして私は、それが不快で従っていただけだ。けれど、今は違う。言いなりになる必要なんてないのだから。
立ち上がったままの父を真っ直ぐ見据え、声を絞り出す。一生立ち向かうことなんてないと思っていた。自分の気持ちに蓋をして、必死に押し込めるしかなかったから。でも、薫さんがいてくれるから、私の味方でいてくれるから勇気が湧いてくる。
「その端金を……出さなかったのは誰ですか? いえ、出せなかった。それでもお母さんは、なんとか私を希望通りの学校へ行かせるために頑張ってくれたんです。大事な娘? 笑わせないでください。あなたに大事にされた記憶なんてありません!」
言い返したのは初めてで、体が震えそうになる。それでも視線を逸らさず、睨みつけるように父を見上げた。
「なん……だと? お前に何がわかるっ!」
「わからないよ! お父さんだって、私が今までどんな気持ちだったかわからないでしょう!」
感情に任せて叫ぶ。涙が勝手に滲み、眦に溜まっていくのが分かる。父は顔を赤くしてワナワナと震えると、目の前にあったグラスを素早く手にしてそれを振り上げた。
「うるさいっ‼︎」
「亜夜っ!」
「父ちゃん‼︎」
身構えた私を庇おうと、素早く盾になるように薫さんの腕に閉じ込められる。その肩越しから見えた朝陽は、父の腕にしがみついている。
「あなた! 止めて下さい!」
母は悲鳴を上げ、父の足に縋りついていた。
グラスに入ったままのお酒は、そこらじゅうに溢れたのか、ぼたぼたと机に水溜りを作っては、不快な匂いを漂わせた。
「分からない、だろう……。跡継ぎだと言われて朝から晩まで、年中働いてもそれに見合う収入など入ってこない。やっと育った野菜が、たった数日降り続いた雨に全てやられる虚しさ。お前たちには分からないはずだっ‼︎」
父は悔しそうに吐き捨てると、腕を下ろしグラスを机に置いた。やりすぎたことに自分でも気づいたのだろう。
「父ちゃん……」
朝陽は父の隣に立ったまま、悲しげにその姿を見ている。その背はもうとっくに父を追い越していた。そして母は、畳に手をつき項垂れたまま、嗚咽を漏らしていた。
「もう……止めて下さい。私がいくらでも代わりになります。だから、亜夜に辛く当たるのは止めてください……」
次々と自分の瞳から溢れる涙は、止まることを知らず流れていく。
母が今まで、私の知らないところで、守ってくれていたことが痛いほど伝わってくる。
愛されていないと思っていた。どうして娘として生まれたのだろうと思うこともあった。そんな私を、母は母なりずっと愛してくれていたのだ。自分が犠牲になってでも。
「どいつもこいつも俺に文句ばかり! 何が悪い! 俺だって好きでこんな家に生まれたわけじゃない!」
開き直ったように父は叫ぶ。その姿を見て、複雑な思いが胸に広がった。
父には父なりの苦しみはあっただろう。けれどやはり、納得はすることはできない。それに、母はそんな父よりもっと苦しくて辛い思いをしてきたはずなのだから。けれど、父は母と私に謝罪する気などきっとない。それどころか、自分に非があるとは考えもしないだろう。だから、母は一人でずっと耐えてきたのだ。
重く苦しい沈黙のあと、それを破ったのは薫さんだった。
「桝田さん。私は農業の経験はありません。が、海外の農業に関わる人を見てきました。彼らも同じように苦しみ、虚しさを覚えてこともあったことでしょう」
薫さんは静かに、真摯的な態度で父に話しかける。
「それがどうした」
立ったままの父は吐き捨てるように、投げやりに答える。けれど臆することなく彼は続けた。
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