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9.nove

nove-2

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「壊れてなければ中で聞こえてます。入ってください」

 そう言って、アルミサッシの引き戸をカラカラと開ける。

「いいのかい? 勝手にお邪魔して……」

 薫さんは玄関に鍵がかかっていないことに少なからず驚いているようだ。

「大丈夫です。そのうち奥から誰か出てきます。ご近所同士なんてチャイムすら鳴らさず勝手にお裾分け置いてますよ」

 この辺りで昼間鍵をかけている家はほとんどないだろう。下手をすれば夜さえも。それが当たり前で育ったから、実は東京に出てきたとき何度か鍵を掛け忘れたことがあるくらいだ。

「どうぞ。古くて驚くと思いますけど」

 穂積家の手入れされた古さとは違い、朽ちていくのに任せているような古さ。あちこちツギハギだらけなのは、母がコツコツ修繕しているからだ。薫さんが先に戸をくぐり、私はあとに続き戸を閉める。奥から少し重めの足音が聞こえると、その主が顔を出した。

「おかえり。ねーちゃん。」
「……ただいま」
 
 あえて薫さんに何も言わなかったのは、朝陽は今日が初対面ということになっているからだ。

「初めまして。穂積です」
 
 本当に初めて会ったかのように淡々と挨拶する薫さんに、朝陽は面食らっているようだ。役者にはなれないな、なんて弟の様子を眺めていると、ようやく軽いスリッパの音が聞こえてきた。

「いらっしゃいませ。お上がりください」

 そう言って母はスリッパを玄関先に並べた。
 白髪が混ざっている長い髪を一つに纏めただけの質素な出立ち。そういえば、母が化粧をしているところをほとんど見た記憶がない。

「初めまして。穂積薫と申します。こちら、お口に合えばよろしいのですが。私の地元の菓子です」
「お気遣いありがとうございます。主人が待っておりますので、奥へどうぞ」

 紙袋から取り出した菓子折りを、薫さんは丁寧に母に渡す。弱々しく返す母の姿は、記憶よりも随分小さく見えた。
 庭に面した廊下の一番奥には台所、途中には居間がある。母は奥に消え、朝陽は居間に続く障子の前で止まった。

「父ちゃん。姉ちゃんたち来たよ」
「おぉ。入ってもらえ」

 朝陽が固い表情で呼びかけると、向こう側から父の明るい声がした。朝陽は障子を開け、中に入って行く。薫さんは後ろにいた私に振り返り、『大丈夫』と言うようにゆっくり頷いた。
 開けっぱなしだった障子の前。板張りの廊下に薫さんは一旦正座をした。

「失礼いたします」
 
 美しいお辞儀をする姿は、それだけで育ちの良さと品を感じる。私も見習おうとそれに続き薫さんの横に座ると頭を下げた。

「遅かったな。ほら、そんなところで堅苦しい挨拶はいい。こっちに座れ」
「はい」

 立ち上がり居間に入ると、真ん中に置かれた古びた座卓に向かう父を見てギョッとした。父の隣に置かれているのは一升瓶。座卓には乾き物の入った菓子鉢と、透明な液体の入るグラス。

(昼間から……お酒飲んでるの?)

 とても今から客を迎えるとは思えないその様子に、唖然とするのと同時に肩身が狭くなる。そんな父を見ても顔色一つ変えず、薫さんは座布団の横に座り直した。

「初めまして。突然の訪問をご承諾いただき、ありがとうございます。穂積薫と申します」

 恭しく手を付いて頭を下げる薫さんの姿に、身を切られるようだ。いくら自分の父であっても、そんなことをする価値はない。そう言ってしまいそうだった。

「そうか。あんたが穂積グループの。テレビで見るより数倍いい男だ。まぁ、座って座って」
 
 お酒が入っているからか父は上機嫌で声を張り上げている。部屋の角に座る朝陽が、俯き加減で唇を噛み締めているのが目に入った。

「では失礼します」

 薫さんは淡々と父の向かいに座る。遅れてその横に座るが、父は私には目もくれない。

「どうだ。飲むか?」
「いえ、結構です。車で来ておりますので」

 当たり前のように一升瓶を差し出す父に、表情を変えることなく薫さんは答える。それに少しムッとした表情をすると、「なんだ。お堅いな」と言いながら、父は自分のグラスにお酒を注ぎ足していた。
 そうしているうちに、台所に続く扉が開き、母が盆を携え入ってきた。

「母ちゃん、俺も手伝う」

 そばに座っていた朝陽はごく自然に言う。だが、それに不快感を露わにしたのは父だ。

「朝陽。お前はそんなことしなくていい。こっちに座れ。跡継ぎはお前なんだからな」
「朝陽。お父さんの言う通りよ」
 
 母が小さくそう言うと、朝陽は悔しそうな表情で父の隣に向かった。
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