想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月

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7.sette

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 奥様と出会ったのは、穂積様は十九歳、奥様はたった十六の頃だったという。高度経済成長期の始め、穂積家はその波に乗り会社をいくつも成長させていった。自分の知る、経済界有数の穂積グループは、ここで大きく発展したのだと彼は口にした。

「――咲子は、横浜の商家の出でな。外国とも長く取引があった。先代はそんな高田の家とのパイプが欲しかったんだろう。当時あの家には咲子と、妹の美子さんの姉妹しか跡継ぎがおらなんだ。どちらかが穂積家へ嫁入りし、片方は婿をとって高田の家を継ぐ。幼少より、そう決められていたようだ」
 
 当たり前のように、決められた結婚だったと語る穂積様の話に耳をすませる。

「咲子と始めて会ったのは祝言の席だ。白無垢を着て、高砂に向かってくるその姿を見ても顔など見えなくてな。どんな女性なのかも分からぬまま、流されるように祝言を挙げた」
 
 時代が違う、と言ってしまえばそれまでかも知れない。けれどその内容に驚くばかりだ。それを考えると、薫さんは無理やり結婚させられなかっただけまし、と思えるほどに。そっと隣を見ると、彼は少し複雑そうな表情で穂積様に向いていた。

「その席で美子さんは、敬愛する姉と今生の別れとばかりに泣いておった。嫁に行ってしまえばもう会えぬと思ったのだろう。まだまだそんな時代だった……」

 冷めたコーヒーの残るカップを見つめたまま、穂積様は皮肉のように息を漏らし笑う。でもなんとなく、きっと薫さんも察している。それを変えたのが、目の前にいるこの方なのだと。
 少し深呼吸をすると、穂積様はまた話を続けた。まだまだ先は長いだろう。

「咲子は……私には勿体ないほどできた嫁だった。いずれこの家を継ぐ私を支えられるよう、周りにきつく当たられようが弱音一つ溢さない。そんな強い人だった」

 その瞳に、小さく悲哀の感情が灯り始めた気がして手を握る。

「咲子が十八のとき、長男が生まれた。その二年後には次男が。正直私はホッとしていた。跡継ぎができたことに。これでとやかく言ってくるものはいなくなると。だが私が知らぬだけで、今度はその跡継ぎの育て方、とやらを煩く言っておったようだ」
 
 穂積様は肩の力を抜くと、コーヒーを口に運ぶ。喉を通るそれは、いったいどんな味なのだろう。重苦しい空気の中でそんなことを考える。

「咲子はそんな苦労を、一つも見せなかった。いつも一緒にコーヒー楽しんでいたのに、美味しいですねと笑うばかり。心配をかけたくなかったんだろう。その優しさは、他の者にも向けられていた。私の弟の奥方には特に、同じ苦労をする者として気があったのだろう。二人はここでよく歓談しておった。そしてある日、弟はその奥方と私の元を訪れた。……三男が生まれてすぐのことだった」
 
 三男、と聞いて私は疑問に思う。薫さんのお父様は、二人兄弟の次男だと聞いていたから。薫さんもやはり眉を顰めると「三男……?」と口に出していた。

「そうだ。お前の父、晃由てるよしの下には弟がおった。名前は……昌弘まさひろ
 
 突然、カップに乗るスプーンがカシャンと音を立てた。それは薫さんの向こう側から聞こえてきた。

「失礼……いたしました……」

 井上さんが謝る声がして、穂積様はそちらを少し見てから、何もなかったように前を向いた。

「弟に子は一人、娘だけ。そして弟はこの部屋で私に頭を下げた。三男を、昌弘を養子にくれないか。もう妻は子を望めぬ体だから、と」
「まさか……その方は先日弔い上げをされた……」
薫さんは知らなかったようで、驚いたように声を絞り出していた。

「そうだ。隠していたわけではないが、弟の顔を立てて大っぴらに言うものはいなかった。咲子は、弟の奥方を慮った。本家ではないものの、先代の直系に跡継ぎがいないとなると、咎め立てるものもいるだろうと」
 
 そんな話を聞いたことがないわけじゃない。田舎にも似たような話はある。けれどそれは、もっと昔の話しだと思っていた。
 また穂積様はコーヒーに口をつけ、もう無くなったのかカップをテーブルに戻した。

「穂積の名に恥じないよう立派に育てる。弟はそう言った。だが私は、その意味を深く考えなかった。弟は……私の先代に、時代が変わることを恐れていた人に、傾倒していたのに」

 静かな部屋に、穂積様の深く吐き出す息使いだけ響く。誰も身動ぎせず、ただその話の先を聞いていた。

「弟の奥方は、よくこの家に昌弘を連れて来た。年が近いこともあってか、特に晃由とは仲が良くてな。本人達には何も告げてはいなかったが、従兄弟同士として親交を深めておった。そして咲子とも。昌弘は咲子によく似ておった。それを咲子は案じていた。他人ひとのことばかり気遣い、自分のことは二の次になっているのではないかと」

(だから……お祖母様は薫さんを……)

 薫さんの性格が幼い頃から変わっていないとすれば、咲子さんが殊更可愛がった理由が何となくわかる。彼も……同じだから。
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