想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月

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8.otto

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「自分の家がって、気づいてた。ずっと前から……」

 朝陽は、悔しそうに顔を歪ませていた。

「そう……なんだ……」
 
 自分の家がどこか歪んでいることに、私は早くから気づいていた。いくら田舎の農家と言っても、あまりにも男尊女卑の思考。それでも最初は、それが当たり前だと思っていた。けれど、成長するにつれ、周りはそうじゃないと知った。きっと、朝陽も同じなんだろう。

「俺、ずっと父ちゃんや祖父じいちゃんから、お前はいずれこの家のあるじになるんだから、家の中のことなんかしなくていいって言われてて……」
「うん……。知ってる……」
 
 まだ小学生になるまえから、父や祖父は朝陽にそう言い聞かせていた。私は母の手伝いをしながら、遠くでそれを耳にしてやるせない気持ちになった。けれど、いつしかその感覚も麻痺し、何も感じないようになっていた。

「母ちゃんやねーちゃんが、毎日忙しそうに家のことやってるのを見ても、それが当たり前なんだって思ってた。……でも……」
 
 朝陽は下を向いたまま、ポツポツと話す。薫さんは風香の相手をしながらも、静かにそれを聞いていた。

「小学校高学年くらいのときにさ。学校で宿題出たんだよ。家の手伝いを三つしてきましょうって。俺、母ちゃんになんか手伝うことない? って聞いたら……。母ちゃん、なんでか悲しそうな顔した」

 膝の上でぎゅっと拳を握り、朝陽は深呼吸をしている。そして続けた。

「……何もしなくていいって。けど、宿題だっていったら渋々手伝わせてくれた。夕刊取りに行って祖父ちゃんに渡してとか、畳んである洗濯物運ぶの手伝ってとか。俺、頼まれたのが嬉しくて。すっごいことしたんだ、なんて得意気になってた。でも……」

 その先は、言われなくても予想が付く。高学年にしては拙い内容。私が同じことをしても、一つも褒めてもらえることはないだろう。

「学校でさ。みんなで発表しようってなって。で……俺のしたことなんて、手伝いのうちに入らないんだって……。目が覚めた」
 
 この頃、私はまだ家にいたはずだ。小学生と高校生で共通の話題などなく、たまに勉強を教えるくらいだった。

「俺、本当は家を出たいって思ってた。大学だって、父ちゃんは農業に必要ないって反対した。農業に活かせる勉強するからって頼みこんで、なんとか地元の大学ならって許してもらえた。だから……。家を出られたねーちゃんのこと、本当は羨ましかった……」
 
 私は可愛がられている弟が羨ましかった。けれど、本当はこんなにも苦しんでいたのかと、愕然としていた。
 何も言えなかった。自分は家を出て、やっと楽に息を吸えるようになった気がしていた。好きなことを勉強するのも、生活のためとはいえアルバイトするのも、全てが楽しかった。
 けれど朝陽は、きっと今も、息苦しさを抱えながらあの家で暮らしているのだ。

「ごめんね……。気づいてあげられなくて……」

 少しでも知っていれば、いつでも話を聞くから遊びにおいでって、言ってあげられてたかも知れない。それがたとえ気休めだったとしても。

「ううん? 恨んだりしてないから、謝らないでよ。ねーちゃん、今まで俺に色々してくれてたんだろ? 入学祝いとか。誰も何も教えてくれなくて。お礼言えなくてごめん」
 
 そうだ。弟は、とても優しい子だった。優しい子だったからこそ、周りの空気を読んで何も言えなかったのかも知れない。

「大丈夫だよ。……それで、ここに来てまで言いたかったのは、このこと?」

 手紙を読んで、もしかしたら同じ気持ちを抱えていた姉に、話を聞いてもらいたかったのかも知れない。けれど、どこか腑に落ちないでいた。
 私の質問に、朝陽はまた暗い表情を見せ、首を振った。

「それもある、けど……。父ちゃんが……」

 今日一番の険しい表情で、朝陽は膝に乗せていた両方の拳をグッと握る。

「お父さんが……どうかした?」
「あそこまで腐ってるって……思ってなかった……」

 絞り出すように吐き出したのは、父を蔑むような内容。いったい何が、と朝陽を見つめた。

「この前穂積さん、テレビに出てた、よな? ちょうど親戚集まってて、その時にたまたま流れてた」
「う……ん……」

 雨の音は小さくなり、窓の外は少しずつ明るくなっている。けれど、心の中には暗雲が立ち込め始めていた。

(そんな……。まさか……)
 
 尊敬しているとは言えないけど、それでも血の繋がった父親だ。信じたい、と思っても、頭をよぎるのは最悪な想像ばかりだった。

「父ちゃんさ。手紙はちゃんと読んでないみたいだったけど、穂積さんの名前と顔は覚えてたみたい。それまで全く興味なんてなかったのに、テレビ見て目の色変えてた。これがうちの娘婿だ。どうだ! って自慢気に。そのあと言ったんだ。これで、うちの家も安泰だって……」
 
 その言葉に、全てを察してしまった。
 私は顔を上げ、薫さんを見る。彼は後ろめたいことがあると言いたげに視線を落とした。

「薫さん……。教えてください。父が何を言ってきたのか」

 震えそうになる手を握ると、覚悟を決め私は尋ねた。
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