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7.sette
sette-7
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井上さんは手短かに、お父様の名前を知ったのはごく最近で、昔穂積様から送られてきた手紙を読んだこと。そこには甥が、と書いてあったのに、本当は違っていて驚いてしまったことを話した。
「――けれど、ようやく腑に落ちました。いくらなんでも、可愛がられていたとはいえ、甥の遺した子に大学まで進学できるほどの多額な金を渡すだろうかと。会長は、せめてもの罪滅ぼしにそうされた。おそらく……もし、父が養子に行かず、会長の三男として育ったなら、私は穂積の名を名乗り、薫さんの従兄弟として成長していたでしょうから」
井上さんは、ただ淡々と自分が感じたことを話しているようだった。それに穂積様は難しい顔をしたまま頷いた。
「私がお前さんのことを知ったのは、昌弘が亡くなって三年以上経っておった。もう認知してやることも叶わない。本当に申し訳ないことをしたと悔やんでも遅かった」
「もう……水に流しませんか? 私は会長に助けていただいたおかげで、こうしてここに居られるのですから」
優しく井上さんがそう言うと、穂積様は表情を和らげ満足そうに頷いた。
「そうか。……感謝する。この老いぼれのいい冥土の土産ができた。咲子も昌弘も、きっと喜んでくれるだろう」
冥土と言う言葉にドキリとしていると、同じように思ったのか、井上さんも薫さんも口々に穂積様に声を掛ける。
「何をおっしゃるんですか。まだまだ会長にはお元気でいていただかないと」
「そうですよ、お祖父様。まだまだ教えを乞いたいことはたくさんあります」
二人ともすっかりお祖父ちゃん子の孫の顔になっている。私はそれを微笑ましく、とても温かな気持ちで眺めていた。
話しが全て終わると、もう夕方に差し掛かっていた。
『またゆっくり遊びにおいで』と言う穂積様に見送られ、井上さんも一緒に今度は薫さんのご実家に移動した。
車でほんの数十分のところにあるその家では、薫さんのお母様はもちろん、お兄様のご家族まで、私たちの到着を心待ちにしてくれていたのだった。
「亜夜、少しいいかい?」
風香もすっかり皆に慣れ、場の中心となったころ、薫さんは私をそっと部屋の外に連れ出した。
穂積の本家の大邸宅を訪れたあとだと狭く感じてしまうが、この家もかなり立派な家だ。どちらかというと近代的でモダンな家。薫さんは大学を卒業するまでここに住んでいたそうだ。
二階に上がり、廊下を一番奥まで進む。
「私がこの家で、一番気に入っている場所だ」
廊下の突き当たりはガラス扉になっていて、そこを開きながら薫さんは言う。促されるように先に向こう側へ進むと、そこに広がる景色に思わず感嘆の声を漏らしていた。
「綺麗……」
小さなバルコニーになっている場所は、きっとこの景色を見るためだけに作られたのだろう。高台にあるこの家からは、遠くに海が広がり、その海の向こうに落ちた陽が、空と海をオレンジ色に染め上げていた。
「よかった。暗くなってしまう前で」
薫さんも同じように遠くに視線を送ると、安堵したように呟いた。
「この景色を私に見せようとしてくれたんですか?」
その気持ちが嬉しくて、笑顔で薫さんを見上げる。彼も私に顔を向けて笑みを浮かべた。
「いや。この景色はついで、みたいなものだ」
薫さんは珍しくフフッと笑い声を漏らすと、私の両肩に手を置き、体を自分のほうに向かせる。それから、何事だろうと見守る私の前にひざまずき、彼は私の左手を取った。
「Vorrei vivere con te tutta la vita!」
顔を上げて綺麗な発音で言うのは、私たちが出会った地の言葉。その意味がすぐに出てこず、頭の中で必死にそれを訳す。
(一生……あなたと生きたい……、だ)
「少しキザだった、かな?」
黙ったままだったからか、薫さんは困ったように眉を下げた。私は慌てて首を振った。
「嬉しい……。嬉しいです。Sì!。私も、ずっと一緒に生きていきたいです」
精一杯の笑顔で答える私を、彼はとても嬉しそうに見つめていた。
しばらくし、薫さんは立ち上がると私を抱き寄せ背中を撫でる。その広い腕の中に体を預けたまま、ふと口にする。
「私、こんなに幸せでいいのかな」
「もちろんだ。亜夜。君は今までたくさん我慢をしてきた。だから、これからはもっとねだって欲しい。自分が幸せだと思うことを」
頰に涙が伝うのを感じる。それは温かで、とても幸福感で溢れていた。
「――けれど、ようやく腑に落ちました。いくらなんでも、可愛がられていたとはいえ、甥の遺した子に大学まで進学できるほどの多額な金を渡すだろうかと。会長は、せめてもの罪滅ぼしにそうされた。おそらく……もし、父が養子に行かず、会長の三男として育ったなら、私は穂積の名を名乗り、薫さんの従兄弟として成長していたでしょうから」
井上さんは、ただ淡々と自分が感じたことを話しているようだった。それに穂積様は難しい顔をしたまま頷いた。
「私がお前さんのことを知ったのは、昌弘が亡くなって三年以上経っておった。もう認知してやることも叶わない。本当に申し訳ないことをしたと悔やんでも遅かった」
「もう……水に流しませんか? 私は会長に助けていただいたおかげで、こうしてここに居られるのですから」
優しく井上さんがそう言うと、穂積様は表情を和らげ満足そうに頷いた。
「そうか。……感謝する。この老いぼれのいい冥土の土産ができた。咲子も昌弘も、きっと喜んでくれるだろう」
冥土と言う言葉にドキリとしていると、同じように思ったのか、井上さんも薫さんも口々に穂積様に声を掛ける。
「何をおっしゃるんですか。まだまだ会長にはお元気でいていただかないと」
「そうですよ、お祖父様。まだまだ教えを乞いたいことはたくさんあります」
二人ともすっかりお祖父ちゃん子の孫の顔になっている。私はそれを微笑ましく、とても温かな気持ちで眺めていた。
話しが全て終わると、もう夕方に差し掛かっていた。
『またゆっくり遊びにおいで』と言う穂積様に見送られ、井上さんも一緒に今度は薫さんのご実家に移動した。
車でほんの数十分のところにあるその家では、薫さんのお母様はもちろん、お兄様のご家族まで、私たちの到着を心待ちにしてくれていたのだった。
「亜夜、少しいいかい?」
風香もすっかり皆に慣れ、場の中心となったころ、薫さんは私をそっと部屋の外に連れ出した。
穂積の本家の大邸宅を訪れたあとだと狭く感じてしまうが、この家もかなり立派な家だ。どちらかというと近代的でモダンな家。薫さんは大学を卒業するまでここに住んでいたそうだ。
二階に上がり、廊下を一番奥まで進む。
「私がこの家で、一番気に入っている場所だ」
廊下の突き当たりはガラス扉になっていて、そこを開きながら薫さんは言う。促されるように先に向こう側へ進むと、そこに広がる景色に思わず感嘆の声を漏らしていた。
「綺麗……」
小さなバルコニーになっている場所は、きっとこの景色を見るためだけに作られたのだろう。高台にあるこの家からは、遠くに海が広がり、その海の向こうに落ちた陽が、空と海をオレンジ色に染め上げていた。
「よかった。暗くなってしまう前で」
薫さんも同じように遠くに視線を送ると、安堵したように呟いた。
「この景色を私に見せようとしてくれたんですか?」
その気持ちが嬉しくて、笑顔で薫さんを見上げる。彼も私に顔を向けて笑みを浮かべた。
「いや。この景色はついで、みたいなものだ」
薫さんは珍しくフフッと笑い声を漏らすと、私の両肩に手を置き、体を自分のほうに向かせる。それから、何事だろうと見守る私の前にひざまずき、彼は私の左手を取った。
「Vorrei vivere con te tutta la vita!」
顔を上げて綺麗な発音で言うのは、私たちが出会った地の言葉。その意味がすぐに出てこず、頭の中で必死にそれを訳す。
(一生……あなたと生きたい……、だ)
「少しキザだった、かな?」
黙ったままだったからか、薫さんは困ったように眉を下げた。私は慌てて首を振った。
「嬉しい……。嬉しいです。Sì!。私も、ずっと一緒に生きていきたいです」
精一杯の笑顔で答える私を、彼はとても嬉しそうに見つめていた。
しばらくし、薫さんは立ち上がると私を抱き寄せ背中を撫でる。その広い腕の中に体を預けたまま、ふと口にする。
「私、こんなに幸せでいいのかな」
「もちろんだ。亜夜。君は今までたくさん我慢をしてきた。だから、これからはもっとねだって欲しい。自分が幸せだと思うことを」
頰に涙が伝うのを感じる。それは温かで、とても幸福感で溢れていた。
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