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8.otto
otto-4
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「あ、待って。先にタオル取ってくる」
靴を脱ごうとする弟を、一先ず制止する。よくよく見ると、髪の毛も服もぐっしょり濡れていた。
バスタオルを手に玄関に戻り、朝陽に手渡すとゴシゴシと頭を拭いている。
「着替え……なんてないよね? ちょっと待ってて。バスルームこっち」
「あ、ありがと。お邪魔します」
かろうじて靴下にはそんなに被害がないみたいだ。朝陽は家に上がると靴を揃えて振り向いた。
バスルームに案内してからリビングに戻ると、薫さんが奥から何かを手にして出てきたところだった。
「よかったら、これ使って。弟さん、雨に降られただろう?」
差し出されたのは黒いTシャツだ。何も言わなくても予想して用意してくれる薫さんに、さすがだなと思いながらお礼を言って受け取りまた戻る。
「朝陽、これ着替え」
「その……。旦那さんのやつ?」
バスルームで既に着ていたシャツを脱いでいた朝陽は、タオルで体を拭きながら尋ねる。
「まだ籍は入れてない……。朝陽はどうして知ってるの? お母さんに聞いた?」
朝陽はシャツを受け取ると素早くそれを着る。薫さんほど背は高くないから少し大きい。それをなんとなく整え首を振る。
「直接聞いてない……。けど、話したいことがあって……」
後ろめたいことでもあるのか、弟は視線を外して口籠っていた。
「とりあえず、コーヒーでも飲む? 淹れるから」
「……うん。俺、カフェ・オ・レしか飲めないけど」
「わかった」
リビングに朝陽を伴い戻ると、風香はおやつを食べ終えたようだった。初めてみる人に泣きはしないが、キョトンした瞳を向けていた。
「すみません、突然お邪魔して。弟の朝陽です」
「初めまして。穂積薫です。気兼ねなくゆっくりしてください」
ずいぶん年下の弟にも折り目正しく挨拶をする薫さんに、朝陽は戸惑ったような笑みを返した。
「はい。どうぞ? アイスでよかった? まだ外は蒸し暑かったでしょう?」
心許なげにダイニングテーブルに座る朝陽にグラスを差し出す。薫さんと風香はリビングへ移動していて遊んでいる風香の、燥ぐ声が聞こえていた。
「うん。やっぱ東京って暑いね。びっくりした」
ストローを開けながら、いただきますと言って朝陽はグラスを口へ運ぶ。喉が渇いていたのか、ゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に半分ほど飲んでいた。
「で……。何で来たのか聞いてもいい?」
テーブルの向かいで、一息ついた様子の弟に尋ねた。
「その……」
朝陽はチラッとリビングへ視線を送る。それに気づいた薫さんはこちらを向いた。
「話しづらいなら席を外すよ?」
「違うんです。俺、穂積さんにも話があって……」
気を利かせてくれた彼に、朝陽は首を振る。
「どうして……薫さんに?」
二人は見ず知らずの間柄のはずだ。なのに何故、私だけではなく薫さんにも、なのか全く見当が付かない。けれど、薫さんの表情は違っていた。まるで、心当たりがある。そんな表情だった。
「薫さん、何か知ってるんですか?」
少し憂いの表情を見せ薫さんは眉を下げた。
「とりあえず、順を追って話をしよう。まず、朝陽君。君がどうしてここに来たのか。先にそれを聞かせてくれるかい?」
「は……い……」
朝陽は暗い表情で頷いた。
風香を見ながらだと、どうしてもリビングのローテーブルを囲むように座ることになる。近くでは風香がオモチャで遊ぶカチャカチャと言う音が響き、落ち着かないが仕方ない。
そんななかで、まず朝陽が話しを切り出した。
「先に謝っとく。ねーちゃん、ごめん。母ちゃん宛の手紙、勝手に読んだ。それで子どもがいることとか、穂積さんのこととか、知った」
「そう……。謝ることじゃないよ。でも、なんで手紙を読もうと思ったの?」
家で郵便物を取ってくるのはほとんど母だ。だから母に宛てて手紙を書いた。その内容を他の家族に伝えるのは母の自由で、伝わっても構わないと思っていた。
「たぶん……手紙届いてそんなに経ってなかったと思う。父ちゃんと母ちゃんが言い争いしてて。せめてお祝いを送りたいって母ちゃんは言ってた。でも、父ちゃんは見せられた手紙を突っ返して、出て行った娘にやる金なんかないって……」
暗い顔をしたままの朝陽の話を聞くだけで、様子が目に浮かぶようだった。言い争い、と言ったけどそれは違う。父が一方的に声を荒げ、母はいつも言いなりだったから。
「母ちゃんはその手紙を、父ちゃんに見つからない場所に隠してた。何があったんだろうって気になって、母ちゃんの目を盗んで読んだんだ」
あの手紙には、私がずっと感じてきたことがそのまま綴ってある。それを、母は一体どんな気持ちで読んだのだろう?
そして、朝陽は……何を思ったのだろう?
「そっか……」
朝陽の顔を見られず、視線を落としたまま呟く。沈黙が訪れ、まだ降り続く雨の音だけが聞こえてきた。
「俺……」
ようやく朝陽はまた口を開く。それに「うん」と返事をし、顔を上げた。
靴を脱ごうとする弟を、一先ず制止する。よくよく見ると、髪の毛も服もぐっしょり濡れていた。
バスタオルを手に玄関に戻り、朝陽に手渡すとゴシゴシと頭を拭いている。
「着替え……なんてないよね? ちょっと待ってて。バスルームこっち」
「あ、ありがと。お邪魔します」
かろうじて靴下にはそんなに被害がないみたいだ。朝陽は家に上がると靴を揃えて振り向いた。
バスルームに案内してからリビングに戻ると、薫さんが奥から何かを手にして出てきたところだった。
「よかったら、これ使って。弟さん、雨に降られただろう?」
差し出されたのは黒いTシャツだ。何も言わなくても予想して用意してくれる薫さんに、さすがだなと思いながらお礼を言って受け取りまた戻る。
「朝陽、これ着替え」
「その……。旦那さんのやつ?」
バスルームで既に着ていたシャツを脱いでいた朝陽は、タオルで体を拭きながら尋ねる。
「まだ籍は入れてない……。朝陽はどうして知ってるの? お母さんに聞いた?」
朝陽はシャツを受け取ると素早くそれを着る。薫さんほど背は高くないから少し大きい。それをなんとなく整え首を振る。
「直接聞いてない……。けど、話したいことがあって……」
後ろめたいことでもあるのか、弟は視線を外して口籠っていた。
「とりあえず、コーヒーでも飲む? 淹れるから」
「……うん。俺、カフェ・オ・レしか飲めないけど」
「わかった」
リビングに朝陽を伴い戻ると、風香はおやつを食べ終えたようだった。初めてみる人に泣きはしないが、キョトンした瞳を向けていた。
「すみません、突然お邪魔して。弟の朝陽です」
「初めまして。穂積薫です。気兼ねなくゆっくりしてください」
ずいぶん年下の弟にも折り目正しく挨拶をする薫さんに、朝陽は戸惑ったような笑みを返した。
「はい。どうぞ? アイスでよかった? まだ外は蒸し暑かったでしょう?」
心許なげにダイニングテーブルに座る朝陽にグラスを差し出す。薫さんと風香はリビングへ移動していて遊んでいる風香の、燥ぐ声が聞こえていた。
「うん。やっぱ東京って暑いね。びっくりした」
ストローを開けながら、いただきますと言って朝陽はグラスを口へ運ぶ。喉が渇いていたのか、ゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に半分ほど飲んでいた。
「で……。何で来たのか聞いてもいい?」
テーブルの向かいで、一息ついた様子の弟に尋ねた。
「その……」
朝陽はチラッとリビングへ視線を送る。それに気づいた薫さんはこちらを向いた。
「話しづらいなら席を外すよ?」
「違うんです。俺、穂積さんにも話があって……」
気を利かせてくれた彼に、朝陽は首を振る。
「どうして……薫さんに?」
二人は見ず知らずの間柄のはずだ。なのに何故、私だけではなく薫さんにも、なのか全く見当が付かない。けれど、薫さんの表情は違っていた。まるで、心当たりがある。そんな表情だった。
「薫さん、何か知ってるんですか?」
少し憂いの表情を見せ薫さんは眉を下げた。
「とりあえず、順を追って話をしよう。まず、朝陽君。君がどうしてここに来たのか。先にそれを聞かせてくれるかい?」
「は……い……」
朝陽は暗い表情で頷いた。
風香を見ながらだと、どうしてもリビングのローテーブルを囲むように座ることになる。近くでは風香がオモチャで遊ぶカチャカチャと言う音が響き、落ち着かないが仕方ない。
そんななかで、まず朝陽が話しを切り出した。
「先に謝っとく。ねーちゃん、ごめん。母ちゃん宛の手紙、勝手に読んだ。それで子どもがいることとか、穂積さんのこととか、知った」
「そう……。謝ることじゃないよ。でも、なんで手紙を読もうと思ったの?」
家で郵便物を取ってくるのはほとんど母だ。だから母に宛てて手紙を書いた。その内容を他の家族に伝えるのは母の自由で、伝わっても構わないと思っていた。
「たぶん……手紙届いてそんなに経ってなかったと思う。父ちゃんと母ちゃんが言い争いしてて。せめてお祝いを送りたいって母ちゃんは言ってた。でも、父ちゃんは見せられた手紙を突っ返して、出て行った娘にやる金なんかないって……」
暗い顔をしたままの朝陽の話を聞くだけで、様子が目に浮かぶようだった。言い争い、と言ったけどそれは違う。父が一方的に声を荒げ、母はいつも言いなりだったから。
「母ちゃんはその手紙を、父ちゃんに見つからない場所に隠してた。何があったんだろうって気になって、母ちゃんの目を盗んで読んだんだ」
あの手紙には、私がずっと感じてきたことがそのまま綴ってある。それを、母は一体どんな気持ちで読んだのだろう?
そして、朝陽は……何を思ったのだろう?
「そっか……」
朝陽の顔を見られず、視線を落としたまま呟く。沈黙が訪れ、まだ降り続く雨の音だけが聞こえてきた。
「俺……」
ようやく朝陽はまた口を開く。それに「うん」と返事をし、顔を上げた。
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