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6.sei
sei 〈薫side〉-2
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祖父に会うと決めてすぐ、井上にスケジュールの調整を依頼した。ほどなくして本家へ出向く日も決まるだろうと思っていたが、返答は意外なものだった。
「会長はしばらくご都合がお悪いそうです。少し待って欲しいと……」
井上は自分のことのように申し訳なさそうにそう言った。
「……そうか。また動きがあれば教えてくれ」
そんなやりとりがあってから早くも二週間近く。本家で行われる盆の集まりは来週に迫っていた。焦るばかりだが、仕事は待ってくれない。八月最初の金曜日の今日も、スケジュールは詰まっていた。
九月下旬から、ホテルプリマヴェーラの上階にあるバーラウンジとコーヒーを使ったカクテルのフェアをすることになっている。最初はバー単独での企画だったが、合わせるコーヒーや淹れ方について相談がありコラボ企画に発展したのだ。その責任者は井上で、順調に事は運んでいる。今日はアルテミスで試飲会を行う予定になっていて、自分もそれに参加することになっている。
アルテミスに向かうと、平日の昼下がりだがウエイティングシートは埋まっていた。
最初のサマーシーズンは、メディアにも取り上げられているおかげで今日も盛況だ。これからのシーズンの企画を進めていかなければならない。それは井上が主で行われている。秘書という立場を超えた仕事内容に、新たなポストの用意を考えていたが、やんわりと断られていた。
(いずれ、ここを去ることでも考えているのだろうか?)
井上の実績ならもっと上を目指すことも難しくはないはずだ。社長秘書で収まるような器ではない。少なくとも私は常々そう思っていた。
「お疲れ様です。社長、井上さん。打ち合わせ用のテーブルは確保しています」
入り口に向かうと現場のチーフが小さくそう声を掛けてきた。店内を眺めながら二人の後ろを歩くと、見覚えのある人物の顔が客席の中ほどに見えた。それは紛うことなき、昔から穂積家に仕える運転手の顔だった。
「村上さん。ご無沙汰しています」
その人が座るテーブルに近づくと声を掛ける。もう三十年、本家の運転手をする彼は、カップを下ろすと立ち上がった。
「これはこれは、薫様。お久しゅうございます」
丁寧に頭を下げる彼に、座るよう促すと尋ねる。
「今日はお一人で?」
そんなはずはないと分かっている。その服装は、見慣れた仕事用のシャツ。テーブルには白い手袋も置かれている。だが問題は、誰を連れて来たのか、だ。
「いいえ。大旦那様を近くまでお連れして。私はここで待つようにと」
彼の言う大旦那様。それは祖父のことだ。鼓動が早まるのを感じながら、私は質問を続けた。
「お祖父様はどちらへ? お話ししたいことがあるのですが、なかなか掴まらず……。差し支えなければ教えていただけませんか?」
何の疑いもなく彼は笑みを浮かべて答えた。
「この近くにあるセレーノというお店に御用があるとか。先程お一人で向かわれました。私は一時間後に、店の前に迎えに上がるよう仰せつかっております」
その返答に、雷で打たれたような衝撃を受けた。
(まさか先手を打たれた……のか?)
お祖父様がそんな手段に出るとは思ってもいなかった。いくら醜聞が耳に入ったからと言って、自分自身で動くようなかたではない。私はそう思っていた。
「村上さん。それを飲み終えてからでいいので、車を出していただけますか。お祖父様を迎えに行きます」
カップに残るコーヒーはあと半分ほど。時間は惜しいが、ここから歩いて向かわれたお祖父様には、すぐ追いつけると踏んだ。その間に、井上の待つ個室へ向かう。
「井上。すまないが試飲会は、私抜きで始めておいてくれ。お祖父様が……セレーノへ向かったらしい」
「会長が?」
さすがに井上も驚いていた。私はそれに頷く。
お祖父様がセレーノに何をしに行ったのか。考えうる理由は一つしかない。亜夜に近づくためだ。
(亜夜が傷つくようなことになっていなければいいが……)
そんなことはなさらない。そう信じたい。だが、信じきれずにいる自分がいた。
「会長はしばらくご都合がお悪いそうです。少し待って欲しいと……」
井上は自分のことのように申し訳なさそうにそう言った。
「……そうか。また動きがあれば教えてくれ」
そんなやりとりがあってから早くも二週間近く。本家で行われる盆の集まりは来週に迫っていた。焦るばかりだが、仕事は待ってくれない。八月最初の金曜日の今日も、スケジュールは詰まっていた。
九月下旬から、ホテルプリマヴェーラの上階にあるバーラウンジとコーヒーを使ったカクテルのフェアをすることになっている。最初はバー単独での企画だったが、合わせるコーヒーや淹れ方について相談がありコラボ企画に発展したのだ。その責任者は井上で、順調に事は運んでいる。今日はアルテミスで試飲会を行う予定になっていて、自分もそれに参加することになっている。
アルテミスに向かうと、平日の昼下がりだがウエイティングシートは埋まっていた。
最初のサマーシーズンは、メディアにも取り上げられているおかげで今日も盛況だ。これからのシーズンの企画を進めていかなければならない。それは井上が主で行われている。秘書という立場を超えた仕事内容に、新たなポストの用意を考えていたが、やんわりと断られていた。
(いずれ、ここを去ることでも考えているのだろうか?)
井上の実績ならもっと上を目指すことも難しくはないはずだ。社長秘書で収まるような器ではない。少なくとも私は常々そう思っていた。
「お疲れ様です。社長、井上さん。打ち合わせ用のテーブルは確保しています」
入り口に向かうと現場のチーフが小さくそう声を掛けてきた。店内を眺めながら二人の後ろを歩くと、見覚えのある人物の顔が客席の中ほどに見えた。それは紛うことなき、昔から穂積家に仕える運転手の顔だった。
「村上さん。ご無沙汰しています」
その人が座るテーブルに近づくと声を掛ける。もう三十年、本家の運転手をする彼は、カップを下ろすと立ち上がった。
「これはこれは、薫様。お久しゅうございます」
丁寧に頭を下げる彼に、座るよう促すと尋ねる。
「今日はお一人で?」
そんなはずはないと分かっている。その服装は、見慣れた仕事用のシャツ。テーブルには白い手袋も置かれている。だが問題は、誰を連れて来たのか、だ。
「いいえ。大旦那様を近くまでお連れして。私はここで待つようにと」
彼の言う大旦那様。それは祖父のことだ。鼓動が早まるのを感じながら、私は質問を続けた。
「お祖父様はどちらへ? お話ししたいことがあるのですが、なかなか掴まらず……。差し支えなければ教えていただけませんか?」
何の疑いもなく彼は笑みを浮かべて答えた。
「この近くにあるセレーノというお店に御用があるとか。先程お一人で向かわれました。私は一時間後に、店の前に迎えに上がるよう仰せつかっております」
その返答に、雷で打たれたような衝撃を受けた。
(まさか先手を打たれた……のか?)
お祖父様がそんな手段に出るとは思ってもいなかった。いくら醜聞が耳に入ったからと言って、自分自身で動くようなかたではない。私はそう思っていた。
「村上さん。それを飲み終えてからでいいので、車を出していただけますか。お祖父様を迎えに行きます」
カップに残るコーヒーはあと半分ほど。時間は惜しいが、ここから歩いて向かわれたお祖父様には、すぐ追いつけると踏んだ。その間に、井上の待つ個室へ向かう。
「井上。すまないが試飲会は、私抜きで始めておいてくれ。お祖父様が……セレーノへ向かったらしい」
「会長が?」
さすがに井上も驚いていた。私はそれに頷く。
お祖父様がセレーノに何をしに行ったのか。考えうる理由は一つしかない。亜夜に近づくためだ。
(亜夜が傷つくようなことになっていなければいいが……)
そんなことはなさらない。そう信じたい。だが、信じきれずにいる自分がいた。
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